MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 16 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり① ロンビエン橋と迷子札(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 パールファクトリーのテラスで。遠くの方に、ハロン湾の山々が見えます。


6月16日(金)


ホテルで充実の朝ごはんをいただき、
ロビーで迎えの人を待ちました。
ピックアップの時間は7時30分でしたが、
その5分前に、迎えのバスが到着しました。


ツアーのバスとドライバーさんです。ベトナム語と日本語で、お互い言葉は通じませんが、とりあえず問題なし。笑 荷物を預けて出発!


1泊2日なので、簡単な荷物を持って行き、
残りをホテルに預かってもらおう…、
と思っていました。
(私たちが旅先でよくやる方法です。)


ところが、ホテルに訊いてみると、
「荷物の保管料がかかる」と。
それも一日あたり500円くらいだそうで…。
そんなお金を払いたくないので、
18日間分の荷物を全部、
ハロン湾に持っていくことになりました。😅


バスは、ハノイの旧市街に向かって走ります。


ホアンキエム湖です。


このあたりには、
たくさんのホテルがあります。
バスは、いくつかのホテルに寄り、
参加者をピックアップしていきました。
途中で、ツアーのガイドさんも合流。
最終的に、ツアーの参加者は、
全部で19名でした。
アメリカ、オーストリア、フィリピンなど、
各国から参加している、
インターナショナルツアーで、
ツアー中は英語によるガイドとなります。


私たちはいちばん初めにピックアップされたので、最前列に座ることができました。見晴らしがいいです。^^ ちなみに、奥に見えているのは、くつろいでいるガイドさんの足。🤣🤣


「ロンビエン橋が見えるよ。」
と、夫がおしえてくれました。


窓の外を見ると、向こうの方にあるのは、たしかにロンビエン橋です。

ロンビエン橋に行ったときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 43 - ロンビエン橋(2019年9月15日/15日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


もうね。
泣けてきそうでしたよ。
4年前、ひとりでここにでかけて、
ロンビエン橋の上を自分の足で歩きました。
また、ハノイに戻ってきたんだなあ。
…と思うのですが、展開が急すぎて、
まだまだ、気持ちがついていきません。😅


夫が撮ったロンビエン橋です。

ベトナム戦争をくぐり抜けて、今も市民の足となっています。

バスは、ハロン湾に向かってひた走ります。

9時半。1回めの休憩所に到着しました。

ここにいた旅行者は、欧米人とインド人ばかり。日本人は見かけませんでした。

駐車場には、たくさんのツアーバスが並んでいました。もうほんとうに、コロナは過去になったんだなあ、と感じました。

SAを出発してまもなく、ガイドさんから、ひとり1本ずつお水をいただきました。夫といっしょに、日本から持って来たおかきを食べてくつろいでいるうちに、バスは「ハロン-モンカイ高速道路」に入りました。

この橋を通ったら、いよいよハロン湾です。

これは、4年前に撮った、同じ橋の写真。^^ なつかしさがさく裂していました。笑(2019年9月8日)
このときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 20 - ハロン湾日帰りツアー① 高速道路で出発!(2019年9月8日/8日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

はるか向こうの方に見える山影。でこぼこしているのは、ハロン湾ならではの風景です。

ここで高速を降りて、パールファクトリーに行きました。これは、ツアーのスケジュールに含まれています。

広大な駐車場に整然と並ぶ、ツアーバス。すごい数でした。

そしてバスから降りてぞろぞろと歩く、大勢の観光客。


「もうコロナは終わったんだな。
 あれこれ心配しているのは、
 日本だけかもしれないな…。」
と、夫がつぶやきました。
私も、同じような気持ちでした。
「コロナが終わった」わけではないけれど、
インフルエンザと同じくらいには
なったんだな、と…。
もちろん、マスクを着けてる人なんて、
ひとりもいません。


あまりにもバスが多いので、迷子になりそうです。降車する際、全員、首にかける迷子札を渡されました。🤣

この迷子札には、ツアーの名前とバスのナンバーが書いてあります。


私たちにとっては「迷子札」ですが、
ツアー会社にとっても、別の意味で、
大事なカードなのだと思います。
ツアー客がファクトリーの中でお買い物したら、
そのマージンがツアー会社に行くので、
ツアー会社の認識票になっているのでしょう。
まあ、どこの国のツアーでも、
こういうのはありますよね。😅


次回は、ファクトリーの中を歩きます。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 15 - 2回のハロン湾ツアーと、Mango Hotel の朝ごはん(2023年6月15日-16日/2日め-3日め)

2023年6月15日 チョンさん、タムさんの家で。楽しい一夜でした。


東北の旅から帰宅しました。
秋田、岩手、青森と歩き、最後は、
「星野リゾート 界 津軽」に泊まってきました。
ここに泊まるのが、
今回の旅のいちばんの目的でした。
予約したのは4月10日で、3か月も前。
そのあとに、ベトナム旅行が決まり、
超過密スケジュールをこなすことになりました。
(アホ)
もう倒れるんじゃないかと思いましたが、
まあ、なんとかなるものですね。😄


「界 津軽」の宿泊料は、
一泊二食付きで、46500円(ふたり分)でした。
我が家には思いきった価格でしたが、
お部屋は広く、お料理も最高。
行ってよかったです。^^


航空券は、ANAマイルを利用してタダ。
それも、トクたびマイルの対象だったので、
通常の半額マイルでした。
レンタカー代とその他の宿の宿泊料は、
すべてじゃらんで。
dポイントを利用したので、やはりタダ。
ということで、今回の旅(4泊5日)の費用は、
星野リゾートの宿泊料だけ。
ふたりで46500円でした。^^


ベトナムから成田に帰国したときの感想、
「日本は涼しいなあ。」
でしたが、
青森から羽田に戻ったときは、
「うっ 東京は暑い!」
でした。🤣🤣


暑くて暑くて死にそうだったベトナム。
そのベトナムの街を、またのんびり歩きたい、
と、今はなつかしがっています。


6月15日(木)


豪邸でびっくりした、
チョンさんとタムさんの新居。


エリアの入り口にあった、この大きな門には、見覚えがありました。

なので、4年前の写真を調べてみたら、やはりありました。ここには、4年前にも来ています。(2019年9月11日)


このときは、チョンさんから、
「友人の家に行くから、
 いっしょに行きましょう。」
と突然言われ、わけがわからないままに、
3人でタクシーででかけました。
そして、この門の前でタクシーを降り、
お友達の家まで歩いて行ったのです。


チョンさん、タムさんのお友達の家の内部です。奥に見えるのが玄関なのですが、1階部分には、大きな車が鎮座していました。笑 ここはガレージでなくて、靴を脱いであがる居住部分なんですが。🤣


どうして急にこの家を訪れたのか、
MIYOはよくわからなかったので、
あえて当時のブログにも掲載しませんでした。


でも、お友達が新居に引っ越したので、
おうちを見に行ったのかもしれません。
MIYOがいたのは2019年ですから、
その1年前に、
チョンさんとタムさんは、すでに、
この近くの土地を買っていたことになります。


MIYOにはなにも言わなかったけれど、
「いつか家を建てて、
 ここに住むんだなあ…。」
なんて、内心はそんなことを
思い描いていたのかもしれません。^^


ほんとうにすてきだった、おふたりの新居。タムさんのごちそう祭りもなつかしかった。^^

どれを食べてもおいしかったです。😍


あんなすばらしい豪邸を見せていただき、
おいしいお料理をいただいたのに、
ささやかでちょっとハズカシイのですが、
日本から持って行ったお土産の写真を
掲載しておきます。


こんな感じです。いちばんのメインは、右上のお菓子です。その下は、ひざ掛けブランケット。そして、トートバッグ、今治のタオル2枚、ミニポーチ、小さなお菓子…。小分けにした包みの中にも、いろいろ入っています。

お菓子は、5月に旅行した北海道で買ったものです。砂川市のスイートロードで、有名な北菓楼に行きました。(2023年5月16日 北海道砂川市)

このときに、ベトナムに持っていくつもりで、お菓子の詰め合わせを買いました。こんなのです。北菓楼のお菓子が11セット入っています。(画像をお借りしました)


これがですね…。😅
北海道から東京に持って帰る時もかさばるし、
ベトナムに持っていくときもかさばるし。笑
まあ、たいへんだったのですが、
私も夫も北菓楼のお菓子が好きで、
ふたりにも食べてもらいたかったので、
がんばって持って行きました。😄


これはチョンさんとタムさんに。左から、カードケース、ミニポーチ、クレンジングクリーム、ハンド美容クリーム、コロンさくら抹茶味、京都の扇子2本、ゴールドの入った美容クリーム、DKNYのタオルとスヌーピーのタオル。

これはアインちゃんとノックちゃんに。洋服4点。ファンシーグッズやクリアファイル、シールなどの文具いろいろ。そしてちりめんで作ったウサギ2個。

これも、アインちゃんとノックちゃんに。アクセサリーやチャームなど。


あまりたいしたものはなくて、
あと、いただきものも多くて恐縮ですが…。汗


このほか、
 チョンさんのおかあさんや、
 タムさんのご両親、
 タムさんの妹ハンさんとご家族など、
4年前に会った方々への小さなおみやげも
持って行ったので、
全部合わせるとけっこうな量になり、
かばん1個がぱんぱんになりました。笑
喜んでいただけてるといいのですが…。^^


帰りは、グラブタクシーを呼んでもらい、
ホテルに着いたのは、夜9時過ぎでした。
朝から歩きまわって疲れましたが、
楽しい一日でした。


6月16日(金)


この日は、ハロン湾に行きました。
ハロン湾は世界遺産だし、
ハノイから日帰りで行けるので、
行ったことがある方も多いと思います。
ハノイに行ったら、
絶対に外せない観光スポットです。


MIYOも、ハロン湾には、
これまでに2回、訪れています。


1回めは、2017年12月25日。
子どもたちもいっしょに、
家族4人で行きました。
このころは高速道路がなかったので、
ハノイからハロン湾まで、
片道3時間以上かかりました。


ハロン湾の奇岩群で。(2017年12月25日 のんたんとあみちゃん22歳)

このときの日記です。
のんたんの冬休み 11 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 7 - ハロン湾へ(パールのピアス)
のんたんの冬休み 12 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 8 - ハロン湾クルージングで船上ランチ

のんたんの冬休み-14 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 10 - 鍾乳洞へ行くよ!
のんたんの冬休み-15 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 11 - 鍾乳洞に到着。


そして2回めは、2019年9月8日。
チョンさんの家にホームステイして、
2か月間、働いていたときです。
会社のHPを作成するための取材として、
JVTAが催行するツアーに同行しました。


この頃には、高速道路が利用できるようになり、
往復の移動時間が短縮されました。
ハロン湾での滞在時間が長くなったので、
カヤックやバンブーボートなど、
現地でのアクティビティが増えていきました。


ツアーのお客様といっしょに、バンブーボートに乗りました。(2021年9月8日)

このときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 19 - ハロン湾へ
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 20 - ハロン湾日帰りツアー① 高速道路で出発!
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 21 - ハロン湾日帰りツアー② シーフードランチ
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 22 - ハロン湾日帰りツアー③ 手漕ぎ舟
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 23 - ハロン湾日帰りツアー④ シーカヤック
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 24 - ハロン湾日帰りツアー⑤ ティエン・クン鍾乳洞


2回も行ったので、今回の旅では、
「さすがに、ハロン湾はもういいや。」
と思っていました。
ところが、夫がなんと、
「ハロン湾で船に泊まってみたい。」
と言いだしたのです。


日本人がハロン湾に行くときは、通常は、
ハノイからの日帰り旅行になります。
日本では、ハノイのパッケージツアーは、
3泊4日とか4泊5日とかが多く、
忙しい旅の日程をやりくりして、
一日をハロン湾に充てることが多いです。
私も、多少無理をしてでも、
ハロン湾には行く価値があると思っています。


でも、日程的に余裕があれば、
日帰りじゃないハロン湾ツアーもあります。
ハロン湾上に浮かぶ船の中には、
ホテルの設備を整えたものもあり、
「船上に宿泊するツアー」
というのも、実はあるんです。
(日本人は、ほとんど利用しませんが。)


そういうことをやるのは、たいてい、
10日以上の日程でベトナムに来ている人たち。
長いバケーションを楽しめる、
まあ、欧米人ですね。


ハロン湾に浮かぶ船に泊まり、ゆったりとした時間を過ごす…。たしかに、ロマンがあります。^^(画像をお借りしました)


で、夫がそれをやってみたいというので、
Agoda で探してみました。
高いものだと、
ひとり一泊5万円なんてのもあるのですが、
MIYOが探したのは、いちばんお安かった、
コジー ベイ クルーズ ハロン
 (Cozy Bay Cruise Ha Long)
という船のツアーで、ひとり130ドル。


ベトナムに出発する前に、
「もっと安いのはありませんか?」
とチョンさんに相談しました。
でも、これよりお安いのはなかったのか(笑)、
Cozy のツアーの詳細資料を送ってくれました。
そして、
「CozyのHP上では、同じツアーの価格が
 125ドルになっている。」
と、おしえてくれました。


早速CozyのHPをさがしてみました。
すると現在は、HPからの申し込みが
できないようになっていました。
でも、ここであきらめず、
Cozyに直接メールで問い合わせたところ、
125ドルでの予約を受け付けてもらえました。
(1泊2日の英語ツアー。ツアー中の3食と、ホテル送迎付きです。)


…ということで、この日は、朝7時10分に、
Cozy から迎えが来ることになっていました。
が、チョンさんの家から戻って、
メールを確認してみると、
「ピックアップ時間は7時30分から35分の間」
と、変更になっていました。


…ということで、この日は、朝5時半起床です。
身支度し、荷物を全部まとめて、
7時に、ホテル内のレストランに行きました。


レストランです。このホテルに泊まっているのは、ほとんどがアジア人でした。たまに欧米人がいます。^^


昨日は、遅い時間に行ったので、
品切れになったお料理もあったようです。
が、この日は朝早く行ったので、
お料理は、前日よりも充実していました。笑


朝食ビュッフェは、見てるだけで楽しい。笑

今日もはりきっていただきます。^^

野菜と骨付き肉のシチュー ( xương hầm củ quả) と炒飯。

焼きそばと炒め物(青菜と白菜)。

サラダの下にあるのは、朝食の定番料理、バインクォン (Bánh cuốn) です。

バインクォンはチョンさんのお気に入りで、4年前のホームステイ中も、何度かいただきました。大きなきしめんみたいな蒸し料理で、MIYOも大好きでした。
バインクォンを屋台で食べた時の日記です。バインクォンを作っている写真もご紹介しています。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 52 - ベトナムの朝ごはん、「バインクォン」(2019年9月20日/20日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

ゆで卵、揚げ肉まん、パンケーキ。そして下の段には、チキン料理3種。

ローストチキンのマッシュルームソース (Gà sốt nấm)。

チキンカツ (Gà tẩm bột chiên)。

チキンガランティン (Giò gà)。

さつまいも、とうもろこし、揚げ春巻き、オニオンリング。

オニオンリング (hành tây chiên giòn) は、多動夫の大好物。^^

ピザ、ハム、チーズ、パン。

デザートは、フルーツ、ケーキ、そしてベトナムぜんざい(チェー)。

ライチーと、右にあるのは、こぶりのリンゴです。

ベトナムぜんざい、チェー (Chè) 。

卵料理と麺料理のコーナーで…、

今日も鶏肉のフォーをいただきました。

MIYOの朝ごはん。

夫の朝ごはん。

鶏肉のフォーと目玉焼きは、はんぶんこします。

今日もたくさんいただきました。😄


このホテルは朝食ビュッフェ付きで、
一泊2400円くらいでした(ひとり分)。
この値段でこの朝ごはん。
ベトナム、すごいです。^^


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 14 - タムさんのごちそう祭り(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 恒例、タムさんのごちそう祭りです。


6月15日(木)


チョンさんとタムさんの豪邸を拝見し、
圧倒された、私たち。
ついつい、根掘り葉掘り聞いてしまいました。笑


自慢めいた話をしようとしないチョンさんから、
少しずつ聞き取ったことをまとめると、
どうやらこういうことのようです。


①4年前、ご一家が住んでいたのは、
 大通りからすぐ近くのところでした。
 その大通りには、建設途上のメトロがありました。



②遅れに遅れましたが、2021年11月に、
 ようやくメトロが開業します。
 チョンさん一家の家は、
 そのメトロの La Khê 駅から
 歩いてすぐのところでした。
 それまでは、旧市街まで、
 バスで一時間かかっていたのですが、
 このメトロに乗れば、わずか20分。
 つまり、めちゃめちゃ便利になったのです。


③バブルで沸くハノイです。
 メトロが開業したことにより、
 当然、家の値段は、
 さらにすさまじく上がったようです。
 で、当時の住まいを売り、
 その売却益で、家を建てた…
 ということのようです。


み「でも、ちょっと待って。
  その利益で家を建てたのはわかったけど、
  土地にだって、お金がかかるでしょう?
  この家の土地はどうしたの?」
チ「ここの土地は、
  2018年に買ってありました。」


はあ…。😮😮
驚きました。
いつかここに家を建てるつもりで、
とりあえず土地だけ買ってあったんだそうです。
それも、2018年に、ですよ?
当時のふたりは、まだ30代前半。
このふたりの先見の明に、驚かされます。


み「こんなすごいこと、いったい誰が考えたの?」
チ「ああ…、私はね。
  なにもわからないし、知らないです。
  全部、タムさんが考えました。」
み「…だろうなって思った。」


みんなで爆笑。
タムさん、涼しい顔で、料理してました。🤣🤣
ベトナムの女性は、ほんと、たくましい。
いえ。タムさんがたくましい、ですね。^^


コロナ禍で、
事業がうまくいかなくなった事例は、
いくらでもあると思います。
その、仕事がなくなってしまった頃に、
(たぶん)ヒマになった時間を利用して、
家を建ててしまった、タムさん。
仕事がなくなったから、
設計やインテリアに工夫を凝らす時間も、
たっぷりあったのかもしれません。


1階部分だけで、30畳分くらいはあるような。
道路に面した部分にオフィスがあり、
その奥が、リビング、ダイニングキッチンです。
2階には、家族全員の寝室があるので、
これだけで生活が完結してしまいます。


「3階と4階は、今はまだ使っていません。」
だそうです。😅
ただただ、すごいという言葉しかありません。


台所は大にぎわい。笑 マンションのモデルルームのように美しいです。

あっけにとられているうちに、テーブルには、お料理がどんどん並び始めました。

4年前のベトナム日記を読んでいてくださった方にはおなじみの、「恒例 タムさんのごちそう祭り」です。😄

彩りあざやかなベトナム料理が並んでいます。

めちゃくちゃおいしそうです~。^^

…っていうか、ほんと、おいしかったです。そして、とってもなつかしかったです。^^

鶏肉としいたけの甘辛炒め煮。

卵と豚肉の煮もの。

蒸しエビ。ベトナム風の醤油でいただきます。

スペアリブのロースト(甘辛い味付け)。MIYOはコレが大好きでした。^^

イカのさっぱり煮。これも美味美味。^^

青菜のガーリック炒め。

夫が、手前のふたつのお料理の写真を撮り忘れておりました。左がベトナム春巻き(ネム)で、右がブン。青菜、牛肉の炒め物がのっています。

野菜をライスペーパーで巻いた、生春巻き。

スープは、肉団子と野菜のスープ。タムさんが、夕食でよく作ってくれた、あのなつかしい味でした。おいしかった~。^^

みんなで、かんぱーい!🍺🍺🍻

チョンさん、次女のノックちゃん、姪のルンさん。

4年前も、テーブルのこの位置がMIYOの席でした。2か月間、この席で、ご家族といっしょに食事したことを、なつかしく思い出しました。^^

女性5人が勢ぞろい。左から、次女のノックちゃん、姪のルンさん、同僚だったハイさん(今はアンさん)、長女のアインちゃん、そしてタムさん。みんな楽しそう。😄😄

デザートは、冷たく冷やしたマンゴーと梨。


たくさんおしゃべりして、
おいしいお料理をたくさんいただき、
お腹いっぱいになりました。


宴たけなわではありましたが、
「そろそろ戻らなくては…。」
と言うと、
「まだいいじゃないですか。」
とチョンさん。^^


「でも、明日の朝7時10分に、
 迎えが来るんです。
 だから今日は早めに帰らないと…。」
と言うと、
「じゃあ、コーヒーはいかがですか。
 ベトナムコーヒーを
 飲んでいってください。」
と…。


チョンさんが作ってくれた、冷たいベトナムコーヒー。おいしかったです。日本で、自分で作っても、なぜかこんなにおいしくならないんですよね…。


…と思って、
チョンさんが作るのを観察してみると、
決め手はやはり、コンデンスミルクでした。笑
普通のお砂糖では、
やっぱりあの味にはならないんですね。
日本に帰ったら、スーパーに行って、
コンデンスミルクを買ってこようと思います。


夫は、ハノイビールをたくさんいただいてご満悦。^^

タムさんは、30分に一回くらいはオフィスに入り、パソコンで仕事していました。かつてはふたつだったデスクが、今ではみっつになっていました。みっつめの席では、チョンさんの従兄弟が働いているそうです。

かつてはMIYOも、このデスクで働いていました…。(2019年9月14日)


タムさんは、ツアーの申し込みを受信すると、
すぐに返事をしないではいられない人でした。
4年前に働いているときは、
私もそうするように、と求められました。
深夜でも休日でも、
3時間以内にメールの返事をしなければならない、
というルールに、気持ちがついていかず、
戸惑ったこともありました。
今となっては笑い話ですが。🤣🤣 


タムさん、がんばってるなあ。あいかわらずだなあ…。😅


なにはともあれ、
ビジネスがうまくいっているようでよかった。
ほっとしました…。


最後は3人で、ちょっとだけお仕事の話。この家で働いていた頃は、よくこんなふうに、3人で話し合ったことを思い出しました。😄

おいしいお料理を、お腹いっぱいいただきました。


「コロナが何年も続いて、
 あなたたちがどんなに困っているかと、
 日本でずっと心配していました。
 でも、こんな立派な家に住んでるなんて、
 ほんと、想像もしていなかったわ。笑」
と笑いながら言ったら、
「いや。本当にたいへんだったよ…。」
と、チョンさんが真顔になって言いました。


そりゃあそうだよね…。
夫婦で立ち上げ、
がんばって経営していた会社の売り上げが、
ゼロになったのです。
ベテランの日本語ガイドとして、
連日、ツアーで働いていたチョンさんも、
仕事を失いました。
たいへんじゃなかったわけがありません。


でもそんな中でも、ふたりは、
あきらめなかったのだと思います。
この20年近く、チョンさんは、
ガイドとして働き、家族を支え続けました。
そしてふたりで設立した会社を、タムさんが、
家事や子育てをしながら、自宅で運営しました。


そんなふたりですから、
コロナ禍のたいへんな状況だったときも、
きっとしたたかに、しなやかに、
たくましく生きてきたのでしょう。
さすが、ベトナム人。😄


けっしてあきらめず、
がんばって生きてきたからこそ、
今の暮らしがある。
今この豪邸で、家族そろって、
笑顔で暮らしている、チョンさんとタムさん。
その生活は、ふたりが結婚してからずっと、
あきらめることなくがんばり続けて、
築き上げたものでした。
頭がさがりました。


とっても楽しい夜でした。
みんなに会えてよかった。
チョンさん、タムさん、ごちそうさまでした。
そして、ありがとうございました。


(つづく)


(おまけのお話)


チョンさんとタムさんの旅行会社、JVTAでは、
日本語ガイド付きのツアーを毎日催行しています。
JVTAのサイトです。↓
    JVTATourism
ハノイ市内観光やハロン湾日帰りツアーなど、
ツアーは各種あります。

申込書に、「MIYOのブログを見た。」
と書いていただくと、割引されます。
詳細はMIYOまで、コメントでお問い合わせください。

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 13 - チョンさん、タムさんの新しい家(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 チョンさんとタムさんの、新しい住まいです。


6月15日(木)


ホーチミンルート博物館を出たのは、
午後4時半ごろでした。
チョンさんと約束していた時間は5時ですが、
なかなか連絡してこない私たちを心配して、
チョンさんからメールが来ました。
「博物館に来ましたか?」と…。


チョンさんとはラインでつながっているので、
日本であろうが、ベトナムであろうが、
ネットさえつながれば、電話もできるし、
メッセージも送れます。


「ホーチミンルート博物館を出て、
 そちらに向かって歩いています。
 もう少しで到着します。」
と返事しました。笑


歩くこと、約30分。大きな門のあるところに到着しました。この門の向こうにあるエリアが、チョンさんの家があるところです。でも、かなり広そう。ここから先は、グーグルマップでも明確になっていません。


ここから、チョンさんに電話しました。
「大きな白い門のあるところに着きました。
 ここから、どう行けばいいですか?」
チョンさん、すぐに迎えに来てくれました。^^


この門の前で、チョンさんと4年ぶりに再会しました。

チョンさんといっしょに、3人で家までの道を歩きました。


このあたりは新興住宅地のようで、
周囲にはきれいなマンションが並んでいます。
でも、人が住んでいるような気配を、
あまり感じません。


チョンさんによると、
「ベトナムはバブルで、
 不動産の値段がどんどん上がっています。
 だからみんな、家やマンションを買います。
 そして住まないで、
 値上がりするのを待っています。
 だから、このあたりは空き家ばかりです。」
とのこと。


「このマンションなんて、10年前にできて、
 完売しているけど、
 今でも全部空き家ですよ。」
と教えられたマンション。
10年前に完成しているのにもかかわらず、
内装は仕上がっていません。
買っても住むわけじゃないから、
これでいいみたいです。


生活感がなく、
きれいなマンションが立ち並ぶエリア。
「売れてない」
のではなく、
「買った人が高く転売するために、
 住んでいない」
ということなんですね。
かつての、日本がバブルだった時代を
思い出しました。


そんなエリアを通り過ぎてすぐに、
チョンさん、タムさんの家に到着しました。


「MIYOさんっっっ!!」
と大きな声を出して、
家の中から飛び出してきた女性。
タムさんでした。
4年ぶりに会う、タムさんでした。😂


チョンさんとタムさん。ふたりとも元気そうでよかった。^^ 後ろが、新しいお住まいです。


なつかしい、なつかしいふたりが、
そこに居ました。
遅くなったけど、とうとう会いに来たよ…。^^


ここで、この4年間のおふたりのことを、
簡単に書いておきます。
日本人向けの日本語ガイド付きツアーを、
専門に扱う旅行会社(JVTA)を
設立したばかりだった、
チョンさんとタムさん。
ツアーの申込は多く、繁盛していました。
JVTAのHPはこちらです。
JVTATourism


そこへ、私がお手伝いをすることになり、
2か月間、おふたりの家にホームステイしました。
ビザも航空券も手配してもらえたし、
一日3食付きの恵まれた環境で、
楽しい2か月でした。
この頃のことは、「2019年9月-10月 ベトナム」のカテゴリーで連載しています。
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2か月の勤務が終わり、私は帰国。
落ち着いたら、またすぐに、
ベトナムに遊びに行こうと思っていました。
けれどそんな思惑は、
コロナ禍でとん挫しました。


何年もの間、世界中の旅行業界は、
たちゆかなくなりました。
チョンさんとタムさんの会社も、
日本人旅行者のための旅行会社だったのに、
日本から旅行客がひとりも来なくなりました。
ふたりはどんなに困っていることか…。
と、私も心配していました。


チョンさんからは、折りにふれて、
「住んでいた家を売りました。」
「今は、市の中心からもっと遠いところに
 引っ越して住んでいます。」
「旅行の仕事がないので、
 不動産の会社で働いています。
 タムさんも、事務の仕事を始めました。」
などという近況を、
メールでもらっていました。
家を売ったのは、
ローンが払えなくなったからでしょうか。
ふたりの困窮ぶりがうかがえましたが、
なんと言えばいいのかわかりません。
私は、ただ見守ることしかできませんでした。


そんなふたりが、自宅を売って、
さらに遠いところに移り住んだ家です。
以前の家よりもグレードが落ちていることは、
想像に難くありません。


以前は、4階建てのりっぱな一戸建てでしたが、
今はアパート暮らしなのかな。
…などと、
失礼ながら、勝手に想像していました。


ところが、です。


「さあ、入って、入って。」と言われて、靴を脱いで上がりました。えっ? 一戸建てですか? それも新築みたいですが…。笑

入ってすぐのスペースは、オフィスです。ふたりは、旅行会社を再開していました。


「去年の8月から、
 お客さんが戻ってきました。」
とタムさん。
そうなんだ…。
よかった、よかった…。^^


玄関を入ってすぐのところにある、仏様のスペース。ベトナムでは、玄関に必ず仏様を置いていますが、これほどきれいに飾っているお宅は、他にありませんでした。

4年前の家の仏様。タムさんは、いつもこんなふうに美しく飾っていました。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 3 - ハノイに到着(2019年9月1日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

そしてオフィスの奥にあるのは、リビング。堂々たる佇まい。そして広い! 我が家よりもずっと立派です。😅

この、壁の設えを見てください。ホテルみたいですよね。シンガポールのデザイナーのものだそうです。😮

ダイニングとリビングを仕切る、カウンター。


み「ワイングラスのホルダーがついていて、
  すてきねえ。」
チ「ウチでワインを飲む人はいないのに、
  おしゃれだからって、
  タムさん、これを取り付けたんです。笑」


誰も飲まないのに、ワイングラスが6個。
ぷぷぷ。
タムさんらしいなあ…。😄


そして奥のキッチンです。これまた広い。なぜか、女性が5人も立ち働いています。笑


タムさんと、アインちゃんとノックちゃん。
あとのふたりは誰…?


チ「ハイさんと、私の姪です。」


えっ あのハイさん?
と、すっごく驚きました。
2か月間、いっしょに働いた、同僚のハイさん。
当時彼女は、SEとして働いていたのですが、
JVTAは休止状態だし、
たぶん、もう会う機会はないだろうな、
と思っていました。
ところが、彼女は今も、
この会社で働き続けていたのです。


あの頃は、「社員が台所で家事もこなす」
という習慣になじめず、
自分で勝手にそれを気にしていました。
でも今思うと、あれは、
ベトナムでは普通のことだったんですね。
っていうか、ハイさんは、もはや、
家族同然なのでしょう。
この日も台所で、当然の顔をして、
料理を手伝っておられました。🤣🤣


ハイさん、また会えたね。きれいになったね。^^

いっしょに働いていたころのハイさん。(2019年9月14日)
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 34 - ベトナムの朝ごはん、「とうもろこしのおこわ(Xoi Ngo:ソイ・ンゴー)」/ホーチミンルート博物館へ①(2019年9月14日/14日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


チ「ハイさんは、名前が変わりました。
  今はアンさんです。」
はい? なにを言ってるんでしょうか。笑


み「ベトナムでは、
  名前を変えることができるのですか?」
チ「できます。」
えええっ…と驚く、MIYO。


み「日本では、
  名前を簡単に変えることができません。」
えええっ…と驚く、チョンさん。
チ「ベトナムでは、簡単にできますよ。」


み「まあ、日本でも、できないことはないです。
  正当な理由があれば、認められます。」
チ「ハイさんが名前を変えた理由はあるよ。
  理由は、『その名前が嫌いだから』。」


み「だから、それは理由になりません。😄」
チ「えっ そうなの?」


ワケのわからない、だけどとても楽しい、
おしゃべりが続きます。


そしてもうひとり。ハイさんといっしょに、楽し気に料理をしているのは、チョンさんの妹さんの娘(つまり姪っ子)、ルン(Huong)さん。「香り」という意味だそうです。


ルンさんは、ハノイの大学に入学したため、
地方の実家を離れ、
今はチョンさんの家に同居して、
大学に通っているそうです。


かくして、台所では、5人の女性が並びます。😄


夫「チョンさん。
  女の人が5人もいる中で、
  チョンさんは唯一の男性ですね。」
チ「そう、そうなんです。」
夫「サッカーをいっしょに見る人は、
  いますか?」
チ「いません。だから、サッカーの試合の時は、
  私だけごはんを別にして、
  テレビの前でひとりで食べます。」
夫「うちも同じです。
  サッカーの試合は、ひとりで見ます。
  で、大声で応援してると、
  『静かにして!』と怒られます。」


男性ふたり。
へんなところでもりあがっていました。爆


左から、次女のノックちゃん(今や中学生)、姪のルンさん、きれいになったハイさん、そして長女のアインちゃんは、もうすぐ高校生だとか。

4年前のふたり。小学生と中学生でした。(2019年9月3日)
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 9 - 「食べて」の嵐をくぐり抜け(2019年9月3日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

並んでフォーを食べるようすが、とてもかわいかった。^^(2019年9月2日)
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 6 - 朝ごはんはフォー(2019年9月2日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

そして今回は、ワンコも家族の一員になっていました。

とても人なつっこいワンコ。実は、タムさんの妹・ハンさんが飼っていたワンコです。


ハンさんは、
経営していた2店舗のレストランが好調で、
家事に子育てに経営に、と忙しく、
ワンコのめんどうをみられなくなったそうです。
で、姉のタムさんが引き取りました。
ん~。姉妹そろって、ビジネスが上手です。笑


ハンさんが経営するレストランに行ったときの日記です。ハンさんとタムさんは美人姉妹でした。^^
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 56 - フンイェンへ里帰り③ 「ハン・キムチ」でお昼ごはん(2019年9月21日/21日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

この家で、みんなからかわいがってもらっていて、ワンコもなんだか幸せそうでした。^^


…と、ここまで書いて、疑問が残ると思います。
コロナで、旅行会社を休止せざるを得なかった、
チョンさんとタムさん。
そのふたりが、
どうしてこんな豪邸に住んでいるのでしょうか。


そのへんのお話は、次回に書きたいと思います。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 12 - ホーチミンルート博物館④ 屋外展示とLuongさん(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 Luongさんといっしょに。


6月15日(木)


ホーチミンルート博物館に来ています。


慰霊碑の奥には、チュオンソン部隊が造ったトンネルが再現されています。トンネルは老朽化して危険であるため、現在は、内部に入ることができません。
内部の様子は、以前の日記に掲載しています。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 37 - ホーチミンルート博物館へ④ ロックアウト(2019年9月14日/14日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


【チュオンソン部隊のトンネル】
ラオス国内にあった司令部の地下に造られたトンネルで、1968年から1971年まで使用されました。内部では、作戦会議などが行われました。このトンネルはホーチミンルート上にあったため、1970年から1971年の乾季には、多くのB52爆弾が投下されました。


夫は、貴賓室までのぞいたようです。かつて、MIYOがこっそりとお昼寝した部屋です。笑

4年前に撮った写真です。一番奥に、ふたつの主賓席があったのですが、取り払われたようで、現在の写真にはありませんでした。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 38 - ホーチミンルート博物館へ⑤ 閉じ込められて(2019年9月14日/14日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

最後に、正門をはいってすぐのところに展示されている、たくさんの車両を見学しました。博物館の右側の、赤い屋根のあるところです。夫が全車両の写真を撮ってきたので、掲載します。説明文は、パネルにあった英語を翻訳したものです。

日野自動車のトラック(日本製)。1973年に、キューバ政府とキューバ国民によって、チュオンソン部隊に寄贈されたもので、堤防、舗装、建設資材の検査などの用途で、チュオンソン最高司令官第6連隊が使用しました。トラッキング軍事装備を支援するための、戦略的道路の建設工事にも使用されています。

CA-30トラック(中国製)。471師団 チュオンソン最高司令部が、武器、軍事装備、物品、軍隊を南へ輸送するために使用しました。1975年には、このトラックで、主力軍を動員しています。民族解放戦争の軍事キャンペーン、南部の開放、そして国家の統一に貢献しました。

アジル157トラック(ソ連製)。1970年以降、武器、軍事装備、物資、軍隊の輸送のために、チュオンソン部隊が使用しました。1975年から1988年まで、第384師団が使用し、東部チュオンソン道路、その他の国内道路、さらにはラオス国内の道路も開通させました。走行距離は50万キロ。

ブルドーザー T100。1971年から1975年まで、サラバン県からラオスのアタプー県までのチュオンソン西側の道路を開通し、交通を維持するために、第565師団の第39連隊が使用しました。1980年以降は、ホアビン水力発電所、国道5号線(ハノイ-ハイフォン)、ラン-ホアラック道路(ハノイ)の建設に使用されました。

GAZ69車。1966年から1975年まで、チュオンソン軍の司令官である、ドン・シン・グエン少将が使用しました。走行距離は35万キロ。

装甲車 BTR-40(ソ連製)。14.5MM対空砲(2砲身型または4砲身型)を装備していました。1978年から1982年にかけて、ラオス中部及び南部地域の橋と道路を建設する際の、ラオスの工兵部隊の護衛のために、陸軍第12軍団が使用しました。

CA-30 トラック(中国製)。チュオンソン最高司令部の運転手だったズオン・クアン・ルアが使用しました。彼は、第2師団の南軍舞台に車で向かい、戦車編隊のブイクアンの後を追い、1975年4月30日、サイゴン陥落の日に、独立宮殿を攻撃しました。


夫が撮った写真はここまでなのですが、
上の写真で左奥に見える車も、日本製です。
夫が写真を撮り忘れているので、
MIYOが4年前に撮ったものを掲載します。


日野自動車のトラックです。(2019年9月14日)

すべての車を見終わり、再び博物館の前まで戻ってきました。


これで見学は終わります。
最後に受付に戻って、
係の人にあいさつしようと思ったのですが、
中から、なにか女性の大きな声が聞こえます。
静かな博物館にはふさわしくないような、
楽しそうな、はしゃいでいるような声でした。


そして飛び出してきた女性は、まさか…。
驚きました。
私の方に向かって歩いてきたのは…、


4年前にこの博物館で会った、Luongさん(左側)でした。(2019年9月14日)


この日、彼女は非番で、
自宅にいたようなのですが、
博物館のスタッフから知らせを受けて、
わざわざかけつけてくれたのです。
まさか、会えるとは思っていませんでした。


ル「『日本人が来てるわよ。』って言われて、
  すぐに、あなたのことだって思ったわ。笑
  あれは、2年前だよね?」
み「いいえ、4年前ですよ。^^」
ル「えっ もう4年もたつの?」
み「そうよ。4年もたつの。笑」


ふたりで、顔を見合わせて笑いました。
4年もたったのに、一度訪れただけの私を、
彼女はずっと、覚えていてくれたのです。
驚きました。


4年前にMIYOが書いたブログを見せると、
今度は彼女がびっくり。


「え?
 博物館のことを、ネットに書いてくれたの?
 わあ、うれしい。
 それ、私に送って送って。笑」


アドレスを教えてもらって、
その場で送りました。
Luongさんは、自分のスマホでそれを見て、
とてもうれしそうでした。^^
今は、こんな時代なんですね…。


「会えた記念に。」と、夫が写真を撮ってくれました。

また会えたね…。


ブログを書き続けていてよかったなあ…。
と思いました。
「4年前に会った、私です。」
と言葉で言うよりも、
ブログを見せるだけで、思いはもっと伝わる、
…と実感しました。^^


4年前、映写室で、
たったひとりで映画を見たあと、
部屋に入ってきた彼女に向かって、
私は大きな拍手をおくりました。
それは、ベトナムの人々みんなに向けた
拍手でもありました。


そのとき彼女は、
一瞬、驚いたような顔をしましたが、
すぐに、MIYOといっしょに拍手。
ふたりで、見つめ合いながら、拍手。
なんだか、うれしかったなあ…。^^


帰り際、彼女が引き出しをあけて、
「これは、来てくれた記念に。」
と、たくさんの絵葉書を
プレゼントしてくれたことも
忘れられない思い出です。


「この博物館には貴重なものが
 たくさん展示してあるのに、
 中心地から遠くて、
 訪れる人が少ないことが、
 とても残念です。」
と語っていた、Luongさん。
いろいろなことが、
次々と思い出されました…。


Luongさんに見送られながら、
博物館を後にしました。


歩きながら、
「すごい。
 4年たっても、日本人って聞いただけで、
 私のことを思い出してくれるなんて。」
と感動していたら、夫が、
「4年間、他に日本人がひとりも
 来なかったんじゃないの?」
…と、無粋なことを言いました。😟
たしかに、来館者がとても少ない博物館で、
この日も、訪れているのは、
私たちふたりだけだったのですが。😅


次は、ここから30分ほど歩いて、
チョンさん、タムさんの家に行きます。


チョンさんからは、
「博物館の前から電話してください。
 迎えに行きます。」
と言われていました。
でも、グーグルマップで見たところ、
徒歩20分くらいでしょうか。
そう遠くはありません。


み「これなら、自分で行けるよね?」
夫「うん。行ける。」


…ということで、グーグルマップを見ながら、
自分の足で歩いていくことにしました。


この日歩いたルートです。Mango Hotel を出発し、Xo Seafood でランチ。そしてラタイン駅からメトロに乗りました。ヴァンケー駅で降りて、ホーチミンルート博物館まで歩きました。博物館の見学を終えて、ここからさらに、チョンさん、タムさんのお宅をめざして歩きます。

途中の道は、こんな感じ。ハノイ市内ですが、郊外なので、いかにも田舎…、もとい、閑静な地域です。笑


チョンさんの家まで、
あともう少しです。


(つづく)