MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 24 - ハンバーガーとチキナー弁当、そして山羊料理(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 スーパーで売っていた「かふう」。下部には進貢船が、そして上部には「万国津梁の鐘」が描かれています。(沖縄県那覇市)


9月1日(木)


ようやくホテルに戻ってきました。


最近のホテルでは、客室の清掃を毎日やってくれません。昨日は清掃なしだったのですが、この日戻ってみたら、きれいにお掃除してくださっていました。^^

早速、買って来たものを冷蔵庫に入れました。いろいろ入りすぎていて、生活感がでてます。とてもじゃないけど、オサレなホテルの部屋の冷蔵庫には見えないですね。😅

夫は、帰るなりビールだそうです。スーパーで買ったばかりのオリオンビール。「カリー!」とは、沖縄で「カンパイ!」の意味だそうです。


【カリー】
漢字では「嘉例」と書きます。「嘉」という漢字から分かるように「喜ばしいこと」「めでたいこと」「縁起がいいこと」という意味があります。ちなみに、かりゆしウェアの“かりゆし”も「嘉例吉」という漢字が当てられ、こちらも「めでたい」「縁起がいい」ということを意味します。
「カリー」という言葉は、現在では、居酒屋やお酒の席でよく聞かれます。音頭を取る人が「ぐすーよー、カリーさびら(皆様、乾杯しましょう!)」と掛け声を発したら、その席にいる人たちは、自分のグラスを目の高さに掲げ、元気に「カリー!」と返します。いわゆる、沖縄式の「乾杯」です。


スーパーでだらだらと遊んでしまったので、
時刻は午後2時を過ぎています。
遅くなりましたが、お昼ごはんです。


今日のお昼ごはんは、朝ごはんのときに各々が自分で作ったハンバーガー。夫のは上品ですが、MIYOのは超特大バーガーになってます。😅😅

朝食ビュッフェのお話はこちらです。
台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 16 - 「ヒューイットリゾート那覇・ブッフェレストラン ティーダ」で朝ごはん② 驚きのハンバーガーステーション(2022年9月1日/7日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


こちらは、夫が作った常識的なハンバーガー。

MIYOのは、ハンバーガーの具とは、もはや言えなくなっています。

お皿に盛ったのを全部、バンズにおしこみました。😄😄

で、そのハンバーガーを冷蔵庫に入れて出かけました。帰ってきて包みを開いたら、具がこぼれてきてたいへんなことになりました。しょうがないので、お箸で具をつまみながら食べました。😅 


ハンバーガー、おいしかったです。^^
こんなデカいのを食べたので、
お腹がいっぱいになりました。
(↑あたりまえ)


いつもの旅行だと、夫に引っ張られて、
朝から晩まで、ウロウロと、
観光しまくっているのですが、
今回は台風が来ているということで、
「ウロウロ」はナシです。
さらに、MIYOから夫に、
申し渡していることがありました。


それは、ワンデイ、ワンシング
(One day, one thing.)
つまり、「一日に一つしかしない。」
ということです。
夫がいちばん苦手なことですね。🤣🤣


「台風だから、基本、ホテルにこもるよ。
 状況によって観光できそうな場合は、
 訪問先は一か所だけにする。
 欲張って、あちこちウロウロしない。


これが、MIYOが申し渡した条件でした。
この条件を、夫は拡大解釈して、
前日は、沖縄県立博物館に、
4時間も滞在しました。
そして今日は、浦添城を歩き回り、
午後遅くに帰ってきたわけです。
かなり長時間のおでかけだと思うのですが、
それでも、夫の言い分は、
「言うとおりにしてるよ。
 ワンデイ、ワンシングでしょ。」
と言うことになります。😔


このころ台風は、先島諸島からじりじりと、
こちらに近づいていました。
「明日こそは、
 ホテルに缶詰めになれるかな。😍」

と期待するMIYOです。


巨大なハンバーガーを食べたあとは、
お風呂に入り、そのあとは、
お部屋でだらだら過ごしました。
(こういうのがいちばん好き。笑)


晩ごはんです。スーパーで買ったチキナー弁当(450円)、胡麻あじのたたき丼(398円)、ぶりの刺身(328円)。ワインは、チリの DANCING FLAME。

2L入りの「すらっとお茶」も、スーパーで買いました(118円)。夏に旅行するときは、お茶を水筒に入れ、ホテルでもらった氷も入れて、毎日持ち歩きます。暑い中、冷たいお茶はなによりおいしくて、いつも助かってます。


ひとつだけ、うれしかったこと。
本当は、一日だけ遠出するつもりで、
事前にレンタカーを予約してありました。
でも、この台風の中、
遠出はムリのようなので、断念。
夫がレンタカー会社に、
キャンセルの電話をしました。


前日のキャンセルなので、
違約金を覚悟していましたが、
しかたありません。
ところが。


「台風が理由でキャンセルされる場合、
 キャンセル料はいただきません。」


…と言われました。
びっくりです。
OTSレンタカーさん、
どうもありがとうございました。^^


窓の外では、雨が激しく降っていました。
いよいよ、台風がひどくなってきたようです。
明日はどうなるのかな、と思いますが、
お天気のことなんて、
明日になってみないとわからないし、
なりゆきまかせです。^^


お腹もいっぱいになったので、
とりあえず今日は寝ます。
おやすみなさい。^^


(つづく)


(おまけのお話)


ゆいレール・安里駅を出て、
ホテルに向かって歩く途中で、
山羊料理のお店を見つけました。


「山羊料理二十番」。ここは、山羊料理の有名店だそうです。

その隣りの、「山羊料理美咲」。

そっか~。沖縄では、山羊を食べるんですね~。😮(以下3枚、画像をお借りしました)


【沖縄の山羊料理】
ヤギは沖縄では「ヒージャー」「ピージャー」「ピンダ」などと呼ばれ、貴重なタンパク源として重宝されてきました。
肉用ヤギは、15世紀以降に中国や朝鮮から渡ってきたのではないかといわれています。沖縄では、古くから、「クスイムン」ともいわれ、疲労回復薬として食されてきました。産後の体力回復や、冷え性の改善、喘息や打撲にも効くといわれています。現代では、沖縄の伝統料理として食されています。

どんな料理なのかな、と思って調べてみました。
左:ヤギ料理の代表格「ヤギ汁」
右:食感が人気の「ヤギ刺し」


【ヤギ汁】
昔から、お祝いごとの時に食べるハレの料理。「おめでたいことがあるとヤギ汁を振る舞う」という風習がありました。現在でも、家を新築するときなどにヤギ汁を大工さんに振る舞う習慣が残っていて、ヤギ汁のケータリングが頼めます。


【ヤギ刺し】
ヤギの生肉の刺身です。新鮮なヤギ肉を刺身にして、ショウガやニンニクをたくさん入れたしょうゆにつけて食べます。ヤギ汁と比べると獣臭は控えめで、コリコリとした食感がクセになります。初めてヤギを食べるなら、ヤギ刺しがおすすめだそうです。


そういえば私も、
ヤギを食べたことがあったなあ、
と、思い出しました。


5年前に家族ででかけたベトナム。ニンビン省チャンアンで、山羊料理をいただきました。(2017年12月26日)

真ん中にあるのが、ヤギのスープです。沖縄の「ヤギ汁」と似ているような…。^^

そのときの日記です。

3年前、ベトナムで働いていたときに、ニンビン省ホアルーで食べた、ヤギ肉のグリル。(2019年9月25日)

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 67 - ホアルー&チャンアン日帰りツアー③ ヤギ肉料理のランチ(2019年9月25日/25日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ベトナムで山羊料理を食べたことを、
すっかり忘れていました。
でも、ムラゴンで検索したら、
すぐにでてきました。


やっぱり、書き残しておくものですね。^^
ブログに書いておくのって大事だなあ、
って、いつも思います。

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 23 - DiDiとスーパーりうぼう(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添前田駅まで、タクシーで戻りました。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


浦添グスク・ようどれ館で、
実寸大の王陵の中に入ってみるという、
貴重な体験をしました。


受付で、係の方にお礼を言って、
資料館の外に出ると、雨が降っていました。
それもかなり。


台風が近づいているというのに、
こうして旅行を続けている私たち。(←アホ)
朝からずっと、少し強めの風に吹かれながら、
浦添城を歩き続けていたのですが、
とうとう、雨が降り出しました。
…って言うか、よくぞここまで、
お天気がもってくれた、と思います。^^


資料館の前に置かれている、大きな石。説明がついていなかったのですが、おそらく、かつての浦添城に使われていた石だと思います。


上の写真ではよくわからないのですが、
雨はかなり降っていました。
ここから浦添前田駅まで、
歩いて20分くらいだと思うのですが、
この雨の中を歩くのはちょっとキビシイ。
…ということで、
タクシーを呼ぶことにしました。


昨日も利用したタクシー配車アプリ、
DiDiを開きました。
自分がいる場所は、
アプリがわかってくれているので、
あえて教える必要はありません。
「どこへ行きますか?」と訊かれるので、
「浦添前田駅」と入れて、
「依頼」をタップしたら、わずか5秒で、
タクシーがこちらに向かって走り出しました。
たった5秒。🤣🤣


MIYOのスマホの画面で、
タクシーの画像がこちらに近づいてくるのを、
夫とふたりで確認。


黄色い車が、200m手前まで来ています。それがだんだん近づいてくるのまでわかるので、楽しいです。笑 車のナンバーや運転手さんの名前まで表示されていて、この画面から、運転手さんと電話で会話することも可能です。


浦添グスク・ようどれ館の玄関で待っていると、
黄色いタクシーが、
ほんとうにやってきました。笑
DiDiを利用するのはこれで3回めですが、
余りの便利さに、いつも感動します。


あっという間に、浦添前田駅に到着しました。


タクシー料金は、
ペイペイで自動的に支払われるので、
車内での支払いはありません。
目的地に着いたら、
お礼を言って降りるだけです。


ところが。
このあと、メールで送られてきた
領収書を見て、驚きました。



タクシー料金 560円
クーポン割引 560円
合計金額    0円


つまり、このときのタクシー料金は、
タダだったのです。


ずぶ濡れになって20分歩くはずだったところを、
資料館まで迎えに来てもらっただけでも
ありがたかったというのに、
なんと、タダですよ、タダ。😂😂


DiDiに感謝です~~。笑

浦添前田駅でタクシーを降りたら、雨はやんでいました。

再び、ゆいレールに乗って帰ります。

夫は乗り物大好き。遠足の子どもみたいな顔してますね。🤣

ゆいレールの窓から街をながめているうちに、安里駅に到着。

ホテルに戻ろうとしたら、巨大なスーパーがあるのを発見。スーパーを見ると入らないではいられない、MIYO。ここで、晩ごはんを買って帰ることにしました。笑

シークワーサーが山盛りになっていました。東京ではちょっと見られない光景。笑

MIYOが好きな、グルクン(沖縄の県魚)の南蛮あんかけがありました。328円!安い!

すいません、これがグルクンです。すごい色ですね。でも食べたらオイシイので、安心してください。笑(画像をお借りしました)

この翌日に行った第一公設市場でも、グルクンを売っていました。右端で、トレーに入れられて小さくなってるのがグルクンです。ちなみに、中央の青くて態度がデカそうなのは、イラブチャー。これも、食べたらおいしいんですよ。🤣🤣

つづいて、てびちの煮付け 2個入り(418円)。豚足です。

お弁当売り場も、沖縄料理が豪華絢爛。ゴーヤーチャンプルー弁当(468円)、ジューシー弁当(488円)、チキナー弁当(450円)


み「チキナーってなに?」
夫「チキンのなにかじゃない?」
…という、アホな会話があったのですが、
この少しあとに、「ちむどんどん」で、
チキナーが出てきました。
「からし菜(シマナー)の塩漬け」
だそうです。^^


これは中味汁(298円)

お菓子コーナーで見つけた、タンナウチャヌク(432円)


タンナウチャヌクってなに?
…と思って調べたら、
「ウガンブトゥチでヒヌカンに供えるお菓子で、
 タンナファクルーでできたウチャヌク」
だそうです。
さっぱりわかりません。😂😂
ひとつひとつの言葉を調べてみました。


【タンナウチャヌク】
沖縄では「ウガンブトゥチ」という行事が行われます。1年間、家を守ってくれていたヌカン(火之神)が天に戻る日であり、神様に手を合わせ、丁重に送り出す行事です。この行事でヒヌカンに対してお供えするお菓子が、ウチャヌクです。中でも、タンナファクルーでできたウチャヌクを、「タンナウチャヌク」と言います。

タンナファクルーは、明治20年、首里真和志町で生まれました。黒糖、 小麦粉、卵で作った素朴な焼き菓子です。当時は、大変高価な宮廷菓子、光餅(クンペン)の代用品として庶民に親しまれました。今では、沖縄の伝統的な焼き菓子として知られています。


ふぅ…。
沖縄は言葉も違うし、調べても調べても、
わからない言葉だらけ。爆
でも、ひとつひとつを調べるのは、
おもしろくて楽しいです。^^


こんなのもありましたよ。塩もずくクッキー(600円)。三線を弾くおばあの絵がすごい~。笑

ドリンクコーナーで見つけた、沖縄伊藤園のかふう。進貢船の絵を見て、夫とうれしがりました。笑 他のお茶はどれもたくさんあるのに、かふうだけが残数わずか。やはり皆さん、地元のお茶を応援しているのでしょうか。

かふうは、この日の朝、ゆいレールの中の広告で見たお茶です。
台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 17 - 台風なら浦添城①(石畳道、浦添城の前の碑)(2022年9月1日/7日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ここまで、お気楽に買い物をしていたのですが、牛乳売り場がこんなことになっていて、我に帰りました。台風のため、牛乳が入荷しないのだそうです。


お買い物はこのへんできりあげて、
再び雨が降り出す前に、
ホテルに戻ることにしました。


最後はコレです。スーパーの駐車場の片隅に、神様がいました。なにかタイみたいだな、と思いました。右は、バンコクの神様(画像をお借りしました)。タイでは、スーパーだろうがホテルだろうが、こういう神様を置くのがあたりまえですよね。手を合わせる気持ちは、どちらも同じ。^^


スーパーでたくさんお買い物しました。
大きな袋を提げて、ホテルに戻ります。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 22 - 台風なら浦添城⑥ 浦添グスク・ようどれ館(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添グスク・ようどれ館で。西室(英祖王陵)の内部が、実寸大で再現されていました。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


さんざん歩きましたが、どうにかこうにか、
浦添グスク・ようどれ館
にたどり着きました。



ここは、浦添城跡と浦添ようどれの
ガイダンス施設です。
古い写真、発掘調査のパネルや、
出土した遺物などが展示されており、
浦添グスクと浦添ようどれの歴史を
学ぶことができます。


入口を入ると、
すぐのところに展示されていたのは、
前田高地での激戦の記録と、
浦添城跡から出土した、兵士たちの遺品でした。


前田高地を戦車で猛撃する米軍。(1945年4月29日)

飯盒(はんごう)と、銃弾が貫通した米軍の水筒。

日本軍の鉄カブトと茶碗。

熱で溶けたガラス瓶と、炸裂した手りゅう弾。

焼けた食糧(おにぎり、豆、カンパン)。

戦後、壊滅した浦添ようどれの発掘調査が始まりました。

昭和初期の浦添ようどれです。この状態に戻すべく、人々の努力が続きました。


破壊されつくした浦添城と、
兵士たちの遺品の数々に、
胸が苦しくなるような思いでした。


朝ドラ「ちむどんどん」で、
暢子の母親が、自分の家族を探して、
月に一回の遺骨収集をずっと続けていました。
あの場所はきっと、この浦添なんだな、と、
ブログを書いているうちに気がつきました。


住民の半数が犠牲となるような戦争が、
かつてここにあったということを、
私たちはもっと知っておきたい、と、
展示を見学しながら思いました。


そして、浦添ようどれは、ほぼ戦前の姿によみがえりました。実に、戦後60年もの年月が経過していました。


この浦添ようどれが、
二度と壊されるようなことがないように。
貴重な歴史遺産を守り続けていくのが、
今に生きる私たちの役割なのだと思います。


さて。
浦添グスク・ようどれ館では、
戦争に関する展示を見ることができるのですが、
もうひとつ、
ここでしか見られないものがあります。
それは、浦添ようどれの内部です。
この資料館の中に、西室(英祖王陵)が、
実寸大で再現されているのです。


先ほど見学した浦添ようどれでは、西室(写真の下側)と東室(上側)が並んでいました。

ふたつの王陵のうち、西室が、資料館内に再現されています。内部は、こんなふうになっています。

それでは、墓の内部に入ってみます。ここは主室になります。

右手に小さな扉があります。この扉の向こうに奥室があります。

そして主室の左手には、みっつの石厨子が置かれています。

一番手前にある、1号石厨子です。厨子の中に、英祖王の遺骨を洗骨して納めました。

見事なレリーフが施されています。

沖縄県立博物館でも、この石厨子のレプリカが展示されていました。(2022年8月31日)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 9 - 台風なら博物館② 沖縄県立博物館 常設展示室(アサギマダラと進貢船)(2022年8月31日/6日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


その隣りの、2号石厨子。

こちらも美しいですね。^^

奥に見えているのが墓口。通常はここから出入りします。

3号石厨子は、中がわかりやすいよう、屋根が取り外されています。

くてわかりにくいですが、中はこうなっていました。

墓口です。


浦添ようどれの内部には、
本来はとうてい入ることができないのですが、
こうして実物大の王陵を造ってくださったおかげで、
内部をつぶさに見ることができました。


すばらしかったです。
ありがとうございました。(→浦添市)


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 21 - 台風なら浦添城⑤ 浦添グスク・ようどれ館をさがす(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添城の下に伸びる道を、延々と歩きました。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


浦添ようどれの見学を終えました。
次は、浦添グスク・ようどれ館まで、
歩いていきます。


浦添ようどれの全景です。(画像をお借りしました)

暗しん御門と前庭のあるところまで戻り、そこから石畳になった坂道を下りました。

いちばん下まで降りたところです。

こんな道がずっと続いていました。なんか、ジャングルのようですね。^^ 道の脇には、クワズイモが群生していました。(以下、植物の名前はすべて、グーグル先生におしえていただきました。)

クワズイモです。背が高く、葉の長さは1mくらいありそうです。傘の代わりになりそうですね。^^


【クワズイモ】
「食わず芋」から名がついています。見た目はサトイモに似ていますが、食べられないのでそう呼ばれています。植物自体がシュウ酸カルシウムを含んでおり、皮膚の粘膜を刺激します。食べることができないのはもちろんですが、切り口から出る汁にも手で触れないように注意が必要です。外見がサトイモやハスイモの茎(芋茎)と
似ているため、間違えてクワズイモの茎を誤食して中毒する事故が、日本ではしばしば発生しています。東京都福祉保健局の分類では、クワズイモは毒草に分類されています。


北海道でもよく似たのを見かけますが、あれは里芋の葉です。沖縄のこれは違う植物だったんですね。それも毒草。うっかり触らなくてよかった。😅

これは北海道・釧路湿原で見たフキの葉。これも、葉がかなり大きくなるのですが、沖縄のクワズイモとは形が全然違いますね。^^(2022年9月16日)

この大きな葉の下にコロポックルがいると、北海道では伝えられています。(2020年11月30日 函館市北方民族資料館)

コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 24 - 函館市北方民族資料館①(2020年11月30日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


脱線しました。
浦添のお話に戻ります。笑


道のあちこちで花を見かけるたびに、夫が立ち止まって写真を撮るので、なかなか先に進めません。笑 これはフサナリツルナスビ。沖縄ではよく目にする花です。元は南米原産で、琉球列島では野生化しているそうです。

おなじみ、ハイビスカス。

バナナに見えますが、「イトバショウ」だそうです。食用バナナの素となった原種品種群のひとつで、熱帯アジアが原産とされています。実は食べられないことはありませんが、えぐみがあり、果肉が硬くて種子が多いため、通常は食べません。

歩き続けているうちに、沖縄式のお墓が建ち並んでいるところに来ました。「浦添墓地公園」と書いてあります。資料館をめざして歩いているはずなのに、なぜ墓地に着いたのでしょうか。😅

そこからさらにどんどん歩いて、今度は住宅街に突入しました。それはそれで、まあおもしろいんですけどね…。なんでもない普通のマンションでも、エントランスにはシーサーが置かれています。

住民を守っているシーサー。沖縄ならではですね。^^

住宅街に入ってからも、夫はあいかわらず写真を撮りながら歩いています。😂 これはアリアケカズラだそうです。

ムラサキアリアケカズラ(別名アラマンダ・ウィオラケア)。

イクソラ・コッキネア。アカネ科サンタンカ属の常緑小低木で、インドが原産です。インドでは、シバ神にこの花をお供えするそうです。


やはり、熱帯、亜熱帯の植物が多いですね。^^
それはともかく、資料館をさがして、
とにかく歩き続けました。
30分以上歩いたと思います。😂😂


花を撮りながら、ノーテンキに歩く夫。
そして、
「なんでこんなに歩くんだ。
 道、間違ってるんじゃないの?」
と、だんだんふてくされるMIYO。😔
怒りが爆発しそうになる寸前でしたが、
どうにかこうにか、資料館に到着しました。


浦添グスク・ようどれ館です。


同じ公園内の資料館に行くだけなのに、
どうしてあんなに延々と歩いたのか。
それがとても不思議だったので、
このブログを書くにあたって、
グーブルマップで調べてみました。
そしたら、すごいことが判明しました。


まずは浦添前田駅から浦添城/ハクソー・リッジへ行ったのですが、そこから「浦添グスク・ようどれ館」までは、すぐ近くでした(赤いルート)。ところが、夫はなぜか、反対方向の道へ降りてしまい、そこから延々と墓地まで歩き、住宅街に突入していたのです。つまり、公園の外周をおおまわりして、「浦添グスク・ようどれ館」まで歩いたことになります(青いルート)


夫が反対方向に山を下りたのは、たぶん、
浦添ようどれの全景が
見たかったからだと思います。
青いルートの方向に山をおりないと、
浦添ようどれを遠くから
眺めることができません。


それはいいのですが、全景を見たあとに、
また山に戻ればよかったわけで、
わざわざ公園の外周をおおまわりして
歩くことはなかったと思います。


ざっと見ただけでも、
7倍くらいの距離を歩かされています。😵
夫は方向音痴だし、
「なんか、迷ってるみたいだなあ…」
と思ってはいましたが、
こんなにもムダに歩かされていたとは…。
ば~か~や~ろ~
…と、言いたくなりました。😂😂


まあ、それでも、
MIYOは事前になんにも調べないで、
ただ夫のあとをついて歩いているので、
文句は言えないですね。😅


ムダに歩かされるのがいやなら、
次からはきちんと事前に調べて、
自分で地図を
読み取っていけばいいんですよね…。


まかせきってなにもしない自分が悪い。
…とわかってはいるのですが、
たぶん、次の旅でもなにもしないだろうな、
と、今から予想しています(←アホ)。


方向音痴のくせに、
勝手にどんどん歩いてしまう夫と、
夫は信用できないとわかっていながら、
自分で調べないでただついて歩くMIYO。
いい勝負かもしれない。
…と、思わないでもありません。😅😅


次回は、浦添グスク・ようどれ館の中に入ります。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 20 - 台風なら浦添城④ 浦添ようどれを歩く(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添ようどれで。前庭と暗しん御門です。(沖縄県浦添市)


9月1日(木)


浦添城のハイライト、
浦添ようどれに到着しました。
ここには、琉球国中山王一族の墓があります。


【ようどれ】
ようどれは琉球語で、「夕方の波風が静まる時」「夕凪」と言う意味です。夕凪の、「無風で波の静かなる状態」が死後に続くことを願い、この墓の名前になったのではないかと言われています。また「ようどれ」とは、「極楽」のオモロ名(琉球時代の古語)ではないかとも言われています。


【浦添ようどれ】
浦添ようどれ(国指定史跡)は、浦添城跡の北側岩壁の中腹にある、英祖(えいそ)王(在位1260-1299)と尚寧(しょうねい)王(在位1589-1620)の陵墓です。向かって右側が英祖王の墓、左側が尚寧王の墓だと伝えられています。両陵とも、正面は石組みで漆喰が塗り固められています。自然洞窟を堀削して造営しており、沖縄の墓造りの原型になったと考えられています。墓の中の石厨子は県指定文化財です。仏像、鶴、亀などの見事な彫刻が施されており、仏教文化の影響を色濃く残しています。


【戦争を経て】
この一帯は、沖縄戦での激戦地で、ようどれも大きな被害をこうむりました。墓域を囲んだ石垣も、美しいアーチ型の門も、墓室をおおっていた石組みも破壊され、その復元が大きな課題となっていました。

1989年(平成元年)、浦添ようどれを含む浦添城跡一帯が国史跡に指定されました。それを機に、尚家第22代当主・尚裕氏が、3629㎡の陵墓を浦添市民に無償譲渡しました。この英断を受けて浦添市は、1997年(平成9年)から、文化庁の補助を受けて復元事業に着手。8年の歳月をかけて、浦添王陵をよみがえらせました。これにより、墓室の石組みと「ようどれの碑文」も復元されました。
2005年4月には、修復・復元工事が完了し、浦添グスク・ようどれ館も誕生しました。館内では、英祖王の墓の内部が実物大に再現され、3つの石棺や出土した遺物などが展示されています。


この浦添ようどれには、
名前がついている場所が7つあります。
 前庭、暗しん御門、二番庭、中御門、
 一番庭、西室、東室

それを順に見て行きます。


1.前庭


浦添ようどれに着いてすぐの所にあります。
小さなスペースで、庭と言うよりも、
階段の踊り場のような感じです。


MIYOの後ろにある小さなスペースが「前庭」です。そして前庭の後ろにあるのが、暗しん御門です。


2.暗しん御門(くらしんうじょう)


前庭の奥に続く細い道の部分です。
もとは、崖の下を通る、
トンネルのような通路でした。
が、沖縄戦の砲撃で破壊され、
天井部分がなくなってしまいました。


現在の暗しん御門です。

かつての暗しん御門(昭和9年頃)。加工した岩盤と石積みでできた、トンネル状の通路でした。薄暗くひんやりとしているため、「地下通路を通ってあの世に行く」ような雰囲気を醸し出していました。が、この天井の岩盤は、沖縄戦で破壊されてしまいました。

この暗しん御門を通り抜けたところが、二番庭になります。


3.二番庭


二番庭は広いスペースになっています。
ここで従者が待機していたのでしょうか。


暗しん御門を抜けて二番庭に入るところです。


4.中御門(なかうじょう)


二番庭の奥には、石積みでできた門があります。
これが中御門です。


この門を入ると、一番庭になります。

門の向こうに、一番庭が見えます。

石造りの門はアーチ型で、かなり厚みがあります。あとで知ったのですが、アーチがあるのは、「ここから先は『聖域』ですよ」という印なのだそうです。なので、中に入る前には帽子を脱ぎ、おじぎをしなければならなかったようです。夫、帽子をかぶっています。(スミマセン…)


5.一番庭


浦添ようどれのいちばん奥の部分で、
ここに王陵が築かれています。


一番庭です。夫、奥へ奥へと歩いています。笑

一番庭のつきあたり。

ここで振り返ると、中御門がこんなふうに見えます。^^


次は、一番庭にある、王陵を見てみます。
ふたつの王陵(西室と東室)が、
並んで造られています。


浦添ようどれは、英祖王の墓として、
13世紀に造られたもので、
1620年に、尚寧王によって改修されました。


沖縄戦や戦後の採石で、
浦添ようどれは徹底的に破壊されましたが、
1996年から実施した発掘調査の成果に基づき、
2005年に、戦前の姿を復元しました。


西室と東室です。


6.西室


英祖王(在位1260-1299)の陵墓です。



7.東室


尚寧王(在位1589-1620)の陵墓です。
東室には、尚寧王と彼の一族が葬られています。


ここまで、こんなふうに歩きました。


これで、浦添ようどれの見学を終えました。
台風のせいなのかコロナのせいなのか
よくわかりませんが、
この日に訪れる人はほとんどなく、
今回も、いつものように、
「浦添ようどれ貸切状態」でした。😅😅


二番庭からながめた。浦添の街です。

さて、帰ります。

来た道を引き返しながら帰るのかと思ったら、どうやら違う道を行くようです。坂道をどんどん降りていく夫。ここも、きれいな石畳が続いていました。

下まで降りてから振り返ると、浦添ようどれの全景が見えました。

よくぞここまで復元してくれた…という気持ちでした。


(つづく)