埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 13 - マニシトゥ・マーケットとティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)
1987年5月5日 マニシトゥ・マーケットで。(ビルマ・パガン)
1987年5月5日(月)- 5日め
旅の5日め。
ビルマに着いてから4日めになりました。
朝食は、ホテルのレストランで。
パン、コーヒーとゆで卵みたいな、
簡単な朝食だったような気がします。
そして、ホテルまで迎えに来てくれた、
モンモンさんの馬車に乗って、
この日も元気に出発しました。
この日、まず出かけたのは、市場です。
私も夫も、市場を歩くのが好きなので、
モンモンさんに、
「地元の人が利用する、
市場に連れて行ってください。」
とお願いしました。
このときは、
「とにかく市場へ」
とばかり考えていて、
市場の名前も知らなかったのですが、
グーグルマップで確認したところ、
ニャウンウー(Nyaung-U)
というところにある、
マニシトゥ・マーケット(Mani Sithu Market)
を訪れていたようです。
このあたりでは、最大の市場です。
マーケットの屋内エリア。と言っても木造で、木組みと屋根があるだけです。場所代が高いのか、こちらに出店しているお店はさほど多くありませんでした。
ザルに売り物を入れて並べています。天秤棒で重さを測って売っていました。
むしろにぎやかなのは、屋外エリア。路上に野菜を並べています。
こちらの女性は、シャン族の方のようです。
こちらはお魚屋さん。
お供え用の花を売るお店。
それぞれが、自分の前に売り物を置いて、一列にずらりと並んでいました。
ひとりが売っているのは、1品か、せいぜい2品。小さな商いです。
夫が、「南沙織に似ている。😍」と言って大喜びしていたので(アホ)、撮らせていただきました。
この写真は37年前のものですが、
最近、同じ市場を訪れた方の写真を
ネットで見てみると、この頃と、
あまり変わっていないような気がします。^^
現在でもパガンでは、
コンビニ、スーパーマーケットよりも
市場の方が多いようです。
パガンの一般的な家庭には冷蔵庫がないので、
人々は、日持ちのしない食材を買い求めに、
ほぼ毎日、市場に来るそうです。
市場がまさに、市民の台所になっている、
という感じで、それは今も同じなのでしょう。
売っているものは少なかったけど、お土産物屋さんもありました。みなさん、お顔がタナッカーで真っ白です。^^
ロンジー用の布、漆器、楽器、糸操り人形を売るお店で。置いてあったギターを弾き始める夫。(←なにやってんだか。)
市場をたくさん歩いて楽しんだ後、
ようやく、本日の寺院めぐりです。
2200もの寺院やパゴダがひしめくパガン。こんな、小さくて名前もわからないようなパゴダもごろごろしています。^^
まず最初に訪れたのは、
ティーローミィンロー寺院でした。
ティーローミィンロー寺院に向かって進む馬車の上から撮りました。お馬さんのタテガミが写っていますね。😄
【ティーローミィンロー寺院(Htilominlo Temple)】
1215年、ナンダウンミャー王が、自身の即位を記念して建てた大寺院です。「ティーローミィンロー」とは、ナンダウンミャー王の別名で、「傘と王に好まれた」という意味です。前王が後継者を選ぶ際、傘が倒れた方向に座る者を選んだという説話があり、それが寺院の名の由来とされています。高さ50m。3層の構造を持つ、荘厳で美しい建物は、パガン王朝の円熟期を象徴するもので、堂内の1階、2階それぞれに、4体の仏像が安置されています。
「傘が倒れたところに座っている人」
を次期王に決めたとは…。
冗談としか思えませんね。
鉛筆転がして、「どれにしようかな~。」
みたいな…。
この王様、大丈夫だったのでしょうか。😅
ということで、このティーローミィンロー寺院なのですが…。現在は、この姿を見ることはできません。
だってこれが現在のティーローミィンロー寺院ですから。😅 全くの別人になっていました。(画像をお借りしました)
比較しやすいように、並べてみました。変われば変わるものですねぇ…。😮
すっかり美しくなってしまって…。😂
いやほんと、驚きました。
37年で、こんなに修復されるとは…。
門の周囲に写っている緑が、
37年分成長しているのも、笑えます。😄
ティーローミィンロー寺院は、
1975年の地震で、大きく破損したそうです。
それを、よくぞここまで修復した、
というべきかもしれません。
ビルマのみなさん、がんばったんですね。^^
…ということで、
高さ50mの、ティーローミィンロー寺院。
尖塔がなくなっていますが、巨大なシカラです。
次回は、ティーローミィンロー寺院の
最上層まで登り、
パガンの寺院群を眺めます。
(つづく)


















