埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)
1987年5月4日 シュエサンドー・パゴダの最上層で。(ビルマ・パガン)
1987年5月4日(日)- 4日め
モンモンさんの馬車に乗って、
パガン寺院群のパゴダを尋ねています。
アーナンダ寺院から次の寺院へ。遠くに、アーナンダ寺院が見えます。そして私たちの馬車とすれ違う、二頭立ての牛車。もうもうと舞い上がっている、すさまじい土埃をご覧ください。当時のビルマは、どこもだいたいこんな感じでした。😄
さて、アーナンダ寺院の次に行ったのは、
マヌーハ寺院でした。
現在のマヌーハ寺院です。(画像をお借りしました)
馬車がここに止まったとき、
「ん? なんかヘンな所に来たな。」
と思ったような気がします。
で、これが寺院だとは思えなかったみたいで、
夫は、写真も撮っていなかったし、
アルバムを調べても、
なんのメモも残っていませんでした。🤣
なので、今回、ブログを書くにあたって、
寺院名をつきとめるのに苦労しました。
【マヌーハ寺院(Manuha Temple)】
2階建てで長方形のマヌーハ寺院は、パガンでもっとも古い寺院のひとつです。マヌーハは、タトォン国の王(モン人)名前です。11世紀半ば、バガン王朝を建てたアノーヤター王(1044~1077年)に攻めこまれ、マヌーハ王自身も、捕虜としてこの地に連行されました。後にマヌーハは釈放されましたが、そのときに所有していたすべての財宝を投げ打ち、1067年にこの寺院を建てました。寺院内には3体の仏坐像と1体の涅槃仏が安置されていますが、どれも空間いっぱいに造られていて、非常に窮屈そうにしています。その姿は、囚われの身となった王の、憂いに満ちた心情を投影したものとされています。寺院の随所に、捕らわれの身の鬱屈した思いが表れている、因縁の寺院です。
*モン人とは、ビルマ南部・タイ中西部に散在していた南アジア語系の先住民で、ドヴァーラヴァティーを建国したことで知られています。
この寺院で撮った唯一の写真。窮屈そうに横たわる涅槃仏です。
この涅槃仏が置かれているところ、
ほんとうにすごく狭くて、
人ひとりがやっと通れるくらい。
「どれくらい狭いかがわかりやすいように」
と、夫がわざと、MIYOを立たせました。
このときのMIYOの顔ですが。
2日前から顔を洗っていないので、
前日のタナッカーが、まだ残っています。😅
せっかく描いてもらったので、
もったいなくて、洗いたくなかった、
ということもあったのですが。🤣
マヌーハ寺院で撮った写真は、これ一枚。
この写真だけで寺院名をつきとめた私は、
エライと思う。
(誰も言ってくれないので、自画自賛。)
現在の写真。涅槃仏は、全身、きれいに色を塗られています。お顔を美しく化粧され、真っ赤な口紅。どっちがビルマらしいのかと言われたら、どっちもなんでしょうね…。^^(画像をお借りしました)
続いて向かったのは、
シュエサンドー・パゴダでした。
モンモンさんがここに向かったのには、
理由がありました。
そろそろ夕暮れ時で、その時間に、
シュエサンドー・パゴダからの眺めが
いちばん美しく見えるからなのです。
そんなこと、私たちは全然知りませんでしたが、
寺院を訪れる順番を、モンモンさんは、
ちゃんとアレンジしてくれていました。^^
馬車の中から撮ったシュエサンドー・パゴダです。大きいです。
現在の写真です。37年前と同じ姿ですね。^^(画像をお借りしました)
【シュエサンドー・パゴダ(Shwesandaw Pagoda/ရွှေဆံတော် ဘုရား)】
1057年、アノーヤター王によって建立された、パガンでもっとも高いパゴダです。5層のテラスが設けられ、その上に「ティ(hti)」というシカラ(ストゥーパ)があります。かつては、ジャータカ(Jataka)という物語の場面を描いたテラコッタのタイルが置かれていました。塔内には、タトン(Thaton)国から入手したゴータマ・ブッダの聖髪が安置されています。
パゴダの階段から上に登ることができ、最上層からは、パガンの寺院群が一望できます。眺めがすばらしく、朝日、夕日を見るのに最適な場所です。
…ってことで、私たちも登りました。すごく急な階段です。
最上層まで、あともう少し。シカラ(sikhara)があんなに近くに見えます。
到着です。ここから、パガンの寺院群が一望できます。MIYOの隣りに見えているのは、ダマヤンジー寺院。この寺院には、前まで行ったのですが、写真を撮っていませんでした。
現在のダマヤンジー寺院です。37年間で木がずいぶん生い茂っていて、その間から、ニョキニョキと、たくさんのパゴダが顔を出しています。(画像をお借りしました)
この寺院は、未完成のままで残されています。(画像をお借りしました)
【ダマヤンジー寺院(Dhammayan Gyi Temple)】
基壇一辺の長さが約78メートル。ピラミッドのような均整のとれたフォルムが美しい、バガンの中で最大規模の寺院です。1170年、「もっとも変わった姿で、もっとも精密な細工を施した寺院を」と望んだ、パガン王朝第5代ナラトゥー王(Narathu)の命によって建設が始められました。しかしナラトゥー王は在位わずか4年目で何者かに暗殺されてしまい、工事は中断。その後、建造を再開する人物は現れず、寺院は今も未完のままで残っています。
シュエサンドー・パゴダの最上層から眺めた景色です。はるか向こうに、少しだけ、イラワジ川が見えました。
夫の後ろに、アーナンダ寺院も見えます。
このときのMIYO。ボロボロです。パンツも靴下も真っ黄色に染まってるし、お風呂には3日入ってなくて、髪はボサボサ。😂
でも、最高に楽しかった。
世界中、どこに行っても、必ずコレをやってる人。(アホ)
…と思ったら、あはは、MIYOもいっしょにやってました。(ドアホ) ちなみに、奥に見えているのは、パガンで最高の高さを誇る、タビニュ寺院。
どこまでも続くパゴダを、ただひたすら眺めていた日。このときのことを思うと、やはり泣けてきますね。
ちなみに、このシュエサンドー・パゴダですが。
眺めが素晴らしいということで、現在は、
たいへんな人気スポットとなっているようです。
ネットで調べてみると、
「観光客が押し寄せるところです。
階段が急で怖いが、途中で立ち止まったり、
ゆっくり登ったりしていると
後ろに続く人たちのヒンシュクを買う。」
「日の出、日の入り前後は混雑するので、
いい場所をキープするには、
1時間前までに到着して
場所を取っておいた方がいい。」
…などという記述が出てきます。
はあ… そうなんだ…。😮
私たちが訪れた当時、
パガンは無人に近い状態でした。
ご覧の通り、
どこに行っても誰もいなくて、
ふたりで好き勝手やってます。笑
じゃあ、ふたりいっしょの写真は、
どうやって撮ったのかというと。
まれに、地元の方がお参りに来られるのです。
そういうときに、
お願いして撮っていただきました。^^
私たちのほかには誰もいなかった、
あの頃のパガン。
アジア最大の仏教遺跡・パガンは、
ビルマ軍事政権下の経済制裁が続いたため、
長く、神秘のベールに包まれてきたのですが、
2019年、ようやく、
ユネスコの世界遺産に登録されました。
アンコールワット(カンボジア)や
プランバナン(インドネシア)を
はるかに凌ぐと言われる、その広大な寺院群を、
私たちふたりで、貸し切りですよ…。
今思うと、ディズニーランド貸し切りよりも、
ずっとずっと、
すごいことだったような気がします。(アホ)
(つづく)