MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - 小樽市総合博物館本館から「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)①」へ(2021年6月28日/4日め)

(2022/01/05 18:00記)

2021年6月26日 白金青い池で。(北海道上川郡美瑛町)


6月28日


小樽市総合博物館本館のつづきです。
前回の日記で掲載しきれなかった写真を、
一気に載せておきます。


第1号除雪車。この車両は、当時の図面や写真などから復元(原寸複製)したものです。ボディが木造です。すごいですね。^^


【第1号除雪車】
幌内鉄道の最大の悩みは積雪で、今と違って当時は機械力もなく、除雪には大変苦労しました。そこで、貨車の台車を利用して、1881年(明治14年)に、雪払車を造りました。現在のラッセル車と違い、前後の部分が上下し、積雪状況に対応できるようになっていました。この後、本格的なラッセル車が日本に登場するのは1910年(明治43年)で、アメリカから輸入したものでした。これ以後、ラッセル車は国産化され、全国に普及していきました。


それぞれの列車は、このレールで、博物館まで引き込まれてきました。長く延びた線路の先に北海道の大地と開拓時代から続く歴史があるのだと思うと、なにかジンときました。

あまり写真を撮っていないのですが、博物館の建物の中にも、たくさんの展示があります。

1910年(明治43年)に造られた、汽車汽船旅行双六です。


ここまで書き終えて、ほっとしています。笑
正直言いますと、なにしろ、
自動車ですら、
「色」しかわからない、MIYOです。😅
ショッピングモールの駐車場で、
我が家の車を見つけることができません。
白い車が2台並んでいると、
どちらがうちの車なのかわかりません。笑


「色盲」という言葉がありますが、
私の場合は、「自動車盲」ですかね…。
それくらいに機械オンチなのに、
「にわか鉄子」になってしまって、
鉄道について記事を書くというのは、
かなりキンチョウしました~。😂😂
(ちなみに、屋外の鉄道車両の写真は、
 すべて、多動夫が撮ったものです。
 そうとううれしかったみたいで、
 撮りまくっていますね。笑)


ああ、終わってよかった…。🤣🤣
そして、この項については、
いくつものコメントをいただきました。
こんな「にわか鉄子」の日記でも、
楽しんで見ていただけたことが、
とてもうれしかったです。
ありがとうございました。^^


さて。
小樽市総合博物館本館を後にして、
いよいよ、この旅最後の場所に向かいます。
(やっとかい。
 …って、あきれられてますよね。笑)


実は、この最後の場所こそが、
小樽でMIYOが
いちばん行きたかった場所なのです。
それは、祝津というところにある、
「にしん御殿 小樽貴賓館」
別名、旧青山別邸
大正時代に青山家が建てた、
豪華絢爛な別荘で、現在は、
国の登録有形文化財となっています。


すみません。
またまた、ニシンのお話です。笑


小樽駅から祝津までは、車で10分くらいです。めざす「にしん御殿 小樽貴賓館」に到着しました。


【にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)】
昭和の初期まで、小樽はニシン漁で栄えていました。このニシン漁に由来する歴史的建造物が、小樽市内にはたくさん残されています。中でも、この「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」は別格で、人気漫画「ゴールデンカムイ」にも登場します。北の美術豪邸とも言われており、総工費は、現在の価格に換算すると約30億円と言われています。(国の登録有形文化財)
建築したのは、小樽市祝津の青山家。ニシン漁の網元で、明治から大正にかけて、青山留吉・政吉の親子2代で巨万の富を築き、「ニシン大尽」と呼ばれていました。青山家は、小樽から留萌にかけて、漁場約15箇所、漁船約130隻、使用人約300人を有しており、1914年(大正3年)頃には、年間で1万石(7,500t/現在の価値で約25億円)以上ものニシンを水揚げしていたと言われています。

その青山家の2代目政吉が、娘・政恵と共に6年半の歳月をかけて建てた別荘が、「旧青山別邸」です。棟梁がこだわりぬいて集めたヒノキ、けやき、紫檀、黒檀、神代杉、屋久杉などの建築材、春慶塗の廊下や柱、たも材の階段など、生活空間の随所に贅が尽くされています。
隣接の「小樽 貴賓館」にある、138枚の花の大天井画も必見です。


駐車場に車を停めて、黒塀の続く道を歩きます。塀の内側に見えているのが、「にしん御殿」です。

角を曲がって、さらに直進します。

奥にあるのが、旧青山別邸の入口のようです。

ようやく到着。^^

「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」です。

ここから中に入ります。

門を入ると、目の前には、シャクナゲの庭が広がっていました。

その隣りは、枯山水の庭園です。ここはパワースポットになっているそうです。左手の赤松に、龍が舞い降りてきたように見える部分があるのですが、おわかりでしょうか。これは「降り龍」と言って、天から舞い降りた地上の守り神であるとされています。

「龍の部分はココですよ」という案内パネルがありました。

拡大してみますね。この部分です。そして、もう一度、2枚上の写真で、龍を探してみてください。笑


枯山水を通り過ぎたら、
次はいよいよ、
旧青山別邸に入ります。


(つづく)

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