MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 37 - 臨江閣⑤ 本館2階から別館2階へ(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 臨江閣別館で。(群馬県前橋市)


1月18日(水)


臨江閣本館・2階を見学しています。


最後に、「一の間」の隅にある、
「控の間」を見ました。
3畳の、小さな部屋です。


ここには、どんな人が控えていたんでしょうね…。^^


これで、すべての部屋の見学が終わりました。


階段はふたつあります。今度は、ふたつめの階段から降りてみます。^^

こちらの階段の手すりにも、波の意匠が施されています。

これはひとつめの階段です。同じ細工ですね。^^


再び、渡り廊下を歩いて、
別館に戻りました。


臨江閣の全体図です。周囲には、前橋城跡の二の丸、三の丸跡を利用した前橋公園や、みどりの散策エリアが広がっています。


臨江閣があるエリアは、
利根川の清流を見下ろし、
上毛三山や遠く浅間山の噴煙を望む、
景勝地にあります。
広い敷地内は、さちの池を中心に、
 野外ステージ、市民広場、児童遊園地、
 花壇、公民館、競輪場
などが配置されています。
前橋城跡を利用して、
見事な都市計画が行われたんですね…。


さて、次は臨江閣別館です。
別館は、大規模な2階建になっています。
1階は事務管理エリアになっていて、
売店やカフェもあるのですが、
このときは閉まっていました。
が、2階部分は見学することができたので、
2階に直行しました。

【臨江閣別館】
本館は迎賓館で、数寄屋風建築ですが、別館は書院風の貴賓館として建てられました。大人数や多目的での利用を想定して、座敷、洋間、そして180畳の大広間を設けてあります。大空間を実現するために、床組を鋼材で補強するなど、近代的な構造手法を併用しています。


2階にあがると、いきなり、
大広間が目に飛び込んできました。


どーーーーーーん。なんと、180畳です。😄

MIYO、大喜びで写真撮ってます。😅

このときに撮った写真です。

次は床の間に向かっています。笑

180畳だけあって、床の間も大きいですね。違い棚と付書院が左右両側にあります。

掛軸は、一本400万円の費用をかけたという、小室翠雲画です。右が赤城山水図で、左が妙義山水図(複製)だそうです。

「飾壺 耕右エ門」と書いてありました。「有田焼飾り壺 耕右衛門花鳥図」のようです。

そして右端の壺は…、

九谷焼美術最高の職人と言われる、秀山作の九谷焼です。


(説明文より)
明治天皇は、93000首を越える和歌を詠まれたと言われています。この壺は、その御製が細字で隙間なく書き込まれた逸品です。九谷焼は、海外でもジャパンクタニと呼ばれて高く評価されていますが、臨江閣が国の重要文化財に指定されたことを記念し、小松屋陶器店から寄贈されました。
*小松屋陶器店(前橋市)は、江戸時代から260年、11代続く陶器店だそうです。


字が細かすぎてよくわかりませんが、全部で何首書き込まれてるんでしょうね…。😅

その右にある、付書院です。ここでは、棚板を置かない、平書院になっています。組子障子がすばらしいですね。

これは左側の付書院です。左右両側に付書院のある床の間を見るのは初めてです。笑


【付書院】
付書院とは、室町時代以後の書院造りに見られるものです。床の間の側面に窓を設け、板張りで机のような部分を作りました。通常は縁側に張出しており、前に明かり障子を立ててあります。

付書院はさらに、付書院と平書院の2種類に分けられます。
付書院棚板と明かり取りをするための障子で構成されています。棚板を付けることになるため、その分奥行きを取る必要があり、縁側や外部に張り出すことになります。
平書院明かり取りに使う障子しかありません。棚板がなく、外側に対して張り出す必要性がないことから、多く採用されるようになりました。

付書院が始まったのは鎌倉時代から室町時代です。もともとは、貴族や僧侶の住宅に読書用の板張りとして作りつけされた出文机でした。これが時代とともに変化して、座敷の装飾になりました。


旧商家丸一本間家(北海道増毛郡)の客間です(国指定重要文化財)。左端に、棚板のある付書院が見えます。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 9 - 旧商家丸一本間家④(客間、次の間、上勝手、台所、下勝手)(2022年6月19日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

おもしろかったのは、旧花田家番屋(北海道留萌郡)のはなれです(国指定重要文化財)。ここでも、左端に、棚板のある付書院がえてあります。この付書院を廊下側から見ると…、
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 20 - 旧花田家番屋⑤(はなれと便所)(2022年6月19日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

こうなっていました。笑 小人が付書院を支えています。なんともかわいらしい。^^


以前は、付書院という言葉すらも
知りませんでした。
けれど、コロナ禍で海外旅行ができなくなり、
国内を旅行するようになってから、
あちこちで、付書院を見るようになりました。


床の間に何気なく設えられているものですが、
「付書院」という言葉を知るかどうかで、
旅先でのおもしろさが変わってきました。
今まで見過ごしていた物を、注意深く見て、
より楽しめるようになったのです。


「知る」ということはすごいことだな、
と思います。
小さなことでも、それを知っていれば
自分のものの見方が変わることもあります。


日本のあちこちを旅するなかで、
今まで知らなかったものを、
数多く見て、楽しんできました。
そういう体験を重ねることによって、
以前よりも、自分の世界が広がり、
おもしろいと思えるものが、
さらに増えているように思います。


こんなふうにして、旅行というものは、
回を重ねるごとに、より深く、
より楽しくなっていくのかもしれません。^^


(つづく)

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