ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 49 - アンコールトム② 南大門とバイヨン・第一回廊(2024年1月17日/6日め)
2024年1月17日 バイヨン・第一回廊で。(カンボジア・シェムリアップ)
1月17日(日)- 6日め
アンコールトムの入口である、
南大門に来ています。
南大門の表側。以下7枚、2010年7月26日に撮った写真です。
南大門の中央にそびえる塔の四面(東西南北)には、観世音菩薩の彫刻が施されています。その下には像が並び、一番下を支えているのは、3頭のゾウです。ゾウは、それぞれの角に3頭ずつ、全部で12頭いたようです。
これはヒンドゥー像なのか、仏像なのか、悩みます。😓
同じ南大門の、ゾウさんの前で。(2010年7月26日 長男と長女・14歳/中3)
14年前は、南大門の下を歩いてくぐりました。
(ところどころが曇っているのは、レンズに雨粒がついたためです。)
南大門の反対側に出ました。
ここからは現在です。南大門をくぐり抜けて…、
トゥクトゥクはさらに走り続けました。
そしてようやく、アンコールトムの中に建つ、バイヨン (Bayon) 寺院の東塔門に到着。
【バイヨン (Bayon) 】
アンコール遺跡群を形成する、ヒンドゥー・仏教混交の寺院跡で、アンコール・トムの中央付近にあります。バイヨンの呼び方で広く知られていますが、クメール語の発音ではバヨンの方が近く、「美しい塔」という意味です。
アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世が、チャンパに対する戦勝を記念して、12世紀末ごろから造成に着手したと考えられています。が、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されています。当初は大乗仏教の寺院でしたが、その後、アンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化しました。このような経緯があるためか、建造物部分には仏像を取り除こうとした形跡があります。また、仏教寺院でありながら、ヒンドゥーの神像があることなども、その名残りであると考えられています。
ついさっき、アンコールワットを4時間かけて歩いたばかりですが、次はアンコールトムです。ここがまたね。広いんですよ…。😔
しょうがないので、歩きます。笑
14年前の同じ場所で、子どもたちと。(2010年7月26日 長男と長女・14歳/中3)
ところで、このテラスには、大きな木が何本もあるのですが…、
その根っこの部分です。テラスに敷かれた石を押しのけて、元気に成長中。こういうのは、どうしたらいいんでしょうね。
バイヨン寺院は全体で、
三層に分かれています。
第一層は、東西南北の全てに門があります。
まずは、回廊になっている第一層から歩いてみます。
正面から向かって左側の部分です。ここが第一層です。とりあえず、こちら側から歩き始めることにしました。(左からだろうが、右からだろうが、多動夫といるかぎり、どうせ全部歩かされるんですけどね…。😂)
おや、涅槃仏でしょうか。写真が傾いて見えますが、夫の撮り方がヘタなのではなく、傾いているのは、後ろの石組みや地面の方です。😅
ここから、長い回廊が続きます。
回廊内には、いたるところに、美しいレリーフが残っています。
これは14年前に夫が撮った写真。(2010年7月26日)
「レリーフと同じように踊って。」と言われて、アホなポーズになりました。😔(2010年7月26日)
バイヨン、第一層の回廊です。お天気が違うと、全体の雰囲気がずいぶん変わりますね。(2010年7月26日)
こうして見ると、バイヨンは、
雨に濡れたときのほうがずっと、
美しい雰囲気を醸し出しているような気がします。
広大なバイヨンの見学は、
このあともまだまだ続きます。
(つづく)