2024年8月23日 「西洋料理 明治の館」で。(栃木県日光市)
8月23日(金)
明治末期に建てられた石造りの洋館、
旧ホーン家住宅主屋 / 「西洋料理 明治の館」
に来ています。
お料理が運ばれてきました。
魚貝類のサラダ(1200円) 。写真ではわかりにくいですが、大きめのボウルに山盛りになっていました。
サラダはふたりでシェアしても十分の量。新鮮な魚介類がたくさん入っていて、びっくりしました。^^
MIYOはオムレツライス (1800円)。見た目は普通なのですが、ライスもデミグラスソースも超おいしい。^^ その上、オムレツの中はふわふわとろとろ。ここに来てよかった~、と思えた一品でした。
カレーが大好きな夫は、どこに行ってもカレー。このときも、ビーフカリーライス(2000円)を。
おいしかったです!^^
メニューだけを見ると、
普通の洋食メニューが並んでいるだけ。
でも、いざいただいてみると、
長い歴史の中で作り上げてきた、
不動の美味しさであることが実感できました。
レストランの玄関横には、ショップがあり、オリジナルの焼き菓子が並んでいました。
ケーキもたくさん。^^
このお屋敷の主だった、F.W. ホーン(Frederick Whitney Horne)氏の写真が飾ってありました。
【F.W. ホーン(Frederick Whitney Horne)】
1896年(明治29年)に来日し、横浜に、機械工具などの輸入会社「ホーン商会」を設立しました。その後、1907年(明治40年)に、日本蓄音機製造株式会社(後の日本コロンビア株式会社)を設立し、我が国初の蓄音機ならびにレコードの製造販売を開始しました。
さて。このお邸には、
もうひとつのエピソードがあります。
次に登場するのは、重光葵氏です。
重光葵氏は、戦前から戦後にかけては外交官として、その後は政治家として活躍しました。
【重光葵(しげみつまもる)(1887年 - 1957年)】
外交官として、ドイツ、イギリス、アメリカで要職を歴任。1930年(昭和5年)には駐華公使となり、第一次上海事変の際に、欧米諸国の協力の下、中華民国との停戦交渉を行いました。その後、駐ソ公使、駐英大使を歴任。重光は、「日本は絶対に(欧州戦争に)介入してはならない」と再三東京に打電しましたが、日本政府は聞き入れず、1941年(昭和16年)、太平洋戦争が始まりました。そして敗戦後、重光は、東久邇宮稔彦王内閣で外務大臣に再任され、日本政府の全権として降伏文書に署名するという大役を引き受けることになりました。
1945年(昭和20年)9月2日朝に、東京湾に停泊した米海軍の戦艦ミズーリの甲板上で、降伏文書調印式が行われ、全権団代表として大本営・参謀総長梅津美治郎と共に署名しました。重光はこれを「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」と捉え、その時の心境を「願くは 御國の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを」と詠んでいます。
戦後日本を占領したGHQは、「占領下においても日本の主権を認める」としたポツダム宣言を反故にし、行政・司法・立法の三権を奪い軍政を敷く方針を示しました。さらに、公用語も英語にしようとしました。重光葵は、マッカーサーを相手に、「占領軍による軍政は日本の主権を認めたポツダム宣言を逸脱する」「ドイツと日本は違う。ドイツは政府が壊滅したが日本には政府が存在する」と猛烈に抗議し、布告の即時取り下げを要求。その結果、占領政策は、日本政府を通した間接統治となりました。
今、私たちが日本語を話しているのは、
(=そして現在でも英語がヘタなのは。笑)
敗戦後も日本の主権を守ろうとした、
重光氏や他の皆さんの、
尽力のおかげなんですね…。
さて、その重光氏ですが、
1945年に空襲で自宅が被災し、日光に疎開。
その後7か月間、この邸に住んでいたそうです。
「日本の敗戦をどう処理するのか…。」
彼は、この邸内で苦悩し続けました。
やがて、1945年9月2日。
東京湾上に停泊していた、
アメリカ戦艦「ミズーリ」甲板で、
降伏文書調印式が行われました。
その文書に署名したのが、重光氏でした。
その日彼は、警察の自動車に乗って、
この邸を出発していったそうです。
「ミズーリ」甲板で、降伏文書に署名する重光葵氏。(画像をお借りしました)
私たちが食事したテーブルのすぐそばに、重光氏が残した句が飾ってありました。
「山は破れ 水は狂いて 流されし わが家の跡に 村人立つも」
「旧ホーン家住宅主屋」は、
日本の歴史の一片をひっそりと包み込んだような、
石造りの洋館でした。
今そこは、「明治の館」となり、
何事もなかったかのような佇まいで、
たくさんの人々が
気軽に立ち寄る場所となっています。
けれど、運ばれてきた料理を見ていると、
その影で積み重ねられてきた歴史が偲ばれ、
なにか、感慨深いものがありました。
「西洋料理 明治の館」。とてもすてきな場所でした。
さて、この「明治の館」がある、
日光不動苑なのですが、
その敷地内には、「堯心亭」だけでなく、
他にもすてきなお店があります。
駐車場に戻るついでに、
このお店を見ていくことにしました。
イングリッシュガーデンがとてもすてきな、「カフェレストラン ふじもと」です。
優雅な階段の先にあるのは、石造りのレストラン。
瀟洒な佇まいですが、注目すべきは、右側に隣接しているガレージです。
かつてこの建物は、
ホーン家のガレージだったのです。
ホーン氏が建てた別荘の主屋は、
「明治の館」となっていますが、
主屋の西側にあるこのガレージは、
「旧ホーン家住宅ガレージ棟」として、
2006年、主屋と共に、
登録有形文化財となりました。
とてもきれいにリフォームされています。おそらく、レストランで食事すれば、中を見学させてもらえるのではないかと…。
今食事してきたばかりですが、このお店でもう一回食事したくなりました。🤣🤣
次に日光へ来たときは、ぜひ、こちらにも入ってみたいです。^^
帰宅してからわかったのですが、
この日光不動苑には、
全部で3軒の登録有形文化財がありました。
①レストランふじもと(旧ホーン家住宅ガレージ棟)
②レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)
そして、
③レストラン明治の館別館游晏山房(旧ホーン家住宅別棟)
です。
【レストラン明治の館別館游晏山房(旧ホーン家住宅別棟)】
主屋付属舎の北方にあります。切妻造,鉄板葺の石造平屋建で、外周壁には稲荷川の安山岩を整層にして、妻面まで積んであります。もとはメイド部屋でしたが、現在はレストランとして活用しています。主屋付属舎とは、石造の旧ボイラー室・通路等で繋がっています。
旧ホーン家住宅別棟です。(画像をお借りしました)
次に来ることがあったら、
ガレージ棟と別棟も、
じっくりと見学していきたいと思います。
日光不動苑で咲いていた花。
車に乗ろうとしたら、すぐそばに赤とんぼがとまっていました。これはリスアカネでしょうか。
小さい頃やっていたみたいに、
目の前でぐるぐると指を回してみたら、
ほんとうに目を回したみたいで、
動かなくなってしまいました。(ごめんね~)。
トンボ君にお別れして、出発。
次の目的地へ向かいます。
(つづく)