MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたん S園のバザー①(2024年10月14日)

2024年10月14日 S園のバザーで。(長男 29歳)


10月14日(土)


連休3日めのスポーツの日に、
長男が生活しているS園で、
バザーが開催されました。
場所は、S園の隣りにある公園です。


バザーは、毎年、秋に開催されている、
S園の大きなイベントのひとつです。
今年は長女もいっしょに来てくれました。^^


当日は、朝7時に、夫の運転で、
3人そろって自宅を出発しました。
バザーのために、たくさんのボランティアさんが
来てくださるのですが、私たち保護者も、
可能な人は、お手伝いとして参加します。
(都合に合わせて、ひとり2時間ていど)


が、男手が足りないということで、
MIYO家では、夫が、朝9時から16時まで、
お手伝いに入りました。


朝9時。夫が会場に着くと、すでにたくさんのバザー品が運ばれていました。ここは会場の中心で、衣料のエリア。積み上げられている箱に入っているのは、すべて、寄付された衣料品です。

こちらは、食品・雑貨のコーナー。長野県産コシヒカリは2キロで1000円ですよ~。どれを見てもすごく安くて、MIYOもあとで買いたかったのですが、午後にはすべて売り切れていました。😓

衣類も並び始めました。着物や水着、スキーウェアまでなんでもありで、タグ付きの新品も多数あります。最後に売れ残った品は、「大きな袋に詰め放題で300円」となり、できる限り売り切ります。


MIYO家では、毎年このバザーで、
一年分の下着や靴下を、
格安で買っていました。
(ひとつ100円くらいです。)
でも、今年はなぜか売れ行きがよく、
夫が買いたかった下着や靴下は
全然残っていませんでした。残念。


衣類の左にあるのは、小さな家電類のコーナー。


アイロンが欲しかった長女は、
バザーの終了間際になって、
300円でゲットし、うれしそうでした。^^


はじめは、買おうかどうか迷っていたので、
「迷っていたら、買いなさい。
 どうせ安いんだから。
 でね、『やっぱりいらなかった』
 って思ったら、来年のバザーで、
 また寄付すればいいんだよ。」
と言いました。🤣


これには夫も大笑い。
MIYO家流、バザーの活用術です。
安いので気軽に買って、
いらなくなったら、再びバザーに寄付。😄


おかげでMIYO家では、
不用品の処分に困る、ということが、
ほとんどありません。^^


「不用品を引き取ってもらうことで、応援。
 そして、バザーでなにか購入することで、
 さらに少しでも貢献。」
…っていう気持ちです。
(とエラそうに言うほど、買ってませんが。)


毎年、バザーでは、
一日で500万円くらいの収益があるそうです。
施設の修繕費には、行政からの補助が出ないので、
S園では、このバザーの収益を利用して、
施設の修繕を行っているそうです。


バザーに寄付されたプラスチックのケースやスーツケース、書籍、バッグ類などが、それぞれのコーナーに並べられて行きました。


この日、長女とMIYOは、長男といっしょに
外出することにしていました。
お迎えに行く10時まで、少し時間があったので、
駅前のマックで朝ごはんを食べたあと、
10時前に、バザー会場に行ってみると…、


え…。😮


すごい人です。
大勢の方々が、
バザーで買い物をしようとやってきて、
開場を待っていました。


「S園のバザーは人気があり、
 毎年、開始時間の前に行列ができる。」
と、話には聞いていましたが、
まさかほんとうに行列ができているとは
思いませんでした。


とりあえず、行列の横を通り過ぎ、
公園の隣りにあるS園へ…。


宿泊棟に入るとすぐに、先生が私たちに気づき、長男を呼び出してくださいました。


長女は、
「おかあさんがのんたんの母親だって、
 ひと目でわかるなんて、すごいね。
 先生は、保護者の顔を覚えてるんだね。」
とびっくり。


私も常々、そう思っていました。😅
恥ずかしながら、MIYOは、
人の顔と名前がなかなか覚えられず、そのため、
特に会社員時代は、困ることが多かったのです。
なので、保護者の顔と名前を憶えて、
機敏に行動される先生方には、もう脱帽です…。


「のんたん、おかあさんだよ~。。」

元気に出発。^^

そのまま、カラオケに行くつもりだったのですが、長女がバザーを少し見たいというので、バザー会場に寄りました。すぐ近くで、夫が会場の安全係をしていたので、いっしょにパチリ。笑

会場は、大盛況のにぎわい。

ご家族がいらっしゃらない園生さんは、ボランティアさんといっしょに、バザーを楽しみます、

バザーでのもうひとつのお楽しみは、模擬店。安いので、毎回、ほとんど完売してしまいます。

どれくらい安いかというとですね…。


300円:
焼きそば、お好み焼き、ピザ、赤飯、
おはぎ、ラーメン
250円:
たこ焼き、豚汁
200円:
唐揚げ、パンとヤクルトのセット、チュロス、
おからドーナツ
150円:
焼き鳥(2本)、マフィン、
コーヒー(ホット/アイス)
100円:
コロッケ、肉まん、鬼まんじゅう、たい焼き、
ポップコーン、ラスク、ジュース


「最近は、縁日の屋台なども値上がりし、
 子どもを連れて行くと3000円くらいかかる」
…と、テレビのニュースで見たことがあります。
でも、S園では、模擬店の価格は、
小学生でも、自分のお小遣いで楽しめる価格帯。
なので、近隣の方々にも人気があるようです。^^


長女が、キャラメルポップコーンを買ってきてくれました。価格は100円。あはは、安~い。

3人でポップコーンをかじりながら、バザー会場を後にしました。


ほんとうは、バザーの模擬店で
軽く食べたかったのですが…。
長男が、なにしろカラオケに行きたくて、
それしか頭にない状態だったので、😄
先延ばしにして待たせるのもかわいそう、
と思い、まずはカラオケに行き、
その後また、バザー会場に戻ることにしました。


(つづく)

全盲難聴・のんたん ボランティアさんと外出(S園→ウクレレ教室→ガスト→S園)(2024年10月12日)

2024年10月14日 S園のバザーで。(長男 29歳)


10月12日(土)


10月2回めのウクレレレッスンです。
この日、いらしてくださったのは、
タケダさんとイナガキさんです。


タケダさんは、長男が小学生のときから
ずっといらしてくださっていて、
もう20年くらいお世話になっています。
イナガキさんは、長男が高校生だった、
2013年からいらしてくださっています。
これまで、年月を数えたことがなかったのですが、
イナガキさんにも、もう10年以上も
お世話になっていることに気づき、
あらためて驚きました。


おふたりとも、本当に長い年月を、
長男と一緒に歩いてくださっていて、
コロナ禍を経て、ふたたび、
長男といっしょに歩いてくださっています。
いくら感謝しても感謝しきれない気持ちです。


本日のコース:
S園でお迎え(9
:00)→ウクレレ教室(11:00)→昼食(12:00)→S園に帰園(16:00)

*全6時間です。全コースを、ユウコさんとノノさんのおふたり体制で担当していただきました。


この日は、コースの前半をタケダさん、
後半をイナガキさんに担当していただき、
ランチのみ、おふたり体制とさせていただきました。

おふたりからいただいたレポートと写真です。


【タケダさんからのメールです。】

S園の玄関で待っていると、他の利用者さんが、「のぞみくん、すぐ来ますよ。今日はウクレレに行くんですよね。」と話しかけてくれました。その方とお話していると、のぞみくんが2階から降りてきました。
駅までは向かいながら、前回と同じように、「そんなの関係ねぇ オッパッピー」「カラオケ」「マイク」などと話し、たまーに「ダイヤモンド」と繰り返していました。
この日はすぐに来た特快に乗ったので、高田馬場駅に早く着いてしまい、ホームの椅子で時間を潰しました。でもその後、駅構内のお手洗いに寄っていたら、少し時間がかかり、レッスン開始時間2分前のギリギリに教室に到着しました。ちょうど、前の生徒さんが帰るところだったので、レッスンには間に合い、ホッとしました。
この日のレッスンは、ある個所の音階の変更から始まりました。のぞみくんはすぐにマスターし、のぞみくんがメロディ、先生が伴奏を演奏。「(テンポを)少しゆっくりね」と言われながら、発表会の実践練習を時間いっぱい繰り返していました。

レッスンの後、教室のあるビルのエントランスでイナガキさんと合流しました。

のぞみくんに、昼食に何が食べたいかを聞くと、
「スパゲッティ。」
と即答。私はこれまで、ハンバーグ以外ほとんど聞いたことがなかったので、思わず2度聞き、いや3度聞きしてしまいした(笑)。
ゆっくりできるガストに行き、のぞみくんは何のスパゲッティが好きかわからなかったので、定番のミートソースにしました。お料理を待っているときから食べ終わるまで、「カラオケ」「マイク」と言い、ご自分の右横の椅子をポンポンしては、私たちに、
「ごはんを食べましょう。」
と突っ込まれ、1時間ほどかかりましたが完食しました。

ガストを出て、私はここで、のぞみくん、イナガキさんと別れました。


【イナガキさんからのメールです。】
ウクレレ教室の1階で待っていると、11時50分にウクレレの練習が終わり、のぞみくんがタケダさんと降りて来ました。のぞみくんに何が食べたいかを訊いたら、「スパゲティ」と答えましたので、ガストに行きました。
ガストは混んでいたので、順番待ちをしたあと、のんたんはミートソースを注文しました。
写真は、ミートソースを食べる様子です。食事に時間がかかりましたが、完食しました。
帰りは、小島よしおの「そんなの関係ねぇ」と「ダイアモンド」を歌い、ノリノリでした。
特別快速に乗れなかったので、到着は予定より遅くなってしまいました。


9月から始まったレッスンも、
5回めになりました。
もうすっかり、以前の生活が戻ってきたことを、
長男も理解しているようです。
以前のように、
タケダさんとイナガキさんにあまえたり、
楽しくおしゃべりしながら歩いているようすを、
うれしく読ませていただきました。


タケダさん、イナガキさん、
長男といっしょに歩いてくださり、
ありがとうございました。


(おわり)


(もうひとつのお話)


ウクレレ教室のナオ先生のブログで、
長男が掲載されているものを抜粋し、
少しずつご紹介しています。


今回は、2011年11月のブログです。

高1の4月から、学校帰りに、
ヘルパーさんやボランティアさんに
助けていただきながら、
レッスンに通い始めましたが、
それから8か月が過ぎました。


長男とムラタ先生との呼吸がぴったり合って、
それを微笑ましく見守るヘルパーさん。
そんな3人の様子が目に見えるような、
うれしい日記でした。


(この頃のナオ先生のブログです。)

ウクレレな毎日♪:2011年11月22日

言葉♪

東京都立の盲学校に通う、高校1年生。個人レッスン・月3回コース。  

学校の帰りに、新宿区高田馬場NAOウクレレ教室まで。

生後まもなくの未熟児網膜症により、視覚に障害があります。 難聴で、耳には補聴器を。

ヘルパーさんの付き添いで、ウクレレレッスンに。

ドアチャイムが鳴る前から、

「村田先生、村田先生、村田先生、村田先生・・・・・・」 と、
廊下を歩く音と共に、 元気いっぱいな声が聞こえてきます!!  

「のぞみ君、こんにちは!」

私が声をかけ、両手で手を握ると、ニコッと笑って。私の名前を呼ぶのを止めます。

個人レッスンで、1回のレッスン時間は、40分。 NAO流、手作りレッスン。

のぞみ君は、20分弾き語り。15分ウクレレでメロディー弾き。

のぞみ君の左隣は、ヘルパーさん。 右は、NAO。

耳元で私は歌を唄い、音階でソロのレッスンをしています。

体験レッスンで初めて教室に来たときは、のぞみ君の言葉は聞き取りづらかったのですが、

最近では、歌の「歌詞」も、はっきりと、 言葉に表せるようになってきたのです!

ウクレレでは、音で、 阿吽の呼吸でレッスン、8か月。

気持ちが触れ合い、心が通い合えたら、「言葉」も上手に発せられるようになってきました。

言葉にできないくらい、嬉しい言葉です! 


真剣な表情で、ウクレレを弾いています。(2011年11月12日 長男・16歳/高1)


このときから、13年。
今では、レパートリーもずいぶん増え、
自分が聞いた曲を、即興で演奏することも
できるようになりました。


今年のウクレレ発表会は、10月27日。
もうすぐです。^^

秋のおでかけ - 「アマルフィイ モデルナ」でお昼ごはん(2024年10月11日)

2024年10月11日 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)・車寄せ玄関で。(東京都文京区)


【お知らせ】
10月17日から、ブログをお休みさせていただきます。


10月11日(金)


4回にわたって、
旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)
をご紹介してきました。


「こんな文化財があるのすらも
 知らなかった。」
という方がほとんどだと思います。
(私たちもそうでした。)


街を歩き回るのが好きな多動夫が、
たまたま、このあたりをウロウロしていて、
このお邸の前を通りがかった、というのが、
見学を申し込んだきっかけでした。


あまり知られていないので、
見学の申し込みは比較的容易です。
(北海道の「ル・ゴロワ」を予約するのに比べたら、
 どうってことはありません。🤣🤣)
お近くであれば、
一度訪れてみるのをお勧めしたいところです。^^ 


さて。
見学が終わったときは、12時半を過ぎていました。
あわてて地下鉄に乗り、
ランチを予約していたお店に向かいました。


夫からは、
「お店を予約しておいてね。
 丸の内線だから、東京駅の近くがいいかな。
 俺のイタリアンとか?」
と指定がありました。


夫は、外食は好きだけど、
お店選びがまったくできない人なので、
毎回、「俺の**」しか言いません。
それしか思いつかないみたいです。😔


私も「俺の」は好きですが、
せっかく東京駅くんだりまで行くのに、
毎回、毎回、そのお店しか行かないって、
どうなの?…って思ってしまいます。


たまには気分を変えたいので、
今回は、初めて行くお店でしたが、
丸の内オアゾの中にあるイタリアンを
予約してみました。


アマルフィイ モデルナです。


【アマルフィイ モデルナ】
鎌倉・七里ガ浜で、地元の人々から長年愛されてきたイタリアンレストラン、「Ristorante Amalfi 」の東京店です。三崎港直送の魚介や三浦野菜を贅沢に使った、瑞々しいイタリアンを楽しめるお店です。鎌倉の本店「アマルフィ」の味をそのままに、南イタリアの古き良き伝統と、東京のモダンな感覚を融合した内装で、白を基調とした清潔感たっぷりの上質な空間を創り上げています。


予約していたのは、
 一休限定 20周年記念ランチコース
 スパークリングワイン付き(4000円)
というプラン。
ダブルメインのランチ(3500円)に、
ワインが一杯ついています。


丸の内で、ダブルメインでこの価格というのは、
オトクなのでは?と思って見てみると、
開店20周年記念の特別コースで、
10月31日までの限定プランでした。^^


一休から予約したので、
一休から1%のポイントが付与されました。
そして事前支払いはペイペイで。
私の場合、ペイペイで支払うと、
ポイント還元率が2.5%なので、
合計3.5%(280円)のオトク。😄
小さなことですが、日々のポイ活を、
今日もがんばってます。^^


案内していただいた席です。予約してあったので、テーブルセッティングはすでに出来上がっていました。😊

恒例の、写真撮りっこ。(アホ)

Zuppa: 里芋のポタージュ
さっぱりとした、口あたりのいいポタージュでした。

Antipasto Misto: 前菜盛り合わせ
スティックパンをマッシュルームと生ハムのムースで
青森県の津軽鴨を人参と牛蒡と共に
三崎のカンパチを柿のソースで

大ぶりに切ったカンパチは、さすがのおいしさでした。柿のソースも初体験。ザクロが散らしてあるのも、オシャレです。^^

Primo Piatto: 
前菜に続く第一の皿は、メニューからひとつを選びました。
夫が選んだのは、「豚粗挽き肉と蓮根、舞茸のボロネーゼ スパゲッティ」。挽き肉料理が好きな人なので、絶対にこれにするだろうと思っていました。笑

MIYOが選んだ、「イワシと落花生、カボス胡椒のスパゲッティーニ 白髪葱を乗せて」。
もともと、ガーリックオイル系が好きなのですが、なかでもこれは秀逸でした。これだけで帰ってもいいくらいおいしかった。😄

Pesce:
本日の鮮魚のソテー アンチョビとヘーゼルナッツのソース
夫のプレートは、小松菜が大きすぎて、鰆が見えません。笑

MIYOのプレート。やはり鰆は小さいけど、ダブルメインなので、これくらいのサイズでちょうどよかったです。

Carne: 
肉料理の皿も、メニューからひとつを選びました。2種類を選び、それぞれを半分こしました。^^
三重県産 松阪ポーク肩ロースのグリル 西京味噌のソース
絶品でした。

北海道産 蝦夷鹿のグリル カシスとブルーベリーのグランヴヌールソース


昨年、北海道でいただいた蝦夷鹿が、
とても脂っこくて、
夫には苦手だったようです。
なので今回も、
夫は気がすすまなかったのですが、
「たまには蝦夷鹿を食べて、
 消費に貢献しようよ。」
と説得して注文。


そしたら。
おいしかったのです。^^
全然、脂っこくない。
脂の多いシカ肉を、しつこくならないよう、
上手に料理されているな、と思いました。


Pane:
本日の自家製フォカッチャ
写真を撮り忘れたので、画像をお借りしました。フォカッチャは日替わりで、私たちがいただいたのは、ローズマリーがふんだんに散らしてありました。ハーブの風味豊かなフォカッチャでした。

Dolce:
アマルフィイ名物ドルチェ デリツィア・アル・リモーネ
レモンクリームがたっぷりとかけられたケーキ。でも全然しつこくなくて、さっぱりといただけました。


最後はコーヒーをいただき、
コースが終わりました。


コース料理は、できれば、
ダブルメインでいただきたい。
でもすごいボリュームになるので、
たいてい、お肉が来る頃には、
苦しくなってるんですよね。😅


その点、この日のコースは、
ひと皿、ひと皿が少なめだったので、
最後までおいしくいただけ、
お腹いっぱいになりました。^^


銅御殿を見学し、邸内をあちこち歩き回って、
適度に体を動かした後は、
久々に、イタリアンの、
きちんとしたコース料理を楽しめて、
充実の一日になりました。


「アマルフィ」というレストランの名前から、
2019年に行った、南イタリアのアマルフィを、
なつかしく思い出しました。


右足を骨折し松葉づえででかけた、南イタリアとシチリアの旅。アマルフィの海岸も、松葉づえで歩きました。

このときの日記です。
骨折でもイタリア。シチリアを歩く、9泊10日のおトク旅 52 - アマルフィで昼食(2019年1月25日/8日め)


あれから6年もたって、
今、再び、右手を骨折してしまいました。
にもかかわらず、またもおでかけします。
今度の行き先は長野。
旅日記のタイトルは、やっぱり、
「骨折でも信州」
になってしまうんでしょうね…。😓(アホ)


(おわり)

秋のおでかけ - 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)④ 応接棟3階(2024年10月11日)

2024年10月11日 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)・車寄せ玄関で。(東京都文京区)


10月11日(金)


文京区にある国指定重要文化財、
旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)
に来ています。


ここまでに、
 表門
 車寄せ玄関
 書院棟
 応接棟2階
を見せていただきました。


次は、中央が丸みを帯びた階段を上がって、
応接棟の最上階である3階に行きました。


3階は、四方向に窓が設けられており、
「物見の間」と呼ばれていた、
開放的で贅沢な空間でした。


四方向に窓が設けられた、応接棟3階の部屋。(画像をお借りしました)

窓の外には、銅板葺きの屋根が見えました。さらにその向こうには、日差しを受けて輝く、緑の庭園が広がっていました。


かつては、この窓から富士山も見えたので、
「富士見の間」とも呼ばれていたそうです。
さらに、反対側の窓からは赤城山も見えたそうで、
まさに、銅御殿の応接棟として、
賓客をお泊めするのにふさわしい部屋でした。


3階の和室に設けられた床の間は、茶道・表千家の茶室「残月亭」(京都)の書院をモデルにしてつくられた空間で、モダンで独創性のある空間になっています。左側にある明かり取りの窓は、緻密にデザインされた丸窓です。(画像をお借りしました)

同じ場所なので、こっそり掲載しましたが、怒られるかな…。😓

見学者全員が絵葉書セットをいただいたのですが、その中に、この丸窓の写真がありました。

この窓も、江戸時代の書物である「奪天工(だってんこう)」に掲載されている図案を基に考案されているそうです。

3階の和室上部の欄間。木を立体的に組み上げてあり、空間に彩りを添えています。(画像をお借りしました)


邸宅の所有者が大谷家になってから、
3階は、大谷家の書斎として
使われるようになりました。


その当時に使用されていた、大谷利勝(大谷哲平の長男)の机が、現在も残されています。


椅子の背後の壁だけが崩れています。
これは、2011年の東日本大震災で
剝がれ落ちてしまったものだそうです。
大正期の建物であるにも関わらず、
東日本大震災に遭っても、
被害を受けたのはこの壁の部分だけだった、
ということに、逆に驚かされます。


施主であった磯野敬は、建築に際して、
「とにかく頑丈な家を。
 そのためには、
 費用がいくらかかってもかまわない。」
と言ったそうです。


1912年に完成してから112年。
幾多の災害を耐え抜きながら、
現在も堂々とした佇まいを保ち続けている、
その堅牢性には、驚くばかりでした。


スミマセン…。😓

見学を終え、再び、車寄せ玄関の前に戻ってきました。

車寄せ玄関のさらに左側には、台所棟がありました。中は見学できなかったのですが、台所を中心に、洋室、和室、浴室などで構成されているそうです。


万が一、大災害で損傷した場合は、
台所棟のみを、邸から切り離せるように
造られているそうです。
台所棟を犠牲にしてでも、
書院棟と応接棟は最後まで守る、
という構想が、建設時からあったわけで、
まさに、「次代に残る堅牢な家」を
意図していたことがうかがえます。


あらためて、車寄せ玄関の屋根を見上げました。放射状に並んだ垂木の美しいこと。^^

そして、緑青に覆われた、銅御殿(あかがねごてん)。中央に見えているのは、応接棟の2階・3階部分です。

庭を歩くと、そこかしこで、銅板が張られた外壁を見ることができます。

晩秋には、この緑の外壁と紅葉が、見事な対比を見せることでしょう。^^


この邸宅が完成してから約50年後の
1961年のことです。
施工にあたった北見米造が、自身の晩年期に、
再びここを訪れました。
関東大震災や戦災にも耐え抜いた
旧磯野家住宅の姿を見て、
「この家は、およそ50年後には
 国の重要文化財になると信じている。」
と話したそうです。


その言葉どおり、旧磯野家住宅は、
2005年に国の重要文化財に指定されました。
以後、公益財団法人・大谷美術館が
維持・保存にあたり、現在に至っています。


充実の1時間でした。
説明してくださった方々にお礼を申し上げて、
銅御殿(あかがねごてん)を後にしました。


「秋のおでかけ」は、
このあと、ランチ編へと続きます。


(つづく)

秋のおでかけ - 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)③ 書院棟と応接棟2階(2024年10月11日)

2024年10月11日 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)・表門で。(東京都文京区)


10月11日(金)


文京区にある国指定重要文化財、
旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)
に来ています。


車寄せ玄関の内側を見学しました。ここで後ろをふりかえると…、

お邸の奥へと、長い廊下が続いています。


いよいよお邸の内部に入るんだ…。
と、ときめいた瞬間なのですが、
私たちの写真をご紹介できるのは、
ここまでです。


見学を始めるにあたって、
「写真はどこを撮ってもかまわない。
 ただし、防犯上の理由から、
 家の内部の写真を、
 SNSに掲載しないでください。」
と言われていたからです。
つまり、掲載できるのは、 
外観、表門、玄関部分のみ
ということになります。


これまでに、
日本各地の文化財を何十件も訪れてきました。
私たちがあまりにも熱心に見学するせいか、笑
「ここから先は、
 ほんとうは年に一度しか開けないところだけど、
 今日は特別に。」
などとおっしゃって、
係の方がナイショで見せてくださったことも、
一度や二度ではありません。
(けっして、無理に頼み込んだわけではありません。)


そんなふうにして、文化財を見学した感動を、
折に触れて、ブログで紹介してきました。
私たちの経験では、
「SNSへの掲載不可」
と言われたのは初めてのことで、当惑しました。


どうしてダメなのだろう、と、
帰宅してからネットを調べてみると、
お邸の内部を掲載している建築会社のサイトが
いくつも見つかりました。
また、「百年名家」というテレビ番組では、
内部をつぶさに紹介しています。


つまり、家の内部の写真は、すでに、
企業が運営するサイトなどで紹介されています。
なので、「防犯上の理由」というのは、
あまりあたっていない気がします。
それよりも、
「個人のSNSで安易に掲載してほしくない」
ということなのかな、と思いました。


こんなすばらしい文化財なのに、
もったいないな…。
というのが、率直な気持ちです。


文化財の保存には、莫大な費用がかかります。
この旧磯野家住宅でも、
数千万円の修繕費用を捻出するために、
クラウドファンディングで寄付を募っています。


広く社会に寄付を募るのであれば、
「まずは、その文化財の存在を
 知ってもらうこと。」
が必要だと、私は思います。
そして、
「その文化財の重要性に共感してもらうこと。」
を通して、そこからさらに、
「広く一般の人からの寄付」
へと広がっていくのではないかと…。


そのために、もっとも効力を発揮するのは、
偉い学者の推薦文とか、
企業の紹介サイトとか、
そんなものではなく、
一般の人々によるSNSの拡散、
つまり、草の根の広報活動だと思うのです。


最近では、文化財を訪れたときに、
「写真を撮り、SNSで紹介してください。」
と書いてあるポスターを
見かけることも少なくありません。
その施設に関わっている方々が、
「より多くの人に知ってもらい、
 訪れてもらうことこそが、
 この文化財を存続させていく道である。」
と考えているからこそだと思います。


そもそも、その文化財の存在を知らなければ、
一般の人からの寄付も集まりにくいと思うのに、
「クラファンで寄付を募っていても、
 SNSへの写真掲載は不可」
とは…。
まさに、時代を逆行しているな、と感じました。


納得のいかない部分はあるのですが、
その施設ごとに、考え方が異なるのは、
しかたのないことです。
施設側が「掲載しないで」と言っているものを、
無理に掲載することもできません。


このお邸で、夫とふたりで撮った写真は、
約130枚。
自由に撮らせてくださったことには
感謝しています。
「この写真をどうしようか…。」
と、しばし悩みました。


その結果、
美しい各部屋を撮った写真が多数ありながら、
それらをお見せできないのは残念なのですが、
やはり、掲載するのは、
邸宅の外の写真だけにとどめ、
邸宅内部の写真については、
ブログに掲載しないことにしました。


その代わり、
これまでに企業系のサイトで掲載されている
内部の写真をお借りしながら、
邸内を簡単にご紹介しておこうと思います。


この邸宅は、
 東側(向かって右側)の平屋建ての書院棟
 中央の3階建ての応接棟
 北側(向かって左側)の平屋建ての台所棟
という構成になっています。


まずは、書院棟から見て行きます。
内玄関から邸内に入り、
そこから、書院棟の畳廊下を直進しました。


書院棟の畳廊下です。庭の花木が南向きに咲くことを計算して、廊下を北側に配置しており、ガラス越しに庭園が楽しめるようになっています。(以下2枚、画像をお借りしました)

窓の外には、庭園が広がっています。この邸宅を訪れた人たちが庭園の景観をより楽しめるよう、庭園部分については建物の敷地部分よりも低く掘り下げ、高低差をつけているそうです。

窓枠の優雅な曲線も、他では見られないものです。窓ガラスはベルギー製のもの。当時の文化財ならではの、表面に揺らぎのある窓ガラスで、現在では、もう手に入らないそうです。

庭園のさらに左手、石灯篭の奥に見えているのは、台所棟です。中は見学できなかったのですが、台所を中心に、洋室、和室、浴室などで構成されているそうです。

廊下を隔てて、庭の反対側には、高い天井で広がりのある「奥書院」があります。壁は、左官の名人が11層も塗り重ねた丁寧な造りで、関東大震災のときでもヒビが入らなかったそうです。(画像をお借りしました)

奥書院はお客をもてなすための部屋で、床の間、違い棚、付書院を備えた、書院造りの客間になっています。(画像をお借りしました)

細かな模様を描く欄間や障子の桟なども美しく、心惹かれます。(画像をお借りしました)


欄間や桟は、
「奪天工(だってんこう)」という、
江戸時代の書物に掲載されている図案を基に
考案されています。
建築の際、施主・磯野敬が、
「この書物を参考にするように」
と助言したそうです。


書院棟には、長い畳廊下に沿って、
 奥書院
 次の間
 押入れ
 会議室
が並んでいます。


奥書院の次は、
隣りにある「次の間」に入ったのですが
「次の間」の写真はネット上にはないので、
(↑私たちは撮っていますが。😓)
ここでは省きます。


会議室です。幾何学模様の建具がアクセントになっており、両側には、奥行きのある押入れが取り付けられています。両側に板戸の押入れを配してありますが、その結果として、柱を増やすことができ、地震対策になっているそうです。(画像をお借りしました)


現在、この邸に住んでいる人はいませんが、
この会議室は使用されることがあるそうです。


書院棟の見学はここまでで、
次は、3階建ての応接棟に行きました。
応接棟では、2階・3階部分を見学します。
どちらも、
「お客を迎えることができる空間」
としてつくられたものです。


内玄関のある場所まで戻り、正面の板扉を開けると、その奥に階段が現れました。(画像をお借りしました)

階段の踏み板は中央部に緩いアールをつけてあります。あがりやすさを配慮した、美しいデザインでした。(画像をお借りしました)


2階は、明るく開放的な雰囲気です。


窓からは、庭園の樹木の眺めと、鋼の緑青を帯びた屋根の眺めの両方を楽しむことができます。

窓には、法隆寺の卍崩しの意匠を模したという高欄が設けられています。窓の向こうに見えているのは、1階部分の銅屋根です。(画像をお借りしました)

銅板葺きの屋根。竣工当時、この屋根は、新品の10円玉のように輝いていたそうです。

2階の床の間です。頂部が花弁状になっている花頭窓(かとうまど)が設けられています。飾られている掛け軸は、「近代日本経済の父」と呼ばれる実業家・渋沢栄一から磯野敬に贈られたもの。(画像をお借りしました)

掛軸をよく見ると、渋沢氏の署名が読み取れ、直筆であるのがわかります。

上部の欄間障子に設けられている桟。中で切れてしまったような、独創的なデザインです。(画像をお借りしました)


お借りした画像は、どれも少しぼけていて、
つい、MIYO家のぼけていない写真と差し替えて、
掲載したくなります。😅
でももしかしたら、財団側の意向により、
故意にぼかしてあるのかもしれないので、
差し替えは断念しました。


次回は、応接棟の3階を歩きます。


(つづく)