コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め)
2021年6月27日 新千歳空港で。プロペラ機(ボンバルディアQ400)に乗って、女満別に行きました。(北海道千歳市)
6月28日
「にしん御殿 小樽貴賓館
(旧青山別邸)」
に来ています。
旧青山別邸は、コロナ禍で、
長く閉館していたのですが、
私たちが訪れた時は、
ちょうど、その一週間前に、
再開したばかりでした。
ラッキーでした。^^
「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」の全景です。右が旧青山別邸で、左が貴賓館です。(画像をお借りしました)
正面玄関を入ってすぐ左手に、当時のにしん漁の栄華を偲んだ昭和の名曲「石狩挽歌」ゆかりの地である記念碑と、作詩家なかにし礼氏の直筆の歌碑があります。(作詩家・なかにし礼、作曲家・浜圭介氏、歌・北原ミレイ)
そして、シャクナゲの庭、枯山水を通り、客用大玄関へ。積雪の多い北海道では珍しい、瓦葺の重ね屋根になっています。ここは立ち入り禁止になっていて、見学者は、さらに奥にある、別の出入り口を使います。
なにしろ、こんなに広いのです。すごいです。笑
わかりますでしょうか。鬼瓦は、北前船ですよ。^^
風を帆に受けた北前船が、にしん御殿を守っているかのようでした。
旧青山別邸の創建時に葺かれていた鬼瓦です。海の波が描かれた鬼瓦を、初めて見ました。中には、「水」という文字が入った瓦もあり、火災防止の祈願を込めていたのではないかと言われています。
使用されている梁の見本です。旧青山別邸では、樹齢250年以上の北海道産エゾマツを使用した梁(長さ8.1m、厚さ24cm、幅55cm)を建物の随所に用いています。これにより、居間を広くとるとともに、屋根の重みをしっかりと支えることができるのだそうです。
そして、ニシンを加工するために使われた、大きな鉄鍋(鰊釜)。当時、鋳造の盛んだった富山県高岡市で作られたもので、その材料は山陰地方から運ばれていました。
*鰊釜について書いた日記はこちらです。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 36 - 小樽市総合博物館運河館(ニシンが経済を回した)(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
旧青山別邸の前には、
展示しているものがたくさんあり、
多動夫が、
あちこちでひっかかってしまうので、
なかなか中に入れません。🤣🤣
待っていられないので、
長女とふたりで、先に入ります。
見学者用の入り口から入ると、
まず目に入るのが、
中村不折の間です。
中村不折の間。旧青山別邸が美術豪邸とも呼ばれる所以は、絵師たちが競って描いたというふすま絵や、一流の書家たちによる数々の書があるからです。そのひとつが、この中村不折の間です。中国の詩聖、杜甫作の「飲中八仙歌」が、中村不折による力強い筆致で書かれています。
【中村不折】
明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家です。太平洋美術学校校長で、夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られています。また、新宿「中村屋」の看板を書いたことでも有名です。
中国の書の収集家としても知られています。唐代の書家である顔真卿の、現存する唯一の真蹟といわれる「顔真卿自書建中告身帖」などを収集し、1936年に、台東区根岸の旧宅跡に書道博物館(現:台東区立書道博物館)を開館しました。
(画像をお借りしました)
ここから、通路を通って、
離れに行きました。
受付で、係員の方に勧められたので、
まずは離れの二階にあがってみます。
たも材の階段です。孔雀や蝶が羽を広げた模様を木目で表現したという、棟梁斉藤子之助苦心の作です。1段作成するのに、1週間という長い工程を要し、また、上に行くほど段差が少ないという繊細な造りになっています。たも材の木目を使って仕上げたこれほど見事な作品は、現在では他に類を見ず、にしん御殿(旧青山別邸)にあってその美しさを象徴する作品のひとつとなっています。
…の、はずですが。
階段はカバーで保護されていて、
木目模様で表現した孔雀や蝶は、
よくわかりませんでした。😅
でも、親柱をよく見ると、たしかに、木目模様がきれいに配置されているのがわかります。
離れ二階にある、扇の間です。狩野派の流れを汲、日本画の松本楓湖、今中素友、長野草風、野沢蓼州、渡風などの絵師たちが、その腕前を競って扇絵を描き上げました。
扇絵です。(画像をお借りしました)
その隣りにある、比田井天来の間です。ふすまにあるのは、帝院会員でもあった書の大家・比田井天来の力強い書です。青山家の三代目・青山民治が、青山別邸の完成に感激して詠んだ漢詩を、比田井天来が青山家に逗留して書き、素晴らしいふすまになりました。 4枚のふすまの書が、窓の外の日本海に向かって語りかけているような設えです。
比田井天来の書です。(画像をお借りしました)
この、比田井天来の間の隣りにある廊下(鴬張りの廊下ですが、残念ながら、カバーで覆われています。)に立って、外を眺めました。木と木の間に白樺の皮を入れて作成した窓からは、すぐ下に、さきほどの枯山水庭園が見えます。
そして、遠くの方に目をやると、海が見えました。日本海に面した、祝津の海です。
旧青山別邸から見えた、日本海。
それはかつて、
ニシン漁で一時代を作ったという、
あの、祝津の海でした。
(つづく)