MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 18 - 台風なら浦添城③(浦添城跡前田高地/ハクソー・リッジ、展望台、そして浦添ようどれへ)(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 沖縄戦最大の激戦地となった、浦添城跡前田高地(ハクソー・リッジ)。現在は展望台になっています。まるで、浦添の街を見守っているかのようでした。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


浦添城を歩いています。
伊波普猷の墓から、
海の方向に向かって歩いていくと、
城壁が現れました。


この石垣は分断されていて、その間が道になっています。分断されているのは、ここに城門があったから、ではありません。


上の写真で、右側の石垣は、
戦争で破壊された当時の城壁のラインですが、
左側は、発掘調査に基づき、
想定されるラインを復元したものだそうです。


これは左側の石垣です。

これは右側の石垣です。裏側は、こんなふうになっています。

第二次世界大戦で、この城壁は、壊滅的な被害を受けました。修復前の写真を見ると、道の両側には、がれきしかない状態です。その後、発掘調査に基づいて復元したのが、現在の城壁です。よくぞここまで修復したと思います。


石垣がこれほどまでに破壊されたのは、
かつてここに、
前田高地壕群があったからでした。
つまりここが、
映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった、
「浦添城跡前田高地」そのものなのです。


この日の朝、
浦添城を訪ねると決まったときから、
多動夫は、
「『ハクソー・リッジ』って言うんだけどね。
 沖縄戦の激戦地だったところなんだけど、
 そこを見たいんだよね。」
と、何度も言っていました。


そのときのMIYOは、夫のことばを、
あまり気に留めていませんでした。
「行くのはお城でしょ。
 激戦地の跡を見てどうするの?」
くらいにしか思っていなかったのです。


けれど、実際に浦添城に来てみると、
その大激戦地であったという歴史から
目をそむけてはいられなくなりました。
それほどまでに、浦添城には今も、
戦争の傷跡が深く残っていたからです。


沖縄戦最大の激戦地となった、
浦添城跡前田高地(ハクソー・リッジ)
について、少し書きたいと思います。


【浦添での戦い】
1945年4月1日に、米軍は艦船1400隻、将兵54万人の内、183000人からなる大部隊で、沖縄に上陸しました。これに対して日本軍は、首里の司令部を守るために、宜野湾の嘉数高地と浦添グスク一帯(前田高地)に防衛線を張り、進軍してくる米軍を迎え撃ちました。地上では米軍の手榴弾が投げ込まれ、空からは「鉄の暴風」と呼ばれたほど凄まじい砲撃が繰り返されました。特に浦添グスク一帯は、日本軍と米軍の激しい攻防戦が繰り広げられた場所でした。浦添は、沖縄戦最大の組織的な激戦地となり、多くの死傷者がでました。当時の凄惨な状況は、「ありったけの地獄を一つにまとめたようなもの」ということばで表現されています。


上陸する米軍。

石垣のそばには、日本軍の陣地壕跡が今も残っていました。


「この金網がない写真を撮りたいよね…。」
とMIYOがつぶやいたら、
「できるよ。」
と夫。😅


フェンスの隙間をのぞくようにして夫が撮った、同じ場所の写真です。北海道を旅行しているときは、「こういう大きな葉っぱの下にはコロポックルがいるんだよね。」などと、のんきな会話をしていました。が、沖縄では、こういうところの奥には塹壕や防空壕が残されていたりするので、心穏やかに見ることができません…。


【日本軍陣地壕跡】
この壕は、首里に侵攻する米軍を阻止するため、「ありったけの地獄を一つにまとめたようなもの」が現実となった場所でした。前田高地では、第62師団独立混成第63旅団が、この高地の地形を利用して洞窟・トンネル・トーチカ連鎖陣地を構築しました。それぞれの壕同士が繋がった、大規模な陣地だったようです。「壕口が一つ破壊されても問題がないように、内部では壕同士が繋がっていた」と書いた、日本兵の手記が残っています。


現在は、落盤や土砂の堆積が激しく、壕の中に入ることはできません。

今は、修復された城壁が、美しい石積みを見せています。

この城壁の先に、浦添ようどれがあります。

このあたりは美しい景色が広がる展望台になっていて、「浦添八景」のひとつとなっています。柵の向こう側は崖です。

展望台に立つと、眼下には、浦添の街と静かな海が広がっていました。


【展望台周辺の激しい戦闘】
沖縄戦当時、浦添城跡一帯の丘陵は、米軍から「ハクソー・リッジ」、日本軍から「前田高地」と呼ばれていました。米軍がこの崖を「ハクソー・リッジ」と呼んだのは、その地形がHacksaw(弓鋸)のようであったためです。

このあたりは、北側が急峻な崖地となっています。米軍にとっては攻めづらい陣地であったうえ、日本軍が決死の防衛線を繰り広げました。そのため、日本と連合国両軍の大激戦地となりました。
ハクソー・リッジのように急に高くなった丘陵や崖は、戦車による進軍が難しいことから、米軍は兵士自らが攻め寄せる攻撃にならざるを得ませんでした。一方、守る日本軍は、攻め寄せる米軍に対して高所から攻撃を加える、あるいは崖を乗り越えた米兵を狙撃、砲撃するという激しい戦闘を余儀なくされました。


これがHacksaw(弓鋸)です。まるでこののこぎりのように切りたった崖が、前田高地でした。

この沖縄戦を描いた映画『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)は、2016年にアメリカ合衆国で製作され、2017年のアカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞しました。

展望台でしばらく立ちつくしました。ここで、激戦が繰り広げられました。この穏やかな海から米軍が攻めてきて、日米双方に多大な犠牲者がでました。言葉にならない思いがこみあげてきました。

左側に浦添の街を見下ろしながら、再び歩き続けました。

やがて、「浦添ようどれ 入口」と書いてあるところに着きました。下方向に向かって、石段が続いています。ここを降ります。

ずいぶん長いですが、さらに降り続けます。


このときのMIYOは、
この先になにがあるのかも知らず、
夫に連行されるままに、
ただ歩き続けていました。笑
(相変わらず、下調べを全くしないで旅行しています。😅)


その長い石段を降りた先には、実は、こんな世界が広がっていました。

浦添ようどれに、到着です。


次回は、この浦添ようどれについて、
もう少し詳しく書きたいと思います。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 18 - 台風なら浦添城②(殿、ディーグガマ、伊波普猷の墓、城壁)(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添城の城壁で。美しい海が見えました。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


浦添城に来ています。
ここまで、
南エントランスから入り、
石畳道の緩い坂を上り、
浦添城の前の碑
まで歩いてきました。


地図で見ると、こんな感じになります。

「浦添城の前の碑」から、しばし、景色を眺めました。

そして、ここから山の中をさらに進むと…、

埋葬人骨が見つかった場所に着きます。

発掘時の写真です。(画像をお借りしました)


【埋葬人骨】
1983年の発掘調査で、城壁の下層から、グスク時代の埋葬人骨が出土しました。墓穴は、人が入るギリギリの大きさに掘られ、粘土で蓋をされていました。人骨は20歳前後の女性で、身長は約150㎝。人骨の状態は良好で、仰向けになっており、両腕と両脚を胴体に密着するまで強く折り曲げられた状態で葬られていました。副葬品はありませんでした。


さらにその隣りには、殿(トゥン)があります。


【殿(トゥン)】
殿(トゥン)は、ウマチー(麦・稲の豊作を祈願・感謝する祭り)など、村の祭りを行う場所でした。ウマチーの際は、日本の竹を結び合わせたアーチを作り、それに向かって参列者が手を合わせました。アーチは、神々が通る門を表現したものと考えられています。



殿(トゥン)を過ぎてさらに歩くと、
ディーグガマに着きます。


ディーグガマは、一見、うっそうとした森のようですが、手前の入口から石段を降りて、中に入ることができます。


【ディーグガマ】
鍾乳洞が陥没してできた窪地で、地域の人々に拝まれている御嶽です。洞窟(ガマ)にデイゴの大樹があったため、「ディーグガマ」と呼ばれるようになりました。1713年に成立した地誌「琉球国由来記」には、浦添城内の「渡嘉敷嶽(とかしきだけ)」という名前がみられ、それがこのディーグガマにあたると考えられています。
戦時中は、住民の避難壕として使われました。戦後は、ガマの内部にコンクリートブロックの囲いを造り、その中に戦没者の遺骨を納めました。遺骨は後に、糸満市の摩文仁へ移されています。


石段を降りて、窪地の中に入りました。

ここには、二か所の拝所が設けられています。

千羽鶴が手向けられているところの奥には、かつて、戦没者の遺骨が納められていました。

のぞきこむと、階段が続いているのが見えました。が、落盤の恐れがあるため、現在は、中に入ることはできません。

ディーグガマの隣りにあった「浦和の塔」です。この塔は、沖縄戦で亡くなった人々を祀る慰霊塔です。1952年に、市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されました。納骨堂には、浦添城跡を中心に市内各地で戦死した軍人や民間人など約5000人が安置されているそうです。


当時、浦添の人口は9217人でしたが、
そのうち戦争で亡くなった人は4112人で、
実に44.6パーセントの住民が
戦争の犠牲者となりました。


沖縄の歴史を訪ねる旅をしていると、
第二次世界大戦の悲惨な歴史を
避けて通ることはできません。
楽しい旅行をしていても、
そのことに目をそらすことなく、
手を合わせる気持ちだけは
持ち続けて行きたいと、いつも思います。


ディーグガマを後にし、次は、
「伊波 普猷(いはふゆう)の墓」に行きました。


【伊波 普猷(いはふゆう)】
日本の民俗学者・言語学者です。1876年(明治9年)に、那覇に生まれました。本土に渡り、三高(後の京都大学)から東京帝国大学に進んで、言語学を修めました。東大在学中から、浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた論文を発表しています。学問の領域は、沖縄研究を中心に、言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡っており、その学問体系によって、後に「沖縄学」が発展したため、「沖縄学の父」と称されています。特に、『おもろさうし』研究への貢献は多大で、琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人のアイデンティティの形成を模索し続けました。


道の両側では、うっそうとしたジャングルのように樹々が生い茂っています。

その樹々に見とれながら歩き続けました。

やがて、少し広くなった場所に出ました。その隅に、ひっそりと墓石がありました。

伊波 普猷(いはふゆう)の墓です。


1925年(大正14年)、
49歳の伊波は、再び上京し、
國學院大學で教鞭をとります。
東京では、沖縄人連盟の初代会長となり、
沖縄のために尽力しましたが、
1947年(昭和22年)、
戦争で米軍に占領された沖縄の
行く末を案じつつ、 
東京で亡くなったそうです。


今から100年も前に、
琉球人としてのアイデンティティ
模索し続けていたというのは、
すごいことだと思います…。


そんなことを考えながら、歩いていたら、前方に壮観な石積みが見えてきました。

城壁です。そしてその向こうには海が見えました。

城壁の反対側(海側)です。


【城壁(復元)】
この城壁は、発掘調査の成果に基づいて復元したものです。
浦添城跡は、沖縄戦後の採石により、城壁の石材が持ち出されたため、城壁がほとんど残っていませんでした。この場所について、発掘調査を行ったところ、城壁の切石がかろうじて残っている状況を確認することができました。そこで、残っていた切石を活かし、失われた部分に新しい切石を積み上げることによって復元しました。


この、城壁が復元された場所には、
かつて、前田高地壕群がありました。
つまりここが、
映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった、
「浦添城跡前田高地」そのものなのです。


沖縄戦最大の激戦地となった、
浦添城跡前田高地については、
次回に書きたいと思います。


ここまでに歩いたところです。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 17 - 台風なら浦添城①(石畳道、浦添城の前の碑)(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添グスクで。石畳道を歩きました。(沖縄県浦添市)


昨日は、皆様からたくさんのお祝いコメントをいただき、
たいへんうれしい一日でした。^^
2017年1月にブログをスタートし、6年めになりますが、
こんなふうに、皆様から暖かいお言葉をいただける日が来るとは、
当初は想像もしていませんでした。
ブログを続けていてよかった、と思っています。
我が家は新しい節目を迎えましたが、これからも、健康に楽しく、日々を生きていければと思います。
そして、これまでと同じく、楽しいできごとのひとつひとつを、少しずつ書き続けていきたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。


9月1日(木)


「ブッフェレストラン ティーダ」での、
充実すぎる朝ごはんを終え、
部屋にもどりました。


この頃の台風の状況はこんな風になっていました。沖縄からいったん南下し、さらに強大になった台風は、台湾のあたりから再び沖縄に近づきつつあります。そして、さらに北上を続け、朝鮮半島に向かうとのことでした。(9月1日15時現在)


お弁当のハンバーガーも作ったし、
一日中ホテルに缶詰めになっても、
MIYOは、全然OKです。^^


今回こそホテルでゆっくりできるわ~♪
と、期待をこめて、
「今日はこれからどうするの?」
と訊いてみました。😄
すると多動夫は…。


「まだ雨も降ってないし、
 浦添城に行くのはどうかな。」


え…。
お城? お城? お城?😮😮😮
予想外のことばです。
まさかそんなことを言い出すとは
思っていませんでした。
お城と聞いて、MIYOが思い出したのは、
安土城です。


夫に騙されて、延々と山を登り続けたのは、2020年9月のことでした。


「お城ってさ、また、山の中を歩くの?
 雨降ったらどうするの? 台風なんだよ?」


MIYOが不満げにつぶやいたのですが、
「山の中だけど、たいして歩かないから。
 安土城みたいなことはないから。
 (↑ウソにきまってます。)
 それに、お城には資料館もあるみたいだから、
 雨が降り出したらそこに入ればいいよ。」
と…。


よくもまあ、こんなにも次々と、
口からでまかせが言えるものです。
(あらかじめ、回答を準備していたのか?笑)
でも、自分から「安土城」と言い出すとは、
あのときのこと、
少しは悪かったと思っているのか?🤣🤣


このとき、MIYOの脳裏には、
夫に騙されて山の中を延々と歩く自分と、
降り出した雨にずぶ濡れになる自分が、
ぼんやりと見えていました。
なのに。
「沖縄のお城かあ…。
 それはやっぱり、見たいよねえ…。」
などと、考えてしまったのです。(←アホ)


そして結局、
「うん、いいよ。わかった。」
と答えてしまいました…。(←アホ)


で、こうなりました。ゆいレールに乗っておでかけ。🤣🤣


多動夫は、車両の一番前にはりついて、
外を見続けています。
小学生みたいです。笑


夫が撮った写真。笑

そういうMIYO も、窓にはりついて、外の景色を見ていました。

沖縄ではいつもレンタカーで移動しているので、この高さから街を見ることってあまりありませんでした。だからとても新鮮。^^

さすが沖縄。運転手さんもかりゆしウェアです。^^

夫、車内のあれこれが気になるみたいで、ウロウロ。広告まで撮ってました。🤣 「沖縄緑茶 かふう」のポスターです。作っているのは、沖縄伊藤園。名護の茶葉100%使用だそうです。

ボトルに描かれている船をご覧ください。進貢船(中国皇帝への使者や貢ぎ物を載せた船)です。^^

沖縄県立博物館で見た、あの進貢船です。ひらひらと旗めくムカデ旗も、しっかりと描かれています。

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 9 - 台風なら博物館② 沖縄県立博物館 常設展示室(アサギマダラと進貢船)(2022年8月31日/6日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


前日に博物館で進貢船を見ていなかったら、
このボトルを見ても、
なにも気がつかなかったと思います。
でも、今はわかります。
なんでもないお茶のボトルにも、
沖縄の歴史が描かれているのだと。^^


「知る」ってすごいことだな…、と、
なにかうれしくなりました。^^



ゆいレールに乗ったのは、ほんの15分くらい。
「安里」駅から8つめの「浦添前田駅」で降り、
そこから浦添大公園に向かって歩きました。
かつての浦添城は国の史跡に指定されていて、
現在は、「浦添大公園」として、
一般に開放されています。


浦添大公園です。かなりの規模ですね。浦添城は、歴史学習ゾーンにあります。(画像をお借りしました)


【浦添城(浦添グスク)】
沖縄県那覇市の北隣に位置する浦添(うらそえ)市にあります。琉球王国は、この地から始まりました。琉球王国の王城であった首里城の前身にあたるのが、浦添城です。

浦添城は、王宮が首里城に移される以前の、舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、察度(さっと)王統の居城として、13世紀~15世紀の200年余りに渡り、琉球国中山(ちゅうざん)の歴史の舞台となったお城です。標高約130mの琉球石灰岩の丘陵に位置し、東シナ海や遠く読谷(よみたん)まで見渡せる場所です。が、1609年、薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ、廃城となりました。
現在では、浦添グスクと数多くの文化財を含む一帯が、緑豊かな「浦添大公園」として整備され、市民の憩いの場となっています。


公園の入り口に着きました。「浦添大公園南エントランス管理事務所」とありますが、閉まっていてます。


「台風が来てるし、
 今日はお城も閉まってるんじゃないの?」
と言ってみましたが、夫は、
「いや、そんなことはない。
 この先にあるはずだから。」
と歩き始めました。
ところがここで、
ショックなものを見つけてしまうのです。


「浦添大公園・歴史学習ゾーン」の地図です。よく見るとかなり広いです…。😂😂


「ね、もしかして、これ全部歩くの?
 どう見ても、山の中じゃん。
 山を歩かないって言ったよね?」
「いや、歩かないとは言ってないよ。
 それほど歩かないって言ったんだけど。😜」


また騙されました。😔
よく考えたら、昔のお城って、
敵が容易に攻撃できないように、
そして、周囲を監視しやすいように、
山の上に築城するのがあたりまえ、
ですよね…。
それを考えたら、
「浦添城」が山の上にあるのも当然…。
「お城に行く」と聞いた時点で、
山の中を歩くのは覚悟しておくべきでした。
(考えがあまかった…。)


でも、来ちゃったものはしかたない、と思いお城へとつづく階段を上がり始めたMIYO。顔が怒ってます。😂😂

坂道を上がっていると、左手に浦添小学校が見えました。屋根が沖縄らしいですね。^^

小学校を過ぎてさらに歩くと、道が石畳に変わりました。ここから、浦添城が始まります。


【石畳道】
1597年、浦添出身の尚寧王が整備した道で、首里と浦添城を結んでいます。
首里城への遷都によって、浦添城は一時期荒廃しました。が、見通しの良い浦添城は極めて重要な拠点であり、宿道(すくみち)と呼ばれる街道が整備されました。浦添城やその周囲には、今もなお琉球王国時代に築かれた宿道の石畳道が3箇所に渡って残されており、国王も通った道筋を辿ることができます。この石畳道は、そのひとつです。


石畳がずうううっと先まで続いています。あ~、これ、上るんですね。😭😭 夫はどんどん行ってしまって、もう姿が見えません。

整然と並べられた石は、美しい模様を描き出していました。400年も前に造られた石畳を、今、自分も歩いてるんだな、と思うと、ちょっとうれしい。😅


ようやく、石畳のいちばん上まできました。
この石畳道を造るのはたいへんだったのでしょう。
完成したとき、ここに、
竣工記念碑が建てられました。
それが「浦添城の前の碑」で、今も残っています。
表にはひらがなの琉球文、そして裏には漢文で、
「石を積み橋を架け、岩を刻み道を造った」
と記されています。


「浦添城の前の碑」です。表側は、ひらがな琉球文で書かれています。

碑首は、16世紀の琉球王国の象徴文様である、日輪双凰雲文で飾られています。

そして裏側は、漢文で書かれています。


ここは見晴らし台のようになっていて、
浦添の街からはるか那覇の方までを一望できます。
かつてはここから、敵が攻めてこないかを
常に監視していたのだと思います。


実はこの場所から、首里城が見えるのです。そのほか、玉城朝薫の墓、虎頭山、弁之御嶽などの史跡や景勝地も見えます。(かなり視力のいい人限定。笑)

琉球王国時代、浦添から首里までは、主要な街道が走り、人々が往来していました。浦添は、交通の要衝として栄えました。


さて。
浦添グスク(浦添城)の日記が始まりました。


(つづく)

定年退職おめでとう - 銀座「夢酒みずき」でお祝い(2022年9月30日)

2022年9月20日 銀座・夢酒みずきで。ふぐ出汁冷製茶碗蒸しです。


9月30日(金)


厳密に言うと、夫は、5年前に、
60歳で定年退職しています。
それからは「雇用更新」という形で、
同じ職場で働いていたのですが、
65歳になったので、この節目で、
仕事を終えることにしました。


最後の日は、花束もいただき、
笑顔でお別れしてきたようです。
私たち、これでほんとに、「無職の夫婦」。
花の年金生活者になりました。🤣


MIYOの定年退職は、2019年8月。同じ頃に、勤務していた事業部が他社に売却され、全員が高崎市に強制転勤させられました。同僚全員と別れ、そのまま東京に残ったMIYOは、売却先の会社で、たったひとりで退職日を迎えました。勤続37年。花束も送別会もない、孤独な定年退職でした。夜は、夫とふたりで、スペイン料理でお祝い。
「スペインクラブ銀座」で退職祝い(2019年8月20日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


まあ、記念に、ということで、
夜は銀座あたりで食事することにしました。
夫の希望は「和食」だったのですが、
ま~、お店選びに苦労しました。😅


よくある天ぷら屋さんは、
先日、「俺の天ぷらバル」に行ったばかり。
鉄板焼きもいいけど、
ステーキ食べたらおしまいで、
なんかあっけないし。
銀座のお寿司だと、一貫1000円くらいするし。
何時間もかけて、300軒以上調べたのですが、
なにかピンとこないんです。


そこでハッと気がつきました。
「夫は、『和食』が食べたいというよりも、
 和食と一緒に、
 『おいしいお酒』が飲みたいんじゃないか。」
と…。😄


そこで、
「銀座でおいしい日本酒が飲めるお店」
で探し、ようやく見つけたのが、
「夢酒みずき(ムッシュミズキ)でした。
酒造で飛込修行4年を経た日本酒ソムリエが
日本酒を厳選しており、旬の食材を活かした、
遊び心溢れる独創的料理が楽しめるそうです。


このお店では、
日本酒のペアリングコース
が楽しめます。
「ワインのペアリング」はよくありますが、
このお店では、ひとつひとつのお料理に、
プロが選んだ日本酒をペアリングして、
コース料理を堪能できるという、
すてきな趣向です。


「あ、これこれ。」って思い、^^
早速、モッピー+一休ルートで、
「夜6時」に予約を入れました。
久しぶりに一休を利用したのですが、
ペイペイとリンクしたようで、
予約の際に、料金をペイペイから
前払いすることが可能になっていました。
お店での支払いがないので、
酔っぱらってわけわかんなくなっても
大丈夫です。笑


いつもなら、「予約時間にお店で待ち合わせ」
のスタイルが多いのですが、今回は別です。
先にお店の名前を教えると、
夫はネットでお店の詳細を見てしまいます。
それではつまらないので、
「お店の名前はヒミツ!」
とメールしました。笑


夕方5時50分、銀座六丁目すずらん通りと交詢社通りの角にある、交詢ビルの前で待ち合わせしました。名店が集まっていることで知られているビルです。

ミシュランの星を獲得した串カツ店「GINZA六覺燈 Vin」
「GINZA六覺燈 Vin」でミシュランの串カツディナー(2020年1 月22日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
こまやかなおもてなし、「天ぷら 一宝」
家族でお祝い 天ぷら 一宝+ギンザシックス+俺のやきとり①(2017年8月27日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
ミシュランの星獲得のモダンスパニッシュ「ZURRIOLA 」
ガンになって、職場復帰④ - 銀座 ZURRIOLA でお祝いランチ (モダンスパニッシュ)(2017年3月25日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

まだまだ、行きたいお店がいっぱいのビルです。^^


夫は、交詢ビルの中にあるお店で食事すると
思っていたようですが、
そんな安易なことはいたしません。😄
だってびっくりさせたいんですから。笑


交詢ビルから歩いて一分。
西五番街通りにあるビルの地下1階に、
そのお店はひっそりと佇んでいました。


「夢酒みずき」です。いかにも隠れ家的な雰囲気。


銀座でこんなところに入ったら
いくらかかるかわからないので、
普通、私たちは絶対に入りません。😅


でも今日は、予約してるし、
代金は先に払ってあるから大丈夫。笑
…と思いながら、階段を降りました。


階段を降りると、かたく閉ざされた扉が…。これはもう、フリーの客はそうとう入りづらいと思います。笑 でも、「予約してあるから大丈夫、大丈夫。」と自分に言い聞かせながら、引き戸を開けました。

中はこんな感じ。細い通路の先に、カウンターがあるようです。

左側の壁一面にディスプレイされた、日本酒の数々。

細い通路のつきあたりにある、オープンキッチンのカウンター。私たちは、その少し先のテーブルに案内していただきました。写真は、テーブルの席から撮りました。いかにも銀座のお店、といった設えです。^^

テーブルセッティングにフォークがある理由は、このあとすぐにわかります。

ウェルカムビールは、キリンのブラウマイスター。

いよいよ、ディナーが始まります。^^

前菜 胡麻豆腐のモンブラン
秋らしく、モンブランのように見えますが、胡麻豆腐でできています。ソースは、イチジクと味噌を練ったもの。

「フォークでどうぞ」と言われ、ケーキのようにいただきました。^^ すると中には、白いクリームのようなものが…。茄子のムースです。めちゃくちゃ美味でした。

お凌ぎ 鯛一郎クン棒寿司
「鯛一郎クン」は、愛媛県宇和島市の高級養殖魚です。脂がのって引き締まった身をしているため、一般的な養殖真鯛よりもモチモチしており、天然真鯛にも劣らない味わいと言われています。

器の美しさもさることながら、この棒寿司のおいしいこと。お持ち帰りしたくなりました。笑 いぶりがっこもほどよく調和しています。

ペアリングは、滋賀県湖南市 北島酒造の純米吟醸・玉栄の「ターコイズブルー」です。

お造り 変わりお造り盛り合せ
左から、とらふぐ昆布締め、鯛一郎昆布塩、本まぐろ土佐醤油、蒸しアワビ肝酢、稚鯛桃ソース
どれも、仕事がすばらしい。ひっくり返るくらいおいしかったです。笑 お代わりが欲しい!

ペアリング 新潟県南魚沼市 青木酒造の特別純米・鶴齢

焼物 マナガツオ酒粕焼き
マナガツオと、きめの細かいサツマイモを串で焼いてあります。かかっているのは、酒粕とレモンのソース。澄まし汁も美味。^^

ペアリング 山口県岩国市 旭酒造の純米大吟醸・獺祭
磨き二割三分。「獺祭」とは、「
カワウソが自分のとった魚を並べること」で、人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいうのだそうです。右は、夢酒みずきののれんです。

冷菜 ふぐ出汁冷製茶碗蒸し
トッピングされているのは、ふぐ皮を細切りにしたものと金粉です。ぽん酢仕立てで、得も言われぬおいしさ。^^

ペアリング 長野県佐久市 大澤酒造の純米吟醸・明鏡止水
ソムリエが、ぽん酢に合わせて選んでくださったお酒です。

温物 里芋揚げ出汁毛蟹餡

花びらが舞い散っているようです。^^

肉料理 和牛サーロイン焼きしゃぶ

ペアリング 岐阜県養老郡 玉泉堂酒造の純米吟醸・山田錦

食事 木の子月見うどん
木の子のすりおろしがかかっています。

ペアリングは5種だったのですが、最後に一杯ずつ、気になるのを飲ませていただきました。お店からのプレゼントです。

夫が選んだ2種です。
奈良県御所市 千代酒造の秋色生原酒・篠峯
奈良県葛城山のふもとにある千代酒造は、新酒鑑評会で9年連続(計16回)の金賞を受賞しています。
福島県河沼郡 廣木酒造の純米大吟醸・飛露喜
2012年の第一回「SAKE COMPETITION」で、純米酒部門1位に輝いて以来、繰り返し10位以内に入賞している銘柄です。2019年は純米吟醸酒部門で1位を獲得しました。

甘味 フルーツ大福

すばらしいお料理とお酒の連続でした。


この日のお支払いですが、
ふたりで33000円でした。
我が家にとっては、
ちょっとがんばった金額でしたが、
まあ、お祝いですから。^^
これだけのお料理、これだけのお酒で、
お値打ちのディナーだったと思います。
銀座の面目躍如、という気がしました。


お店を出たら、目の前にこんなのが停まっていました。うーーん、銀座です。^^

勤務先での最後の写真。花束とスティーラーズのレプリカ・ジャージを記念にいただいたそうです。あはは、KOBELCOって入ってる。41年間、よくがんばりました。

定年退職、おめでとう。

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 16 - 「ヒューイットリゾート那覇・ブッフェレストラン ティーダ」で朝ごはん② 驚きのハンバーガーステーション(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 大盛りのフードを前に、良からぬことを考えている顔です。^^


9月1日(木)


ヒューイットリゾート那覇の、
「ブッフェレストラン ティーダ」で、
朝食ビュッフェをいただいています。
前半では、
通常の朝食ビュッフェコーナー
をご紹介しましたが、
後半は、
このホテルならではの趣向です。^^


ライブキッチンカウンターはL字型になっていて、二面あります。そして、その左面のすべてが、ハンバーガーステーションになっています。

「バーガーを作ってみましょう。」😋
ここでは、ハンバーガーを自分で作るのです。^^

STEP1:お好きなバンズをチョイス!!
上段:イングリッシュマフィン、ドッグバンズ、ピタパン、ミニスライス、カンパーニュ、中華バンズ

下段:ミニバーバーバンズ、バーガーバンズ

のっけからここで、パンに迷うんですよ…笑

STEP2:メインの具材を大胆に!!
上段:ベーコン、ソーセージ、ハンバーグ
中段:チキン南蛮、マグロの一口カツ、白身魚フライ、エビフリッター
下段:ジャーマンポテト、グラタン、ローストポーク

STEP3:お好きなソースをかけて…
タコスソース、タルタルソース、バーガーソース。その手前には、ケチャップ、辛子マヨネーズなど6種類のソース。
後ろの照り焼きチキンと焼きそばは、どうアレンジするのか不明…。笑 焼きそばパンにするのかな?

STEP4:最後に副菜をのせて完成!!
サラダチキン、トマト、ポテトサラダ、プルドポーク、キャベツソテー、目玉焼き、オムレツ、ポークランチョンミート
そしてこちらにも、ソースコーナーからはみ出したソースがならんでいます。
バーニャカウダソース、サワークリームソース、4種のチーズソース

上段:パプリカスライス、生ハム、キノコミックス、ピクルス、アボガド
下段:オニオンソテー、味付け三枚肉、コンビーフハッシュ

最後は、チーズ、ハラペーニョ、ミックスベリー、パイナップル、マンゴー。


このホテルに4泊しましたが、
それでも、全部のフードを
試してみることはできませんでした。笑


バンズの種類も、主菜も、副菜も、
ソースに至るまで、
置いてある種類がハンパないんです。


カウンターに並んだフードの数々を、
ボー然と見ていました。
するとMIYOの横を、若い女の子が、
ハンバーガーをのせたトレーを持って
「ここ、めっちゃ楽しい~!」
と、満面の笑顔で通り過ぎました。


ほんと、ここは、
タダのビュッフェじゃないです。
こういうところが、とってもオシャレで、
若い人たちにウケてるんでしょうね…。^^
「ホテルの客層は、9割が20代~30代」
とMIYOは感じましたが、
「オトク感があってスタイリッシュ、
 そして楽しい。」
…っていうところが、その理由かな、
と思いました。


ここで夫の2回目。沖縄そばの次は、白米と島豆腐のようです。「お味噌汁を置く場所はココじゃない」と、37年間言い続けているのですが、夫は覚えません。

その後、夫が作ったハンバーガー。でもこれだと、バンズの上に置ける量は限られています。あんなにたくさんフードがあっても、中にはさめるのはほんのわずか。ちょっとサビシイ。

これはMIYOの2回め。バンズに置くのをあきらめて、お皿にドン!と盛ってきました。笑

良からぬことを考えている顔です。🤣🤣🤣

お皿の上に大盛りになったフード。

その左半分を、バンズにのせました。

それを片手に持って、残りのフードを挟んでいきます。

途中でこぼれそうになったので、ラッピングペーパーに入れます。ペーパーで周囲を固定された状態になったので、こぼれる心配がなくなりました。ここへ、残りのフードを全部つめこんで、完成です。^^

コレが…、

こうなるんですから、これはもう達人のワザと言っていいと思います。🤣🤣


「ソレ、食べられるの?」
と、あっけにとられている夫。爆


食べませんよ、もちろん。
きれいにペーパーで包んで、バッグに。
これで、本日のお昼ごはんが調達できました。
このあとホテルに缶詰めになっても、
お昼にコレを食べれば、問題なーし。^^


ちなみに、ハンバーガーステーションには、
このラッピングペーパーも置いてあります。
「こういうのが置いてあるってことは、
 包んで持って帰っていいですよ。」
ってことだよね?
と、勝手に解釈するMIYO。😅


〆のデザートです。手づくりケーキがどんどんなくなっていくのですが、すぐに補充されます。その都度、種類も変わっていくので、それも楽しみ。^^

とりあえず全部とりました。夫とはんぶんこしながら、全種類を味見します。緑色のパウンドケーキは、抹茶ではなくて、ピスタチオなんです。すっごい美味でした。ピスタチオが好きなエンディミオンさんを思い出しながらいただきました。^^

ケーキといっしょに、見るからに涼し気な、このデトックスウォーターをいただきました。クセがなくておいしかったです。


このデトックスウォーターですが、
効果てきめんでした。
このあと夕方まで、ほぼ一時間おきに、
トイレに行きたくなるんですよね…。


「なんだ? 下剤か?」と夫。
「下剤じゃないよ。デトックスウォーター。
 デトックス!!
 毒素を排出するんだよ。」
「だって、デルんだろ?
 下剤とどう違うんだ?」


…自分でググってください。😔😔


(つづく)