MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 42 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)④(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 何を食べてもおいしかった北海道でした。「展望花畑・四季彩の丘」で食べた、揚げアスパラ。「あれはおいしかったねえ」と、今も家族の語り草。笑(北海道上川郡美瑛町)


6月28日


小樽・旧青山別邸に来ています。
離れの見学を終えて、母屋に戻りました。


これまで見学してきたところです。


次は、母屋に戻ります。
この別邸に来てすぐに見たのは、
中村不折の間でした。
母屋ですから、
離れの数倍はありそうなくらい、
広いのですが、
残念ながら、コロナ禍で、
大部分は閉鎖されていました。


母屋で、私たちが入ることができたのは、
洋間だけでした。
それ以外の部屋は、廊下から柵ごしに、
覗き見るようにして見学しました。
それも、大部分は、部屋自体が閉ざされていて、
覗き見ることすらできません。


まあ、しかたないですね。^^
コロナ禍で、このような状況でも、
オープンしてくださっているだけでも、
ありがたいと思います。
「感染対策しながら、
 制限付きではあっても、
 できるだけのことをして、
 みなさんに見学していただきたい。」
という、職員の方々の思いは、
十分に伝わりました。
邸内に入ることができただけでも、
感謝です。^^


母屋は、廊下(ピンクの部分)から柵ごしに、邸内をのぞくようにして見学しました。


百畳敷の大広間や吹き抜けの天井などは
部屋に入ることができず、
残念でしたが、母屋の中で、
かろうじて見ることができた部分を
ご紹介します。


春慶塗(しゅんけいぬり)の廊下です。床や柱はすべて、木目の美しさを出す漆塗りの一つ「飛騨春慶塗」になっています。廊下のつきあたりに見えているのが、洋間です。


【春慶塗(しゅんけいぬり)の廊下】
天然の木目を生かした、漆塗り(春慶塗)の廊下です。建築以来、一度も塗り直されていないのですが、90年の時を経た今でも、きれいな光沢を見せています。日が当たる部分は少し色あせているのですが、それでも、味わい深い輝きです。


この美しい廊下を、
歩くことができたというだけで、
よしとしましょう…。^^


木枠にぴったりと嵌め込んだ一枚硝子は、現代の技術では復元不可能なのだそうです。

春慶塗の廊下の右手、一枚ガラスの向こう側には、坪庭が広がっています。前回ご紹介した「池泉庭」で、家族だけが見るために造られました。この同じ廊下に立って、かつては青山家の人々が眺めた庭です。

廊下の左手にある、12.5畳の部屋です。柵越しに見える部屋には、炉がきってありました。屏風は、城北偉史の書です。

写真を撮りそこなったのですが、この部屋には、山岡鉄舟の書があります。(画像をお借りしました)


【山岡鉄舟】
幕末の幕臣、剣術家、明治期の官僚、政治家、そして、剣・禅・書の達人でした。江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談では、これに先立ち、徳川慶喜の使者として、山岡鉄舟が西郷と面会して談判しました。このとき西郷は、鉄舟の赤誠に触れて心を動かされ、その主張をもっともだとして認め、将軍慶喜の身の安全を保証しました。これによって、江戸無血開城への道が開かれることとなりました。つまり、江戸無血開城の中身は、鉄舟と西郷の交渉でほとんど決まっていたのです。維新後、勝海舟が新政府に提出した勲功録には、「全て自分ががやった」ように書いてありました。それを読んだ鉄舟は、嘘だと思いながらも、勝の面子を潰すので、何も言わなかったそうです。(←言えばよかったのに。😟) その後、三条実美や岩倉具視の尽力により、事実が明らかになりました。
1888年、胃がんにより絶命しました(享年53歳)。葬儀の際、明治天皇は、高殿から目送し、全生庵での会葬者は5千人に上りました。


イケメンですね。笑 彼の死後、門人や使用人が何人も殉死しています。未遂で警察に保護された人々もいるそうです。「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない。」と人に思わせるような、魅力のある人だったようです。^^


話がそれて、スミマセン。笑
さて、旧青山別邸の、最後の部屋です。


洋間です。「家の中に1間だけ洋間を作る」と言うのが、当時の風流でした。モダンで上品な造りは洗練されており、当時では画期的なものでした。そのこだわりは、窓の桟やガラスなど、細部に見られます。

そして、元の場所に戻りました。旧青山別邸の見学は、ここから始まりました。


いったいどこから入ったのか?
と思われるかもしれません。
それがですね。
実を言うと、私たちにも、
よくわかりませんでした。笑
帰宅後、地図を見ながら、
よく考えてみたところ、
「春慶塗の廊下」の左端に、
小さな玄関があるので、
どうやら、ここから入ったようです。
「ようです」というのは、
なんだかよくわからない、
特別な入り方をしたからです。笑


左が小樽貴賓館で、右が旧青山別邸です。ふたつの建物がつながっているのがわかります。(画像をお借りしました)


つまり…。
旧青山別邸に入るためには、
まず、小樽貴賓館に
行かなければならないのです。
ここで入場券を買うと、
その奥の通路にはいることができ、
その通路を歩いていくと、
いつのまにか、旧青山別邸の中にいる、
というわけです。
(わかりにくいですね。笑)


小樽貴賓館には、
レストランと売店があります。
四季折々の庭園を眺めながら、
小樽・祝津ならではのお食事を
いただくことができるスポットです。


にしんお重(1870円)とにしんそば(1100円)。やっぱり、にしんのメニューなんですね!^^(画像をお借りしました)

小樽貴賓館の中に入ると、いきなり、こんな光景に出会います。

ホールの大天井には、北海道ゆかりの日本画家による138枚の花の絵がはめ込まれており、華やかで、それでいて品のある空間を作り上げています。

たくさんありすぎて、とうてい、一枚におさまりません…。^^

狩野派 進藤尚郁の「四季花鳥図」です。江戸中期の画家で、木挽町狩野家二代常信の門人でした。主に、洛中洛外図の名勝図巻を画いています。


美しい、小樽貴賓館。
小樽の人々の、
旧青山別邸に対する誇りと熱意が、
胸に響いてくるようでした…。


これで、小樽観光が終わりました。
長い長い、一日でした。笑
そして、「わずか」3泊4日の北海道旅行は、
ようやく終わりに近づいていました。


夜7時20分のフライトで、
東京に戻る予定です。
もう、5時を過ぎています。
急がなくては。
旧青山別邸に別れを告げ、
小樽から新千歳空港へ、
夫の運転で、一気に走りました。^^


次回は最終話です。


(つづく)


(おまけ)
旧青山別邸の花たちです。

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