MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 32 - CokeONアプリ、船つなぎ石、鳶石と焼きまんじゅう(2023年1月18日/3日め)

2023年1月18日 焼きまんじゅうの老舗・原嶋屋総本家で。(群馬県前橋市平和町)


1月18日(水)


35年前の、西双版納(シーサンパンナ)。
そのさまざまな思い出が、
少しずつ、胸の中に蘇ってきました。
すっかり忘れていたのですが、
昨日のブログを書いているうちに、
いくつもの出来事が思い出されました。^^
やはり、書いてみることって大事ですね。


さて、四万温泉を出発してしばらくすると、夫が、「コーラを飲みたい。」と言い出しました。


コーラを買うために
コンビニで車を停めようとした夫を、
慌てて阻止するMIYO。笑


「コンビニで買ったらお金がかかるでしょ。
 CokeONの無料券を使えばタダだよ!」


「CokeONの無料券」というのは、コレのことです。このチケットを使えば、自販機でドリンクを無料でゲットできます。MIYOは、常時、これを2~3枚持っています。笑


以前のブログで、
「Coke ON Payで100円還元」
というキャンペーンをご紹介しました。


コカ・コーラの自販機でドリンクが買えるアプリのお話です。

詳細はこちらです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 47 - 北海道開拓の村⑲(旧青山家漁家住宅②文庫倉、石倉、板倉、米倉)/ Coke Onペイと今月のネイル(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


自販機のドリンクをスマホで買うというのは、
はじめは戸惑ったけど、
アプリをいったん入れてしまえば、
あとはラクチンです。^^


ドリンクを購入する機能だけではありません。
CokeONのアプリには、万歩計の機能があり、
一週間に49000歩以上歩くと、
1スタンプがもらえます。
15スタンプ集めれば、
自販機で利用できるドリンクチケットが
1枚もらえます。^^


CokeONでは、
その時々でキャンペーンをやっているので、
スタンプをゲットできる機会は、
その他にもあります。


MIYOは、自販機でドリンクを購入することは
あまりありません。(高いですから。笑)
でも、この「歩行計機能」については、
ただ歩くだけで、費用もかからないので、
「ドリンクがゲットできる万歩計」
の感覚で、アプリを使っています。


このCokeONアプリで、今、新しいキャンペーンを開催中です。


コカ・コーラ社製品のバーコードを
スキャンするだけで、
一日1ポイントがもらえます。
そのポイントに応じて、抽選で、
「春の新生活グッズ」が当たります。


MIYOもやってみました。一日一回、スマホ上のスキャンをタップして、ペットボトルのバーコードをスキャンします。


今日、3ポイントたまっていたので、
3ポイントコースの
Amazonギフト券3000円分
に応募してみました。


そしたら、
当選!
と表示されて、びっくり。笑
やった~。😄😄
3000円、ゲットです。^^
明日からも、
毎日スキャンしようと思います。😄


ちなみに、スキャン用のバーコードは、
使いまわしができます。
MIYOは、こういうキャンペーンのときのために、
コカ・コーラ製品のバーコードを、
一枚保管しています。爆
長女は、バーコードを写真に撮り、
画像データとして、PCに保存しているそうです。
(さすが、私のムスメ。爆)


また話が脱線してしまいました…。😅
そんなわけで、無料券を利用するべく、
CokeONの自販機を探しながら、
車を走らせる、私たち。(←アホです。😅)


ありました!


旅行中に運転していると、夫はなぜか、
コカ・コーラを飲みたがります。
その都度、
CokeON自販機を探すのもメンドウなので、
今後は、あらかじめ、
無料券を使ってコカ・コーラを購入しておき、
旅行用に保管しておこうと思います。笑


そうこうしているうちに、
前橋市に到着しました。


MIYOがお会いしたかったNさんは、
この日はお仕事で、
群馬県庁にいらっしゃると伺っていました。
MIYOも、
「とりあえず、
 群馬会館の駐車場に車を停めて、
 県庁まで行きますね。
 着いたら電話します。」
と言ってありました。


群馬会館に着き、車を降りると、
「MIYOさんですか?」
と声をかけられました。


え…?
なんと、Nさんです。
先に群馬会館の駐車場に来て、
私たちを待っていてくださったのです。


34年ぶりです。
感動の再会でした。^^


「まずはこれを。」
と、いきなりNさんに袋をいただきました。
入っていたのは、
群馬県の観光パンフレットの束。🤣🤣
厚さ10センチくらいあります。


「これが俺の仕事だからね。^^」
と…。


驚きました。
こんなにたくさんのパンフレット、
いったいどこにあったのだろう…。
と思うくらいの、大量のパンフ。
たぶん、群馬県全域を
網羅していると思います。笑
(帰宅後、それをひとつひとつ見て、
 「次はどこに行こう」と楽しんでいます。
 私たちには、なによりのプレゼントでした。笑)


久しぶりにお会いできた、Nさん。
(お互いに)年をとってしまったけど、
そのお声と笑顔は、昔のままでした。


75歳を超えた現在も、
現役で仕事をしておられるのだそうです。
(すごいです。)
そして、あの、快活だった奥様は、
10年前に、ガンで亡くなられたとのこと。
予想もしていなかったことに、
言葉もありませんでした。


34年のあいだに、お互いに、
本当にいろいろなことがありました。
私たちも、障害のある子どもを育てながら
定年まで仕事を続けていたし、
ガンにもなったし…。
今日一日をとにかく生きることに
精一杯だった頃もありました。
それぞれが、懸命に生きて来たと思います。


それでも、
「もっと早くご連絡すればよかった。
 奥様がお元気なころに、
 また4人でお目にかかりたかった…。」
という残念な気持ちは、
とりかえしがつきません。


次のチャンスが、いつあるかわからない。
会いたい人には、迷わず会おう。
会えるときには、とにかく会おう。
そんな思いを新たにしました。


Nさんの車の運転席の隣りには、
奥様のお写真が置いてありました。
いつも、ごいっしょなんですね…。^^


ここからは、
Nさんの車に同乗させていただいて、
前橋市内を案内していただくことになりました。
(Nさんに教えていただいて、私たちの車は、
 群馬県庁近くの無料駐車場に移動しました。)


そして、Nさんの車に乗ったとたん、
「ドアポケットに、缶コーヒーがあるよ。
 まずは、再会の乾杯をしましょう。^^」
と言われました。
Nさん、私たちの席に、前もって、
コーヒーを置いてくださっていました。泣


3人で、缶コーヒーで乾杯しました。^^(この2本は、帰り際、お土産にといただいたのですが、飲まないで大事にとってあります。)


さて、出発です。
ここからは、前橋市内観光のスタートです。


まず連れて行っていただいたのは、街の中心部。写真は、飲食店が並ぶ繁華街の中にある、「船つなぎ石」です。かつて、利根川を渡す船をつないだ石なのですが、この場所は、現在の利根川からはちょっと離れています。


【船つなぎ石】
昔の渡し船のなごりの石です。
利根川が現在の位置に流れるようになったのは、15世紀中頃のことです。それ以前の利根川は、洪水のたびごとに流路を変えており、橘山付近から細井の坂下を東西に流れていました。現在も広瀬川や桃木川があるのは、当時のなごりです。かつては、この「船つなぎ石」「細井の鳶石」の間を船で渡したのですが、その船を「一里の渡し」と呼んだそうです。その渡し船をつなぐために使ったと言われている石が、この船つなぎ石です。


つづいて、「鳶(とんび)石」です。前橋市の北部、上細井町の路傍にあります。かつては、このあたりに利根川があり、鳶石は船つなぎ石の対岸にありました。


【鳶石】
船つなぎ石と鳶石の間を渡す船を「一里の渡し」と呼び、船頭がこの鳶石に船をつなぎました。


この鳶石の上にある小高い部分は船頭山と呼ばれ、渡し船があったころの休み場所であったと伝えられています。

今も残る船つなぎ石と鳶石の、位置図です。当時は、このふたつの石の間を、渡し船が行き来していました。現在の利根川とは、位置がずれており、かつての利根川は現在よりも右側にあったことがわかります。当時の利根川は「暴れ川」と呼ばれ、洪水のたびに流路を変えて水害を起こし、住民を苦しめました。

鳶石の前で。Nさんが撮ってくださいました。


次は、群馬県民のソウルフード、
「焼きまんじゅう」のお店に
連れて行っていただきました。


Nさんお勧めの2店舗に行ったのですが、
コロナのせいか、
なんと、どちらも閉店中でした。残念。
でもせっかくなので、
お店の写真を掲載しておきます。


一軒めは、田中屋本店(前橋市下小出町)です。(以下2枚、画像をお借りしました)


【田中屋本店】
100年以上続く老舗で、あんこ入りとあんこなしの2種類から選べます。通常の焼きまんじゅうは、1本4個がスタンダードなのですが、この店のものは1本5個で、ボリュームたっぷり。注文してから焼いてくれるので、焼きたてが食べられます。ふわふわの生地に甘すぎない味噌タレ、上にかかった白ゴマの香りが香ばしいと評判です。


二軒めは、原嶋屋総本家(前橋市平和町)です。

現在の建物は、初代の生家を再現したもので、外観は重厚感のある和風作りです。

(画像をお借りしました)


【原嶋屋総本家】
江戸末期1857年(安政4年)創業。群馬県で最も歴史ある焼きまんじゅう屋さんです。秘伝の味噌ダレをつけて焼く生地は、麹種で小麦を発酵させて作られています。伝統的なこだわりがあり、外はカリカリ、中はふわふわの絶品です。


原嶋屋総本家の前で、Nさんといっしょに。店舗の入り口はこちら側にあります。

35年ぶりに、再び同じ写真におさまった、夫とNさんです。^^

店頭に、この絵が飾ってありました。


【焼きまんじゅう屋一代記】
群馬県民なら知らない人はいない、前橋市の「原嶋屋総本家」。その初代である原嶋類蔵さんが、焼きまんじゅう屋を立ち上げた理由と、そしてお店を発展させていく過程を描いた本です。幕末の、目まぐるしく変わっていく時代背景と共に、原嶋屋総本家のルーツが丁寧につづられている物語です。(1973年 偕成社刊)


このときまでMIYOは、
「焼きまんじゅう」と言うものを
知りませんでした。
でも、群馬県のソウルフード。
群馬県民の体の半分は、
「焼きまんじゅう」でできているそうです。😄
おいしそうな写真を見ていたら、
食べたくなってしまいました。^^


次回は、私たちが最も行きたかった場所に
連れて行っていただきます。


(つづく)


(追記)


昨日の西双版納日記では、
Nさんに無断で、
当時の写真を掲載してしまいました。
それについては、掲載当日に、Nさんに
ご連絡しようと思っていたのですが、
先に、Nさんの方から
お電話をいただいてしまいました。😅


なんと、MIYOのブログを
読んでくださっていたそうです。
そして、思いがけなく、
「西双版納日記」が掲載されたことを、
とても喜んでくださいました。


「いや~、うれしかったよ~。
 あの頃のことを思い出して、
 オレ、なんか気持ちが若返っちゃったよ。笑
 早速、お墓に行って、
 アイツにこのブログを見せるよ。」


よかったです…。^^
Nさんに、ブログを喜んでいただけて、
私も、なにか感激してしまいました。


「ブログってすごい。
 ブログを書いていてよかったなあ…。」
と、しみじみ思った夜でした。

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