MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 17 - 台風なら浦添城①(石畳道、浦添城の前の碑)(2022年9月1日/7日め)

2022年9月1日 浦添グスクで。石畳道を歩きました。(沖縄県浦添市)


昨日は、皆様からたくさんのお祝いコメントをいただき、
たいへんうれしい一日でした。^^
2017年1月にブログをスタートし、6年めになりますが、
こんなふうに、皆様から暖かいお言葉をいただける日が来るとは、
当初は想像もしていませんでした。
ブログを続けていてよかった、と思っています。
我が家は新しい節目を迎えましたが、これからも、健康に楽しく、日々を生きていければと思います。
そして、これまでと同じく、楽しいできごとのひとつひとつを、少しずつ書き続けていきたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。


9月1日(木)


「ブッフェレストラン ティーダ」での、
充実すぎる朝ごはんを終え、
部屋にもどりました。


この頃の台風の状況はこんな風になっていました。沖縄からいったん南下し、さらに強大になった台風は、台湾のあたりから再び沖縄に近づきつつあります。そして、さらに北上を続け、朝鮮半島に向かうとのことでした。(9月1日15時現在)


お弁当のハンバーガーも作ったし、
一日中ホテルに缶詰めになっても、
MIYOは、全然OKです。^^


今回こそホテルでゆっくりできるわ~♪
と、期待をこめて、
「今日はこれからどうするの?」
と訊いてみました。😄
すると多動夫は…。


「まだ雨も降ってないし、
 浦添城に行くのはどうかな。」


え…。
お城? お城? お城?😮😮😮
予想外のことばです。
まさかそんなことを言い出すとは
思っていませんでした。
お城と聞いて、MIYOが思い出したのは、
安土城です。


夫に騙されて、延々と山を登り続けたのは、2020年9月のことでした。


「お城ってさ、また、山の中を歩くの?
 雨降ったらどうするの? 台風なんだよ?」


MIYOが不満げにつぶやいたのですが、
「山の中だけど、たいして歩かないから。
 安土城みたいなことはないから。
 (↑ウソにきまってます。)
 それに、お城には資料館もあるみたいだから、
 雨が降り出したらそこに入ればいいよ。」
と…。


よくもまあ、こんなにも次々と、
口からでまかせが言えるものです。
(あらかじめ、回答を準備していたのか?笑)
でも、自分から「安土城」と言い出すとは、
あのときのこと、
少しは悪かったと思っているのか?🤣🤣


このとき、MIYOの脳裏には、
夫に騙されて山の中を延々と歩く自分と、
降り出した雨にずぶ濡れになる自分が、
ぼんやりと見えていました。
なのに。
「沖縄のお城かあ…。
 それはやっぱり、見たいよねえ…。」
などと、考えてしまったのです。(←アホ)


そして結局、
「うん、いいよ。わかった。」
と答えてしまいました…。(←アホ)


で、こうなりました。ゆいレールに乗っておでかけ。🤣🤣


多動夫は、車両の一番前にはりついて、
外を見続けています。
小学生みたいです。笑


夫が撮った写真。笑

そういうMIYO も、窓にはりついて、外の景色を見ていました。

沖縄ではいつもレンタカーで移動しているので、この高さから街を見ることってあまりありませんでした。だからとても新鮮。^^

さすが沖縄。運転手さんもかりゆしウェアです。^^

夫、車内のあれこれが気になるみたいで、ウロウロ。広告まで撮ってました。🤣 「沖縄緑茶 かふう」のポスターです。作っているのは、沖縄伊藤園。名護の茶葉100%使用だそうです。

ボトルに描かれている船をご覧ください。進貢船(中国皇帝への使者や貢ぎ物を載せた船)です。^^

沖縄県立博物館で見た、あの進貢船です。ひらひらと旗めくムカデ旗も、しっかりと描かれています。

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 9 - 台風なら博物館② 沖縄県立博物館 常設展示室(アサギマダラと進貢船)(2022年8月31日/6日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


前日に博物館で進貢船を見ていなかったら、
このボトルを見ても、
なにも気がつかなかったと思います。
でも、今はわかります。
なんでもないお茶のボトルにも、
沖縄の歴史が描かれているのだと。^^


「知る」ってすごいことだな…、と、
なにかうれしくなりました。^^



ゆいレールに乗ったのは、ほんの15分くらい。
「安里」駅から8つめの「浦添前田駅」で降り、
そこから浦添大公園に向かって歩きました。
かつての浦添城は国の史跡に指定されていて、
現在は、「浦添大公園」として、
一般に開放されています。


浦添大公園です。かなりの規模ですね。浦添城は、歴史学習ゾーンにあります。(画像をお借りしました)


【浦添城(浦添グスク)】
沖縄県那覇市の北隣に位置する浦添(うらそえ)市にあります。琉球王国は、この地から始まりました。琉球王国の王城であった首里城の前身にあたるのが、浦添城です。

浦添城は、王宮が首里城に移される以前の、舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、察度(さっと)王統の居城として、13世紀~15世紀の200年余りに渡り、琉球国中山(ちゅうざん)の歴史の舞台となったお城です。標高約130mの琉球石灰岩の丘陵に位置し、東シナ海や遠く読谷(よみたん)まで見渡せる場所です。が、1609年、薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ、廃城となりました。
現在では、浦添グスクと数多くの文化財を含む一帯が、緑豊かな「浦添大公園」として整備され、市民の憩いの場となっています。


公園の入り口に着きました。「浦添大公園南エントランス管理事務所」とありますが、閉まっていてます。


「台風が来てるし、
 今日はお城も閉まってるんじゃないの?」
と言ってみましたが、夫は、
「いや、そんなことはない。
 この先にあるはずだから。」
と歩き始めました。
ところがここで、
ショックなものを見つけてしまうのです。


「浦添大公園・歴史学習ゾーン」の地図です。よく見るとかなり広いです…。😂😂


「ね、もしかして、これ全部歩くの?
 どう見ても、山の中じゃん。
 山を歩かないって言ったよね?」
「いや、歩かないとは言ってないよ。
 それほど歩かないって言ったんだけど。😜」


また騙されました。😔
よく考えたら、昔のお城って、
敵が容易に攻撃できないように、
そして、周囲を監視しやすいように、
山の上に築城するのがあたりまえ、
ですよね…。
それを考えたら、
「浦添城」が山の上にあるのも当然…。
「お城に行く」と聞いた時点で、
山の中を歩くのは覚悟しておくべきでした。
(考えがあまかった…。)


でも、来ちゃったものはしかたない、と思いお城へとつづく階段を上がり始めたMIYO。顔が怒ってます。😂😂

坂道を上がっていると、左手に浦添小学校が見えました。屋根が沖縄らしいですね。^^

小学校を過ぎてさらに歩くと、道が石畳に変わりました。ここから、浦添城が始まります。


【石畳道】
1597年、浦添出身の尚寧王が整備した道で、首里と浦添城を結んでいます。
首里城への遷都によって、浦添城は一時期荒廃しました。が、見通しの良い浦添城は極めて重要な拠点であり、宿道(すくみち)と呼ばれる街道が整備されました。浦添城やその周囲には、今もなお琉球王国時代に築かれた宿道の石畳道が3箇所に渡って残されており、国王も通った道筋を辿ることができます。この石畳道は、そのひとつです。


石畳がずうううっと先まで続いています。あ~、これ、上るんですね。😭😭 夫はどんどん行ってしまって、もう姿が見えません。

整然と並べられた石は、美しい模様を描き出していました。400年も前に造られた石畳を、今、自分も歩いてるんだな、と思うと、ちょっとうれしい。😅


ようやく、石畳のいちばん上まできました。
この石畳道を造るのはたいへんだったのでしょう。
完成したとき、ここに、
竣工記念碑が建てられました。
それが「浦添城の前の碑」で、今も残っています。
表にはひらがなの琉球文、そして裏には漢文で、
「石を積み橋を架け、岩を刻み道を造った」
と記されています。


「浦添城の前の碑」です。表側は、ひらがな琉球文で書かれています。

碑首は、16世紀の琉球王国の象徴文様である、日輪双凰雲文で飾られています。

そして裏側は、漢文で書かれています。


ここは見晴らし台のようになっていて、
浦添の街からはるか那覇の方までを一望できます。
かつてはここから、敵が攻めてこないかを
常に監視していたのだと思います。


実はこの場所から、首里城が見えるのです。そのほか、玉城朝薫の墓、虎頭山、弁之御嶽などの史跡や景勝地も見えます。(かなり視力のいい人限定。笑)

琉球王国時代、浦添から首里までは、主要な街道が走り、人々が往来していました。浦添は、交通の要衝として栄えました。


さて。
浦添グスク(浦添城)の日記が始まりました。


(つづく)

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