MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 110 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑤ 竹鶴正孝像、旧竹鶴邸、第一貯蔵庫(2021年11月13日/11日め)

(2023/04/15 18:30記)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。旧竹鶴邸です。日本の風景には見えませんね。^^(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。


前回は、工場設立当時の事務所(旧事務所)とリタハウスを見学しました。

見学路をさらに歩くと、右手に竹鶴正孝像が見えてきます。(画像をお借りしました)

その先、左手に見えてくるのが、旧竹鶴邸です。


【旧竹鶴邸】
創業者・竹鶴政孝氏とリタ夫妻の住宅でした。旧竹鶴邸は、当初工場敷地内に建設され、のちに余市町内山田町に移築されました。さらに平成14年になり、その大部分がニッカウヰスキー余市蒸溜所の敷地内に再移築されました。現在は工場見学の一部として一般公開されています。グリーンとホワイトのツートンカラーのモダンな外観の家屋で、1935年(昭和10年)ころに建築されたものです。木造モルタル仕上げの玄関部に、木造下見板張の主屋が続きます。外観は洋風ですが、内部には和室を配し、内装には和風意匠が多く採り入れられています。竹鶴氏は、ここで、夜な夜なウイスキーを呑みながら、夜更けまで麻雀に勤しんでいたそうです。(国の登録有形文化財)


コロナ禍で、残念ながら、中に入ることはできませんでした。が、夫は、周囲をぐるぐる回って、写真を撮っていました。笑

右側に、小さな家のようなものが見えます。

実はこちらが玄関なのだそうです。^^ ここから入り、通路を通って主屋に入るようになっていました。

まるで2軒の家が並んでいるように見えます。

さて、見学コースも、終わりに近づいてきました。次は、旧竹鶴邸の隣りにある、一号貯蔵庫に行きます。

たくさんの貯蔵庫が並んでいます。永さ50メートルある貯蔵庫は、所内に26棟あるそうです。蒸溜されたウイスキーは、樽に詰められ、貯蔵庫で長い眠りにつき熟成されます。

細長い貯蔵庫が並ぶ中、第一号貯蔵庫に案内されました。

第一貯蔵庫です。

奥行きが長いですね。

そして入り口をよく見ると…、

戸口にはやはり、しめ縄が施されています。^^


【第一貯蔵庫】
蒸留所で最初に建設された、原酒貯蔵庫です。昭和14年ごろに造られました。旧竹鶴邸の南に位置します。木造石造りの平屋建で、切妻造、鉄板葺です。妻面にアーチ型の戸口を開き、上部に小窓を設けています。小屋組は、木造キングポストトラスです。(国の重要文化財)


警備の方が見守る中、みんなでぞろぞろと中に入りました。

貯蔵庫の中です。

ウイスキーの樽が、びっしりと並んでいました。

貯蔵庫の床は土間敷きで、適度な湿度が保たれるように設計されています。寒冷な気候も手伝って、本州の蒸溜所の原酒に比べてゆっくりと熟成が進むと言われています。

左端に写っているのは、どうやら夫の手のようです。笑

棟内の温度は自然まかせ。機械による調整はしていません。余市の気候風土が、美味しいウイスキーを育ててくれています。


次回は、楽しみな試飲会です。^^


(つづく)

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