MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 14 - ティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 ティーローミィンロー寺院で。ビルマでは、すべての寺院内で、靴を脱がなければなりません。この頃は大丈夫でしたが、現在は靴下もNGだそうです。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


ティーローミィンロー寺院に来ています。


早速、上層に上がりました。

外壁の装飾が、今も残っています。

外壁の装飾は、1215年の建立時に施されたものです。

MIYOの後ろに居並ぶパゴダたち。はるか地平線のあたりで、けし粒のように小さく見えるのも、すべてパゴダです。

いつのまにかモンモンさんもやってきて、テラスでくつろいでいました。^^

この寺院の上で、ふたりの少年に出会いました。

Mg Tan paw (タンポー)くんとMg Aung nig(アウンニー)くん。アウンニーくんは髪がないので、たぶん、得度を終えたばかりだったのでしょう。

アウンニーくん、シャンバッグから小さな石の置き物を取り出しました。これを売っているのだそうです。ちなみにシャンバッグは、ビルマの人たちが普通に使っている布のバッグです。

4人でおしゃべりしながら、記念写真。^^

ここから、寺院群を見渡すことができます。

イラワジ川と…、

川のほとりに並ぶ、無数のパゴダたち。

テラスでしばし佇んだあと…、

シカラに向かって、みんなで、レンガの階段を上がりました。

最上層に到着。慣れてるふたりは平気で腰かけてるけど、実はすごいところに座っています。😄

恐る恐る、私たちも。😅

アウンニーくんが売っていたのは、この置き物ひとつだけ。買わなくてゴメンネ。😅 日本の絵葉書といっしょに見せてくれました。

絵葉書には、こんな感じの赤鬼の写真がありました。「石の置き物の顔と似てるでしょ。」と言いたかったようです。😄

アウンニーくんの後ろに見えていたイラワジ川と、川沿いの寺院群。

夫、シカラの周囲を左方向に歩きながら、周囲の景色を撮りまくっていました。笑

おお、シュエサンドー寺院、アーナンダ寺院、タビニュ寺院、タラバー門が並んでいます。^^

2200ものパゴダたち。それを考えると、気が遠くなりそうです。


どっちの方向を向いても、
見えるのは、寺院とパゴダばかりでした。


広大なオールドパガン。
このすべてが、人々の祈りの場でした。


(つづく)


(おまけのお話)


このときに撮った写真を、あとで焼き増しして、
タンポーくんとアウンニーくんに送りました。
「写真を送りたいから、住所を書いてね。」
とお願いして、書いてもらったのですが、
そのメモを見てびっくり。


Near Cooperative Hotel 
Koelone quarter
Pagan


これだけだったんです。🤣🤣
「**区の**ホテルの近く」
っていうのが、住所のすべてですよ。😅
まあたしかに、住民も少ないから、
これでわかるのかもしれません。


「番地もなくて大丈夫?」
と半信半疑でしたが、
この通りに書いて送りました。
その手紙は戻ってこなかったので、
たぶん、写真はふたりに届いたのだと思います。
のどかだった、パガンの思い出。😄


次回は、モンモンさんのご自宅にお邪魔します。^^

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