MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 59 - MODUS KYBELE RESTAURANT でお昼ごはん(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 MODUS KYBELE RESTAURANTで。(トルコ・イズミル)


1月14日(火)- 6日め


パムッカレ・ヒエラポリスを出発し、

次のスポットであるエフェソスへ。

エフェソスまでの距離は、

188km(2時間半)。


イスタンブールから東方向へと走り続け、カッパドキアで方向転換。今度はエーゲ海沿岸にあるエフェソスまで、西に向かって走り続けました。


この日の午前中は、


 6:30 起床・朝食

 7:30 ホテルを出発

 8:00 パムッカレ観光(30分)

 8:30 ヒエラポリス遺跡散策(60分)

 9:30 ヒエラポリスを出発

    エフェソスまでバス移動(2時間半)

 11:30 レストランで昼食


…という強行軍で、

ツアーは粛々と進んでいきました。

そして、次の目的地であるエフェソスの

少しだけ手前にあるレストランで

バスが停まりました。


レストランの名前は、MODUS KYBELE RESTAURANT。


お土産物屋さんを併設している、

大きなレストランでした。

この地方はエーゲ海沿岸にあり、

トルコでも有数のオリーブの産地だとか。

オリーブオイルを買うならこのあたりが

おすすめ、とのことでした。

(重いので買いませんでしたが。笑)


お買い物はそっちのけで、MIYOはやっぱりワンコと遊んでました。これくらいの大型犬が、トルコでは普通に野良ワンコしてます。

レストランです。広くておしゃれな雰囲気でした。

テーブルに置いてあったスパイスと調味料(オリーブオイル、トルコ風醤油、ザクロソース)。

夫はビールを注文。

トルコのサラダは、大体どこでもこんな感じで、トマトがいっぱい。

スープは、トマト風味のこってりしたもの。

前菜は、マッシュポテトのオーブン焼き。下に敷いてあるチーズもおいしい。^^

メインは牛肉の串焼き、チョップシシ(çöp şiş)。肉の大きさがシシケバブよりも小さく、見た目はインドネシアのサテーに似ています。牛肉の一番下に刺してあるのは、マトンの脂。マトンの香りが漂います。

パスタとグリル野菜も付いているので、けっこうなボリュームでした。

デザートは、ケマル・パシャという名前の甘いお菓子。スポンジを甘いシロップに浸したようなケーキです。小さいけど、とても甘いので、1個で十分です。

カッパドキアの夕食でも、同じものをいただきました。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 41 - カッパドキア:ベリーダンスディナーショーと猫足バスタブ(2025年1月12日/4日め)


お食事のあとは、

併設されたショップで、

お土産物を見て歩きました。


オリーブオイルのコーナー。やはり名産地だけあって、種類が多いですね。😊

このオリーブオイルは、レストランのオリジナル品。良い品なのでしょうが、US25$なら日本で買った方が安い。😓

ザクロのソースは、US10$。どちらも、さっきのレストランでテーブルに置いてあったので、ゴクゴク飲んで味見すればよかったかも。(アホ)

コムハニーはUS13$。

MIYOの好きなドライいちじく。US18$です。大きくて品が違うのでしょうが、カルディーではるかに安く売ってるので、買いたい気がしません。

干しアンズは夫が大好物。日本では、お店で見つけたらいつも買うのですが、ここのはUS20$でした。かなり大粒でおいしそうなのですが、夫は「高すぎる。いらない。」と…。試食だけはいただきましたが。🤣

そして、トルコの旅でいちばん思い出深いお菓子、ロクム。US15$ですよ。


【ロクム(Lokum)】

砂糖にデンプンとナッツ類を加えて作る、トルコの伝統的なお菓子です。材料として使用され得るナッツ類としては、クルミ、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココナッツなどがあります。食感は柔らかく、弾力があります。この菓子は、トルコや周辺地域に留まらず、比較的広範囲で知られており、英語では「Turkish delight(トルコの悦び)」と呼ばれています。


現地ガイドさんが、

「ここのロクムはおいしくて、

 おススメです。」

と力説していましたが、

こんなゼリー菓子みたいなのが

2500円もするかと思うと、

気後れするばかりで…。😓


ハンドクリームも高級品でした。サンプルを試してみると、確かに良い品のようです。


でも前日、コンヤの露店で、

「3個で1000円」だったのを

900円で買ったばかりなので、

もうこれ以上はいらないかな…。

そのときの日記です。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 49 - コンヤ:露店のできごととセマー(2025年1月13日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ということで。

置いてあるものは

どれも高級品であるのはわかりましたが、

ちょっとMIYO家には不向きで。🤣


結局、なにも買わないまま、

お店を後にしました。


(つづく)


(おまけ)


花好きの夫が撮りました。トルコにも梅があるのでしょうか。(2025年1月14日 イズミル)

これまでの日記はこちらにまとめてあります。

2025年1月 トキメキのトルコ10日間

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トキメキのトルコ。走り続けた10日間 58 - ヒエラポリス遺跡② パムッカレ温泉(アンティーク・プール)(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス遺跡の復元写真です。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


限られた時間ではありましたが、

ヒエラポリス遺跡を歩き続けました。


事前に下調べもせず、地図も持たず、

(夫はわかっていたのかも、ですが🙄)

なにがなんだかわからないまま

歩き続けたので、今思うと、

ムダな動きが多かったかもしれません。


往時のヒエラポリスの復元図です。ビザンチン南門→パムッカレの石灰棚→南大浴場(ヒエラポリス博物館)→ニンファエウム…と歩き、メインストリートを横切って、劇場、プルートニオン、アポロ神殿が並ぶ丘のふもとまで歩きました。


こうして復元図を見てみると、

自然が作り上げた石灰棚の広大さに

あらためて驚きます。


そして現在は、荒涼とした土地に

遺跡が散らばっているような状態ですが、

往時は立派な都市であったことにも

感動します。


2000年を経て、今もヒエラポリスに横たわる石の数々。


劇場の手前で引き返し、

往路とは違う道を歩いてみました。


いくつもの柱が埋まったままの状態で、地中が露出しているところがありました。

柱の手前に埋められていたのは、パイプ状の石。すぐ近くに温泉があるので、このパイプの中を、温水が流れていたのかな…。


どうやら、

「温泉エリア」

に入ったようです。


この地では、現在も、

36度ほどの天然温水が湧き出ていて、

ローマ時代には、

「パムッカレ温泉」

として知られていました。

今で言う、「健康センター」でしょうか。

この温水プールは、今も存在しています。


人々の保養地となったことから、

ローマ時代のヒエラポリスは、

都市としてさらに栄えていきました。


【パムッカレ温泉(アンティーク・プール)】

ヒエラポリスは紀元前2世紀に築かれました。そしてローマ時代になると、温泉を中心とした、「健康センター」のような場所となり、さらに栄えました。ローマ時代には、15箇所以上もの温水プールが存在していたと言われています。

この温泉プールは今も存在しています。現在残っている「アンティーク・プール」は、プールの中に石柱が見られるという珍しい温水プールです。これは、7世紀に起きた地震によって沈んだ大理石の柱廊です。


現在も残っている、「アンティーク・プール」です。

水中に、たくさんの石柱が横たわっています。7世紀に起きた地震の際に水中に沈んだ大理石の柱廊が、そのままに残されています。😮

遺跡の中で、今も運営されている、「健康センター」。🤣🤣

売店、カフェなども併設されていて、まさしく「健康センター」ですね。😅


この温水プールは有料で、

誰でも利用できます。

とはいえ、わざわざプールに入って

石柱に触ってみようとか、

そんな時間の余裕はありません…。😓


残り時間は5分。集合場所まで走ります。

延々と続く水路が設けられた場所まで戻ってきました。

今も残る5本の石柱と水路。

温水が流れていた水路は、2000年前、ここに「保養都市」なるものがあったという名残り。都市が崩壊してしまった現在でも、この温水路だけは、くっきりと残っていました。

ヒエラポリス考古学博物館を通り過ぎて…、

再び、ビザンチン南門が見えてきました。

これは、南門の反対側。夫が撮ったこの写真が、ヒエラポリス遺跡の最後の一枚になりました。

いまここ。😓


結局、歩くことができたのは、

遺跡全体の半分以下だったかと…。

博物館で時間をとられましたが、

博物館に行かなかったとしても、

①から⑯までのスポットを

わずか1時間で全部見るというのは、

とうてい無理なことだったと思います。

もっと時間があったらなぁ…。

と、心残りがいっぱい。


けれどこの日の午後になって、

そんな気持ちはどこへやら…

なんてことが起こります。


なぜなら、このあとに私たちは、

エフェソス遺跡へと向かったからです。

そう。

世界遺産の、エフェソス遺跡です。


全然予習をしてこなかったMIYOは、

このときも、

「ん? それなに?🙄」

なんて思ってましたが、

着いてから腰をぬかすこととなりました。


ここまで書いただけでも、すでに、

丸一日観光し続けたような気がしますが、

実は、ほんの半日でしかありません。


朝7時半にホテルを出発し、

8時にパムッカレ・ヒエラポリスに到着。

懸命に遺跡を歩いたものの、

それらはすべて、午前中のできごと。


このあとバスは、

エフェソスに向かうのですが、

その前にレストランに寄りました。

ようやくお昼ごはんです。


(つづく)


(おまけ)


パムッカレのワンコたち。MIYOのパンを待っているところです。野良ワンコだけど、耳にチップが付いていて、みんな大事にされているようです。

トルコのワンコたちは、とてもかわいかった。😊

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トキメキのトルコ。走り続けた10日間 57 - ヒエラポリス遺跡① ニンファエウム(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス遺跡・ニンファエウムで。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


ヒエラポリス考古学博物館を後にして、

ヒエラポリス遺跡を歩き始めました。


柵の向こうに、なにかが見えてきました。ニンファエウム(Temple Nymphaeum)です。周囲に柵がめぐらされていて、中には入れないようです。


【ニンファエウム(nymphaeum)】

古代ローマや古代ギリシアで、泉の神ニンフ(ニュンペー)を祀る神殿としての役割を担った場所でした。古くは、自然の洞穴などをニンフ信仰に結びつけていましたが、後には、瀟洒な装飾を施した建物などが建てられるようになりました。

ヒエラポリス遺跡のニンファエウムは紀元1世紀末に建設されました。U字型になっており、その周囲には、彫像や商店があり、すぐ近くには運河(水路)が通っていました。道路の基部は石のブロックで覆われており、現在は民間行政のプールの下にあります。西暦 1 世紀末に建設され、城壁の外に残された 2 つの巨大なドアがあります。


柵の内側から、せいいっぱい背伸びして撮りました。笑

これは、MIYOの隣りで夫が撮ったものです。こっちの方が構成がいいですね。同じ対象を撮るにしても、周囲のものをどう配置するかで、印象が変わりますね。^^

すぐそばには行けないようですが、ニンファエウムに向かって、柵伝いに歩いてみました。

櫓が組まれていて、現在も修復中のようです。

神殿はU字型で、かつてはこんな風になっていました…と説明する図が置いてありましたが…、

いや、この状態からは、とうてい想像できません。😓

しかしながら、神殿の中央に設けられている、弧を描いた階段は、今もきれいに残っていました。

この、ニンファエウムのうしろに少しだけ見えているのが…、

アポロ神殿跡と円形劇場。

うあああ~。遺跡だらけ。😮 中央に、白い像が見えているのですが、わかりますでしょうか。

これは、「プルートニオン(Ploutonion)」の像で、アポロ神殿の隣りにあります。(ウィキペディアより)


【プルートニオン(Ploutonion)

1965年に発見されました。プルートニオンは、古代ギリシア語で「プルートーンの場所」を意味しており、かつては、冥界の神プルートーン(ハデス)とその妻コレ(ペルセポネー)に捧げられた神殿がありました。

神殿には、紀元前に造られた「地獄の門」や「冥王の門」と呼ばれる聖なる洞窟があり、そこが「冥界への入口」であると信じられていました。洞窟からは毒ガスが噴出しており、近づいた動物は即死しました。この現象を、古代の人々は「冥界の神プルートの力」と考えました。そして、恐れと崇拝を込めて神殿を建てたのだそうです。


すごい光景に胸が躍ったのですが。実は、私たちがいるのはこんなところ。劇場(のはず)は、はるか遠くに見えているだけでした。😔

すぐそこに、劇場があるのですが…。

私たちが見ているのは、劇場の外側。

その内側は、こんなふうになっているらしいです…。(ウィキペディアより)


あああああ。

見たかったなぁ…。


少しでも近くに行きたくて、劇場へと続く道を歩いてみましたが、ここが限界でした。


タイムリミット。

残り時間は10分しかありません。

今引き返さないと、集合時間までに

戻ることができません。


とても残念でしたが、ヒエラポリス遺跡はここで終了。


個人旅行で来ていれば、

私も夫も、おそらくここに、

丸一日はいたのではないか…。


まあこのへんが、

団体行動+予定詰め込みすぎの、

パックツアーの残念なところです。😔


しかたないとは思いながらも、

ぎりぎりまで、観光を続けます。笑

このあとの10分は、

これまで歩いたところとは

別のルートを歩き、

違う景色を見ながら帰ることにしました。


(つづく)

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トキメキのトルコ。走り続けた10日間 56 - ヒエラポリス考古学博物館④(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス考古学博物館で。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


ヒエラポリス考古学博物館に来ています。

みっつめの展示室には、

「ヒエラポリス劇場からの出土品」

と書いてありました。


びっしりと並んでいるのを、順に見て歩きました。

まずは、手前中央にある、トリトン像(紀元2世紀末)

その奥にあるのは、劇場の俳優の像(紀元2世紀末)。後ろに見えているのは、天井部分の飾りだったようです。

コの字型の天井部分に、たくさんの彫像が彫られていたようです。

ギリシア神話に登場する、ペルセポネー(Persephónē)。さらわれ、冥府に連れ去られていくところです。(紀元2世紀末)

これも、中央に、さらわれていくペルセポネーが見えます。(紀元2世紀末)

左:ペルセポネーは、ゼウス(全知全能の神)の娘でした。が、ハーデス(冥界の王)によってさらわれ、後に冥界の女王となりました。(ギリシア・クレタ島にある考古学博物館所蔵)

右:ペルセポネーをさらおうとするハーデス。(1624年・ボルゲーゼ美術館)

壁に設けられた、半円形スペース。これもまた、アーチの上の部分を使っているのかな…。

2000年前に描かれたギリシア神話の世界が、ここにありました。

みっつめの展示室を出ると、その先は行き止まりでした。

つきあたりの柵まで行って、その奥をのぞいてみました。庭なんだか、遺跡なんだか、よくわからない状態。笑

展示室の前に置かれていた、大柱頭(柱の頭部)。(ローマ帝国時代・紀元2世紀)

大柱頭の後ろは、立ち入り禁止エリアになっていました。ここでは現在も、発掘作業が進められているようです。

大量の出土品が、集められていました。


ここでようやく、

博物館エリアが終わりました。

このとき、8時50分。

持ち時間は60分しかないのに、

博物館だけで20分も使ってしまいました。

(これでも、相当急いで見学したつもりです。😓)


あと40分とは言え、

行って戻ってくる時間を考えると、

実質20分しかないような気がします。

この時間で遺跡を見るのは、

かなり無理があると思いました。


が、嘆いても仕方がないので、

行けるところまで行ってみよう、

ということで、

遺跡の中へと歩き始めました。


柵の向こうに、なにか見えてきました。


さて。

ここからがようやく、

ヒエラポリス遺跡になります。(アホ🤣)

たった20分で、

どれだけ見られることでしょうか…。😔


(つづく)

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トキメキのトルコ。走り続けた10日間 55 - ヒエラポリス考古学博物館③(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス考古学博物館で。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


ヒエラポリス考古学博物館に来ています。

ふたつめの展示室には、

「小さな出土品」が展示されていました。


美しい壺や皿の数々。

おや、これは…。まるで唐三彩のような色合いです。

こちらは、中国の唐三彩(唐代)。


【唐三彩】

唐代の鉛釉を施した陶器で、主として副葬用に制作されました。いわゆる唐三彩は、唐代の陶器の上の釉薬の色を指しており、中でも「クリーム色・緑・白」の三色の組み合わせや「緑・赤褐色・藍」の三色の組み合わせを主としていることから、三彩と称されています。最も古い唐三彩の作例は、674年(上元元年)に唐の高祖・李淵の陪塚から出土した器とされています。 

唐三彩は、シルクロードを通り、13世紀から15世紀半ばころにかけて、シリアやキプロス、イタリアに伝来しました。また、日本の奈良三彩(正倉院三彩)、渤海三彩など、他の東アジアにも影響を与えました。


発見されている中で最も古い唐三彩は、

674年のもの。

ヒエラポリス遺跡は、それよりも

はるかに歴史をさかのぼります。


イタリアに唐三彩が伝わったのは

13世紀以降とのことなので、

ヒエラポリス遺跡のお皿は、

唐三彩とは関係がないようです。

でも、なんだか似ていて、

気になりました…。😓


この展示室には、硬貨もありました。置き方がユニークで、見ていて楽しい。^^

美しい文字の刻印が読み取れます。すごい。

紀元前2世紀から紀元3世紀のものだそうです。

夫、歩きまわって、写真撮りまくってます。笑

ビザンチン時代。(紀元5世紀~12世紀)

ローマ帝国時代。(紀元前1世紀から紀元5世紀)


ふたつめの展示室を出て、

次は、その隣りのにある、

みっつめの展示室へと急ぎました。

ところが、そこから先へ

進むことができなくなりました。

なぜなら…。


こんな光景が広がっていたからです。ひゃ~。

ヒエラポリス遺跡のアーチが、そのまま残っています。そして、その奥にある、格子の入ったアーチが、みっつめの展示室です。ここは、この博物館が、南大浴場を利用して作られていることがよくわかるスポットでした。

奥で夫が手を振ってます。このアーチがいかに大きい物であるかがわかるかと思います。

手前には、みっつのアーチが半円形を成して造られていて、その後ろにまたアーチが…。

中は真っ暗で、なにも見えません。でもこの奥に入って、どんどん進んでみたくなりました。😅

そういえば、ひとつめの展示室では、壁際にこんなふうにくりぬかれた部分がたくさんあり、そこに展示物を並べていました。

今思うとあれは、「大浴場の中空に床を作って展示室にしてしまい、床から突出したアーチの上部を、展示棚として利用した」…ということだったのかと。


なんと斬新な(というか乱暴な)

発想なのか…。😅

でも、そのおかげで、大浴場の内側を

歩くことができたのかも。^^


ようやく、みっつめの展示室に入ります。入り口には、「ヒエラポリス劇場からの出土品」と書いてありました。

壁に沿って、びっしりと並べられている出土品。

そして室内を見渡すと、やはりここも、かつての南大浴場を修復し、中ほどに床を設置して作った展示室であることがうかがえました。すごいなぁ…。😮


つまりここは、

「南大浴場の上半分を利用した」

ってことなんですね…。^^


次回は、この展示室に並んでいたものを、じっくりと見て行きます。


(つづく)

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