積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 15 - 番屋通りからイオン小樽店、そして小樽商工会議所へ(2023年5月10日/1日め)
(2023/06/12 18:30記)
2022年11月29日 旧青山本邸です。ここで、青山留吉が晩年を過ごしました。山形に残る、「もうひとつの鰊御殿」と言えます。(山形県遊佐町)
5月10日(水)
小樽市の番屋通りを歩き、
右端から、
日和山灯台
小樽市鰊御殿(旧田中家番屋)
旧近江家番屋
旧白鳥家番屋
旧茨木家中出張番屋(2022年6月)
…と見てきました。
この茨木家中出張番屋の隣りには、
茨木家の住宅と蔵があります。
美しい佇まいの、茨木家住宅。現在も個人の所有であるため、中を見学することはできません。(画像をお借りしました)
【茨木家住宅(旧茨木輿八郎番屋)】
住宅は、道路に面して立つ平屋の主家とその裏側にある2階建てのはなれからなっています。前庭の周囲には四角形の花崗岩を立てて道路との仕切りとしています。また、建物の正面右には、庭を取り囲む板塀と門を設けています。玄関は来客用と家族用に区別され、それぞれ異なった屋根を持っています。建物細部には草花をモチーフとした彫刻が見られ、当時の大工らの細やかな装飾が見所でもあります。
そしてその先にあるのが、
青山家の広大な敷地跡です。
祝津漁港に面した広いエリアに、旧青山家元場三番蔵、青山元場・蔵跡、青山元場廊下跡が並んでいます。
蔵跡、廊下跡、…などと、
現在は「跡」が残るだけです。
それらはどこに行ったのか。
青山家の番屋はどうなってしまったのか、
…と言いますと、それらはすべて、
北海道開拓の村(札幌市)
に移築されています。
北海道開拓の村は、小樽市から西へ、約50㎞離れたところにあります。
堂々たる佇まいの、旧青山家漁家住宅。玄関がふたつあり、右が親方一家用で左が漁夫用でした。(2021年11月6日 北海道札幌市 北海道開拓の村)
【旧青山家漁家住宅とその配置】
青山家は山形県遊佐町出身で、小樽沿岸でニシン建網を経営した漁家でした。建網とは、塀のように海の中に定置網を建て、囲われた網の中へ魚を追い込んで獲る漁法です。青山家元場(本拠地)には、10数棟の建物が存在しましたが、北海道開拓の村には、そのうちの7棟(母屋、文庫倉、石倉、板倉、米倉、網倉、外便所)が移築されています。このほかには、水揚げした鰊を収納した廊下、粕蔵、船倉などがありました。建物の前には、作業場や干し場とするための、広い庭が設けられています。鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つとなっています。
一群の建造物のうち、網倉を除いた各棟の配置は創建当時のままであり、日本海沿岸に一般的に見られた鰊漁場の景観に比べると特異なものとなっています。
海を模した池の浜から少し上がった平地に、海岸線に対して垂直方向に一直線に並べて建てられているのは、創建当時の配置を再現しているからです。これは、狭い土地を一定の間数で地割りした、江戸時代末期以来の土地の利用形態によるものです。
青山家漁家住宅を訪れたときの日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 46 - 北海道開拓の村⑱(旧青山家漁家住宅①母屋)/ 山口かほるさんの個展(2021年11月6日/4日め)
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 48 - 北海道開拓の村⑳(旧青山家漁家住宅③網倉、海産干場、外便所、廊下、旧土谷家はねだし)/ とんでんで、よい夫婦の日(2021年11月6日/4日め)
こうして地図に照らし合わせてみて、いつのまにか私たちは、番屋通りの主な番屋をすべて見てしまっていたことに、今さらながら気づきました。😄😄
いやいや、それでも、です。
祝津港の左端にある、青山元場廊下跡から、
右端の小樽市鰊御殿まで続く番屋通りを、
やはりいつか、自分の足で歩いてみたい、
と思います。^^
最後に補足になりますが、
地図上の左側に残っている一大スポット、
にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)
についても、ご紹介しておきます。
【にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)】
昭和の初期まで、小樽はニシン漁で栄えていました。このニシン漁に由来する歴史的建造物が、小樽市内にはたくさん残されています。中でも、この「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」は別格で、人気漫画「ゴールデンカムイ」にも登場します。北の美術豪邸とも言われており、総工費は、現在の価格に換算すると約30億円と言われています。(国の登録有形文化財)
建築したのは、小樽市祝津の青山家。ニシン漁の網元で、明治から大正にかけて、青山留吉・政吉の親子2代で巨万の富を築き、「ニシン大尽」と呼ばれていました。青山家は、小樽から留萌にかけて、漁場約15箇所、漁船約130隻、使用人約300人を有しており、1914年(大正3年)頃には、年間で1万石(7,500t/現在の価値で約25億円)以上ものニシンを水揚げしていたと言われています。
その青山家の2代目政吉が、娘・政恵と共に6年半の歳月をかけて建てた別荘が、「旧青山別邸」です。棟梁がこだわりぬいて集めたヒノキ、けやき、紫檀、黒檀、神代杉、屋久杉などの建築材、春慶塗の廊下や柱、たも材の階段など、生活空間の随所に贅が尽くされています。隣接の「小樽 貴賓館」にある、138枚の花の大天井画も必見です。
にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)を訪れたときの日記です。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 39 - 小樽市総合博物館本館から「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)①」へ(2021年6月28日/4日め)コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め)
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 41 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)③/テレカ寄付のお礼とお願い(2021年6月28日/4日め)
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 42 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)④(2021年6月28日/4日め)
「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」の全景です。右が旧青山別邸で、左が貴賓館です。(画像をお借りしました)
わかりますでしょうか。鬼瓦は、帆に風を受けた北前船ですよ。^^
【青山留吉】
1836年(天保7年)、山形県の貧しい家で、第6子として生まれました。1859年(安政6年)、24歳の時に、北海道の漁場に1人で渡りました。
はじめは、後志国高島郡祝津村(小樽市祝津)で雇漁夫として働きましたが、約1年後に、小規模ながら同地にて漁場を開きます。そして明治期の積丹半島を中心に、漁場を次々と拡大しました。やがて青山家は、漁場15ヶ統余り、漁船130隻、使用人300人余を擁する道内有数の漁業家に成長します。
財を成した留吉は、故郷の山形県に、青山本邸を建設しました。後には田地250町余りを所有する大地主となり、一時は村税の8割を納めていたといいます。
漁業一筋48年の後、1908年(明治41年)、留吉は、北海道の漁場を養子の政吉に譲り、山形県に隠居しました。当時73歳でした。晩年は山形県で過ごしましたが、1916年(大正5年)、山形と北海道の両青山家の隆盛を見守りながら、81歳で、波乱万丈の生涯を閉じました。
補足の補足でたいへん恐縮なのですが、
青山留吉が故郷(山形県)に錦を飾り、
晩年を過ごした旧青山本邸も、
掲載しておきます。
山形県飽海郡遊佐町の旧青山本邸です。(国指定重要文化財)(2022年11月29日 山形県遊佐町)
【旧青山本邸】
遊佐町の貧しい漁家に生まれた青山留吉が、北海道のニシン漁で功を成し、その財で故郷に建てた邸宅です。明治時代の特徴的な建築様式をよく残すものと評価され、平成12年に、国の重要文化財(建造物)に指定されました。
床や柱は欅の春慶塗り、漆くい壁、神代杉の巾広天井、うぐいす張りの廊下、端から端まで継ぎ目のない一本物の長押し(なげし)。紫檀、黒檀、タガヤサン、杉、つげを使った書院造の床の間。ふすまの引き手は七宝焼(当時は宝石と同価値)。欄間は、竹、紫檀、黒檀に彫刻が施されてあり、日本画の絵師たちが競って描いた見事なふすま絵や書もそのままに残されています。
ここまで、小樽市番屋通りにつながる、
一連の建築物について、書いてみました。
自分の記憶も整理できて、
なにかほっとしました。😄
それにしても、要領が悪いですよね…。
番屋通りのあたりは、がんばれば、
一日で全部見ることができる範囲にあるんです。
なのに私たちは、何日もかけて、
同じようなところをウロウロしていたわけで。
(アホですね…。😅)
結局、小樽には、これまでに3回行きましたが、
たぶん、次の北海道でも、
また小樽に行くんじゃないかな、と。
もうね。
次に小樽で、行きたいところと
やりたいことがあるんですよ。笑
何度行っても、小樽は好きな街。
興味は尽きません。^^
さて。
羽田から朝のフライトでやってきて、
ここまで15回も書いてしまって、
スミマセン。😅
ようやく、今日一日の予定が終わり、
本日のお宿に向かいます。
その前に、イオン小樽店に戻ってお買い物。だってこの日は5月10日。イオンで5%オフの日なんです。笑
スーパーと言えど、お土産物もたくさんあるし、今日買えば5%引きです!笑
多動夫が見るのは、いつだってお酒売り場なんですけど。(アホ)
MIYOがお土産コーナーで買ったのはこちら。356円のお菓子が半額です。コレは旅行中のおやつに。笑
そしてホテルへ向かいました。この日予約していたのはこちら。かつて小樽商工会議所だった建物です。(小樽市指定歴史的建造物)
【小樽商工会議所】
1933年(昭和8年)の建築で、鉄筋コンクリート造です。北海道の発展に寄与する小樽経済界の拠点となった建物でした。設計は土肥秀二、施工は萬組で、いずれも地元の手によるものです。外装は、石川県産千歳石で彫刻が施され、正面玄関には、土佐産の大理石が用いられています。昭和初期における鉄筋コンクリート造の建物として、貴重なもののひとつです。(小樽市指定歴史的建造物)
その正面玄関がこちらです。
この歴史的建造物は、
現在はホテルとして利用されています。
運営しているのは、星野リゾートです。^^
次回は、
ホテルの内部と客室をご紹介します。
(つづく)