MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 115 - 旧黒岩家住宅① 定山渓鉄道簾舞駅(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)で(北海道札幌市)


11月14日(日)


札幌市中心部から車を30分も走らせると、
山と川に囲まれた、のどかな風景が見えてきます。


葉を落とした木立ちがきれいでした。簾舞のあたりでは、こんな小高い山々が続きます。


aoiumiさんのブログを拝見していて、
ときどき、豊かな自然に恵まれた風景が
掲載されています。
たとえばこちら。↓
https://aoiumi.muragon.com/entry/77.html

「いったい、札幌のどこなのだろうか?」
と、いつも不思議だったのですが、
いやいや、さっぽろテレビ塔や大通公園とか
そんなのばかりが札幌ではないのだな、
と、ここへ来てみてようやく納得しました。^^


ということで、黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)です。札幌市で最古の木造建築だそうです。

手前には、当時の火の見櫓(半鐘櫓)が建てられています(復元)。

さらにその隣りには、こんな設備が残されていました。長く延びた綱の下には、井戸があります。この巨大なテコを使って、井戸の水を汲み上げたのだそうです。おそらく、井戸の水がかなり深いところにあったのだと思われます。

火の見櫓(左)と井戸(手前)です。

住宅全体の写真です。かなり大きいですね。


【旧黒岩家住宅(旧簾舞(みすまい)通行屋)】
札幌市簾舞にある、簾舞通行屋の遺構で、札幌における最古の木造建築です。1871年(明治4年)の本願寺道路の完成に伴い、開拓使によって旅行者などの宿泊・休憩施設として、翌1872年(明治5年)に建設されました。
①簾舞通行屋として
・1872年(明治5年)から1884年(明治17年)まで。
旅行者などの宿泊・休憩施設として建てられました。定山渓鉄道線開通以前には、簾舞は、札幌と定山渓を結ぶ連絡所の役割を果たしていました。そのために、馬も用意されていました。湯治場として有名だった定山渓まで行く際、簾舞通行屋は、途中で休息できる唯一の場所でした。その後、札幌本道(国道36号の元となった道路)が開通すると、本願寺道路の交通量は少なくなり、1884年(明治17年)に通行屋は廃止されました。しかし、屋守の黒岩家は、この地に留まりました。
②黒岩家住宅として
・1885年(明治18年)から1982年(昭和57年)まで
その後は、黒岩家3代にわたる住宅として使用されています。黒岩家は、旧屋部分を移設再築し、さらに馬小屋部分を含めて新屋部分を増築しました。同家は、この居家で引き続き宿屋を営みつつ、農業に従事しました。この家は地域の中心的存在で、役所の出先機関、学校、寄り合い場所としても利用されまし
た。また、明治時代以降も、豊平川のダム工事や道路拡幅工事の際に、作業員の宿泊施設として利用されました。豊平川対岸に、結核患者の保養所を兼ねた国立札幌南病院が設立された後には、見舞い客の宿泊に利用されたこともあったそうです。
③簾舞郷土資料館として
1984年(昭和59年)に、土地家屋を札幌市が譲り受け、2年をかけて、全解体の修復が行われました。現在の建物は、通行屋だった旧棟と新棟からできており、新棟は、馬小屋や納屋など、当時の開拓農家の様子と歴史資料を展示する郷土資料館として一般公開されています。開拓使時代の家屋構造を伝える貴重な建物として、札幌市の指定有形文化財および北海道遺産となりました。


ちょっと長いですが、要するに、
「明治時代の開拓使が建てた宿泊施設が、
 郷土資料館になりました。」

ということです。^^


それでは、中に入ってみます。

玄関を入ったところです。天井も梁も、かなり古そうですね。^^


受付では、係員のAさんが、
暖かく迎えてくださいました。^^


「どうです? このクマ、おおきいでしょう?」と。これだけの大きさのクマは、なかなかいないそうです。そして右は、帰り際にいっしょに撮らせていただいた写真です。このときだけ、お願いして、マスクを取っていただきました。

おもしろいお話を、たくさん聞かせていただきました。^^

旧黒岩家住宅の間取図です。外観から予想はしていましたが、中に入ると、想像以上に広い造りでした。

これは、玄関の右側の部分です。元通行屋だっただけに、鉄道資料館みたいになっています。奥に、馬小屋も見えますね。^^

定山渓鉄道ゆかりの品々。

椅子に座ってみると、電車に乗っているような雰囲気です。^^

吊皮に、「フルヤのキャラメル」と書いてあります。笑 壁に飾ってあるのは、定山渓鉄道の写真です。

フルヤのキャラメル(左)です。(画像をお借りしました)


【古谷製菓】
北海道札幌市にあった製菓メーカーです。1900年、札幌市で「古谷商店」として創業し、乾物商、精米、黒糖加工業を経たあと、製菓メーカーとして、当時は数々のヒット商品を生み出しました。一時は、首都圏のマーケットにまで進出し、日本テレビ系列などで提供番組を持つなど、隆盛を誇りました。しかし、ナショナルブランドとの競争の波にのまれ、1984年に倒産しました。

現在は、「ショコラティエ マサール」として生まれ変わり、札幌市内に3店舗、新千歳空港内に2店舗を構えています。「北海道のチョコレート専門店」として、地元の方々から親しまれているそうです。


かつてはこの簾舞を、定山渓鉄道やボンネットバスが走っていました。


【定山渓鉄道】
かつて北海道札幌市白石区の東札幌駅から南区の定山渓駅を結んでいた、定山渓鉄道(現:じょうてつ)の鉄道路線です。1969年に廃止されました。
1918年の開業後は、定山渓温泉の発展とともに順調に業績を伸ばし、1932年には札幌からのバス運行も開始しました。鉄道線の全盛期は、戦後復興に伴い定山渓温泉が繁栄を取り戻したころでした。1949年から1963年にかけては、夜間発の往復とビール券・とうきび・枝豆・温泉利用をセットにした「月見電車」も運行しました。
しかしその後、貨物輸送をトラックに奪われ始め、1963年には豊羽鉱山の鉱石輸送がトラックに切り替えられました。また、旅客も徐々にバスやマイカーに流出していきました。これに加え、豊平駅近くの国道36号線上の踏切が交通上の障害になっているとして、1966年に、北海道警察本部から適切な処置を取るよう勧告されました。

こうした中で、札幌市が地下鉄南北線を建設することに伴う用地買収を申し出ました。定山渓鉄道は、これに応じる形で鉄道部門の廃止を決定し、1969年(昭和44年)をもって全線廃止となりました。


定山渓鉄道で使われていた吊皮やランプ、そして計器類が、ところせましと展示されていました。

雪ぞりです。ゴールデンカムイに、こんなの出てきたなあ…。笑

つきあたりには、馬小屋がありました。

お馬さんのぬいぐるみです。芸が細かいですね。しかも、こんな大きなの、誰が作ったのでしょうか。^^


部屋が多いですからね…。
見どころがいっぱいあるんですよ。😅
しかも、まだ玄関部分だし。笑
旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)のお話は、
まだまだ続きます。(スミマセン)


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 114 - 札幌で朝のお散歩。そして黒岩家住宅へ / オイシックス・菜園風生ハムのクリームペンネ(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)で。(北海道札幌市)


11月14日(日)


札幌滞在の12日めになりました。
丸一日札幌に居られるのは今日が最後、
と思うと、とってもサビシイのですが、
最後の最後まで、楽しく過ごしたいと思います。


札幌に滞在中、夫は、
 月~木:ホテルの部屋で仕事
 金~日:MIYOと観光
 (定年後の再雇用で、週4日勤務でした。)
というペースで過ごしていました。
コロナ禍でリモートワーク体制になっており、
PCさえあればどこでも仕事ができる、
という状況だったからこそ、できたワザでした。


あのときから一年半がたちましたが、
結局、夫が2週間も北海道にいて、
そこで毎日仕事をしていたことは、
未だに、勤務先にはバレていないそうです。🤣🤣
(今では、もう定年退職しちゃってるので、
 バレたところで、どうということはありません。😅)


さて、この日の朝ですが、ふたりで相談し、
「少しゆっくりめに過ごし、
 10時ごろにホテルを出発。
 札幌市内を歩いてみよう。」
…ということになりました。
前日、余市で過激に歩きまわったので、
最後の日くらいはのんびりしたいな、
とMIYOは考えるのですが、
多動夫は、そうはいきません。


「だったらオレは、
 ひとりであたりを歩いてくるよ。
 10時までにホテルに戻ってくればいいでしょ?」
となります。


夫は毎朝、朝早く起きて、
仕事の前に札幌市内を散歩していたので、
まあ、その延長みたいなものですね。^^


どうせそう来るだろうと思っていたので、
「じゃあ、せっかく散歩するんだから、
 札幌市資料館まで行ってみたら?
 すごくよかったよ。」
と水を向けました。笑


MIYOが札幌市資料館に行ったときの日記はこちらです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 72 - 「Trăng Tròn」で鶏肉のフォー(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


「こんなところだよ。」と見せたのがコレ。札幌市資料館(旧札幌控訴院)の作成キットです。


MIYOが、あまりにも熱心に、
館内を見て歩いたからだったのでしょうか。
最後に、ボランティアガイドのOさんが、
プレゼントしてくださったのです。
「ふたつどうぞ。ひとつはご主人に。^^」
と…。


「そっか。じゃあ、行ってみようかな。」
夫もその気になってきました。
こんな風に、限られた時間で、
ぎちぎちに予定を組んで走り回るのが、
夫は大好き。
(私はイヤですが。😂)


…ということで、夫、札幌市資料館をめざして、
はりきって出て行きました。
ここから先は、夫のお散歩日記です。笑


まずは、有名な創成橋まで歩いたようです。
創成橋について書いた日記はこちらです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 78 - 豪華なオードブルセットと創成橋(2021年11月11日-12日/9日め-10日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


普通の人が撮るのはこんな写真。創成橋とさっぽろテレビ塔。絵になりますね。^^(画像をお借りしました)

でも、夫が撮るのはこんな写真。😂😂


テレビ塔が切れてます。
夫が撮りたかったのは、
テレビ塔でなくて、下半分。
路上生活者さんのおうちなんですね。


「どうしてこんな写真撮ったの?」
と訊くと、
「ん…。こんなとこに寝泊まりして、
 冬は寒いんだろうな、と思って。(アホ)」


だからって写真撮るか?と思うのですが、
このへんが、夫のわからないところです。😮


そして大通り公園に到着。真ん中に見えているのがマイバウム。その奥に見えるのが、札幌市資料館(旧札幌控訴院)です。

マイバウムを反対側から見たところです。

これがマイバウムです。


【マイバウム】
白と青に塗られた高さ23メートルの支柱で、大通公園西11丁目にそびえています。1972年に、ドイツのミュンヘン市と札幌市が姉妹都市提携を結びました。その記念として、1976年に、ミュンヘン市から贈られたものです。
マイバウムはドイツ語で「5月の木」という意味です。ドイツの各地で、5月にマイバウムを立てるお祭りが開かれ、春の到来を祝うしきたりがあるそうです。


この石像がなんなのかわからなくて、グーグル先生に尋ねたら、ロシアの石像と日本の狛犬の両方が出てきました。笑

そしてこれは聖恩碑です。パリのオベリスクみたいですね。


【聖恩碑】
1939年(昭和14年)に建立された碑で、大通公園西5丁目にあります。1936年(昭和11年)に北海道で陸軍大演習が行われるにあたり、昭和天皇が行幸しました。その記念として建てられたものです。碑の正面には、「聖恩無彊(せいおんむきょう)」の四文字が刻まれています。「聖恩」とは「天皇の恩恵(=皇恩)」を意味しており、「無彊(疆)」とは「限りのないこと」を意味しています。つまり、この四文字で「天皇の恩恵は限りないものである」ということを表しています。


「天皇の恩恵」ですか…。
会津藩士団が余市に入植させられたときも、
彼らは、「天皇のご恩に報いるために」
と書いています。
「天皇のご恩」って、なんだったんだろう?
と、スナオに、疑問を感じます。
(ヘンな日本語ですが。笑)
「天皇に、なにかいいことされたんですか?」と。
でも、この時代は、
誰もがそうだったんでしょうね…。
「天皇がこの世に存在しているだけで、
 それは『ご恩』である。」と…。
こういうことにとらわれながら、
誰もが生きていかねばならなかった時代。
率直に、しんどいな、と思います。


いろいろありますが、大通り公園の風景は、やっぱり美しい。^^

公園の中のマンホール。雪の結晶が描かれていました。

そして札幌市資料館に到着。

美しい佇まいです。


札幌市資料館の内部については、
以前の日記に書きましたので、
ここでは割愛いたします。
https://limings.muragon.com/entry/1816.html
(このときに夫が撮った写真も、
 以前の日記にその多くを掲載しています。)


こうして夫が散歩しているあいだ、
MIYOはのんびりと、
ホテルでコーヒーを飲んでいました。
(こういう時間もたいせつだと思うんです。🙄)


そして、朝10時。
ホテルに戻って来た夫と、
本日のアクティビティがスタートしました。


この日の目的地は、札幌市郊外にある、
旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)です。


札幌市中心部から、車で約30分の所にあります。

近代的な街となった札幌市ですが、中心部から車をどんどん走らせると、やがて風景が変わっていきました。

到着です。

旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)です。札幌市指定有形文化財です。開拓使時代の洋風建築(一部)として、北海道遺産にも認定されています。


次回は、
旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)
のお話です。


(つづく)


(おまけのお話)


今日(2023年4月21日)のお昼ごはんは、
オイシックスのミールキットを利用しました。


菜園風生ハム(ハモンセラーノ)のクリームペンネ(ふたり分・税込み 1508円)です。(画像をお借りしました)


これはこれで、もちろんおいしいのですが、
生ハムがちょっと少ないので、
先日カルディで買った切り落とし生ハムを
大量投入しました。笑
パプリカも少なかったので、
冷蔵庫にあったピーマンとインゲンを足しました。
そして、ペンネばかり食べると飽きるので、
もう一品、ペペロンチーノを用意しました。


サラダとワインを追加して、ビストロ風ランチです。笑 ワインはチリのSANTA ANGEL。


これでもかって生ハムをのっけたので、
見本の写真とだいぶ違ってます。笑
まあ、おおざっぱな性格がでてますね。😅


結局、量が3人分になってしまったので、
食べきれず、ペンネが少し残りました。
これは晩ごはんで、トマトパスタにする予定。


天下のオイシックスメニューも、
MIYOが作ると、カサ増しとリメイクで、
別物になってしまいます。www
まあでも、おいしかったから、よし。^^


昼間っから、ワインで家族宴会。
定年退職した夫婦の、お気楽なランチです。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 113 - 札幌三越の晩ごはん / TEPCOポイントを10%増しにするワザ(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。同じ場所で何枚も写真を撮ってしまったので、また掲載。笑 しつこくてスミマセン。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


余市を出発したのは夕方5時。
札幌に到着したのは、6時過ぎでした。
ほんの一時間余り。
近いですね。^^


駅前のトヨタレンタカーで車を返却し、
閉店時間前の三越へと、急ぎました。
この時間に行くと、
お惣菜がお安くなってるんですよね。笑


お弁当は、全品3割引(894円→676円)。笑

966円が30%オフというのは、大きいです。^^

だし巻き卵弁当は200円引きで800円。

人気のコロッケ屋さん「コロッケ倶楽部」はタイムセール中で、2個で332円。

このお店の創作コロッケはおいしくて、その後、札幌に行くたびに、ここで買っています。笑

ね? おいしそうでしょ? どれを買おうかと、いつも迷います。

次は、札幌地下通路「ポールタウン」の八百屋さん「大地の青果店」へ。

自家製の、野菜がいっぱい入ったお弁当が、夕方には全品20%引きになるんです。

おにぎりを2個購入。2割引で240円です。これは翌日の朝ごはん用です。^^


もうね。
毎日、札幌市内をウロウロしていたので、
この時間にどこへ行けば何が安いってのが、
だんだんわかるようになってきました。笑
わかってきた頃には、もう、
東京へ帰るんですけどね…。


そして次はローソンへ。デザートはプレミアムロールケーキ(150円)です。

なにかのくじに当たったようで、無料引換券がメールで送られてきたので、早速利用しました。

この日の晩ごはんです。ホテルの部屋で、ワインを飲みながらいただきました。

さすが三越のお弁当。すごーくおいしかったです。^^

お弁当もコロッケも、全部、夫と半分こして食べました。


プレミアムロールケーキは、無料だったけど、
あまりにおいしくてファンになってしまい、
以来、時々買っています。
まんまと、はまってしまいました。笑


結局、わずか一日の余市の日記だけで、
26回も連載してしまいました。(アホ)
もりだくさんの長い長い一日でしたが、
これでようやく終わり、ほっとしています。


こんなふうにして、
札幌滞在11日めも終わりました。
残すところ、あと2日です。
がんばります。^^


(つづく)


(おまけのお話)


東京電力のポイントを毎月チェックしています。
(チェックしないと、
 ポイントが付与されない仕組みです。)


2022年10月の時点で、2200ポイントでした。2200円分。これは大きい。笑

履歴です。電気代とガス代で毎月100ポイント付与されるのですが、それ以外に、国から節電ポイントプラグラムでもらったポイントが2000ポイントもありました。

このあともう少し増えて、2800ポイントになったので、dポイントに交換することにしました。dポイントにしたのは、東京電力のポイントをdポイントに交換すると、さらに10%が増量されるキャンペーン中だったからです。

2023年1月に、東京電力の2800ポイントを、ドットマネーを仲介して、dポイントに交換しました。

そして待つこと3か月。4月1日に、10%増量分のポイントとして、dポイントが280ポイントが付与されました!

その後も、国からポイントを付与されたため、またまたTEPCOポイントが増えています。

現在、2425ポイントあります。他のポイントにも交換できるのですが、またdポイントの増量キャンペーンがあるときまで、とりあえず、このまま温存しておくつもりです。


dポイントの増量キャンペーンは、
年に何回か開催されています。

これ、とってもお得です。
今時、貯金の利息なんて、
悲しくなるくらい少ないですが、
このご時世に、ノーリスクで、
10%も増える貯金なんてないですよね。笑


例えばこれは昨年の例なのですが、あちこちのポイントサイトで貯めたポイントを、合計103940ポイント、dポイントに交換しました。キャンペーン中だったので、10%の10394ポイントが増量され、付与されました。ポイントをただ交換するだけで、10394円分、もうかってしまいました。


我が家はよく旅行するし、
dポイントはじゃらんで使えるので、
このポイントを使って、
ホテル代、食事代、レンタカー代などを、
タダにしています。^^


現在のdポイントは、約280000円分。😄 先日、「こんなにポイントがたまってる人、初めて見ました。」と、ローソンの店長さんに驚かれました。爆


MIYOは5つ星ランクなので、
通常付与されるポイントも2.5倍。
ポイントが、どんどん貯まっていきます。^^


では、どうすれば、5つ星ランクになれるのか、
なのですが、それほど難しくありません。
ですが、長くなったので、続きは、
また次の機会にお話したいと思います。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 114 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑨ ディスティラリーショップ、旧竹鶴邸、そしてシリパ岬へ(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所・旧竹鶴邸で。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカミュージアムを最後に、
見学コースに含まれているものは
すべて見ることができました。
見学時間が終了するまで、
あまり時間がなかったのですが、最後に、
ディスティラリーショップへと急ぎました。


ディスティラリーショップは、見学コースの最終地点にあります。

ディスティラリーショップ「ノースランド」です。

ディスティラリーとは「蒸溜所」のことで、つまりお土産物屋さんです。^^

店内では、蒸溜所限定のウイスキーやグッズ、そしてウイスキーを使ったお菓子などを販売しています。

写真もディスプレイもすてきですね。^^

こちらは、シングルモルト余市 700ml(4620円)。ニッカウヰスキー創業の地、余市蒸溜所を代表するシングルモルトです。「心地よいピート感、石炭直火焚き蒸溜による重厚な酒質とスモーキーさが、麦芽の甘さや豊かな果実味と見事に調和しています。余韻に微かな潮の香りが感じられます。」とありました。

中央に置かれているのは、余市蒸溜所限定の品々。ウイスキーが好きな人には見逃せないコーナーです。

シングルモルト余市 シェリー&スイート(6800円)。おひとり様1本まで、と書いてありました。「限りある品を、ひとりでも多くのお客様にお楽しみいただきたいため」とのことです。

これも、余市蒸留所限定品です(3050円)。こちらは、おひとり様3本まで。私たちも1本買いました。

そしてもうひとつ。アップルワイン(990円)をお買い上げ。余市蒸溜所限定のデザインで、「1938年から販売されているりんごのワインとブランデーを合わせ、樽で寝かせました。甘さと熟成感が愉しめるワインです。」とあります。テイスティングホールで試飲した、甘いワインです。食前酒にいいかな、と。笑
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 111 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑥ テイスティングホール(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

おつまみやお菓子もたくさん。

ニッカウヰスキーオリジナルの、カマンベールチーズラングドシャを買いました(1100円)。カマンベールチーズ風味のホワイトチョコを、ラングドシャにはさんであります。

道民の醤油 アーモンド(300円)も買ったのですが、写真を撮る前に食べてしまいました。笑(画像をお借りしました)

お買い物も終わったので、そろそろ帰ることにしました。この頃には、他の見学者はすでにみなさん帰ってしまわれたようで、私たちが最後のふたりだったみたいです。誰もいない見学ルートを、正門に向かって歩きました。

旧竹鶴邸まで戻ってきたのですが、ここで足が止まってしまいました。

ついさっき、ガイドさんに案内されて訪れた時の写真です。この、入口に造られた門は、スコットランドのリタさんの生家にそっくりなのだそうです。このとき、中は真っ暗でしたが…
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 110 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑤ 竹鶴正孝像、旧竹鶴邸、第一貯蔵庫(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

今は、玄関の奥に、明かりが灯っているのです。そして中の扉が、半分だけ開いていました。


MIYOが止めるのもきかず、
夫、明かりに吸い寄せられるように、
中に入ってしまいました。
いいのかな、と思いながらも、
MIYOも後に続きました。😅


入口を入ったところです。中は和風の玄関ホールになっていました。

玄関ホールです。空間全体や照明などは洋風ですが、格天井(ごうてんじょう)や金箔を張った斜め天井の装飾などに、和の風情があります。


ここから先の主屋には入れなかったのですが、
内部には和室や障子があるそうです。
玄関前の庭には石灯篭も置かれていて、
洋風ながらも和の要素も取り入れた、
和洋折衷の造りになっています。


見学コースの中では、
玄関の中に入ることができなかったのですが、
最後にちょっとだけ、中を見ることができて、
ラッキーでした。^^


夕闇が迫る余市蒸溜所。旧事務所(右)と発酵棟(左)のあるところまで戻ってきました。本当に、私たちだけ残ってしまったみたいで、誰もいません。笑

正門へと急ぎながらも、あたりの写真を撮り続ける夫。笑 これは混和棟です。見学中は、ガイドさんの歩みが早くて写真を撮り損ねていたようで、今頃撮っています。

ようやく、蒸溜棟のあたりまで戻ってきました。

左にあるのが貯蔵棟です。ガイドさん、もう少しゆっくり歩いてほしかったなあ…。笑(国の登録有形文化財)


【貯蔵棟】
昭和10年頃の建築で、蒸溜棟の南にあります。木骨石造の平屋建で、東側で事務所棟南部と接続しています。倉庫として建設されましたが、現在は、蒸溜液受タンク室となっています。屋根は切妻造の鉄板葺で、西妻面にアーチ型戸口を開け、妻壁北側を立ち上げて蒸溜棟と接続することで、一体の景観を作っています。(国の登録有形文化財)


ビジターセンター(お客様待合室)の先に、正門が見えました。

正門の前でふりかえって、もう一度、構内を眺めました。夕暮れの余市蒸溜所も、雰囲気があっていい感じです。^^

見学開始前に、同じところで撮った写真です。


最後にもうひとつだけ、余市蒸溜所のお話を。


【余市蒸溜所(歴史的建造物としての北海道工場施設群)】
昭和9年、創業当時の北海道工場敷地は、広大な湿地となっていました。そこを埋め立ててできた広大な敷地は、当初、リンゴ問屋やニシン干し場として利用されていました。この南東側に、創業者竹鶴政孝氏が、様々な人々の協力を得て、ウイスキー工場を作りました。
「クリスマスツリーにぶらさげるおもちゃのような、煙突のある小さな建物群を」と考えた竹鶴氏は、スコットランドで見た風景を、そのまま、余市で再現しようとしました。
それが、余市蒸溜所の始まりでした。


正門の外に出ました。ライトアップされた正門は、昼間よりもさらにすてきでした。^^

駐車場に残っていたのも、私たちの車だけでした。🤣


あとは札幌に帰るだけなのですが、
ここでMIYO、夫にリクエストしました。


「最後に、シリパ岬に行きたいんだけど。」


【シリパ岬】
余市湾の西側に張り出している岬です。その突端は急峻な断崖で、余市のシンボル的な存在となっています。シリパとはアイヌ語で、sir=山、pa=頭の意味で、海に突き出している山の頭(つまり「岬」のことです)を表しています。今から約630万年前に、粘性の高いマグマが海底に噴出して、水中で昭和新山のような溶岩ドームをつくったことでできたものと考えられています。シリパ岬の岩体には柱状節理(マグマが冷えるときにできる柱を並べたような割れ目をもつ構造)が発達し、周辺の海岸には、柱状に割れた岩が多数見られます。


柱状節理は、青森県十和田湖畔にもありました。
コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 27 - 十和田湖(乙女の像、柱状節理と十和田神社)(2021年5月14日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


このシリパ岬があることが、
「余市の夕日は2度沈む」
と言われる所以となっています。


【余市の夕日は2度沈む】
斜めに沈んで行く夕日が、一度シリパ岬の先端に隠れます。その後また、岬の中腹から顔を出して、今度は海に沈んで行くという、余市独特の現象です。この現象は、夏至の前後2週間に限って見られるのだそうです。


いったん岬の後ろに隠れた太陽が、再び岬の端から顔を出していくようすです。(画像をお借りしました)


このときは、夏至ではないので、
もちろん、こんな現象は見られません。
でも、どうせ来たついでですもの。
ただ単に、
「夕暮れのシリパ岬」
を見たかったのです。😄


でも、MIYOの言うことは、
基本、なんでも否定から始まる人なので、
夫はこのときもブーイング。


「そんなとこ行ってどうするの。」
「もう、日の入りは終わってるよ。」
「日の入り前だったとしても、雲が多いから、
 今日はどうせなんにも見えないよ。」
などなど…。


自分の撮りたい写真はとことん撮るけど、
MIYOが撮りたいところに行くのは、
車を停めるのですら、めんどくさい。
…っていうのが、このころの夫でした。
(この9か月後、同じような状況で、宮古島で大ゲンカになりました。
 そのころの夫は、自分の行きたいところで頭がいっぱいで、
 MIYOのためには車を1分停めるのすらいやだ、という人でした。 
 ちょっと車を停めて写真を撮るくらい、たいしたことではないと思うのですが。

 でも宮古島で、MIYOが大爆発したことで、
 多動夫もようやく学習したようです。笑
 最近は、MIYOが「ここで景色を撮りたい。」と言ったら、

 スナオに車を停めるようになりました。
 いちいち大ゲンカしないと、写真一枚ですら、

 撮らせてもらえない。
 本当に、めんどくさい夫です。😔)


さて、しぶる夫をものともせず、
「別にお金がかかるわけでもないし、
 このあとの予定があるわけでもないのだから、
 ちょっと寄ってみるくらい、いいじゃない。
 ほんの5分かそこらのことでしょ。」
と言うと、夫も反論できず、
不機嫌そうに車を走らせました。


そしてまもなく、やっぱり不機嫌そうに、
「はい、着いたよ。」
と…。


シリパ岬です。遠くの方に、余市の町灯りが見えました。


夫の言ったとおり、
日の入りは終わっていたし、
雲が多くて夕焼けも見えませんでした。
でも、来たかったんですよ…。
朝からずっと、一日中、余市を歩き続けました。
その最後に、ここへ来て、ほっとしたかったのです。


夫はほんとうにイヤだったようで、
車から降りようともしませんでした。
なので、MIYOひとりで、ここに立ちました。
しばし、ここに佇んで、そして気がすみました。
くだらないかもしれないけど、
旅行ってそんなものだと思うのです。


理由なんてなくても、
行きたいから行く。
見たいから見る。
そこで流れる時間を、ほんの少し感じてみる。
それでいいんじゃないの?と思うのですが、
多動夫がそれを理解するようになるまでには、
あと5年はかかりそうです。(一生ムリかも。😂😂)


あまりにももりだくさんな一日でしたが、
ようやくこれで、余市の旅が終わりました。


さて。
札幌に戻ります。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 113 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑧ ニッカミュージアム(竹鶴夫妻の部屋)/ 竹鶴政孝記念庭園とイチイの木(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカミュージアムで。通路の両側には、かつて竹鶴夫妻が暮らしていた部屋が再現されていました。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所で、
ニッカミュージアムの中を見学しています。
最後に訪れたのは、
「竹鶴イズム」のコーナーでした。
ここでは、竹鶴政孝の生い立ちや、
スコットランド留学、そして、
ニッカ創業のストーリーを紹介しています。


竹鶴氏が記録した、スコットランド・カンベルトンでの実習報告。

竹鶴氏が余市に来たのは、1934年のことでした。そして、余市でのリタさんとの暮らしが始まります。

正装した、竹鶴夫妻。

ドラマ「マッサン」で使用した衣装です。左から、エリー、マッサン、熊虎、そして俊夫のものです。

夫妻の愛用の品々。

そして隣りの部屋には、かつて、竹鶴政孝・リタ夫妻が暮らした部屋が、そのままに再現されていました。

上品な調度品が並んでいます。

リタさんが弾いた本物のピアノは、旧竹鶴邸にあるそうです。

テーブルの上には、6ペンス銀貨と指ぬきが、ガラスケースに入れて飾ってありました。

政孝氏とリタさんが出会ったのは、1919年。カウン家(リタさんの実家)のクリスマスで行ったプディング・ケーキ占いで、政孝氏は6ペンス銀貨を、そしてリタさんは銀の指ぬきをもらったのだそうです。


室内には、「蛍の光」が流れていました。
日本では、別れの歌として知られていますが、
これは実は、スコットランド民謡です。
リタさんのピアノと竹鶴氏の鼓に合わせて、
リタさんの妹ルーシーが歌ったのは、
ふたりが出会ってから間もなくのことでした。
このときから、「蛍の光」は、
忘れられない歌として、
ふたりの胸の奥深くに残り続けたそうです。


かつてふたりが暮らしていた頃の、
そのままの佇まいに、ただ一人立ちつくして、
「蛍の光」のメロディを聴いているうちに、
なぜか、涙があふれてきました。


穏やかな笑みをたたえた、リタさん。
着物を着て、異国の暮らしを受け入れ、
生涯、竹鶴氏の偉業を支え続けました。
リタさんが漬けた梅干は、今も、
夫妻の家に残されているそうです。


ああ、そうだ。
私がこの余市蒸溜所に来て、
一番見たかったのは、
この人の、この笑顔だったのだ、
…と、そのときに思いました。


1934年、鎌倉に住んでいた頃のリタさんです。


(つづく)


(おまけのお話)


ニッカミュージアムを出ると、「竹鶴政孝記念庭園」があります。


石に刻まれた文字を書いたのは、竹鶴威氏です。
竹鶴政孝氏の甥(政孝氏の姉の息子)で、
やがて彼の養子となった方です。
竹鶴威氏は、大日本果汁時代に入社して、
竹鶴政孝氏と共に尽力し、
後にニッカウヰスキーの社長になりました。


これはイチイの木。北海道では「オンコ」と呼びます。

これは、北海道に到着した日に、平岡樹芸センターで見たイチイの木です。(2021年11月3日)

イチイの木についての説明は、こちらに書いてあります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 5 - 平岡樹芸センター④ / RAMEN RS 改でお昼ごはん(2021年11月3日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

余市に入植した会津藩士団のために造られた「開村記念碑」にも、イチイの木が植えられていました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 105 - よいち水産博物館④ 北海道鰊大漁概況之図、奥寺家の神棚、そして会津藩士団(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ニッカウヰスキー余市蒸溜所のお話は、
あともう少し続きます。
次回は、ディスティラリーショップに行きます。