MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 14 - ティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 ティーローミィンロー寺院で。ビルマでは、すべての寺院内で、靴を脱がなければなりません。この頃は大丈夫でしたが、現在は靴下もNGだそうです。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


ティーローミィンロー寺院に来ています。


早速、上層に上がりました。

外壁の装飾が、今も残っています。

外壁の装飾は、1215年の建立時に施されたものです。

MIYOの後ろに居並ぶパゴダたち。はるか地平線のあたりで、けし粒のように小さく見えるのも、すべてパゴダです。

いつのまにかモンモンさんもやってきて、テラスでくつろいでいました。^^

この寺院の上で、ふたりの少年に出会いました。

Mg Tan paw (タンポー)くんとMg Aung nig(アウンニー)くん。アウンニーくんは髪がないので、たぶん、得度を終えたばかりだったのでしょう。

アウンニーくん、シャンバッグから小さな石の置き物を取り出しました。これを売っているのだそうです。ちなみにシャンバッグは、ビルマの人たちが普通に使っている布のバッグです。

4人でおしゃべりしながら、記念写真。^^

ここから、寺院群を見渡すことができます。

イラワジ川と…、

川のほとりに並ぶ、無数のパゴダたち。

テラスでしばし佇んだあと…、

シカラに向かって、みんなで、レンガの階段を上がりました。

最上層に到着。慣れてるふたりは平気で腰かけてるけど、実はすごいところに座っています。😄

恐る恐る、私たちも。😅

アウンニーくんが売っていたのは、この置き物ひとつだけ。買わなくてゴメンネ。😅 日本の絵葉書といっしょに見せてくれました。

絵葉書には、こんな感じの赤鬼の写真がありました。「石の置き物の顔と似てるでしょ。」と言いたかったようです。😄

アウンニーくんの後ろに見えていたイラワジ川と、川沿いの寺院群。

夫、シカラの周囲を左方向に歩きながら、周囲の景色を撮りまくっていました。笑

おお、シュエサンドー寺院、アーナンダ寺院、タビニュ寺院、タラバー門が並んでいます。^^

2200ものパゴダたち。それを考えると、気が遠くなりそうです。


どっちの方向を向いても、
見えるのは、寺院とパゴダばかりでした。


広大なオールドパガン。
このすべてが、人々の祈りの場でした。


(つづく)


(おまけのお話)


このときに撮った写真を、あとで焼き増しして、
タンポーくんとアウンニーくんに送りました。
「写真を送りたいから、住所を書いてね。」
とお願いして、書いてもらったのですが、
そのメモを見てびっくり。


Near Cooperative Hotel 
Koelone quarter
Pagan


これだけだったんです。🤣🤣
「**区の**ホテルの近く」
っていうのが、住所のすべてですよ。😅
まあたしかに、住民も少ないから、
これでわかるのかもしれません。


「番地もなくて大丈夫?」
と半信半疑でしたが、
この通りに書いて送りました。
その手紙は戻ってこなかったので、
たぶん、写真はふたりに届いたのだと思います。
のどかだった、パガンの思い出。😄


次回は、モンモンさんのご自宅にお邪魔します。^^

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 13 - マニシトゥ・マーケットとティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 マニシトゥ・マーケットで。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


旅の5日め。
ビルマに着いてから4日めになりました。


朝食は、ホテルのレストランで。
パン、コーヒーとゆで卵みたいな、
簡単な朝食だったような気がします。
そして、ホテルまで迎えに来てくれた、
モンモンさんの馬車に乗って、
この日も元気に出発しました。


この日、まず出かけたのは、市場です。
私も夫も、市場を歩くのが好きなので、
モンモンさんに、
「地元の人が利用する、
 市場に連れて行ってください。」
とお願いしました。


このときは、
「とにかく市場へ」
とばかり考えていて、
市場の名前も知らなかったのですが、
グーグルマップで確認したところ、
ニャウンウー(Nyaung-U)
というところにある、
マニシトゥ・マーケット(Mani Sithu Market)
を訪れていたようです。
このあたりでは、最大の市場です。


マーケットの屋内エリア。と言っても木造で、木組みと屋根があるだけです。場所代が高いのか、こちらに出店しているお店はさほど多くありませんでした。

ザルに売り物を入れて並べています。天秤棒で重さを測って売っていました。

むしろにぎやかなのは、屋外エリア。路上に野菜を並べています。

こちらの女性は、シャン族の方のようです。

こちらはお魚屋さん。

お供え用の花を売るお店。

それぞれが、自分の前に売り物を置いて、一列にずらりと並んでいました。

ひとりが売っているのは、1品か、せいぜい2品。小さな商いです。

夫が、「南沙織に似ている。😍」と言って大喜びしていたので(アホ)、撮らせていただきました。


この写真は37年前のものですが、
最近、同じ市場を訪れた方の写真を
ネットで見てみると、この頃と、
あまり変わっていないような気がします。^^


現在でもパガンでは、
コンビニ、スーパーマーケットよりも
市場の方が多いようです。
パガンの一般的な家庭には冷蔵庫がないので、
人々は、日持ちのしない食材を買い求めに、
ほぼ毎日、市場に来るそうです。
市場がまさに、市民の台所になっている、
という感じで、それは今も同じなのでしょう。


売っているものは少なかったけど、お土産物屋さんもありました。みなさん、お顔がタナッカーで真っ白です。^^

ロンジー用の布、漆器、楽器、糸操り人形を売るお店で。置いてあったギターを弾き始める夫。(←なにやってんだか。)


市場をたくさん歩いて楽しんだ後、
ようやく、本日の寺院めぐりです。


2200もの寺院やパゴダがひしめくパガン。こんな、小さくて名前もわからないようなパゴダもごろごろしています。^^


まず最初に訪れたのは、
ティーローミィンロー寺院でした。


ティーローミィンロー寺院に向かって進む馬車の上から撮りました。お馬さんのタテガミが写っていますね。😄


【ティーローミィンロー寺院(Htilominlo Temple)】
1215年、ナンダウンミャー王が、自身の即位を記念して建てた大寺院です。「ティーローミィンロー」とは、ナンダウンミャー王の別名で、「傘と王に好まれた」という意味です。前王が後継者を選ぶ際、傘が倒れた方向に座る者を選んだという説話があり、それが寺院の名の由来とされています。高さ50m。3層の構造を持つ、荘厳で美しい建物は、パガン王朝の円熟期を象徴するもので、堂内の1階、2階それぞれに、4体の仏像が安置されています。


「傘が倒れたところに座っている人」
を次期王に決めたとは…。
冗談としか思えませんね。
鉛筆転がして、「どれにしようかな~。」
みたいな…。
この王様、大丈夫だったのでしょうか。😅


ということで、このティーローミィンロー寺院なのですが…。現在は、この姿を見ることはできません。

だってこれが現在のティーローミィンロー寺院ですから。😅 全くの別人になっていました。(画像をお借りしました)

比較しやすいように、並べてみました。変われば変わるものですねぇ…。😮


すっかり美しくなってしまって…。😂
いやほんと、驚きました。
37年で、こんなに修復されるとは…。
門の周囲に写っている緑が、
37年分成長しているのも、笑えます。😄


ティーローミィンロー寺院は、
1975年の地震で、大きく破損したそうです。
それを、よくぞここまで修復した、
というべきかもしれません。
ビルマのみなさん、がんばったんですね。^^


…ということで、
高さ50mの、ティーローミィンロー寺院。


尖塔がなくなっていますが、巨大なシカラです。


次回は、ティーローミィンロー寺院の
最上層まで登り、
パガンの寺院群を眺めます。


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 12 - タビニュ寺院とゴドーパリィン寺院。そしてチリピサヤホテルへ。(1987年5月4日/4日め)

1987年5月4日 タビニュ寺院の最上層で。現在は、ここに上がることはできないそうです。(ビルマ・パガン)


1987年5月4日(日)- 4日め


ここまで、
 タラバー門
 アーナンダ寺院
 マヌーハ寺院
 シュエサンドー・パゴダ
 ダマヤンジー寺院
と見てきました。


このときに、
「あるものは『寺院』で、
 あるものは『パゴダ』って呼ぶよね。
 どう違うの?」
と夫に訊いたのですが、夫の答えは、
「わからん。」
でした。


パゴダとは「仏塔」という意味なので、
「寺院」とは違うのかもしれません。
でも、ぱっと見て、
「これはPagodaなのか? Templeなのか?」
と訊かれたら、
私もいまだに、よくわかりません。😅
まあ、とりあえずこのブログでは、
「ネット上で、一般にこう呼ばれている」
という名で、標記しています。


訪れたい寺院(またはパゴダ)については、
はじめに夫がモンモンさんに、
名前を全部伝えました。
でもどういう順番で周るかについては、
マンダレーのときと同じで、パガンでも、
モンモンさんにおまかせしていました。


この日の最後に、
モンモンさんが連れて行ってくれたのは、
タビニュ寺院でした。
私たちが訪れた時は「タッピンニュ寺院」
と呼んでいたので、
ほんとうはそう呼びたいのですが、
現在のネット上の表記は、
「タビニュ寺院」となっています。
ビルマでは、PとBの区別がつきにくいようです。
パガンも、現在はバガンと呼ぶことが多いです。


タビニュ寺院です。

シュエサンドー・パゴダの上でアホなことをやってるMIYOの、はるか向こうに、タビニュ寺院が写っています。

同じアングルから撮った、現在のタビニュ寺院です。シカラの尖塔部分がどれも金色に塗られていて、凄みを増していますね。^^


【タビニュ寺院(Thatbyinnyu Temple)】
パガンにおいて、最も早い時期に建立された二層構造の大型寺院の一つで、旧王城の城壁内に、他のモニュメントを見下ろすかのようにそびえ立っています。年代記には、12世紀半ば頃にアラウンスィードゥー王が建立したと記述されており、1140年創建と推定
されています。タビニュとは、仏陀の「無限の知恵」という意味です。全高は約60メートルと、バガンで一番の高さを誇り、広大な平原のどこからでも視認することができます。
寺院は東向きに造られています。東西南北の四面に入口部が設けられていますが、東側の入口部分だけが、寺院から突出しています。
仏像は上層に安置されています。中央階段から上層に上がることができ、上層のテラスには、各隅に小型の仏塔が設けられています。美しい装飾が現在も豊富に残されているのですが、現在は、保全の観点から、上層テラスへの参観者の立ち入りは禁止されています。


この、パガンで最も高いとされている、
タビニュ寺院。
ネットで調べてみて驚いたのですが、
現在は、1階部分しか、
入ることができないのだそうです。


私たちが訪れた時は、
自由に上層部まで上がっていけたのですが。
ほんとうに、旅というのは、
「行けるときに行かなければ」
という思いです。


ピンクの花ごしに見た、タビニュ寺院。夫はやたら、花を撮りたがります。笑

とりあえず、せっせと登りました。

タビニュ寺院の最上層です。MIYOの後ろに見えているのは、アーナンダ寺院。

そしてテラスに立つと…、

はるか地平線まで広がる平原に、どこまでも続く、無数のパゴダたち。

手前に見えるのはレンガのパゴダ群。その向こうには、白いパゴダが点在しています。

平原を見晴るかす夫の後ろにあるのは…、

イラワジ川でした。

雲が多くて残念でしたが、ほんの一瞬、太陽が顔を見せてくれて…、

すぐに見えなくなりました。わあ…、イラワジ川が、オレンジに染まっています。^^


現在は、エーヤワディー川と言うようですが、
この当時は、「イラワジ川」でした。
シュエサンドー・パゴダからは、
ほんの少ししか見えませんでしたが、
このタビニュ寺院の最上層からは、
イラワジ川を
しっかりと眺めることができました。^^


シュエサンドー・パゴダからの
景色に感動しましたが、
タビニュ寺院からの景色もすばらしい。^^
あれから37年たちましたが、
このときに感じた思いはずっと心に残り、
今も、消えることがありません。


今年1月。
アンコールワットの王のバルコニーから
下界を眺めたとき、
胸をよぎったのは、この日のパガンでのこと。
そして、MIYOの隣りで、夫もまた同じように、
この日のことを思い出していたようです。


アンコールワット・王のバルコニーから眺めた景色です。
このときの日記です。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 46 - アンコールワット⑲ 第三回廊(王のバルコニー)(2024年1月17日/6日め)


これで、この日の寺院めぐりは終わりました。
このあと、ゴドーパリィン寺院に寄りますが、
この寺院は写真を撮っただけで、
中には入っていません。


ゴドーパリィン寺院です。


【ゴドーパリィン寺院(Gawdawpalin Temple)】
バカンで2番目に高くそびえ立つ寺院です。1183年にスラマニ寺院を建てたナラパティシートゥ王が、1174〜1211年にかけて建てた寺院です。建設途中にナラパティシートゥ王が亡くなりましたが、息子のナンダウンミヤー(1211~1234年)が王位を継ぎ、建設を続けました。美しい塔の高さは55mに達し、バガン遺跡を代表する寺院のひとつです。


イラワジ川のほとりにあるゴドーパリィン寺院は、タビニュ寺院の上からもきれいに見えました。

現在のゴドーパリィン寺院です。(画像をお借りしました)


この日のお宿をまだ決めていなかったので、
モンモンさんに、
「どこか知っているホテルに
 連れて行ってください。」
とお願いしてありました。
そのホテルまで行く途中に通ったのが、
このゴドーパリィン寺院でした。


「中に入りたいですか?」
とモンモンさんに訊かれました。
今思うと、中に入ればよかったのですが、
このときは、もう疲れきっていて、
そんな元気がありませんでした。😅


今と違って、アゴダなどはありません。笑
あらかじめネットで予約を入れておくとか、
ありえない時代だったので、
モンモンさんに連れて行ってもらうことで、
どうにかホテルに泊まることができました。


このときに泊まったホテルの名前は、
「チリピサヤホテル」でした。
ほとんど観光化されていない頃だったので、
当時、このあたりでは、
最も高級な部類のホテルだったと思います。


ホテルの名前だけは憶えていたのですが、
残念ながら、
ホテルの写真を全く撮っていません。
ネットで探しても、出てきません。


37年も前のことだから、
もうそんなホテルはないんだろうな、
…と思ったら、一件だけ、
「Thiripyitsaya」というワードで検索できました。
2018年に、チェコ人の旅行者が宿泊し、
インスタにあげていました。


そうそう。泊まったのは、こんなコテージでした。^^(以下4枚、画像をお借りしました)

当時のままです。目の前がイラワジ川。コテージのまわりは芝生で、コテージまでは、この写真のとおりに、細い通路がめぐらされていました。

部屋の広さもこんな感じでした。ベッドに天蓋とかはなく、インテリアはもっと素朴でしたが。

このホテル、現在は、Thiripyitsaya Sanctuary Resort Bagan と言い、こんな豪華なホテルになっています。


イラワジ川のほとりに位置する、
Thiripyitsaya Sanctuary Resort Bagan。
1996年に、日本の投資家によるプロジェクトで
こんなすごいホテルになったそうです。😮


ちなみに、アゴダで調べてみました。


一泊朝食付きで、定価は30276円。
ですが、アゴダセールで56%引きになり、
13373円(ふたり分)。


これなら、私たちでも泊まれそうです。^^
(また行くのか?🤣)


今日一日のルートです。


タラバー門から入り、
 アーナンダ寺院
 ダマヤンジー寺院
 マヌーハ寺院
 シュエサンドー・パゴダ
 タビニュ寺院
 ゴドーパリィン寺院
と訪れ、
(当時の)チリピサヤホテルへ。


私たちがチェックインしたのを見届けて、
モンモンさんも、家路につきました。
ビルマに着いて3日め。
この夜、初めてお風呂に入り、
ベッドで眠ることができました。😂


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)

1987年5月4日 シュエサンドー・パゴダの最上層で。(ビルマ・パガン)


1987年5月4日(日)- 4日め


モンモンさんの馬車に乗って、
パガン寺院群のパゴダを尋ねています。


アーナンダ寺院から次の寺院へ。遠くに、アーナンダ寺院が見えます。そして私たちの馬車とすれ違う、二頭立ての牛車。もうもうと舞い上がっている、すさまじい土埃をご覧ください。当時のビルマは、どこもだいたいこんな感じでした。😄


さて、アーナンダ寺院の次に行ったのは、
マヌーハ寺院でした。


現在のマヌーハ寺院です。(画像をお借りしました)


馬車がここに止まったとき、
「ん? なんかヘンな所に来たな。」
と思ったような気がします。
で、これが寺院だとは思えなかったみたいで、
夫は、写真も撮っていなかったし、
アルバムを調べても、
なんのメモも残っていませんでした。🤣
なので、今回、ブログを書くにあたって、
寺院名をつきとめるのに苦労しました。


【マヌーハ寺院(Manuha Temple)】
2階建てで長方形のマヌーハ寺院は、パガンでもっとも古い寺院のひとつです。マヌーハは、タトォン国の王(モン人)名前です。11世紀半ば、バガン王朝を建てたアノーヤター王(1044~1077年)に攻めこまれ、マヌーハ王自身も、捕虜としてこの地に連行されました。後にマヌーハは釈放されましたが、そのときに所有していたすべての財宝を投げ打ち、1067年にこの寺院を建てました。寺院内には3体の仏坐像と1体の涅槃仏が安置されていますが、どれも空間いっぱいに造られていて、非常に窮屈そうにしています。その姿は、囚われの身となった王の、憂いに満ちた心情を投影したものとされています。寺院の随所に、捕らわれの身の鬱屈した思いが表れている、因縁の寺院です。

*モン人とは、ビルマ南部・タイ中西部に散在していた南アジア語系の先住民で、ドヴァーラヴァティーを建国したことで知られています。


この寺院で撮った唯一の写真。窮屈そうに横たわる涅槃仏です。


この涅槃仏が置かれているところ、
ほんとうにすごく狭くて、
人ひとりがやっと通れるくらい。
「どれくらい狭いかがわかりやすいように」
と、夫がわざと、MIYOを立たせました。


このときのMIYOの顔ですが。
2日前から顔を洗っていないので、
前日のタナッカーが、まだ残っています。😅
せっかく描いてもらったので、
もったいなくて、洗いたくなかった、
ということもあったのですが。🤣


マヌーハ寺院で撮った写真は、これ一枚。
この写真だけで寺院名をつきとめた私は、
エライと思う。
(誰も言ってくれないので、自画自賛。)


現在の写真。涅槃仏は、全身、きれいに色を塗られています。お顔を美しく化粧され、真っ赤な口紅。どっちがビルマらしいのかと言われたら、どっちもなんでしょうね…。^^(画像をお借りしました)


続いて向かったのは、
シュエサンドー・パゴダでした。
モンモンさんがここに向かったのには、
理由がありました。
そろそろ夕暮れ時で、その時間に、
シュエサンドー・パゴダからの眺めが
いちばん美しく見えるからなのです。


そんなこと、私たちは全然知りませんでしたが、
寺院を訪れる順番を、モンモンさんは、
ちゃんとアレンジしてくれていました。^^


馬車の中から撮ったシュエサンドー・パゴダです。大きいです。

現在の写真です。37年前と同じ姿ですね。^^(画像をお借りしました)


【シュエサンドー・パゴダ(Shwesandaw Pagoda/ရွှေဆံတော် ဘုရား)】
1057年、アノーヤター王によって建立された、パガンでもっとも高いパゴダです。5層のテラスが設けられ、その上に「ティ(hti)」というシカラ(ストゥーパ)があります。かつては、ジャータカ(Jataka)という物語の場面を描いたテラコッタのタイルが置かれていました。塔内には、タトン(Thaton)国から入手したゴータマ・ブッダの聖髪が安置されています。
パゴダの階段から上に登ることができ、最上層からは、パガンの寺院群が一望できます。眺めがすばらしく、朝日、夕日を見るのに最適な場所です。


…ってことで、私たちも登りました。すごく急な階段です。

最上層まで、あともう少し。シカラ(sikhara)があんなに近くに見えます。

到着です。ここから、パガンの寺院群が一望できます。MIYOの隣りに見えているのは、ダマヤンジー寺院。この寺院には、前まで行ったのですが、写真を撮っていませんでした。

現在のダマヤンジー寺院です。37年間で木がずいぶん生い茂っていて、その間から、ニョキニョキと、たくさんのパゴダが顔を出しています。(画像をお借りしました)

この寺院は、未完成のままで残されています。(画像をお借りしました)


【ダマヤンジー寺院(Dhammayan Gyi Temple)】
基壇一辺の長さが約78メートル。ピラミッドのような均整のとれたフォルムが美しい、バガンの中で最大規模の寺院です。1170年、「もっとも変わった姿で、もっとも精密な細工を施した寺院を」と望んだ、パガン王朝第5代ナラトゥー王(Narathu)の命によって建設が始められました。しかしナラトゥー王は在位わずか4年目で何者かに暗殺されてしまい、工事は中断。その後、建造を再開する人物は現れず、寺院は今も未完のままで残っています。


シュエサンドー・パゴダの最上層から眺めた景色です。はるか向こうに、少しだけ、イラワジ川が見えました。

夫の後ろに、アーナンダ寺院も見えます。

このときのMIYO。ボロボロです。パンツも靴下も真っ黄色に染まってるし、お風呂には3日入ってなくて、髪はボサボサ。😂

でも、最高に楽しかった。

世界中、どこに行っても、必ずコレをやってる人。(アホ)

…と思ったら、あはは、MIYOもいっしょにやってました。(ドアホ) ちなみに、奥に見えているのは、パガンで最高の高さを誇る、タビニュ寺院。

どこまでも続くパゴダを、ただひたすら眺めていた日。このときのことを思うと、やはり泣けてきますね。


ちなみに、このシュエサンドー・パゴダですが。
眺めが素晴らしいということで、現在は、
たいへんな人気スポットとなっているようです。


ネットで調べてみると、
「観光客が押し寄せるところです。
 階段が急で怖いが、途中で立ち止まったり、
 ゆっくり登ったりしていると
 後ろに続く人たちのヒンシュクを買う。」
「日の出、日の入り前後は混雑するので、
 いい場所をキープするには、
 1時間前までに到着して
 場所を取っておいた方がいい。」
…などという記述が出てきます。


はあ… そうなんだ…。😮


私たちが訪れた当時、
パガンは無人に近い状態でした。
ご覧の通り、
どこに行っても誰もいなくて、
ふたりで好き勝手やってます。笑


じゃあ、ふたりいっしょの写真は、
どうやって撮ったのかというと。
まれに、地元の方がお参りに来られるのです。
そういうときに、
お願いして撮っていただきました。^^


私たちのほかには誰もいなかった、
あの頃のパガン。
アジア最大の仏教遺跡・パガンは、
ビルマ軍事政権下の経済制裁が続いたため、
長く、神秘のベールに包まれてきたのですが、
2019年、ようやく、
ユネスコの世界遺産に登録されました。


アンコールワット(カンボジア)や
プランバナン(インドネシア)を
はるかに凌ぐと言われる、その広大な寺院群を、
私たちふたりで、貸し切りですよ…。
今思うと、ディズニーランド貸し切りよりも、
ずっとずっと、
すごいことだったような気がします。(アホ)


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 10 - アーナンダ寺院(1987年5月4日/4日め)

1987年5月4日 アーナンダ寺院で、チンネ像と。(ビルマ・パガン)


1987年5月4日(日)- 4日め


パガンに到着し、
モンモンさんの馬車に乗って、
パガン寺院群に行きました。


今も残る城壁のタラバ門を抜けて、
2200ものパゴダが残る、
オールドパガン・エリアへ。
いちばん初めに訪れたのは、
「ビルマのウェストミンスター寺院」
と言われる、アーナンダ寺院でした。


当時、夫が買った絵葉書です。日本の自宅あてに送ったので、消印の赤いインクが少しついていますね。^^ 印刷が粗いのもさることながら、尖塔の金がはがれた部分を、すべて、赤い色で塗りつぶして修正してあるのがすごい。😮

現在のアーナンダ寺院。絵葉書で赤く塗りつぶされていたところは、一部、金色になっています。^^ こうして、おそらく今後も、金色の部分が増えていくんだろうなあ…。(画像をお借りしました)

アーナンダ寺院へと続く入口です。

ちなみにこれは、現在の同じ場所です。アーナンダ寺院の尖塔部分(シカラ)が、キンキラキンになっています。😄(画像をお借りしました)


私たちが訪れた時は、
国自体がほとんど鎖国状態だったこともあり、
ほかの観光客に会うこともありませんでした。
このときも、「パガン貸し切り状態」でした。


世界遺産として登録された現在は、
パガンにも多くの人が訪れるようになり、
アーナンダ寺院の前には、
たくさんのバスや車が停車しているそうです。
そして、この入口を入ると、内部はなんと、
りっぱなお土産物屋さんになっているとか。😅


入口を抜けると、アーナンダ寺院がド~ンと見えます。

現在と違い、尖塔部分は、地肌がむきだしになっています。これはこれで、素朴で美しかったのですが。

寺院が大きすぎて一枚に収まらず、夫、苦労しながら撮りまくっていました。笑

寺院を守っているのは狛犬ではなく、ビルマの神話上の動物、羽根のあるライオン・チンネ(またはチンゼ)だと思います。
チンネについては、こちらの日記で書きました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 6 - サインワインでおおさわぎ(1987年5月3日/3日め)


パガンの他の寺院と同じように、
アーナンダ寺院でも、
東西南北それぞれの方向に
全部で4体の仏像が安置されています。
が、アーナンダ寺院の仏像の特長は、
黄金に輝く立ち姿であること。
さらに、高さが9.5メートルもあり、
その大きさに圧倒されます。


4体の仏像には、それぞれ、
名前が付けられています。


夫が撮ったのは一枚だけで、南向きにあった、Kassapa。中に照明などはなく、バ*チョ*カメラなので、あまりきれいに撮れませんでした。4体のうちの2体(北向きと南向き)が建立時からのものと考えられていて、これはそのひとつです。

現在のKassapaです。最近は、きれいに撮れるようになりました。(画像をお借りしました)

左上から時計回りに、Kassapa(南向き)、Kakusandha(北向き)、Konagamana(東向き)、そしてGautama(西向き)。

内部には、美しい壁画が残されていました。

左:夫が買った絵葉書のアーナンダ寺院。
右:現在のアーナンダ寺院。
(画像をお借りしました)


あの当時はネットなどはなく、
ビルマの写真どころか、関連書籍すら、
なかなか入手できませんでした。
そんななか、ビルマで買った絵葉書は、
私たちが手にすることができた、
数少ない、「ビルマの写真」でした。
なので、たとえ印刷は悪くても、
夫は大切に、アルバムに貼っていました。^^


現在は、PCを開けば、
見たい写真がいくらでも出てきます。
こんな時代が来るとは…。😄
(なんたって、37年も前。爆)


アーナンダ寺院を出て、モンモンさんが待つ駐車場(駐馬車場)に戻ると…、

モンモンさん、お馬さんにお水を飲ませていました。🤣

馬車に乗って、アーナンダ寺院を出発。

アーナンダ寺院が、しだいに遠ざかって行きました。


この頃はまだ、海外であまり知られてなく、
世界遺産としても登録されていませんでしたが、
それでも、ここは一応、オールドパガン。
「パガン寺院群」という遺跡エリアです。
けれど、エリアの中には牛車がいるし、
家畜たちはのんびりと草を食んでいました。


世界遺産となった今でも、パガンでは、
こんな光景が続いているのかなあ…。😄


(つづく)