MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 5 - 石狩市・旧長野商店②(2023年11月29日/2日め)

2023年11月29日 旧長野商店で。石蔵の中から、店舗をながめたところです。(北海道石狩市)


11月29日(水)- 2日め


当初は予定していなかったのですが、
突然の思いつきで、
札幌から石狩まで来てしまいました。


「旧長野商店」さん。あなたに会いに来ましたよ…。^^

横なぐりの雪が降り続ける中、掲げられていた看板を見上げました。


【旧長野商店】
石狩市弁天町にある、市内最古の建築物です。店舗が建築されたのは1894年(明治27年)ですが、石蔵は、アーチ窓の意匠軟石の目地の施工法が、1877年(明治10年)建築の水原寅蔵商店の石蔵(札幌市・現存せず)と酷似しているため、その建築時期は明治10年代に遡る可能性が高いと考えられています。

店舗と石蔵には、長さ約81cm×高さ約30cm×厚さ約17cmの軟石が920個あまり使用されています。木造の骨組みの外側に軟石を積む木骨石造の工法が用いられている点や、伝統的な日本家屋によく見られる瓦屋根やうだつ(卯建)に、アーチ窓などの洋風意匠をあわせもつ、和洋折衷のデザインが特徴です。また、店舗、蔵ともに耐火性の高い木骨石造で建てられていることは、珍しい例とされています。
長野商店は、越後荒井浜(新潟県聖籠町)出身の長野徳太郎が、1874年(明治7年)に創業しました。米、味噌、醤油、塩、砂糖、呉服、反物のほか、酒造業も営んでおり、当時の石狩町を代表する商家のひとつでした。1955年(昭和30年)に閉店した後、1988年(昭和63年)、建物が石狩町に寄贈され、1994年(平成6年)に、石狩町の文化財の指定を受けました。元は親船町7番地にありましたが、道道拡幅のため、2007年(平成19年)に、現在地に移築復原されました。


建物の内部です。道路に面した部分に沿って、長い土間があります。

土間部分には、商品が並べられていました。

そして、土間を上がったところが、商店になっています。


横に長い土間の次に座敷部分があり、
帳場が据えられていて、
さらに後ろの壁に沿って商品が並ぶ…。
この感じ、見覚えがあります。


2年前、北海道開拓の村で訪れた、旧武岡商店です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 36 - 北海道開拓の村⑧(旧近藤医院、旧武岡商店)(2021年11月6日/4日め)

そして増毛の豪商、旧商家丸一本間家。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 7 - 旧商家丸一本間家②(呉服店舗、奥帳場)(2022年6月19日/3日め)


3軒とも、そっくりな設えです。
「まあ、商店というのは、大体どこも、
 同じような感じになるのかもしれないね。」
…と、夫と話していたのですが、
説明パネルをよく見ると、
「この旧長野商店を復元するにあたり、
 増毛の『旧商家丸一本間家』
 を参考にしました。」
と書いてあり、納得しました。^^


帳場に座ってみました。笑

次は、土間の奥にある石蔵に行ってみます。

札幌軟石を積み上げて造っているのが、よくわかります。

店舗と石蔵を支えているのは、この札幌軟石。


札幌軟石について、以前に書いた日記です。札幌軟石を使った建築物の例として、日本キリスト教団札幌教会、小樽新聞社、旧札幌拓殖倉庫、小樽運河倉庫群を訪れたときの写真と日記も、ここにまとめてあります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 73 - 札幌市資料館① 軟石の街に残る古城(2021年11月11日/9日め)


石蔵の中には、旧長野商店ゆかりの品や、古い写真などが展示してありました。

長野家で試用した箪笥。金具を多用して堅牢に作ってあり、船箪笥のようにも見えます。

輪島塗皆朱会席膳揃。長野家の家紋が入っています。1904年(明治37年)に、能登輪島から購入したものだそうです。

この家の主だった、長野徳太郎とその家族。


【長野徳太郎】
越後荒井浜(新潟県聖籠町)出身。17歳のときから、東京、小樽、石狩地方へ物資を運ぶ船員をし、1972年(明治5年)、石狩に移住し、札幌や小樽で米、巳氏、酒の卸売りを始めました。1874年(明治7年)からは、石狩で本格的に商売を始め、米穀荒物雑貨、呉服を扱いました。その後酒造業も始め、清酒「日の出」を生産しました。このほか、石狩川汽船株式会社の経営にも参加しています。町会議員、石狩商業組合長なども務め、1916年(大正5年)、69歳で死去しました。


新築して2年後の1896年に撮影された、長野商店です。お店の人や近所の人が総出で写っています。日の丸が掲げられ、店舗左の入り口には、火災の際に使用する手押しのポンプが見えます。当時は電気が通っていなかったので、電柱はありません。

かつては、こんな風に建物が並んでいましたが、今も残るのは、長野商店のみです。

同じ角度から撮った、現在の旧長野商店。奥が店舗で、手前が石蔵です。

石蔵から店舗に戻り、外へ出ました。今度は外観を見てみます。

店舗の正面から向かって左側の面です。見学者は、いしかり砂丘の風資料館で入館料を支払ったあとで、この出入り口から入る、…というシステムになっています。

MIYOの隣りの部分には、うだつ(卯建)が設けられています。

これがうだつです。

石蔵の正面右側には、もうひとつのうだつがあります。


これまでに見たうだつの数々です。このほかにもたくさんあるのですが、書ききれません。😅
うだつのあるお店「小樽硝子の灯・彩や」の写真はこちらです。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 34 - 小樽堺町通りと、すし田でお昼ごはん(2021年6月28日/4日め)
増毛の旧商家丸一本間家にも、うだつがありました。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 6 - 國稀酒造③、すが宗の鮨弁当、旧商家丸一本間家①(2022年6月19日/3日め)
りっぱなうだつが並ぶ街並みといえば、やはり岐阜県美濃市を見ていただきたいです。😄
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 42 - 美濃史料館 旧今井家住宅(2021年3月29日/4日め)

コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 36 - 並んだ「うだつ」(2021年3月29日/4日め)


店舗の裏側にまわりました。ここにも、出入り口があります。商品搬入のための裏口だったのかな…。


このあと、もういちど資料館に戻って、
じっくりと展示を見ていたら、
あたりが暗くなり始めました。
まだ午後4時半なんですが…。😅


人影のない雪道で、旧長野商店、石蔵、そしていしかり砂丘の風資料館が、ひっそりと街灯に照らされていました。なにか、心が温まるような光景でした。


さて、札幌に戻ります。


これまで、北海道には何度も来ているのに、
石狩のことは、何も知りませんでした。


「来て良かったね…。」


今見てきたばかりの様々なことを、
夫と語り合いながら、札幌へと急ぎます。
車の中から眺めた、
雪に覆われた石狩は、とてもきれいでした。


(つづく)

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