MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 3 - 旧庁立図書館(北菓楼札幌本館)/ 江戸とタイ唐人街の担ぎ屋台(2023年11月29日/2日め)

2023年11月29日 旧庁立図書館で。降り続く雪といっしょに。(北海道札幌市)


11月29日(水)- 2日め


「根室花まる回転寿司」を出て、
次に向かったのは、旧庁立図書館です。


旧庁立図書館です。(2021年11月4日)
このときの日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 13 - 蟹工船の蟹天丼と、サッポロ街歩き(さっぽろテレビ塔、旧庁立図書館、時計台)(2021年11月4日/2日め)


【旧庁立図書館】
1916年(大正15年)、行啓記念北海道庁立図書館として建てられました。図書館や美術館として札幌の人々に親しまれてきた建物です。正面には、ジヤイアントオーダー(数階の高さに及ぶ柱)が見られ、入口の額縁と窓周りなどに大きな特色を持った建物です。1967年(昭和42年)まで、図書館として利用されたあと、北海道立美術館、北海道立三岸好太郎美術館、北海道立文書館別館と、役割を変えてきました。その後、砂川市の菓子製造業「北菓楼」に売却され、2016年3月、世界的な建築家・安藤忠雄氏のデザインにより、「北菓楼札幌本館」として生まれ変わりました。同社は、この建物の外壁を保存しながら、店舗と文化教室、ギャラリーなどの文化施設を併用した建物として営業を続けています。


地上では雪が降っていて、人影も少ないのですが、地下通路はこのとおり。大勢の人でにぎわっていました。

地下通路には楽しいスポットが随所に見られます。これは、札幌アイヌアーティストの作品の販売コーナー。

ここで右に曲がって次の地下通路へ。旧庁立図書館までは、地下通路だけを利用して、歩いていくことができます

通路の壁を利用した、「北一条さっぽろ歴史写真館」を見ながら歩きました。

北海道の道路建設の歴史を説明した「北の道物語」もおもしろくて、なかなか先に進めません。笑

1908年に落成した、「札幌停車場 3代目駅舎」の写真です(1918年に撮影)。古川源二郎設計のハイカラな姿はルネサンス様式で、水戸駅を模したものと言われます。1951年まで、増改築しながら、45年にわたって札幌市民に親しまれました。

この駅舎は、往時の4/5に復元したものを、「北海道開拓の村」で見ることができます。上の写真のままですね。^^
ここを訪れたときの日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 28 - 北海道開拓の村①(鉄道馬車、旧ソーケシュオマベツ駅逓所、旧納内屯田兵屋)(2021年11月6日/4日め)


…なのですが。
チカホに展示されていた、
「札幌停車場 3代目駅舎」の写真を見たとき、
MIYOが気になったのは、駅舎ではなく、
その左下部分です。
天秤棒でつないだふたつの屋台箱で、
物を売る女性が写っています。


もっと正確に言えば、気になったのは女性ではなく、女性が運んでいる屋台の方でした。笑

江戸時代初期から中期にかけて、路上で食べ物を売る手段として、振売り(野菜や魚)、担ぎ屋台(そば、うどんなど)、屋台見世(天ぷら)などがありました。上の女性が運んでいるのは、担ぎ屋台の屋根がついていないタイプであると思われます。



…で、この写真を見てMIYOが思い出したのは、
最近訪れたばかりの、バンコクのことです。
チャイナタウン・ヤワラーでは、
2010年にオープンした唐人街博物館で、
「ヤワラー」の歴史を紹介しています。
館内では、昔の中国移民の生活や、
ヤワラ-の初期の姿などが再現されていて、
とてもおもしろい博物館でした。^^


その博物館で見た、初期の中国人たちのようすです。彼らは、タイに入植すると、はじめは荷役などに従事し、次に食べ物を売り歩いたそうです。これは、タイ人家庭をまわってスープ麺を売っている中国人です。食器は持たず、各家庭にある器に麺を入れて売る形式でした。


この、中国人が運んでいるのが、
担ぎ屋台なんですね。^^
天秤棒を使って運ぶようになっています。
上の、1918年の札幌の写真で、
担ぎ屋台を見て、つい、バンコクで見たのを
思い出してしまいました。😅


中国人がタイに入植し始めたのは、
1600年代中期ごろのようですが、
それはまさしく江戸時代。
そのころ、日本で売り歩いていたのは、
うどんやそば。
そしてタイで、中国人が売っていたのは、
スープ麵でした。
日本と中国で、くしくも同じ頃に、
同じようなスープ麺を、
同じような屋台を使って、
売り歩いていたんですね。^^


ちなみに、上のような屋台からタイに広まった、
中国人のスープ麺は、後に、
タイ料理へと発展していきました。
タイ料理に麺類が多いのは、
そのためなのだとか…。
さらにその後、中国人の麺は、
はるかヨーロッパまで伝わって、
イタリアのスパゲティになったそうです。
…と、また話が脱線しましたが。(スミマセン)


札幌のチカホを歩き続けて、この階段を上がると…、

地上に出ます。旧庁立図書館(北菓楼札幌本館)に到着です。

これが有名な、入口の額縁。窓もレトロですね。この扉の奥が旧玄関ホールになっていて、館内の側から見ることができます。

当時のままに残されている旧玄関ホールは、この建物の見どころのひとつ。これは前回来たときの写真です。(2023年5月15日 この時のブログは、まだ書けていません。😅)

そしてこれは、西側にある、もうひとつの入口。

現在は、MIYOの後ろの、大きな樹のあるところが入口になっています。

入口を入ったところです。1階は北菓楼のショップ。吹き抜けのある広いスペースに、北菓楼のお菓子が並んでいます。

そして2階には、北菓楼カフェ、北菓楼ライブラリー、メモリアルルームがあります。

天井まで届く本棚には、6000冊の本が並んでいて、カフェを利用した人が自由に読むことができます。

今回は、「夢不思議」という名のシュークリームを、夫とはんぶんこしました。

アイスティー、アップルジュースといっしょに。

はんぶんこしたシュークリームは、おいしくて、おいしくて、「もう1個食べたいね…。」と、夫と話し合ってしまったくらいです。爆

実はこのお店、お食事もすごーくおいしいのです。一番人気はオムライスなのですが、旭川本店でいただいた「野付の帆立のスパゲティ」は、もう泣きたくなるほどおいしくて、感動しました。(2023年5月15日 旭川スイートロード・北菓楼本店)

デザートのスイーツセットもおいしかったです!^^(2023年5月15日 旭川スイートロード・北菓楼本店)


旭川スイートロードで訪れた北菓楼本店では、お菓子のセットを買い、ベトナム・チョンさんへのお土産に差し上げました。(2023年5月16日)
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 15 - 2回のハロン湾ツアーと、Mango Hotel の朝ごはん(2023年6月15日-16日/2日め-3日め)
北菓楼の北海道開拓あられ(えりも昆布)を、ハロン湾のバスの中で食べました。笑
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 39 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり㉔ 感謝と祈りをこめて(2023年6月17日/4日め)


「このあとどうする?
 のんびりしたいんでしょ?
 オレは、ホテルに戻って、
 昼寝してもいいんだけど。」
と夫は言ったのですが、
このとき、スマホで検索していたMIYOが、
ちょっとおもしろそうなところを、
みつけてしまいました。


「ここはどう? 石狩市だけど。
 行けそう?」
「片道一時間くらいかな…。
 大丈夫。7時までに戻ってこれるよ。」


この日は夕食のお店を予約していたので、
7時までに、札幌に戻らなくてはなりません。
それがちょっと心配でしたが、
夫が大丈夫と言うなら、
大丈夫なのでしょう、たぶん。笑


お店の外では、少しずつ雪が積もり始めていましたが、とりあえず夫だけが駐車場に行き、車を運転してお店に戻ってくることになりました。


思ってもみなかった展開になりましたが、
突然のMIYOの思いつきで、
旅の舞台は石狩市へと移ります。


(つづく)

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