MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 58 - ワット・ホープラケオ③ と、タラートサオ・モール(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ワット・ホープラケオに来ています。


ヴィエンチャン様式の、美しい本堂。これはMIYOが撮った写真です。

同じ場所から、夫が撮った写真。夫が撮ると、なぜかいつも、寺院の一部がはみ出てしまうんですよね…。😔

ラオスの寺院の屋根によく見られる「棟飾り」。聖鳥ガルーダの頭を模しており、チョーファーと呼ばれています。


このチョーファーが、ですね。

夫が撮った写真では、

たいていちょん切れてしまっていて、

写っていないんですよね…。😔


帰国してから、写真を見るたびに、

「あ~。またチョーファーが写ってない。」

と、残念な気持ちになるのですが。

なぜ、チョーファーをカットするのだろう。

もしかして、夫の目には見えていないのか?🙄


庭園内に樹がたくさんあるので、たしかに、写真を撮りにくい寺院ではありました。この写真も、樹のせいで屋根がきれいに撮れませんでした。が、階段を走る10匹の龍の美しいフォルムが撮れているので、掲載します。^^


このあとは、

本堂の手前に広がる庭園を眺めながら、

入場口まで歩きました。


庭園の中にあった、巨大な壺。ジャール平原の石壺を、ここまで運んできたようです。


【ジャール平原の石壺】

ジャール平原は、ラオス中部のシエンクワーン県、アンナン山脈の北端に位置する台地です。ここには、大量の石壺(Stone Jars)が散らばって埋められています。石壺は、シエンクワーン台地を中心に400箇所以上で確認されています。これらの石壺は、「古代モン・クメール族によって、1500から2000年前に使用された。」と考えられています。発見された石壺のほとんどは、紀元前500から西暦800年のものです。人類学者や考古学者は、「これらの石壺は、骨壷あるいは食料貯蔵のための容器として使用された。」としていますが、詳しいことは、現在もわかっていません。


「ジャール平原も、今回、

 行こうかどうか、迷ったんだけど、

 場所がすごく行きいくいところにあるので、

 あきらめた。」

…ですと。😓


ジャール平原って、ここですよ。ルアンパバーンとヴィエンチャンの間ですが、山の中をかなり迂回していて、これはたしかに行きにくそうです。


旅の計画は、そのほとんどを夫が作り、

MIYOはついていくだけなのですが、

まかりまちがったら、

ジャール平原まで行ってたらしいです。🤣🤣


寺院内にある、たくさんのストゥーパたち。


ワット・ホープラケオの入場口を出て、

さて、これからどうしよう、

と、ふたりで相談しました。


「もうすぐ5時になるし、ホテルに戻る前に、

 どこかで晩ごはんを食べたいね。

 ショッピングモールにでも行ってみない?

 フードコートがあるかも。」


…ということで、

グーグルマップで探してみると、

徒歩10分くらいのところに、

タラートサオというモールを発見。

再び、ラーンサーン通りを歩きながら、

今度はモールをめざしました。


歩行距離は2キロになっていますが、これ以外に、寺院の中をくまなく歩いているので、すでに4キロくらいになっているかと…。

ワット・ホープラケオのすぐ隣りに見えた、立派な建物。ラオス国家主席府だそうです。

カシコーンタイ銀行のラオス支店です。建物はコロニアル風ですてきなのですが…、

なぜ、巨大な招き猫が置いてあるのか…。🤣 高さは4m以上ありそうです。

この通りをずっと歩き続けると、凱旋門があります。めざすモールはその手前。

さらにてくてくと歩いて、どうやらそれらしいものが見えてきました。

タラートサオ・モールです。

中に入ってみました。1階は、衣料品や時計などのお店が入っています。

上の階にフードコートかレストランがあるかも…と、上がってみましたが、2階部分はシャッター街。3階は倉庫のような状態で、4階部分は真っ暗でした。

停止しているエスカレーターを階段代わりにして上がってみると、2階は貴金属のお店ばかり。

そのうえ、2階の大部分のお店は閉店していて、シャッター街となっていました。


中国経済が冷え込んだ結果、

ラオスまで買い物に来る中国人が減り、

ラオスの経済は窮地に陥っている。

…と、夫はなにかで読んだそうですで、

「まさにそのとおりなのかも。」

などと言っておりました。


それが本当かどうかはわかりませんが、

少なくともこのモール内では、

晩ごはんを食べることはできなさそうだ、

ということはわかりました。


しかたなく、ごはんを食べるところを求めて、

再び街をさまようことになりました。


いまここ。😊


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 57 - ワット・ホープラケオ②(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ワット・ホープラケオに来ています。


敷地の入り口で入場料を払って、寺院まで続く通路を歩きました。その美しさに圧倒されました。

正面に、3列の階段が設けられており…、

8枚構成の屋根は、美しい曲線を描いていました。1階部分の周囲に設けられている広縁は、まさしくヴィエンチャン様式です。

これは、ルアンパバーンで訪れたワット・シェントーン(ルアンパバーン様式)。9枚構成の屋根が描く優美な曲線は、地面に届きそうなほど。並べてみると、ヴィエンチャン様式とルアンパバーン様式の違いがわかりますね。^^

このときの日記です。

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 18 - ワット・シェントーン② 本堂 黄金の仏像(2025年3月15日/2日め)

ワット・ホープラケオでは、内部へと続く階段が、正面に3か所、そして側面に2か所設けられていました。

それぞれの階段の手すりには、龍の装飾が施されていて…、

本堂の正面に6匹の龍が居並ぶ姿は、壮観な眺めです。

階段を上がります。

多動夫、うれしそうです。笑

階段を上がったところにある、広縁部分。この広縁があるのが、ヴィエンチャン様式の特徴です。

ついさきほど訪れたワット・シーサケットも、屋根はルアンパバーン様式で、1階の広縁部分はヴィエンチャン様式でした。

広縁部分に並ぶ仏像。


この広縁から、

本堂の内部に入ることができたのですが、

撮影禁止であったため、

内部の写真はありません…。


250年前、この寺の主であった、エメラルド仏。今はタイのワット・プラケオに置かれています。(画像はタイイクマガジンより。)

たまたま通りがかった、ワット・ホープラケオ。その存在すら知らなかったのですが、静かで趣のある、いいお寺でした。


このあとは、本堂の周囲にある庭園を、

のんびりと歩きました。


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 56 - ワット・シーサケット④ 中庭 と、ワット・ホープラケオ①(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・ホープラケオで。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ビエンチャン最古の寺院である、

ワット・シーサケットに来ています。


本堂の回廊を歩いたあとは…、

本堂の外に出て、中庭を歩きました。

きらびやかな山車やストゥーパが並んでいます。

それぞれのストゥーパには、古い写真がはめこまれていました。はじめは、お墓なのかな、と思ったのですが…、

かつてラオスに貢献した、政治家や官僚の写真だそうです。美しい婦人に魅かれて、撮ってしまいました。😊

黄色い花は、イエローベル(ノウゼンカズラ科)というそうです。この塀の向こう側は、ついさっき歩いていた、ラーンサーン(Lane Xang)通りになります。

中庭をくまなく歩きました。

34年前の写真です。奥に写っているストゥーパと家屋は、上の写真に写っているものです。この、同じ場所を歩いていたんですね。^^

再び、ワット・シーサケット博物館の入り口まで戻りました。

来るときは裏門から入りましたが、帰りは正門から退出。^^


時刻は午後4時を過ぎていました。

このあとは、特に予定もなかったので、

のんびり歩いて帰ろうかな、

と思っていました。

ところが。


ワット・シーサケットのお向かいに、ワット・ホープラケオというお寺があるのを、多動夫が見つけてしまいました。😔


ガイドブックとかを見ながら、

めざして歩いていたわけでもないのに、

この人はどうしてこう、鼻が利くのか…。


さっきのタート・ダムもそうでしたが、

あてもなく歩いていたはずなのに、

なぜか重要なスポットに来てしまう…。

来ちゃったからには、

夫は、中を歩かないと気がすまない。

こうして、一日中、延々と歩くことになるのは、

ルアンパバーンですでにご紹介済みです。😔


今、この日記を書いていてふと気がついたので、

夫に確認してみました。

思ったとおりです。

「ワット・シーサケットの隣りに

 ワット・ホープラケオがある。」

ということを、

事前に、つまり、ホテルを出発する前から、

知っていたそうです。🙀🙀


はじめから、

両方のお寺に行くつもりだったんですね…。

でも、あらかじめ、私にそれを言うと、

「そんなにお寺ばかり行きたくない。」とか、

「どこまで歩かせるんだ。」とか、

ブーイングになるので、わざと教えることなく、

たまたま通りがかったふりをして、

あちこちのスポットを歩かせたらしい…。


どおりで、ルアンパバーンでも、

なんとなく歩いているうちに、

どんどん訪問先が増えていったはずです。😔

夫ははじめから知っていたのに、

たまたま近くを通りがかったふりをした。

そして私を、次々と、

いろんなスポットまで歩かせたのだ、

…と、初めて気がつきました。(←いまさら)

なんてこった。


これからはもう、だまされないからねー!😠


案内には、「ホープラケオ記念博物館」と書いてあります。

ワット・ホープラケオです。

美しい曲線を描く屋根はルアンパバーン様式ですが、本堂の周囲に広縁をめぐらしてあるのは、ヴィエンチャン様式。^^


【ワット・ホープラケオ】

かつて、ラオスの国宝だったエメラルド仏が祀られていた寺院です。エメラルド仏は、紀元前に古代インドのマガダ国で誕生しました。その後、内戦から守るため、スリランカに運ばれ、更に現在のカンボジア、タイのアユタヤなど、諸国を転々と移動しました。そして1565 年、ラオスの前身であるラーンサーン国王によって、首都ビエンチャンに移されました。そのときに、エメラルド仏を安置するための寺院として、ワット・ホープラケオが建立されました。その後約200年もの間、エメラルド仏は、ラオスの信仰の象徴となりました。しかし、1779年に、シャム王国(現タイ)との戦争によって略奪されてしまいます。そのような経緯を経て、現在、エメラルド仏は、タイのワット・プラケオに祀られています。

世界中の観光客で賑わうタイのワット・プラケオは、タイを代表する王宮寺院で、「エメラルド寺院」とも呼ばれています。しかし250年前、そのエメラルド仏がラオスにあったということは、あまり知られていません。


タイ・バンコクのワット・プラケオ(エメラルド寺院)。(画像は、タイイクマガジンより。)

初めてタイに行ったときに訪れた、ワット・プラケオ。26歳と28歳でした。(1986年5月2日 )


ということで、ここから、

ワット・ホープラケオの見学が

始まってしまいました。😔


いまここ。😊


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 55 - ワット・シーサケット③ 回廊(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・シーサケット 本堂の回廊で。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ビエンチャン最古の寺院である、

ワット・シーサケットに来ています。


本堂祭壇部の周囲には、本堂を取り囲むように、回廊がめぐらされています。

左が本堂、右が回廊。さらに後ろに、経堂(3棟)のドクソ-ファーが見えます。

それでは、この回廊部分を歩きます。

ちなみに、34年前の回廊です。(1991年9月1日)

当時32歳。笑

回廊は、本堂の祭壇部分を囲むように、四角形になっています。

それぞれの辺の中央には、本堂の外へと続く出入り口が設けられています。

回廊の内部です。

回廊の内側は通路になっており、外側の壁面には仏像が並んでいます。

本堂エリア全体で、2052体に及ぶ仏像が置かれているそうです。

壁面には3420個の小さな穴が彫られており…、

それぞれの穴に、小さな仏像が2体ずつ安置されています。

34年前にも、ここに来ていたみたいなのですが、全然覚えていません。😅(1991年9月1日)

歩いても、歩いても、ずうっと仏像。^^

仏像には当初、眼球部分に宝石が嵌め込まれ、頭部は金細工などで飾られていたそうですが…、

度重なる戦いによって、そのほとんどが持ち去られてしまいました。

かつては豪華絢爛だったと思われる回廊。今はただ、物言わぬ仏像が、果てしなく並んでいます。戦乱の歴史を、ずっと見守ってきたんだろうなぁ…。

人気(ひとけ)のない回廊の前にたたずみ、ぼんやりと、こんな風景を眺めていました。

ふいに、どこからともなく僧侶が現れて…、

そのまま、目の前を通り過ぎていきました。

左から、回廊、経蔵、そして、本堂祭壇です。


なにかとても穏やかな気持ちになれた、

ワット・シーサケットのひとときでした。


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 54 - ワット・シーサケット② 本堂(2025年3月17日/4日め)

2025年3月17日 ワット・シーサケット 本堂で。(ラオス・ヴィエンチャン)


3月17日(月)- 4日め


ビエンチャン最古の寺院である、

ワット・シーサケットに来ています。


柱や屋根の装飾は、建築当時(1818年)の姿をとどめています。

周囲には、本堂を取り囲むように、広縁風のベランダが設けられています。(ヴィエンチャン様式)

壁面に施されている、レリーフ。

ここから、本堂の中に入ることができるのですが…、

まずは、破風の美しい彫刻をご覧ください。


破風部分の板には、

四弁の花模様や編み込み模様の

見事な彫刻が施されています。

これらは、ヴィエンチャン派のラオス芸術に

よく見られる装飾です。


そして、靴を脱いで本堂の中へ…。

本堂内部の祭壇です。

内部を説明したパネルが置いてありました。

①仏陀(19世紀初頭)②アヌ王の命によって建立された、青銅製立像仏2体③ナーガ族のムチリンダ王に守られた、石造りの座仏。④ラオス様式の歩く仏陀(17世紀頃)。⑤立像仏。プラバンのコピー。

*プラバンは、ラオスで最も神聖で文化的に重要な仏像と見なされています。

そして見逃せないのが、居並ぶ仏像の手前に置かれた、木製燭台(19世紀)。細かい彫刻が施されており、「ラオスで最も美しい燭台」と言われています。


私も夫も、それぞれに、

本堂のベランダをゆっくりと歩きました。

素朴でありながら、繊細。

いかにもラオスらしい、その佇まいに、

心を動かされるような思いでした。


本堂の周りをいくら歩いても、

終わりがないような気持ちで、

ふたりとも無言で、ただ歩き続けていました。

そして、何度も何度も本堂を見上げては、

ため息をもらしました。


言葉にならないような思いで胸がいっぱいになった、ワット・シーサケット。


次回は、

本堂の周囲にめぐらされた、回廊を歩きます。


34年前の同じ場所。(1991年9月1日)


(つづく)