MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 21 - 糸操り人形劇「ヨウッテー・ポエー」(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 ダマヤンジー寺院で。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


パガン寺院めぐりを終えたあと、
モンモンさんから、
「イラワジ川で舟に乗りたいか~?」
と訊かれ、
「乗りた~い!!」
と答えた私たち。


次に、
「人形劇を見たいか~?」
と訊かれ、即座に、
「見た~い!!」
と…。🤣


この「人形劇」とは、ビルマの伝統芸能である、
糸操り人形劇「ヨウッテー・ポエー」
のことです。
「ヨウッテー」は糸操り、
「ポエー」は祭りや行事を意味するそうです。


【ヨウッテー・ポエー】
ミャンマーの伝統芸能である、糸操り人形芝居です。15世紀に生まれ、18世紀のコンパウン王朝の時代に発展しました。コンバウン朝は、「芸能大臣」を設けて、各種芸能の発展に努めました。その結果、人形芝居も、洗練された芸能へと変身しました。演目は、敬虔な仏教国にふさわしく、釈迦の前世講である「ジャータカ」から多くを取っています。

複雑な何本もの糸を操って演じられる糸あやつり人形劇に登場するのは、28種類の人形たちで、王、王子、王女、鬼、虎、馬、象など、ユニークな人形が舞台に上がります。また、衣装や装飾も非常に細かく丁寧に作られており、観衆の目を引くポイントとなっています。劇では、指一本で人形の繊細な動きを表現しており、難易度が高く、操者の熟練の技が光ります。


当時、モノがなかったビルマでは、
この操り人形が主要なお土産物となっていて、
売っているのをよく見かけました。
(私たちは買いませんでしたが。🙄)


マンダレーのゼージョーマーケットにも、人形屋さんがありました。
そのときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 3 - ゼージョーマーケットからシュエナンドー僧院へ(1987年5月3日/3日め)

こちらで、「ヨウッテー・ポエー」を見ることができます。

【 アジアの人形芝居コレクション 】VOL.3 ミャンマー 伝統糸あやつり ヨウッテー・ポエーAsian Puppetry Collection


モンモンさんが連れて行ってくれたのは、
イラワジ川からほど近い、一軒の民家でした。
看板もなにもないのですが、
中に入ると、さほど広くない部屋に、
15個くらいのイスが並べられていました。


お客さんは、もちろん、私たちだけ。笑
とりあえずイスに座ると、
前方に設えられた小さな舞台で、
人形劇が始まりました。


若い女性が、お仏壇で祈りを捧げているのでしょうか。

番傘をさした、桃太郎のような若者。

手にうちわを持って踊る女性。

花飾りを振りながら踊る女性も。

笑わせ役のような男性。

ゾージー(錬金術師)の踊りだそうです。

これは王妃でしょうか。

鬼です。タイの鬼とよく似ています。

最後は、華やかな衣装の王子と王女が登場。

ふたりで手に手を取って…、華麗に踊ります。


川のほとりの芝居小屋みたいなところだし、
観客は私たちふたりだけなので、
てきとうにお茶をにごして、
さらっと終わるのかな~と思っていたら、
さにあらず。
演目が次々と変わり、
人形劇は延々と続いたのでした…。


最後は、舞台の上のカーテンが開いて、人形遣いさんのお顔も拝見できるという、演出もありました。笑 なんと、おひとりで全部こなしておられました。すごい!

YouTube とかだと、こんな風に民族衣装を着ておられるのですが、裸でやっておられるというのも、いかにもあの頃らしくて、なんか笑えます。😄


…ということで、
パガンでの2日間が終わりました。
最後の最後まで、楽しかったなあ…。😄


(つづく)


(おまけのおはなし1)


夫がラングーンで買ったカードです。絵葉書くらいの大きさ。


ビルマのスターのブロマイドだそうです。
よろず屋さんの店先で売ってるのを見つけ、
「あっ オレ、これ買う!」
と言って、ほんとに買ってしまいました。
はしっこ、汚れてるんですけどね…。🙄
大事に日本まで持って帰って、
アルバムにまで、貼っていました。
ブロマイドでも、ロンジー着けてるんですね。^^


なぜ、コレを買った?
もしかして、女性が好みだったのか?🤣


(おまけのおはなし2)


毎日、ビルマの話ばかり書いていたので、
夫がなつかしがって、
当時のパスポートをだしてきました。


この旅行のために取得した、ビルマのビザです。


ビザを取得したのは、1987年4月22日。
 3か月以内に、ビルマに入国すること。
 ビルマに滞在できるのは7日間以内。
 陸路による入国は不可。
…などと、キビシイことが書いてあります。


ビルマに入国したのは、1987年5月2日でした。
そして出国したのは、5月9日。
たった7日間で、
「とにかく歩けるだけ歩く。」
と、旅を企画した、多動夫。
涙ぐましいまでの過酷なめちゃくちゃ旅でしたが、
とにかく楽しかった。
やはり、人生で一番楽しかった旅でした。^^

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 20 - ダマヤンジー寺院(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 ダマヤンジー寺院の階段を、せっせと登りました。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


ようやく、パガンで訪れた、
最後の寺院のお話になります。
コレがですね…。
もう泣きました。
寺院の名前が、わからないのです。😅


これまでに掲載した寺院は、
たいてい、全体を撮った写真があるので、
それを手がかりにすれば、
名前を調べることができました。


ところが、最後に訪れた寺院は、
なぜか、全体の写真がありません。
寺院内部の写真だけしかないので、
そういう写真を基にグーグルで検索しても、
ヒットするのは、
インドネシアとかカンボジアの寺院ばかり。


困り果てたときに、ふと目についた、この写真。小さな名もないパゴダです。(いえ、調べればきっと、名前はあると思いますが。)


「これはなに?」
と夫に尋ねると、
「この寺院の上に登ったときに、
 下に見えたのを撮ったんだと思うよ。」
と…。


この小さなパゴダに、見覚えがあります。


これです。スラマニ寺院に向かっているときに、馬車の上から夫が撮った写真。左側のパゴダをご覧ください。上の写真のパゴダとそっくりではありませんか。笑


2枚の写真に写っているのは、
同じパゴダだと思われます。
そして、そのすぐ近くに写っているのは、
ダマヤンジー寺院!


これでようやくわかりました。
最後に訪れたのは、
ダマヤンジー寺院だったのです。😂


ちゃんとメモでも、
とっておけばよかったのですが、
あの頃は、次々と現れる寺院を、
受け止めるだけでせいいっぱいでした。
夫が作ったアルバムでも、
寺院名が付記されているのはほんのわずかで、
ほとんどは、寺院名が書いてありません。笑


MIYOの頭の中に残っていた記憶でも、
「寺院を見た。パゴダを見た。
 ほんとうにたくさん見た。」
って、まあそんな感じでしたね。😅
寺院の名前なんて、
ひとつも覚えていませんでした。


このブログを書くにあたって、
ひとつひとつのスポットの写真を頼りに、
「私たちは、いったいどこに行ったのか?」
をまず調べるという、
笑い話のような毎日でした。😅
その苦労も、これでようやく終わります。
(たぶん)


…ということで、今回は、
パガンで最後に訪れた寺院、
ダマヤンジー寺院の日記です。


旅行中はいつも、写真を撮りまくる夫ですが、
「どうしてこの寺院にかぎって、
 全体の写真を撮っていなかったのか?」
というと、たぶん、
「これまでにその前を何度も通って、
 そのたびに写真を撮っていたから。」
だと思います。


たしかに、ダマヤンジー寺院は、
これまでにも2回見ていて、
その都度、この日記にも登場しています。
ここでまとめておきます。


次の写真3枚は、以下の日記で掲載しました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)

シュエサンド-パゴダの上から見た、ダマヤンジー寺院です。

現在のダマヤンジー寺院です。37年間で木がずいぶん生い茂っていて、その間からニョキニョキと、たくさんのパゴダが顔を出しています。(画像をお借りしました)

この寺院は、未完成のままで残されています。(画像をお借りしました)


【ダマヤンジー寺院(Dhammayan Gyi Temple)】
基壇一辺の長さが約78メートル。ピラミッドのような均整のとれたフォルムが美しい、バガンの中で最大規模の寺院です。1170年、「もっとも変わった姿で、もっとも精密な細工を施した寺院を」と望んだ、パガン王朝第5代ナラトゥー王(Narathu)の命によって建設が始められました。しかしナラトゥー王は在位わずか4年目で何者かに暗殺されてしまい、工事は中断。その後、建造を再開する人物は現れず、寺院は今も未完のままで残っています。


次の写真2枚は、以下の日記で掲載しました。

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 18 - ドラッグストア、ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院、そしてスラマニ寺院①へ(1987年5月5日/5日め)

スラマニ寺院に行く途中で見た、ダマヤンジー寺院です。

当時、夫が買った絵葉書です。この頃は、門のまわりは草だらけで、正面玄関の下の方は、土で埋もれています。「未完成の寺院」として放置されていて、あまり整備されていなかったようです。


二度にわたってその姿を見ながら、

そのたびに素通りしていた、

ダマヤンジー寺院。

今ようやく、その中に入ります。笑


まず初めに目に入ったのは、

2体の仏像でした。


「ふたつ並んで、双子みたいだ。

 おもしろいから前に立って。」

と、夫は喜び、写真を撮りました。


モンモンさんといっしょに撮りました。^^

現在の同じ場所です。ここは、今では撮影スポットになっていて、写真を撮りたい人たちが列を作って順番を待っているところなのだそうです。


仏像は普通、1体だけで置かれていますが、

ここでは2体が並んでいます。

それが珍しくて、人気となっているようです。


けれど、2体並んでいるのには、

実は言い伝えがあります。

この寺院の建設を命じたナラトゥー王は、

自分が王位に就くために、

実の父と兄を毒殺してしまったのだとか。

即位後は、そのことで生涯苦しんだそうで、

「父と兄を供養するために、

 2体の仏像を並べた。」

…と言われています。


「自分の父と兄を殺した王」が亡くなった時、

そんな彼が作ろうとしていた寺院の建設を

引き継ごうとする人はいなかったようです。

それが、ダマヤンジー寺院が未完成のままで

放置されつづけた理由だそうです。


「因縁のある寺院」

「夜になったら幽霊が出る寺院」

として、現在でも、

地元の人々には恐れられているのだとか…。


そんなこととはつゆ知らず、夕暮れの寺院内を歩くMIYO。笑 ここから階段で、上に上がることができます。

一階部分の屋根の上のようなところに出ました。

さらに上層へ行こうとしていたとき、上の方から、地元の女の子がやってきました。

中学生くらいでしょうか。なぜか仲良くなってしまって、このあとは、彼女といっしょに寺院を歩きました。


外国の遺跡に行くと、

そこに地元の子どもたちがいるのは、

そう珍しいことではありません。

でもMIYOは、彼らに話しかけられるのが、

あまり好きではありません。

最後に必ず、

「ガイド料をちょうだい。」

と言われるからです。


たいした金額ではないのですが、

そういうことをあたりまえと思って、

子どもが育つというのは、どうなんだろう。

…と思うのです。

だから外国で、

子どもにお金をあげたことはありません。


ビルマを旅行中も、

あちこちで子どもたちに会いました。

この前日にも、ティーローミィンロー寺院で、

ふたりの男の子といっしょに、

寺院内を歩いています。


けれどこの国では、だれも、

お金をせがんだりはしませんでした。

もちろん、このときの女の子も。

ただ笑顔で、MIYOといっしょに、

階段を上がってくれました。


観光ずれしていないということなのか。

それとも、ビルマがそういう国なのか。

よくわからないけれど、

ビルマの人々とのかかわりは、いろんな面で、

これまでに歩いたどんな国とも、

違っていたように思います。


やっぱり、

「天国にいちばん近い国」

だったなあ…。


ふたりで元気に、階段を上がりました。🤣

最上層まで、あともう少し。どこに行っても階段で、ほんと、遺跡めぐりは体力勝負です。🤣

最上層です。パゴダが並んでいるのが見えます。

今、こうして写真を見返してみても、胸がしめつけられるような気がします。

「気持ちがいいね!^^」


居並ぶパゴダもすばらしかったけど、

それと同じくらい心に残っているのは、

女の子が見せてくれた笑顔でした。


下を見下ろすと、入ってきた門と1階の屋根にあたる部分が見えました。裏門の前は畑のようで、きちんと耕され、畝ができていました。850年以上前に造られた寺院遺跡の隣りが畑というのも、なんかのどかでいいなあ…。笑

MIYOは覚えていないのですが、「そうそう。オレたちが乗った馬車も、畑の隣りにとめたよな…。」と、夫も言っていました。たしかに、尖塔の向こうに見えているのは畑ですね。😄

これは反対側の門です。

地上まで降りてきたら、他の子どもたちもやってきたので、みんなでいっしょに記念撮影。タナッカーが似ているので、姉妹だったのかも。^^


こうして、パガンの寺院めぐりが終わりました。


本日訪れたところです。
 マニシトゥ・マーケット
 ティーローミィンロー寺院
 モンモンさんの家
 シュエズィーゴン・パゴダ
 チャンジッタ ウミン洞窟僧院
 ウパリテイン
 シュエナンインタウ僧院群

 漆器屋さん(場所不明)

 スラマニ寺院

 ダマヤンジー寺院


いまここ。😄


ここまで、10回にわたって、

パガン寺院めぐり日記を書いてきました。

2日間で訪れた寺院は、14個。

ひとつひとつの寺院に訪れては、

内部を歩き、最上層まで登って、と、

その運動量たるや、さぞかしだったと思います。

ほんと、遺跡めぐりは体力勝負です。😄


それにしても楽しかったなぁ…、

とのんきに思い出していたら、

今日になって、驚くべきことを知りました。

なんと、

現在のパガンには、上に登れるパゴダはない。

…のだそうです。


私たちが行った1987年には、

どこでも自由に入り、登ることができたのですが、

それが現在では、原則として禁止されているそうです。


2016年のミャンマー地震によって、

パゴダが損傷したこと。

観光客の増加に伴い、

転落事故が年々増加し続けてきたこと。

…などが原因のようです。


2016年に、地震で被災したときのパガン。舞い上がる粉塵で、パゴダがかすんだそうです。(画像をお借りしました)

つまり、こんなアホなことは、今ではもうできないわけです。たしかに、手すりとかもなくて、ちょっとコワいな、とは思いましたが。😅(1987年5月4日 シュエサンド-・パゴダ)


その代わりに、ということでしょうか。

現在は、
パガン・ビューイングタワー
なるものが建設されています。


パガン・ビューイングタワーです。(画像をお借りしました)


【パガン・ビューイングタワー】
パゴダや寺院が林立する広大な平原を見晴らすことができる、高さ約60mの展望台です。360度の視界が広がり、天候が良ければ、イラワジ川や遠くポッパ山まで見通せます。タワー内には土産物店や展望レストランも備わっています。(入場料が必要です。)


あのパガンに、展望タワーですか…。😮
なんだか、隔世の感があります。


さて。
マンダレーに続き、パガンでも、
怒涛のように駆け抜けた2日間でした。
パガンの日記は、次回が最終回になります。


当初から、
「せめてパガンまでの、
 5日分だけでも書いてみよう。」
と思って書き始めたので、
20回の連載で、ほぼ、目標は達成できました。
ここでビルマ日記を終えるか、
それともまだ、旅の続きを書いていくかは、
まだ決めかねています…。😅


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 19 - スラマニ寺院②(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 スラマニ寺院のフレスコ画といっしょに。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


かつては、
「最高の宝石」「小さなルビー」
と称された、スラマニ寺院に来ています。



【スラマニ寺院(Sulamani Temple)】
1183年に建立された2層構造の寺院で、バガンの遺跡の中でも特に保存状態が良いことで知られています。堂内には、東西南北を向いた仏坐像が安置されています。注目は、回廊の壁面に見られる11世紀のフレスコ画。これほどまで鮮明に残っているのはバガンでも貴重で、生き生きと描かれた壁画からは、当時の人々の生活文化などをうかがい知ることができます。


それでは、中に入ります。

よく見たら、入口でMIYOが座り込んでいました。笑 …というか、ご覧いただきたいのは、この美しい装飾の方です。^^

寺院内の壁には、今も数多くの壁画たちが残っています。このフレスコ画が、スラマニ寺院の見どころとなっています。回廊の鮮やかなフレスコ壁画の数々は、仏陀の生涯を描いていると言われています。(画像をお借りしました)


【フレスコ画】
西洋絵画の技法のひとつです。壁などの下地に漆喰(しっくい)を塗り、乾かないうちに、水に溶かした顔料で描きます。これによって、壁が乾くとともに顔料がしっかり定着するという技法です。ルネサンス期に描かれたようで、ミケランジェロやラファエロの作品が有名です。


上の写真の、右手前に、花を持つ女性が描かれていますが、同じようなのを、夫も撮っていました。…が、よく見ると細部が違っているので、これは違う壁に描かれていたもののようです。

「同じ顔をしてみて」と言われましたが、ムリです。😄

威勢よく、舟を漕ぐ人たち。

壁には、仏像のレリーフもありました。

石板です。同じようなのを、マンダレーのクトードー・パゴダでも見ました。やはり経典が書かれているのでしょうか。

クトードー・パゴダの小仏塔の中に置いてある石板です。ものすごく小さな文字で、びっしりと教典が刻まれており、「世界最大の本」と言われていますす。(画像をお借りしました)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 5 - クトードー・パゴダからマンダレー・ヒルへ。(1987年5月3日/3日め)

涅槃仏といっしょに。


パガンの寺院の特徴とも言えるのですが、
寺院内には、東西南北それぞれに、
仏像が安置されています。


そのうちの一体です。夫が撮ったもの(左)と、購入した絵葉書の写真(右)で、どちらも同じ仏像を写しています。それがですね…。

現在の、同じ仏像をさがしてみました。なにかの間違いじゃないかと思いましたが、これでした。😂 私的には、上の写真の方が渋くて好きなのですが、よその国で自分のシュミを言ってもしょうがないですね。😅(画像をお借りしました)


さて、「最高の宝石」と称される、
美しいスラマニ寺院ですが、
その外観は、目まぐるしく変わります。


1987年。私たちが訪れた時です。シカラは、1975年の地震で崩れ落ちたそうです。

その後修復が進み、立派な門が完成したのですが、シカラの修復工事は長く続きました。(画像をお借りしました)

そして2015年の写真です。すべての尖塔部分が美しく再現されました。(画像をお借りしました)


現在は、「最高の宝石」「小さなルビー」
という名にふさわしく、
とても優美な、美しい姿を見せていますが、
ここに至るまでに、
たいへんな苦労があったことと思います。
ビルマの人々の努力に、頭がさがります。


ちなみに、この形状は、
 タビニュ寺院
 ゴドーパリィン寺院
 ティーローミィンロー寺院
と似ているのですが、
「スラマニ寺院が最も洗練されている」
と評価する人もいます。


これはティーローミィンロー寺院です。たしかに、スラマニ寺院と似ていますね。^^

次回は、ようやく、パガン最後の寺院に行きます。写真は、最上層に向かって、階段を上がっているところです。


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 18 - ドラッグストア、ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院、そしてスラマニ寺院①へ(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 スラマニ寺院で。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


たいへん申し上げにくいのですが、
時間を少しさかのぼることになりました。😅


これまでに、
 オールドパガンを出て、
 漆器屋さんに行き、
 イラワジ川の舟で日没を見た…
までを書いてきたのですが。
アルバムをもういちど見直したところ、
漆器屋さんを出てから、
再びオールドパガンに戻っていたことが
判明しました。😮


このブログに掲載している画像データは、
ほとんどが、当時のネガフィルムから
作製したものです。


ヤフオクで、
「ネガフィルムを画像データにします。」
というのを見つけ、落札。
ネガを大量に郵送して、作業していただきました。
もう数年前のことです。
1本あたり、400円くらいだったか?と思います。


今回、ブログを書くにあたっては、
その時に作製していただいた、
画像データを利用しています。
が、昨日になって、写真36枚分のデータがない、
ということが判明。
夫が、ネガを1本、紛失していたようです…。😔


それに気づいたのは、
昨日の日記を掲載する直前でした。
もはや書き直す時間はなかったので、
昨日のブログはお休みしようか、
と思ったのですが、
「まあ、あとからいくらでも修正はできるし。」
と思い直し、とりあえず掲載しました。


そんなわけで、わかりにくくてスミマセンが、
本日の日記では、
漆器屋さんに行ったあとにさかのぼって、
再び、お話を続けさせていただきます。😅


ここから約40枚の写真は、
ネガフィルムからではなく、
アルバムの古い写真を自宅のスキャナーで
画像データにしたものです。
なので、色合いが少し暗いものもあります。


モンモンさんの馬車に乗って、再び出発、しようとしたのですが…、

牛車が通りがかり、牛を引いていた方とおしゃべり。

「ビルマについて書いた本を見せて。」と言われて、説明しているところです。

このときに撮った写真。モンモンさんといっしょに。

次に行ったのは、ツーリストオフィスでした。パガンでは、旅行者をほとんど見かけませんでしたが、それでも一応、こんな立派なオフィスがありました。


夫はここで、
パガン発のバスの行き先と時間を調べました。
なにしろ、日本ではほとんど、
情報が入手できない頃のことです。
ビルマ国内の交通事情も確実とは言えず、
「次に、何時に何に乗って、どこへ行くのか。
 (そもそも、そこへ行けるのか?笑)」
というのは、
「現地に着いてから調べてみないとわからない。」
という、冗談みたいな旅でした。


そんなふうにして、
ラングーンから夜行列車でマンダレーに行き、
マンダレーから夜行バスでパガンに行き…、
と、その場その場をつなぎながら、
旅を続けていました。


パガンでは2泊できたので、
少しのんびりできましたが、
翌日から、また激動の旅が始まりそうです。😂


さて。
ツーリストオフィスでは、ついでに、
ドラッグストアの場所を
教えてもらったのですが…。


それが、このお店でした。自宅兼店舗という感じでしょうか。道路に面した部分に商品を並べて売っていました。


カウンターでは、お肉を売っているし。
棚の中を拡大すると、味の素とか、
食品も見えるし。
天井からぶらさがってるのは、
宝くじかな…。😄


でもここは、ドラッグストアなんです。
オフィスで聞いていたので、
まちがいありません。(きっぱり)


…というか、
「お薬も売ってるよろず屋さん」
というべきかもしれませんが。笑


ここでMIYOが買いたかったものは、
サニタリー用品でした。
「どんなのが出てくるんだろ?
 そもそも、モノのないビルマに、
 そんなものはあるのか?」
…と、興味津々でお店の女性に尋ねてみると、
すぐに奥から出してくれました。


壮絶ナ*キ*でした。


綿をアノ形にして、全体をガーゼでくるんで、
そのガーゼの端を、糸で縫ってありました。
以上。


このときに買ったものは、日本に持ち帰り、
ビルマの貴重な思い出として、
20年くらい保管していました。
自宅に遊びに来た人が「見たい」と言うと、
女性限定でお見せしたこともありました。(アホ)


夫の情報収集とMIYOの買物が終わったので、
再び、オールドパガンに戻ります。


遠くに、パゴダが見えてきました。あれは…、

昨日訪れた、ティーローミィンロー寺院です。

ティーローミィンロー寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 13 - マニシトゥ・マーケットとティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 14 - ティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)

次は、パガンで最高の高さを誇る、タビニュ寺院が見えてきました。昨日、最後に訪れた寺院です。

タビニュ寺院の横を素通りして、馬車はどんどん進んでいきました。

タビニュ寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 12 - タビニュ寺院とゴドーパリィン寺院。そしてチリピサヤホテルへ。(1987年5月4日/4日め)

両側に、次々とパゴダが現れます。もはや、いちいち名前とかを調べきれない状態です。笑

大きなみっつのパゴダが並んでいて…、

さらにもうひとつ、パゴダを通り過ぎると、別の寺院が見えてきました。

未完成のままで残されてしまった、ダマヤンジー寺院です。

ダマヤンジー寺院は、前日、シュエサンドー・パゴダの上からも見えました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)

当時、夫が買った絵葉書です。この頃は、門のまわりは草だらけで、正面玄関の下の方は、土で埋もれています。「未完成の寺院」として放置されていて、あまり整備されていなかったようです。

現在のダマヤンジー寺院。(画像をお借りしました)


37年で、居並ぶ尖塔部分の先端が、

少しずつ減っているように見えます。

が、全体的に美しく整備され、

泥や草がなくなっています。


ダマヤンジー寺院には入ることがなく、

今回も通り過ぎるだけで、

馬車はどんどん遠ざかっていきました。


さて。新たな寺院が見えてきました。

到着。スラマニ寺院です。王朝の繁栄期に建立された、優美な寺院です。


スラマニ寺院(Sulamani Temple)は、

バガン遺跡の中でも、多くの人々が訪れる、

魅力的な寺院のひとつです。

その名前は、

「最高の宝石」もしくは「小さなルビー」

を意味しているそうです。


次回は、スラマニ寺院の中を歩きます。


いまここ。😄 ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院と通り過ぎながら、スラマニ寺院に到着しました。


(つづく)

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 17 - 漆器屋さんと、イラワジ川の夕陽(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 漆器のお店に行きました。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


パガンの寺院めぐりを終えて、
次に、モンモンさんが連れて行ってくれたのは、
漆器を作っているお店でした。


モンモンさんの馬車で少し走ると、住宅地のエリアに入りました。

藁や竹でできた家が、整然と並んでいました。


この頃ビルマを歩いていて、印象に残ったのは、
道にゴミがまったく落ちていないことでした。
海外の道路ではゴミが多いのに、
ビルマの人は、掃除が好きなのかな…?
と思いました。


「ビルマの人は、
 道路にゴミを捨てないのですね。」
と、ラングーンで知り合ったフォーさんに、
夫が話したことがあります。
そのときのフォーさんの答えは、
驚くべきものでした。


「捨てるモノがないのです。」
と…。


当時、経済制裁を受けていたビルマは、
工業製品を輸入することができず。
慢性的なモノ不足に陥っていました。
何かを買いたくても、店に売ってないから、
手に入らない、という状況だったのです。


「紙も不足していますから、
 紙きれ一枚でも、捨てる人はいません。
 なんでも再生して使わないと。」
とフォーさんに言われ、愕然としました。


あの頃、日本では、なんでも使い捨てでした。
「リサイクル」「ごみの分別」「地球環境」
などという言葉が出てくるのは、
もっとずっとあとのことでした。
なので、
「捨てるモノがない。」
という言葉は、私たちの想像を超えていました。


第二次大戦中、日本でも、
様々な物資が不足していましたが。
当時のビルマも、同じような状況でした。


ですが、戦争していたわけではないので、
とりあえず食べるものはあったし、
人々からも、窮乏しているような印象は
受けませんでした。


モノはなかったけれど、
なんだかゆったりとした暮らしがあったし、
自宅に招いていただいても、
貧乏ですごく困っているというか、
そんなようすを見たこともありませんでした。


「モノはないけど、貧しいわけじゃない。」
という、ビルマの人々の生活のようすを、
このあと、旅を続けていく中で、
さらに教えられることになります。


さて、到着したようです。


「漆器の店に行く」
と言われて来たはずですが…。
どう見ても、お店じゃなくて、
普通の家にしか見えませんね。^^


…と思いながら中に入ると、ほんとに普通のおウチみたいです。そして玄関口では、ふたりの職人さんが、せっせと漆を塗っておられました。

その隣りがお店になっています。漆器がメインですが、糸操り人形も置いてあるので、「お土産物屋さん」ですね。

この当時、ビルマのお土産というと、漆器、操り人形、お茶…。まあ、そんなものしかなかったような気がします。

MIYOが持っているのは、漆塗のバングルと竪琴。

このときに買った、一輪挿しとバングルです。探してみたら、写真が残っていました。^^ 


これらは、ビルマの思い出として、
30年以上保管していましたが、
終活の断捨離を考えるようになり、
昨年、処分しました。😅


たったひとつ、この漆のお皿だけは、今も残しています。直径26センチ。

そのあとは、馬車の前で、地元の方とおしゃべり。「地球の歩き方」みたいな本を見せていますが、1987年に「ビルマ編」はなかったはず。


MIYOは、大学生のころに、在宅で、
「地球の歩き方」の原稿を書く仕事を
していました。
(その後、社内でも働いています。笑)
当時の「地球の歩き方」は、
「ヨーロッパ編」と「アメリカ編」
しかありませんでした。
44年も前の話です。🤣


大学を卒業してメーカーに就職し、
そのときに、この仕事から引退しました。
が、1986年頃だったか、
「南米編を発行することになったので、
 創刊号のブラジル編を書いてほしい。」
と、依頼をいただきました。
当時は、ブラジルに行った人が少なくて、
書く人が見つからなかったようです。
そのときだけは、お引き受けした記憶があります。


そんな時代だったので、
1987年に、「地球の歩き方・ビルマ」は、
たぶん、まだなかったと思います。


ビルマの本が日本にはほとんどなくて、
夫は英語の本を見ながら、
旅のスケジュールを作っていたので、
このときに持っていたのは、
「ロンリープラネット」とか、
そんな感じの本だったのかもしれません。
(…と書きましたが、夫によると、
 この時持っていたのはやはり、「地球の歩き方」だったそうです。笑)


さて、漆器屋さんでのんびりしすぎたので、
時間がなくなったようです。
このあとモンモンさんは、
懸命に馬車を走らせたのですが、
「間に合うかな…。」
と、私たちもはらはらしていました。


イラワジ川に到着。日没はまだです。よかった。^^


川のほとりは、水遊びをする、
地元の人々や牛車でにぎわっていました。


イラワジ川で舟に乗って、日没を見る。
…というのが、モンモンさんの計画でした。
なので、
「なんとか日没に間に合うように」
と、懸命に馬車を走らせてくれたのです。^^


イラワジ川に到着したあと、
モンモンさんが舟の交渉をしに行っている間、
私たちは、近くに見えた寺院で遊んでいました。


なにしろ、遺跡がごろごろしているパガンですから、川のほとりにも古い寺院がいくらでもあります。笑

「舟の準備ができた。」とモンモンさんが呼びに来てくれて、川に戻りました。

川には何艘かの船がつながれていましたが、私たち以外には乗客はいないようです。

漁船なのか観光船なのかわかりませんが、とりあえず、小舟に乗って出発しました。

川の向こう岸にも、樹々の間にパゴダのシルエットがみえます。^^

そして、沈む寸前の太陽が見えました。

「間に合ってよかったね!」

イラワジ川で、船の上から見た、パガンの日没です。


(つづく)