MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 28 - 北海道開拓の村①(鉄道馬車、旧ソーケシュオマベツ駅逓所、旧納内屯田兵屋)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月11日 札幌市資料館で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


さて、札幌ホテル暮らし、
4日めになりました。
ここまで、夫は、
ホテルで仕事を続けていたのですが、
週末になり、ようやく、お休みに入ります。


コンビニで買った朝食を、
いつものようにお部屋ですませ、
ホテルを出発しました。


朝、夫がレンタカー屋さんから借りて来た車です。

今日の目的地は、「北海道開拓の村」です。


【北海道開拓の村】
北海道札幌市厚別区にある、野外博物館です。「北海道開拓当時の生活を体感的に理解してもらうこと」と、「文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えること」を目的に、1983年4月に開村しました。54ヘクタールの敷地に、52棟の歴史的建造物が移築または再現されています。明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を堪能できる、貴重な博物館です。広い村内の移動用に、夏季は馬車鉄道、冬季の土日祝日は馬そりを運行しています。


北海道開拓の村の入場口(旧札幌停車場)です。

入場料は、ひとり800円です。が、入場券売り場で、「トクトククーポン」なるものを利用すれば100円引きになると教えていただき、あわててスマホと格闘しました。笑

なんとかクーポンを獲得でき、100円引きの700円で入村できました。^^

野間サトルさんもいらしたんですね。^^

さて、開拓の村の中に入りました。

まずは、入口広場から馬車鉄道に乗ってみます。一時間に1本くらいしかないのですが、ちょうど出発の時間で、9時20分のに乗ることができました。

馬車鉄道の車両と…、

引き馬もいました。

お馬さんがつながれて、鉄道馬車がやってきました。

引き馬のお馬さん、かわいいです。名前は「オウラ」だそうです。

出発です。女性の車掌さんの制服がレトロで、なんだか銀河鉄道999を思い出しました。

村のメインストリートを、馬車はゆったりと走り続けました。気持ちがいいです。^^

旧ソーケシュオマベツ駅逓所に到着です。ここからは歩いて見学します。夫はお馬さんと記念写真。

オウラが引く馬車は、再び、同じ道を戻っていきました。


さて、それではここから、
村内の見学を開始します。
まずは、鉄道馬車の終点だった、
旧ソーケシュオマベツ駅逓所
をのぞいてみました。


旧ソーケシュオマベツ駅逓所


【旧ソーケシュオマベツ駅逓所】
今で言う駅舎のようなものです。駅逓内では、人や荷物の運搬、農作業に馬が使われたので、附属する建物として厩舎(馬小屋)が設けられていました。この駅逓は、1915年(大正4年)に建てられたもので、1911年(明治44年)頃には、約50ヘクタールの牧場と8頭の官馬を持っていたそうです。


駅逓の中に入り、部屋のひとつひとつを見ることができるようになっていました。玄関を入って右側にあるのが、取扱人室です。人形がリアルですね。

玄関の左側には使用人室がありました。ここは客室も兼ねていました。

さらにその隣りにも、客室があります。当時の駅逓は、旅館でもあったのですね。


つづいて、駅逓所の隣りにある、
旧納内屯田兵屋
に行ってみました。


旧納内屯田兵屋


【旧納内屯田兵屋】
納内という地で、屯田兵が住んでいた家屋です。納内に屯田兵が入地したのは、1895年(明治28年)のことでした。北海道の屯田兵が始まったのは、それより20年前の1875年(明治8年)です。屯田兵は、家族と共に兵村で暮らし、北辺の警備と農業開拓に従事しました。当初は士族を募集しましたが、明治23年からは、主力を平民に移しました。その後屯田兵村は、空知・上川・北見地方など、北方内陸部に造られて行きました。


旧納内屯田兵屋の内部です。入り口を入ると、土間の囲炉裏を囲むようにして、コの字型の上がり框が作られています。外から入ってきた人は、まずここに座り、冷えた体を温めたのだそうです。

雪で濡れた草鞋を、囲炉裏の上に吊るして乾かしました。

土間の奥には、台所が設えてあります。当時の暮らしの様子を垣間見ることができて、興味津々でした。

今歩いているのは「農村群」というエリアで、とりあえず、その中の2軒を訪ねたところです。周囲には、まだたくさんの家屋がありますね。🤣🤣


このときはですね…。
まだまだ、余裕だったのです。
開拓の村が広いとはいえ、
まあ、数時間もあれば見学できるだろうと、
軽く考えていました。


まさかね…。
こんなエリアが、村内に4つもあり、
全部で建物が52軒もあり、
その一つ一つが、内部をつぶさに
見学できるようになっているとは、
想像もしていなかったんです。😂😂


だって、開拓の村って、こんなに広いんですよーーーー!


これ、全部見るのに何時間かかるんだろ…。


見当もつかないけれど、
とりあえず、先へ行くしかありません。
覚悟を決めて、
Here we go!
とばかりに歩きだした、アホな夫婦です。笑


やっぱり、北海道はでかかった。
たかが博物館が、どうしてこんなに広いんだ。
…と泣き言を言うのは、
まだまだ先の話です。😂😂😂


(つづく)

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