MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 87 - 洞爺湖と支笏湖。そして「バル エスパーニャ カルネ」で晩ごはん(2021年11月12日/10日め)

2021年11月12日 バル エスパーニャ カルネのパエージャです。(北海道札幌市)


11月12日(金)


午後2時半、昭和新山を後にしました。
まだ時間が早いので、
次は洞爺湖に行ってみることにしました。


有珠山から見下ろした洞爺湖でしたが、車で行けばすぐのところにあります。

洞爺湖に到着。昭和新山からは、30分もかかりませんでした。

湖の畔を、少し歩いてみました。

この一年前、洞爺湖の湖畔から、山の上にある「ザ・ウィンザーホテル 洞爺」を見上げ、いっしょに写真を撮りました。(2020年11月28日)
コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 10 - 洞爺湖の大パノラマ(2020年11月28日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


「ウィンザーホテルはどのへん?
 ここから見えるかなぁ…」
と言いながら歩いていたら…。


「あっ」ありました! 遠くの山の上に、ちょこんとのっかった、小さなウィンザーホテルが見えました!

「あそこにあったよ!」と喜ぶMIYO。笑 指の先に、ウィンザーホテルがあるの、わかりますでしょうか。これは、上の写真の一年後に撮っているのですが、同じコートを着ているのでまぎらわしいですね。笑(2021年11月12日)


前回来たときは、自分にとって北海道は
「とても遠い場所」だったので、
一年後にまた同じ場所に来るなんて、
想像もしていませんでした…。^^
でも、今回の、
「札幌2週間滞在旅行」をきっかけに、
はずみがついて(=お調子にのって)、
一年間で5回も、
北海道に行ってしまいました。笑
でも、何回来ても、
北海道は新鮮で、楽しいです。^^


このあとは、雄大な景色を眺めながら、ドライブ。

美しい景色の場所をみつけては、あたりをお散歩しました。樹々がほんとうにきれいでした。

このあたりに住んでいる方が建てられたのでしょうか。「古川家入植百年記念之碑」というものがありました。


 祖興太郎、明治25年、
 徳島県板野郡應神村字中原
 (現徳島市應神町)より
 一家を挙げて此地に移住し、開拓に従事。
 子孫相伝へて今日に至る。
 平成4年5月


北海道に来ると、
東京にいるときよりもずっと、
明治が近くになったような気がします…。


さて、このあとMIYOは、
車内で眠りこけてしまったのですが、
それをいいことに、
多動夫が、またやらかしました。


そこから一気に、支笏湖へ行ってしまったのです…。🤣🤣 まあ、札幌に戻る途中にあると言われればそうなんですけど。😅

支笏湖に到着しました。

対岸に見えているのは、恵庭岳のようです。シルエットがきれいですね。

このときはシーズンオフで、あたりに誰もいないし、お店もしまっていて、支笏湖ひとり占め状態でした。寒くて寒くて、短時間しかいなかったのですが、この一年後、再びここを訪れました。そのときは、ポロピナイで食事もしています。^^

これは、一年後に再訪したときの写真です。ポロピナイ食堂からは、支笏湖が一望できます。(2022年10月24日 千歳市幌美内)

食堂のおススメは、支笏湖産天然ヒメマス(チップ)の料理です。MIYOは、人気No.1の、ポロピナイセットをいただきました。ヒメマスの姿焼&姿フライのセット(1550円)です。オプションで、希少なチップのいくらも追加しました。^^(2022年10月24日 千歳市幌美内)


支笏湖は、
とってもきれいだったんですけどね…。
もう夕暮れ時ですよ…。
札幌には、いったい何時に着くんでしょうか。


やりたい放題やらかして、うれしそうな多動夫です。😅


今日もまた、
「夜討ち朝駆けの旅」
になってしまいました…。
一日中遊び続けて、夜7時。
ようやく札幌に戻りました。


すすきのです。この前日に乗った観覧車「ノルベサ」が、ビルの向こうからにょっきりと顔を出しています。

昨夜夫を連れて行くときは、この観覧車に気づかせないために、あれこれと話しかけ、なるべく上を見せないように誘導してました。🤣🤣 だって、サプライズで、いきなり観覧車の前に連れて行ったら、おもしろいでしょ?^^

60歳を過ぎた夫婦が、今さら乗った観覧車。爆

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 77 - 観覧車「ノルベサ」(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


夫の希望で、この日の晩ごはんは、
スペイン料理に決定しました。


すすきのの、BAR espana carne(バル エスパーニャ カルネ)です。入り口を入ると、でっかい生ハムがお出迎え。笑


ほんの何日か前に、
「もう当分、居酒屋には行かないからね。」
と、夫に言い渡したばかりなのですが…。笑
でも、今日一日、がんばって運転したので、
まあいいことにします。😅


にぎやかな店内。ほぼ満席でしたが、予約してあったので待ち時間はなし。^^(モッピー+ホットペッパールートで、200ポイントもゲット。🎉)

ワインはスペインの白。BORSAO CAMPO CASTILLOです(3000円)。

お通しのブルスケッタ(380円)には、スパニッシュオムレツがのっていました。そして右は、エビのアヒージョ(850円)。エビがでかいです。笑

いろいろのってるのが楽しい、前菜盛り合わせ(1437円)。

アンコウとズッキーニのフリット(710円)。

そして最後はもちろんパエージャ(2860円)。


全部で、9757円。
せっかく、一泊6600円(ふたりで)という、
驚異的にお安いホテルに泊まっているのに、
夜の居酒屋代がホテル代より高いという、
アホぶりです…。
まあでもおいしかったので、
よしとしましょう。😅


このときのエビのアヒージョ、
ほんと、おいしすぎました。
あれから一年半たっているのに、
夫は今でも、このときの話をします。
またあのお店に行きたいそうです。


まあね…。
北海道ですもの。
そもそも、素材が違うんでしょうね。
なにを食べてもおいしい、北海道。
あのお店に、私もまた行きたいです。^^


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 86 - 噴火体験室、熊牧場、CokeON初体験と、シチリア料理のお弁当(2021年11月12日/10日め)

2021年11月12日 熊牧場で。(北海道有珠郡壮瞥町)


何度も中断して、なかなか終わらない札幌日記ですが、
今度こそ、がんばって完結しようと思います。
またよろしくお願いいたします。^^


11月12日(金)


前回の日記では、昭和新山から、
ロープウェイで「頂上駅」まで上がり、
火口原展望台まで歩きました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 85 - 再びロープウェイ / 上野・のど黒のあくびで豪華贅沢ランチ(2021年11月12日/10日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


火口原展望台から、洞爺湖を臨みました。白い建物は、ロープウェイの「頂上駅」です。

帰りのロープウェイから眺めた洞爺湖。中島がきれいに見えました。

その1年前に洞爺湖に行ったときの写真です。「中島」の形がよく似ているので、同じような方向から写真を撮ったようです。(2020年11月28日)
コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 10 - 洞爺湖の大パノラマ(2020年11月28日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

中島の形があまりにも似ているので、同じような場所にいたのではないか、と思い、地図で調べてみました。


昭和新山から1年前に写真を撮った場所まで、
距離はわずか6.6kmでした。
車で16分の距離だそうです。
1年後に、ほとんど同じ場所に
戻ってきていたんですね…。笑


ロープウェイのゴンドラから、美しい山々を眺めていると、ほどなく、有珠山ロープウェイ山麓駅に到着しました。


山麓駅の隣りにある施設には、
 お土産物屋さん
 噴火体験室
 学習や休憩に使えるミーティングルーム
 展示パネル
などがありました。


お土産物屋さんでは、ごぼうスープ、たまねぎスープ、とまとスープを、自由に試飲できました。どれもおいしかったです。^^

アイヌ雑貨もたくさんありました。

「インカのめざめ」「ぽてコタン」「じゃがポックル」は、今では、どれも我が家のお気に入り。北海道に行くたびに、たいてい、どれかは買ってしまいます。そのほか、北海道限定歌舞伎揚も見逃せません。笑

お土産物屋さんで遊んだあとは、噴火体験室に入ってみました。音と光と映像で噴火を再現した部屋です。

中では、有珠山の噴火の映像(約4分間)などを見ることができます。

すぐ近くには、熊牧場もありました。

地元ならではのお土産品。「昭和新山くまの手クッキー」です。笑

そしてこちらは、「洞爺・昭和新山ミルクバタークロワッサンパイ」。

あいかわらず、こんな写真ばかり撮りたがる、多動夫(なぜ?笑)

1時半を過ぎたので、お腹が空いてきました。夫は、火山ラーメンが気になったみたいですが、却下。笑 

山麓駅のそばにあるミーティングルームで、持って来たお弁当を広げました。ピクニックみたい。笑

メインは、前日の夜、すすきのでテイクアウトした、シチリア料理のオードブルセットです。4人分くらいあって食べきれなかったので、残りを、この日のお弁当と称して持ってきました。笑
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 78 - 豪華なオードブルセットと創成橋(2021年11月11日-12日/9日め-10日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


暖かい飲み物が欲しかったのですが、
コロナ禍でほとんどのお店が閉店していて、
売っているところがありません。😅
しょうがないので、
自販機をさがして歩きました。


このときの昭和新山は、「飲み物は、自動販売機でしか買えないよ。」状態。


このときに、CokeONの自販機を利用し、
生れて初めて、スマホで支払いました。
ちょうど、
「ラインペイで支払うと100P戻ってくる」
というキャンペーン中でした。
オトクとなったら、
めんどうでもやるしかありません。爆


吹きっさらしの寒い中、プルプル震えながら、
スマホに決済方法を登録し(←そこからか?)
自販機と格闘し…。
たかが1個の缶コーヒーのために、
10分以上かかりましたが、笑
最後に、ゴトンという音と共に、
あったかいカフェオレが出て来た時には、
夫とふたりで手を取り合って喜びました。😂


あのとき昭和新山に行かなかったら、
スマホで自販機から購入なんて、敷居が高くて、
私は今でもやっていないと思います。
他に売っているお店がなくて、
自販機で購入するしかなかったのですが、
今考えると、自販機アプリをスタートする、
いいきっかけだったと思います。^^


生れて初めてのCokeONペイで買ったのは、カフェオレとコーンポタージュでした。笑

そしてこの一か月後、このときのキャンペーンのLINEポイントが付与されました。「12月27日100ポイント」とあるのを見て、昭和新山に行った日のことをなつかしく思い出しました。^^


CokeONアプリのオトクなキャンペーンを、現在開催中です。こちらをご覧ください。
コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 32 - CokeONアプリ、船つなぎ石、鳶石と焼きまんじゅう(2023年1月18日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


(つづく)

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 39 - 旧安田銀行担保倉庫と、「登利平」で上州御用 鳥めし竹重(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 登利平の「上州御用 鳥めし竹重」です。(群馬県前橋市)


上州旅日記の最終話になります。
長い連載におつきあいくださり、ありがとうございました。


1月18日(水)


前橋市で、Nさんといっしょに、
「にっぽんいちなつかしいゆうえんち・
 るなぱあく」
を歩きました。
おだやかな、楽しいひとときでした。


夕暮れ時になり、そろそろ私たちも
東京に帰る時間です。
するとNさん、今度は、
「帰る前に、前橋の鳥めし
 食べていきませんか。」
と…。^^


どんなレストランに行くのかな…と思っていたら、こんなところに到着しました。

レンガ造りの、かなり古そうな建物です。

ここは、「旧安田銀行担保倉庫」だそうです。


【旧安田銀行担保倉庫】
「協同組合前橋商品市場倉庫」とも呼ばれています。1913年(大正2年)に、群馬商業銀行細ヶ沢出張所付属倉庫として建設されました。日本瓦の屋根に赤煉瓦の外壁を持つこの倉庫は、当時としては最新式の繭の乾燥場でした。
当初は南側にもう一棟、同様の倉庫がありましたが、1945年(昭和20年)の前橋大空襲によって焼失しました。残った現在の倉庫は、戦後、前橋乾繭取引所に対応する倉庫として利用され、群馬の絹産業を支えてきました。その後、明治商業銀行を経て保善銀行(後の安田銀行)の施設となり、担保品である繭や生糸の保管倉庫、繭乾燥場、銀行出張所として利用されました。
2階建ての煉瓦造(床組、小屋組木造)で、桟瓦葺。基礎の布石は「安山岩切石」です。煉瓦は日本煉瓦製造会社製で、イギリス積みを採用し、煉瓦を接着させる目地は、東京駅建設工事にも用いられた、「覆輪目地」。高度な職人技術を必要とする、特別な仕上げです。
創建当初の姿を今に伝えている、この大規模なレンガ倉庫は、製糸業が盛んであった「生糸のまち前橋」の歴史を伝える、貴重な近代化遺産です。2004年(平成16年)、「近代の地域経済を物語る巨大な煉瓦倉庫」として、国の登録有形文化財に登録されました。また、2012年(平成24年)、「ぐんま絹遺産」に、そして2019年(令和元年)には、「前橋市景観資産」にも登録されています。



今からおよそ100年前。
日本最大の輸出品だった、生糸。
その産業を支えていたのが、群馬県でした。


絹の三業「養蚕・整糸・織物」は、
明治以降の群馬県の経済・近代化を支える、
大きな産業の一つでした。
特に当時の前橋は、良質な生糸の産地として
国内外に知られていました。
前橋産の生糸は、イギリスのロンドンや、
フランスの絹織物産地リヨンで、
「マエバシ(Mybashi)」
「マイバシ(Maibashi)」
などと呼ばれ、高く評価されていました。
その頃の生糸産業を物語る建築物は、
富岡製糸場だけではなく、県内のあちこちに、
こうしてさりげなく残されているのだな、
と思いました…。


なぜ「さりげなく」と言ったかというと、コレです。


この「旧安田銀行担保倉庫」は、
住宅地の中にぽつんと残されており、
さらにその敷地の一部は、
店舗の駐車場として利用されているのです。


「登利平 お客様駐車場」ですよ…。^^


私たちはここに、
「ぐんま絹遺産」を見に来たのかな、
…と思っていたら、そこは同時に、
「登利平」という
レストランでもありました。笑
「上州御用 鳥めし本舗」と書いてあります。


「登利平」の駐車場は2か所あります。Nさん、私たちが「ぐんま絹遺産」を見ることができるように、と、あえて第2駐車場に車を停めてくださったんですね…。

「登利平」の車が停まっていました。


「前橋に住んでるとね。
 この車をしょっちゅう見かけるんだよ。」
とNさん。
運動会とか、なにかの行事の仕出し弁当とか、
そういうときに、
前橋で必ずと言っていいほど登場するのが、
「登利平の鳥めし」なのだそうです。
前橋市民で、鳥めしを知らない人はいない。
つまり、前橋のソウルフードですね。^^


「登利平 住吉店」に到着です。店舗は、前橋市内だけでも6店舗。そのほか県の内外に多数の店舗があるようです。



【登利平】
昭和28年創業。「上州御用鳥めし」の名で知られています。登利平の始祖は、東京下町・北千住から始まりました。その後昭和の初め、前橋に鶏肉販売店を開業。昭和28年には、のれん分けによって、先代が新生登利平を開店したところ、「鳥重」が評判となりました。その当時の「たれ」は、たれ壷の中で脈々と生き続け、登利平の味として受け継がれています。
上州で愛された「登利平」の味は、今や上州名物と言われるまでになりました。なかでも「上州御用鳥めし」は、「上州の味」として、昭和47年に群馬県優良物産品とされました。


店頭に、サンプルが並んでいました。真ん中にあるのが、その鳥めし弁当です。

二段重になったお弁当もあります。


どれもおいしそうで目うつりします。笑
メニューを見ていたら、Nさんが、
「オレたちがイベントとかで食べるのは、
 『鳥めし弁当』なんだよね。
 松(850円)と竹(750円)の2種類だけど、
 いちばん普通に食べてるのは、
 安い、750円の方。
 オレたちにとって『鳥めし』っていうと、
 この竹の方なんだよ。」
と教えてくれました。


鳥めし弁当の竹と松です。(画像をお借りしました)


「じゃあ、それにしましょう。」
と、即決です。^^
ちなみに、二つの違いは、以下だそうです。


(メニューから抜粋)
上州御用 鳥めし竹重(800円)
不動の人気を誇る登利平の看板メニュー。秘伝のたれと相性がよい薄切り鶏肉に卵そぼろ、見た目も鮮やかです。
上州御用 鳥めし松重(900円)
あっさりムネ肉とコクのあるモモ肉。ひと品で、2種類の鶏肉の異なる美味しさと食感が楽しめます。


上州御用 鳥めし竹重が、運ばれてきました。

うわぁ…。笑


スライスした鶏肉が、
めいっぱい敷き詰められていて、
登利平自慢の「たれ」がしみています。
その下にあるのは、炊きたての国産米。
やわらかい鶏肉と、
まろやかな味の「たれ」が調和していました。
おいしかったです。^^
Nさんにごちそうしていただかなかったら、
たぶん生涯、食べることはなかったと思います。
貴重な晩ごはんになりました。^^


34年前、高級旅館に招待していただいて、
たいへんお世話になったというのに、
そのご恩返しをするどころか、
今回もまた、ごちそうになってしまいました。
いい年をして恥ずかしいのですが。😅


さて。
この鳥めし弁当には、後日談があります。
夫が、メンバーになっている、
「食べるぞ!世界の地元メシ」
https://www.facebook.com/groups/426765868675270
というサイトに投稿したところ、
その記事にたいへんな反響があり、
10000アクセスを突破してしまったそうです。笑
(最近、このサイトは書籍化されました。
 W17 世界の地元メシ図鑑 (地球の歩き方W) | 地球の歩き方編集室 |本 | 通販 | Amazon
 好評発売中で、重版が決定したそうです。
 夫の投稿も載ってるのかな…?)


そして、夫の投稿に寄せられたコメントが、
また奮っていました。笑


「大人は厚切りモモ肉で子供は薄切りムネ肉の弁当が出されるのが定番でした🍱😂
 昔は松竹梅で、薄切り胸肉、ミックス、厚切りモモ肉の3種類だった記憶があります🤔」
「今だに無性に食べたくなるときあります🤤
 特に定食の唐揚げがゴロゴロパリパリで絶品ですよー!」
「たかべんの鳥飯派と、登利平の鳥飯派がありまして笑
 永遠の対立となっております😂 私は両方食べますが。

 追記すると、登利平のお弁当は松と竹がありますが、鶏肉がペラペラの竹の方が人気があります。
 召し上がったのは竹ですね!さすがわかってらっしゃる🤣


もうね。
鳥めしファンの方々からの
コメントが止まりません。🤣🤣
鳥めし弁当は、本当に、
前橋のソウルフードだったんですね…。^^


なかでも、
「召し上がったのは竹ですね!
 さすがわかってらっしゃる🤣」

というのがうれしいですね。^^
前橋在住のNさんに
連れて行っていただいたからこそ、
いただけたコメントでした。


「俺のおふくろは、終戦で、
 満州から引き揚げてきたんだけど、
 そのとき、俺がお腹の中にいてね。
 こんな状況だから堕ろせって
 周りから言われたんだけど、
 おふくろは堕ろさなかった。
 だから、俺が今生きてるのは、
 おふくろに救ってもらったおかげ。」


35年前、Nさんから聞いた話を、
ずっと忘れることができませんでした。
お母様は、Nさんを守り通して、
日本に戻られました。


そしてこの日、
「俺は、前橋生まれの前橋育ち。
 大学もここ。
 前橋以外に住んだことがないんだよ。」
と語ったNさん。
今も、地元のためのお仕事を続けておられます。


生粋の前橋っ子・Nさんと歩いた前橋。
忘れられない一日になりました。
Nさんに電話してよかった。
Nさんに再会できてよかった…。


今回の旅は、
はるか35年前にさかのぼって、
忘れかけていた思い出までをも、
蘇らせてくれました。
その感動は、今も胸の中に、
静かに続いています。


2泊3日の急ぎ旅でしたが、
文字では書ききれないくらい楽しく、
ときめきが続いた旅でした。


ありがとう、群馬県。
そして、Nさん。
ほんとうに、ありがとうございました。


Nさんご夫妻と。(1987年1月6日 香港/私たちは27歳と29歳でした)


【今回訪ねたところ】
1月16日:

前橋市
 群馬会館
 昼食:群馬会館食堂
 群馬県庁昭和庁舎
 群馬県庁本庁舎
 展望ホール
渋川市
 伊香保温泉 石段街
 伊香保関所(伊香保口留番所)
 ハワイ王国公使別邸
 宿泊:金太夫

1月17日:
吾妻郡中之条町

 奥四万湖
 四万温泉
 昼食:蒼水庵でおっ切りこみうどん
 積善館(本館、山荘、佳松亭)
 元禄の湯
 積善館ライトアップ
 宿泊:積善館

1月18日:
再び前橋市

 船つなぎ石、鳶石
 田中屋本店・原嶋屋総本家
 臨江閣
 るなぱあく
 旧安田銀行担保倉庫
 夕食:「登利平」で上州御用 鳥めし竹重


(おわり)


(おまけのお話)


積善館の日記で書きそびれてしまったので、
おまけの写真を掲載します。
どれも、もったいなくて使うことができず、
今だに、お部屋に飾ってあります。笑


お部屋に置いてあったお水のボトル。ぐんまちゃんのイラストがかわいすぎて飲めません。笑

上:積善館オリジナルの石清水コーヒー「珈の香」。生豆を清流で洗い浄めて焙煎してあるそうです。
下:薬膳茶 紫蘇陳皮南蛮茶 -コンディション-。胃腸の調子と気分の浮き沈みを整える生薬(しそ葉・チンピ・ナンバンゲ)をブレンドしたお茶です。

コスメのミニパック(男性用・女性用)と、パッケージにまでこだわっている、アメニティの数々。

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 38 - 臨江閣⑥ 別館2階と、るなぱあく(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 るなぱあくで。(群馬県前橋市)


1月18日(水)


臨江閣別館・2階に来ています。



うれしくて、180畳の大広間を、うろうろと歩き回るMIYO。他に訪れる人はなく、貸し切り状態でした。笑

板の間の部分は、一部がガラス張りになっており、内部の構造を見ることができます。

大広間の両側には、長い縁側が設けられています。

窓ガラス越しに、茶室の屋根が見えました。

手すりの、美しい細工にもご注目ください。^^

縁側は、大広間を囲むように、2階全体にぐるりと設けられています。その縁側を歩いて、2階部分を一周してみました。

窓の外には、広大な庭が見えます。

その左側にあるのは、群馬県庁本庁舎(地上33階建て)。

夫が、窓ガラスにへばりついて撮った写真です。🤣🤣


ほんの2日前には、
この県庁ビルの展望ホールから、しょんぼりと、
臨江閣を見つめていたんですけどね…。笑
今はその県庁ビルを、黄金色の夕陽と共に、
笑顔で眺めています。^^


臨江閣本館も見えました。まっすぐに延びた渡り廊下の先に見える、本館。夕陽に照らされて、ほんの少し色づいていました。


2階部分をぐるぐると歩いているうちに、
閉館時間になってしまいました。
まだまだ名残惜しいのですが、
私たちも、そろそろ帰路につく時間です。


1階へとつづく階段を降りました。

階段は折れ曲がっているため、いくつかの親柱(主柱)が設置されていました。親柱の上部には、擬宝珠(ぎぼうしゅ)という飾りを設けてあるのですが、そのどれもが、木目を活かした美しい文様を描いていました。

こちらは、にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)の離れで見た、たも材の階段と親柱です。たも材の木目で仕上げてあるものとして、これほど見事な作品は、現在では他に類を見ず、にしん御殿(旧青山別邸)の美しさを象徴する作品のひとつとなっています。(国指定登録有形文化財)(2021年6月28日 北海道小樽市)

親柱をよく見ると、やはり、木目模様がきれいに配置されているのがわかります。

このときの日記です。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


どの建造物にも、それぞれの持ち味があり、
階段ひとつを見るだけでも、
同じものがありません。
興味はつきません。^^


最後にもう一度、夕陽に照らされる臨江閣別館を眺め、お別れしました。


前橋市が誇る、美しい迎賓館・臨江閣。
明治17年、時の県令・楫取素彦が、
前橋市に迎賓館がないことを憂い、
市内有志らの協力と寄付により、
建築したと言われています。
建設にあたっては、多くの市民有志からも、
計6000円が集められました。
このとき楫取県令は、茶室部分を寄付しています。
また、建設した後も、臨江閣の一切の経費は、
市の有志による寄付金で賄われました。
このようにして、
前橋町民の力で作り上げたのが、
臨江閣でした。


その臨江閣を訪ねるということは、
かつて前橋に生きた人々の思いに触れ、
群馬県の歴史の一端を知るということでした。
臨江閣だけでなく、その周辺におよぶ、
前橋城跡の広大なエリアについても、
受け継いだものを
より良く利用して行こうとする
人々の気概を感じました。


臨江閣は、前橋市の宝。
群馬県の宝。
そして、日本の宝です。


全国にある、日本の宝。
それをひとつひとつ見て歩く旅は、
本当に楽しく、そして深いと
つくづく思います。


さて。
ここでNさんにお別れし、
東京に戻るつもりでした。
ところがNさん、
「もうひとつ、
 見て欲しいところがあるんだよ。」
と言うや、歩き始めました。^^


私たちも、わけがわからないままに、
Nさんの後をついて歩きました。笑
向かったのは、臨江閣のお向かいにある、
小さな遊園地です。^^


「え? 遊園地?」と、戸惑うMIYO。笑

ここは、「るなばあく」と言います。


【るなばあく】
前橋市立の遊園地で、正式名称は「前橋市中央児童遊園」。2004年(平成16年)4月、市民公募によって「前橋るなぱあく」の愛称が付けられました。コンセプトは「にっぽんいちなつかしいゆうえんち」
開園は、1954年(昭和29年)11月。面積はサッカー場2面ほどで、飛行塔、豆汽車、ミニヘリコプター、豆自動車、メリーゴーラウンド、くじらの波乗り、ウェーブスターライド、くるくるサーキットの8種の大型遊具、木馬5台、小型遊具11台という、小さな遊園地です。
入園料は無料。大型遊具は一人10円、木馬と小型遊具は1回10円で、日本一安い遊園地と言われています。3歳以下の子供に付き添う大人は無料です。これは、「低年齢児の安全確保のために、付添者の添乗を義務付ける代わりに、料金を取らない」という、安全を優先した考えによるものです。
遊具の中には、全国的に貴重なものが多数あります。まず、もくば館とそこに設置されている5台の電動木馬は、1954年(昭和29年)製で、2007年(平成19年)に、国の登録有形文化財に指定されました。稼働中の遊具で登録文化財となっている、希少な例です。また、自走式ジェットコースターであるウェーブスターライドは、8人乗りという極めて小さなものです。
2017年(平成29年)度の延べ利用者数は約171万人で、1954年(昭和29年)の開園以来、最多を記録しました。

るなぱあくのキャッチコピーは「日本一なつかしい遊園地」で、「ゆっくり大きくなる子どもたちのために」をモットーに運営を行っており、市民の大きな支持を得ています。


ちょうど営業が終わったところで、遊具にはカバーがかかっていました。残念。笑

るなぱあくについて、熱く語るNさん。笑


Nさんに教えていただかなかったら、
るなぱあくの存在すら知りませんでした。
「登録有形文化財の遊園地」なんて、
なかなか見ることはできません。
貴重なスポットを案内してくださり、
ありがとうございました。^^(→Nさん)


そして今、このブログを書いているときに、
「登録有形文化財の遊園地」を、
以前にも訪れたことがあるのを
思い出しました。


北海道函館市にある、函館公園「こどものくに」です。(2022年4月19日 北海道函館市)
(このときの日記は、まだ書けていません。😅)

レトロ感満載ですね。^^


【函館公園「こどものくに」】
1956年に開園しました。以来、地域に根ざし、70年近くにわたって愛され続けている遊園地です。管理運営しているのは、北海興業株式会社という家族経営の民間企業で、開園当初から代々「こどものくに」を守っています。
「日本最古の観覧車(1950年製)」は、2019年(令和元年)に国の登録有形文化財に指定されました。また、開園当初からある飛行機や、日本では珍しい吊り下げ式のメリーゴーランドなど、レトロな遊具がたくさん残っています。
入園料は無料。乗り物は、ひとり一回300円です。


目玉は、「日本最古の観覧車」。二本の支柱間に直径8メートルのホイールを取り付け、その外周に8台のゴンドラを吊り下げています。1950年(昭和25年)、函館近郊の七飯村(当時)の大沼湖畔に造られ、1965年(昭和40年)に、現在地に移されました。現存する、国内最古の観覧車として、たいへん貴重なものです。

見ちゃったからには、乗らずにいられない、私たち。函館での、思いがけない思い出になりました。笑

日本最古の、観覧車です。笑


次に前橋に行ったときには、
ぜひ、焼きまんじゅうを食べて、
るなぱあくで、
1954年製の電動木馬に乗りたいと思います。😄😄


(つづく)

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 37 - 臨江閣⑤ 本館2階から別館2階へ(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 臨江閣別館で。(群馬県前橋市)


1月18日(水)


臨江閣本館・2階を見学しています。


最後に、「一の間」の隅にある、
「控の間」を見ました。
3畳の、小さな部屋です。


ここには、どんな人が控えていたんでしょうね…。^^


これで、すべての部屋の見学が終わりました。


階段はふたつあります。今度は、ふたつめの階段から降りてみます。^^

こちらの階段の手すりにも、波の意匠が施されています。

これはひとつめの階段です。同じ細工ですね。^^


再び、渡り廊下を歩いて、
別館に戻りました。


臨江閣の全体図です。周囲には、前橋城跡の二の丸、三の丸跡を利用した前橋公園や、みどりの散策エリアが広がっています。


臨江閣があるエリアは、
利根川の清流を見下ろし、
上毛三山や遠く浅間山の噴煙を望む、
景勝地にあります。
広い敷地内は、さちの池を中心に、
 野外ステージ、市民広場、児童遊園地、
 花壇、公民館、競輪場
などが配置されています。
前橋城跡を利用して、
見事な都市計画が行われたんですね…。


さて、次は臨江閣別館です。
別館は、大規模な2階建になっています。
1階は事務管理エリアになっていて、
売店やカフェもあるのですが、
このときは閉まっていました。
が、2階部分は見学することができたので、
2階に直行しました。

【臨江閣別館】
本館は迎賓館で、数寄屋風建築ですが、別館は書院風の貴賓館として建てられました。大人数や多目的での利用を想定して、座敷、洋間、そして180畳の大広間を設けてあります。大空間を実現するために、床組を鋼材で補強するなど、近代的な構造手法を併用しています。


2階にあがると、いきなり、
大広間が目に飛び込んできました。


どーーーーーーん。なんと、180畳です。😄

MIYO、大喜びで写真撮ってます。😅

このときに撮った写真です。

次は床の間に向かっています。笑

180畳だけあって、床の間も大きいですね。違い棚と付書院が左右両側にあります。

掛軸は、一本400万円の費用をかけたという、小室翠雲画です。右が赤城山水図で、左が妙義山水図(複製)だそうです。

「飾壺 耕右エ門」と書いてありました。「有田焼飾り壺 耕右衛門花鳥図」のようです。

そして右端の壺は…、

九谷焼美術最高の職人と言われる、秀山作の九谷焼です。


(説明文より)
明治天皇は、93000首を越える和歌を詠まれたと言われています。この壺は、その御製が細字で隙間なく書き込まれた逸品です。九谷焼は、海外でもジャパンクタニと呼ばれて高く評価されていますが、臨江閣が国の重要文化財に指定されたことを記念し、小松屋陶器店から寄贈されました。
*小松屋陶器店(前橋市)は、江戸時代から260年、11代続く陶器店だそうです。


字が細かすぎてよくわかりませんが、全部で何首書き込まれてるんでしょうね…。😅

その右にある、付書院です。ここでは、棚板を置かない、平書院になっています。組子障子がすばらしいですね。

これは左側の付書院です。左右両側に付書院のある床の間を見るのは初めてです。笑


【付書院】
付書院とは、室町時代以後の書院造りに見られるものです。床の間の側面に窓を設け、板張りで机のような部分を作りました。通常は縁側に張出しており、前に明かり障子を立ててあります。

付書院はさらに、付書院と平書院の2種類に分けられます。
付書院棚板と明かり取りをするための障子で構成されています。棚板を付けることになるため、その分奥行きを取る必要があり、縁側や外部に張り出すことになります。
平書院明かり取りに使う障子しかありません。棚板がなく、外側に対して張り出す必要性がないことから、多く採用されるようになりました。

付書院が始まったのは鎌倉時代から室町時代です。もともとは、貴族や僧侶の住宅に読書用の板張りとして作りつけされた出文机でした。これが時代とともに変化して、座敷の装飾になりました。


旧商家丸一本間家(北海道増毛郡)の客間です(国指定重要文化財)。左端に、棚板のある付書院が見えます。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 9 - 旧商家丸一本間家④(客間、次の間、上勝手、台所、下勝手)(2022年6月19日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

おもしろかったのは、旧花田家番屋(北海道留萌郡)のはなれです(国指定重要文化財)。ここでも、左端に、棚板のある付書院がえてあります。この付書院を廊下側から見ると…、
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 20 - 旧花田家番屋⑤(はなれと便所)(2022年6月19日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

こうなっていました。笑 小人が付書院を支えています。なんともかわいらしい。^^


以前は、付書院という言葉すらも
知りませんでした。
けれど、コロナ禍で海外旅行ができなくなり、
国内を旅行するようになってから、
あちこちで、付書院を見るようになりました。


床の間に何気なく設えられているものですが、
「付書院」という言葉を知るかどうかで、
旅先でのおもしろさが変わってきました。
今まで見過ごしていた物を、注意深く見て、
より楽しめるようになったのです。


「知る」ということはすごいことだな、
と思います。
小さなことでも、それを知っていれば
自分のものの見方が変わることもあります。


日本のあちこちを旅するなかで、
今まで知らなかったものを、
数多く見て、楽しんできました。
そういう体験を重ねることによって、
以前よりも、自分の世界が広がり、
おもしろいと思えるものが、
さらに増えているように思います。


こんなふうにして、旅行というものは、
回を重ねるごとに、より深く、
より楽しくなっていくのかもしれません。^^


(つづく)