MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

もみくちゃのインド。4つの世界遺産を歩いた7日間 1 - ダイジェスト(2023年10月22日-28日)

2023年10月24日 アジャンター石窟群で。


10月29日(日)


インドから帰国しました。
7日間の旅行で、
MIYO家にとっては短い日程でしたが、
もうじゅうぶんです。
これ以上インドにいたら、
頭がおかしくなりそうです。🤣


ええっと…。
はじめに言っておきますが、
私はインドが好きではありません。
って言うか、苦手です。😅


ほんとうは、一生行きたくない国でした。
にもかかわらず、
3回もインドに行くはめになったのは、
ひとえに、どうしてもインドが好きな
多動夫のせいです。😅


日本からインドまでは、飛行機で9時間。日本からは、アジアの中でもかなり遠い国です。

3回の旅では、それぞれに、訪れたエリアが異なっています。

1回め:2011年7月29日~8月5日(8日間)
デリーやアグラ、カジュラホ、バラナシ、サルナートなどのインド北部を、家族4人で歩きました。これはその年の年賀状です。(のんたんとあみちゃん 15歳/高1)

2回め:2020年1月26日~31日(6日間)
ANAのチェンナイ便就航記念で、交換マイルが
半額になったので、夫とふたりでインドの南部を歩きました。

宿泊したのは、ITCグランドチョーラという豪華ホテル。マリオットの無料券を利用したので、宿泊料はなんと無料でした。😄(画像をお借りしました)

サリーを着て遊んだのも、楽しい思い出。(2020年1月28日 チェンナイ)

そして今回のインドです。
3回め:2023年10月22日~28日(7日間)
ANAの交換マイル減額キャンペーンを利用して、長女もいっしょに、3人でインドの西部を歩きました。


「9月と10月のフライトで、
 インド・ベトナム便限定で、
 交換マイルが35000マイル。」

という電撃的なキャンペーンがでたのは、
6月にベトナムを旅行しているときでした。
申し込める期間は4日間だけ。


ベトナム旅行中でしたが、あわてて、
 9月:ベトナム(2人分)
 10月:インド(3人分)
のチケットを押さえました。(←アホ)


通常時のほぼ半額で、
ひとり分の往復航空券を、
ベトナムもインドも、
わずか35000マイルで交換できるという、
めちゃくちゃオトクなキャンペーンでした。

1日め:成田からムンバイへ(2023年10月22日)

それにしても、9時間は長い。映画を3本も観ました。😅

ムンバイでは、初めて、アパートメントに泊ってみました。ベッドルームとバスルームがふたつずつあり、リビング、ダイニング、キッチンもあって便利。日本でいう、2LDKのマンションタイプです。3人で、一泊8000円くらい。


2日め:ムンバイ市内観光(2023年10月23日)
アゴダで、専用車+ドライバー+英語ガイドの一日ツアーを申し込みました。
3人で16000円くらいでした。


ドービー・ガート(Mahalaxmi Dhobi Ghat)
巨大な洗濯場に、度肝を抜かれました。手前右は、病院のシーツ、左はレストランのテーブルクロス。奥には一般家庭の衣類がぎっしり。すごい迫力でした。


【ドービー・ガート】
125年以上の歴史がある、屋外洗濯場です。ここでは、ムンバイのホテルや病院のリネンなどを洗濯して生計を立てている「Dhobi」と呼ばれる人たちがいます。その数、5000人以上。洗濯物を振り回し、コンクリートや石に打ち付ける方法で洗濯し、乾燥後に宅配も行います。 一般家庭からの依頼もありますが、近年は洗濯機の普及が進み、仕事の減少が懸念されているそうです。


インド最大の鉄道駅・チャトラパティ・シヴァ―ジー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス)です。


【チャトラパティ・シヴァージ・ターミナス】
19世紀末にムンバイに建設された、インド最大の鉄道駅です。現在も、1日300万人を超える人々が利用しています。設計したのは、イギリスの建築家「フレデリック・ウィリアム・スティーヴンス」。ヴェネツィア・ゴシック様式とインド伝統の様式が融合した建築物で、ゴシック建築の都市として有名なムンバイの象徴となっています。駅で見られる石のドーム、タレット(壁沿いに設置された装飾用の塔)、尖塔、アーチなどは、伝統的なインドの宮殿に見られる建築様式と類似していると言われています。建設当時はヴィクトリア・ターミナスと呼ばれていましたが、1996年にチャトラパティ・シヴァージー・ターミナスに改名されました。

2004年、世界遺産に登録されました。


ムンバイの魚市場。エビのむき身を取ったあとの殻の山を、たくさんの白鷺がつついていました。

サリーを着て、豪快に魚をさばく女性。

タージマハル・ホテル(Taj Mahal Palace & Tower)。インドを代表する高級ホテルです。


【タージマハル・ホテル】
開業は1903年。そのきっかけは、白人による人種差別でした。ある日、インドの近代工業の父で、タタ・グループの創始者でもあるジャムシェトジー・タタが、ムンバイ(旧ボンベイ)で当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに宿泊しようとしたのですが、白人専用であることを理由に断られました。これに怒ったタタが、もっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしたのだそうです。その姿は、西洋の新古典主義建築とインドの伝統様式を混合したもので、インド人建築家によって設計されました。

開業後、タージマハル・ホテルはムンバイ第一のホテルとなりました。以来、インドを訪問する世界の政治家・王侯貴族・有名人らが、こぞってホテルの客となっています。


1911年に建立された、インド門。

ランチはレオポルド・カフェで。1871年に設立されたレストランです。グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツの小説「シャンタラム」の舞台としても知られており、主人公が通いつめるレストランとして描かれています。


午後は、Hanging Gardensや、
ガンジーの家などに行きました。


3日め:朝2時にたたき起こされて空港へ。😂(2023年10月24日)
左:朝6時半、アウランガバード(Aurangabad)に到着。空港まで迎えに来てくれたドライバーのサジュールさんと。ここから2日間にわたって、アジャンター石窟群、エローラ石窟群を訪れました。専用車+ドライバーの費用は、2日間で11000円くらいでした。
右:ムンバイの空港でクルタを買いました。「W」という、インドでは有名なお店で、3000円くらいでした。2011年に買ったクルタの10倍くらいですが、色合いが以前よりも洗練されていると思います。^^

サジュールさんの運転で、2時間半かけて、アジャンター石窟群に到着。斜面をくりぬいて造られた、30もの石窟群。歩いている人の小ささをご覧ください。


【アジャンター石窟群】
1819年、マドラスに駐留していたイギリスの軍人ジョン・スミスが偶然発見しました。虎狩りに出かけて虎に襲われ、渓谷に逃げこんだときに、崖に無数の穴が開いていることに気づき、穴の内部で壁画や仏像を見つけのだそうです。インドでは、長くその存在は忘れ去られ、コウモリのすみかになっていましたが、調査の結果、この石窟の掘削は前1世紀のサータヴァーハナ朝に始まったことがわかりました。4世紀ごろのグプタ朝時代にも、その従属国家であったヴァーカータカ朝のもとで掘削され、
世紀中頃まで続いたようです。が、何らかの事情で開削が終わり、仏教の衰退と共に忘れ去られていきました。
洞窟内の壁画や仏像は、いずれも純インド的なグプタ様式の傑作です。石窟は30あり、壁画が描かれた時期によって二期にわかれています。第1期は紀元前1世紀から後1世紀ごろで、第2期は5~7世紀ごろにあたります。
1983年、世界遺産に登録されました。


地図を見ると、
はるか向こうにある26番石窟までは、
中に入ることができるようです。


26窟あったら、26窟歩かないと
気がすまない、私たち。
朝9時から、お昼ごはんも食べず、
26の石窟をすべて歩いたら、
午後2時になっていました…。😅


2000年の時を越えて、今も残る、美しい壁画の数々。

ほんとうに、人の手でこれを掘ったのですか…?

4日め:エローラ石窟群へ。(2023年10月25日)
崖をくりぬいて造った、巨大な寺院です。


【エローラ石窟群】
アウランガーバードから30Kmほど離れた村にあります。34の石窟が、シャラナドリ台地(Charanandri hills)の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるいは僧院、僧坊)などで構成されています。仏教寺院(仏教窟)の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっています。それぞれの石窟は近接しており、作られた時期も重なっています。
1983年、世界遺産に登録されました。


車内でお弁当を食べながら移動し、ダウラタバード要塞へ。

要塞の石段は、あの山の頂上まで続きます。石段は700段。😂😂

最後は、ビービー・カ・マクバラーへ。「ミニタージマハル」とも呼ばれています。1678年に、アウラングゼーブ帝(の息子)が妃のために建設した霊廟です。

5日め:ムンバイから船に乗り、エレファンタ島へ。(2023年10月26日)

エレファンタ石窟群を歩きました。


【エレファンタ石窟群】
ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶエレファンタ島にある石窟寺院です。シヴァ信仰の中心地であり、グプタ朝時代に建設が始まったとされています。16世紀、この島にポルトガル人が上陸し、巨大な石彫のゾウを発見しました。以来エレファンタ島と呼ばれています。ヒンドゥー教の石窟寺院が7窟あり、すばらしい彫刻が残されています。
1987年に世界遺産に登録されました。


午後はムンバイに戻り、豪華絢爛なタージマハル・ホテルで、ハイ・ティーを楽しみました。

夜は夫の希望で、チャトラパティ・シヴァ―ジー・ターミナス駅から電車に乗ってホテルに戻りました。

6日め:ムンバイ市内を散策。(2023年10月27日)
午前中は、チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァツ・サングラハラヤ博物館へ。1922年に「西インド・プリンス・オブ・ウェールズ博物館」という名で開館した、インド有数の総合博物館です。

ランチは、パンジャブ・グリル・フォートでパンジャブ料理。この旅でいちばんおいしかった料理でした。

ランチの後はショッピングモールへ。ハイ ストリート フェニックスは、ムンバイでいちばん高級でオシャレなモールだそうです。


ぎりぎりまでムンバイで遊び、
夜のフライトで帰国しました。


7日め:ムンバイから成田へ。(2023年10月28日)
朝早く、成田空港に到着。


ほんと、毎日夜討ち朝駆けですよ…。
少しの時間もムダにしない、
これほどまでに、
濃密な(無謀な)スケジュールを組んだのは、
もちろん、多動夫です。


そして、MIYOのやりくりで、
旅行中にかかった費用は、10万円くらい。
(3人分ですよ。笑)


インドにツアーで行くと、
7日間でひとり20万円くらいでしょうか。
3人で60万円くらいかかるところを、
10万円に抑えました。
航空券が無料だったことが大きいですが、
ひとり分が33000円の、
「7日間の格安インド旅行」になりました。
(ほめてください。😄)


まるでデスマッチのように、
インドを走り続けた7日間。
疲労困憊で、日本に帰り着きました。
とりあえず、家族全員、元気です。^^


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 87 - カイディン帝陵① 龍の階段とバロック様式の門(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 カイディン帝陵で。バロック様式で造られた、三関の坊門(牌坊)の向こうにあるのは、さらにバロック様式。😄


【お知らせ】
10月22日より、ブログをお休みいたします。
ANAのマイル半額キャンペーンを利用して、インドに行ってきます。
マイル利用で、MIYO家の航空券はいつも無料なのですが、
そのマイルが通常の半額になるというお得なキャンペーンに、つい乗ってしまいました。😅
夫がはりきってあれこれ企画しているので、またまた難行苦行の旅になる予定です。😂


6月20日(月)


フエの東にあるトゥイタイン村では、
農村の風景を楽しみました。



そして車は、次の訪問地である、
カイディン帝陵に向かって走ります。


カイディン帝陵は、フエの南にあります。

午前9時。丘の上に建つ、カイディン帝陵に到着しました。


ここで車を降りました。
チャンさんはそのまま、車内で待機。
廟の中には、私たちだけで行きます。


【カイディン帝陵】
世界遺産に指定されたフエの建造物群は15ありますが、中でも重要なスポットと言われているのが、カイディン帝廟です。グエン朝12代皇帝である、カイディン帝(在位1916年〜1925年)の廟、つまり墓所です。
先帝である11代ズイタン帝は、フランス植民地政府に対して蜂起を試みたとして逮捕され、父のタインタイ帝とともに、インド洋レユニオン島に流刑されました。ズイタン帝の代わりに、フランスによって擁立されたのがカイディン帝で、彼は親フランス的でした。政治には興味はなく、もっぱら賭博や化粧、女装に興味があったそうです。12人もの妃を娶りながらも子どもがいなかったので、「不能者」ではないかとの説もありました。が、宮中の女性に手をつけて、グエン朝最後の王である13代バオダイ帝をもうけています。

8歳で即位した11代ズイタン帝とその父・10代タインタイ帝のお話は、こちらです。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 78 - 王宮⑲ 幾暇園、ズイタン帝とタインタイ帝、そして閲是堂へ / グーグル翻訳に助けられて、アラビア風鶏の唐揚げ(2023年6月19日/6日め)


12代カイディン帝です。私も、なんとなく女性的な雰囲気があるなあ…と、思っていたのですが、そうですか。化粧や女装が好きだったのですね…。😅


カイディン帝は、自らの廟を建築するにあたって、フランス・バロック様式を取り入れるようにと命じました。建設は1920年に始まりましたが、1925年に、カイディン亭は結核で崩御します。が、その後も建築は続けられ、11年の歳月をかけて、1931年に完成しました。建設材料である鉄鋼やセメント、スレートはフランスから、装飾に用いる陶器やガラス器は中国や日本から取り寄せたそうです。廟としては小さいながらも、豪華絢爛で、東洋と西洋を折衷させた、いかにもベトナムらしい廟となりました。
カイディン帝廟は、小高い丘の上に建っています。まずは階段を登ると、官僚やウマ、ゾウをかたどった石像に迎えられます。廟の外観は、バロック様式の西洋風の建物ですが、細かい装飾には龍などがあしらわれ、東洋的な趣きを醸し出しています。内部の建物の壁には陶器やガラス器が嵌め込まれ、モザイク画が描かれています。壁の一つには四季を著した装飾がありますが、装飾の一部に日本のビール瓶のかけらが用いられており、NIPPONの文字が読めます。
この廟を作るために、カイディン帝は、国民に重税を課したと言われています。王宮内での建中樓、太平樓、顕仁門の建設にも、莫大な費用を費やしており、派手好きで浪費家だったようですが、少なくともフランスにとっては、最も好都合な皇帝だったのでしょう。

建中樓、太平樓、顕仁門について書いた日記はこちらです。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 81 - 王宮㉒ 午門、ナム・ザオ・ダン、そして顕仁門へ。(2023年6月19日/6日め)


まずは階段を上がります。豪壮なアプローチです。階段は三つに分かれていて、全部で4つの龍が走っています。

ハノイで見た、タンロン王城遺跡の「龍の階段」を思い出しました。中央の階段は皇帝専用、両側の階段は王室専用でした。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 49 - タンロン王城遺跡④ 敬天殿の龍の階段とドラゴンハウス(2023年6月18日/5日め)

こうして横に立つと、龍の大きさがわかりますね。^^

龍の後ろに見えるのは、バロック様式の門柱。不思議な取り合わせです。

門柱です。間近で見ると、すごい迫力。


【バロック様式】
16〜18世紀初頭にかけてヨーロッパ各国に広まった、建築・美術・文化の様式概念です。その語源は、過剰な装飾を比喩したポルトガル語の“barroco(バロッコ:ゆがんだ真珠)”だと言われています。建築分野における「バロック様式」とは、豪華な装飾や曲線・楕円などのデザインを多く用いた、動的で華麗な装飾性が特徴です。特に室内では、彫刻や絵画を含めた様々な装飾によって空間が構成されており、他の建築様式とは異なっています。

「バロック様式」の代表的な建築物としては、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂、イギリスのセント・ポール大聖堂、フランスのベルサイユ宮殿、ドイツのツヴィンガー宮殿などが挙げられます。


ようやく階段を上がりきりました。これは門の内側です。

中央の階段から続く門は皇帝専用のため、閉じられています。(王宮の午門でも、中央の門は通ることができませんでした。)両側の門は、それぞれ、入場・出場専用です。

左側の入場専用門から入り、前日に王宮で購入したセット券を提示しました。

これで入場したと思いきや、ここからさらに次の階段が…。

そして、石で造られた三関の坊門(牌坊)をくぐります。


階段ばっかし。😂
いつも思います。
「遺跡めぐりは、体力勝負」って。
階段、嫌いなんですけどね…。


とりあえず、
「今日の私は明日の私より若い。」
と自分に言い聞かせながら、
がんばってます。😅


「あともう少しだよ!^^」


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 86 - トゥイタイン村③ 農業博物館(農村の生活)と、再びタイントアン橋(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 トゥイタイン村・タイントアン橋で。


6月20日(月)


フエの東にあるトゥイタイン村で、
農業博物館に来ています。
農業用具と漁業用具の展示を見たあと、
いちばん端にあるコーナーに行きました。


ここからは、村人が家の中で使っていたものや、婚礼衣装が展示されていました。

まずは婚礼衣装から。これは男性用の衣装。女性用のは写真だけでした。

これは結納の品です。8枚の丸いトレーに、果物、ビンロウジュ、幸福の意味を表す「banh xu xeケーキ」などを盛り、必ず赤い袱紗をかけます。

コーナーの奥には、農村の人々がかつて家の中で使っていた物が展示されていました。まずは台所にあったもの。木製のイスのように見えるものは、食器の水切りだったようです。

これはお盆に見えますが、日本で言うちゃぶ台にあたります。

こんな風に、家族で周りを囲んで食事しました。

隣りには、寝室に置いてあったものが展示されていました。写真は上から、竹製のベッド、竹製のゆりかご、竹製の枕。😄

これが実物です。ベッドと、赤ちゃんを寝かした吊りカゴ。どちらも竹でできています。

枕も、太い竹を切ったものでした。こんな硬いものが枕で寝られるのか?と驚いていたら、「こうやってあてて寝るのよ。」とグエンさんがやってみせてくれました。すてきな笑顔の、グエンさん。^^


朝早かったせいか、他に見学者がいなくて、
ここでも、私たちの貸切状態でした。😄
なので、グエンさんがつきっきりで
説明してくださって、
とても楽しく過ごすことができました。


さて、博物館を後にして歩き始めると、
目の前にチャンさんが立っていました。
彼は、車の中で待っているはずでしたが、
私たちがなかなか戻ってこないので、
心配になって、
ようすを見に来てくれたようです。笑


せっかくなので、
いっしょにタイントアン橋に寄り、
チャンさんにお願いして、
写真を撮っていただきました。


チャンさん、はりきって9枚も撮ってくださいました。🤣🤣

橋の中央にある祭壇には、仏様が祀ってあります。その向こうが、なんだかにぎやかになっていました。

これは橋の反対側です。さっき来たときは誰もいなかったのですが、このときは、橋の奥が地元のお年寄りのサロンになっていました。🤣

橋の反対側には市場があり、買い物帰りのようで、みなさん、くつろいでおられます。笑


「どこから来たの?」
と訊かれ、
「ニャッ バーン!」
(↑ベトナム語はこれしか知りません。笑)
と答えたら、
「あ~、Nhật Bản!」
と、みなさん、喜んでくれました。😄


チャンさんにいっぱい撮っていただいた、タイントアン橋の写真。こんなことまでやっちゃいました。(アホ)


3人で車に戻り、
トゥイタイン村を後にしました。


青々とした水田が広がっていた、トゥイタイン村。豊かな水をたたえた川の、その穏やかな流れが心に残りました。


次回は、カイディン帝廟に行きます。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 85 - トゥイタイン村② 農業博物館(農業用具と漁業用具)(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 トゥイタイン村の農業博物館で。


6月20日(月)


フエの東にある、
トゥイタイン村に来ています。


タイントアン橋。屋根飾りもすてきです。^^


次は、橋の隣りにある、
農業博物館に行きました。


こぢんまりとしたベトナム風の建物。いい感じです。^^


【農業博物館(Nhà nông cụ)
タイントアン橋の隣りにあります。2015年に、国際労働機関(ILO)とユネスコの支援を受けて造られました。館内では、伝統的な農業用具や漁業用具を展示しており、農村の生活を紹介しています。脱穀に使っていた石臼などを、実際に触ることもできます。また、伝統食であるバインテト(ちまき)作り体験や、ノン(かご)作り体験などのプログラム(有料)を通して、村の人々と触れ合うことができます。入場料は20000ドン(約100円)。


館内には、たくさんの農業用具がきちんと並べられていました。

足で踏んで水を送る設備。

こんなふうに使っていたんですね。

あっ これは…。

「唐箕(とうみ)」です。ベトナムにも、唐箕がありました。😲


【唐箕(とうみ)】
米を刈り取ったあとに使われた農具です。脱穀した籾には、稲の葉や藁くずが混ざっているため、これを取り除く必要があります。その際、風の力を利用する方法が風選(ふうせん)がよく使われました。これは、風が吹くときに、籾と藁くずが混ざったものを高いところから少しずつ落とす方法です。重い籾は下に落ちるのですが、軽い藁くずやゴミは風で飛ばされることによって、取り除かれました。風が無いときは、筵(むしろ)や団扇(うちわ)、農業用扇風機などで風を起こしました。
明治時代になると、人工的に風を起こし、籾や藁くずなど、それぞれの重さに選別する唐箕(とうみ)が中国から伝えられました。風選の原理を応用した便利な装置で、大正時代には、一般の農家に広く普及しました。


日本の各地で、民俗資料館に行くと、たいてい、唐箕が展示されています。これは、秋田藩増毛元陣屋跡の資料館に展示されていた唐箕です。もう笑っちゃうくらい、ベトナムのとそっくりです。😄

秋田県と新潟県で唐箕を見た時の日記です。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 3 - 秋田藩増毛元陣屋跡③ / 唐箕でつながる旅(2022年6月19日/3日め)


唐箕は日本独自の農機具、
…と思いこんでいたのですが、
中国から伝わってきたものだったのですね。
そう言われてみると、なるほどたしかに、
「唐」の字で始まっています。^^


トゥイタイン村の農業博物館にあった、唐箕(Xe quạt lúa)の説明パネルです。


唐箕についての説明の下に、
こんな記述がありました。


この唐箕は、2003年、フエ市のグエン・ヴァン・トゥ氏より寄贈されました。母親のグエン・ワン・ティ・ハウ夫人(トゥイタイン村・72歳)は、「昔は、少数の裕福な人だけが唐箕を所有していました。貧しい農民は、お米かお金を支払って、彼らから唐箕を借りなければなりませんでした。」と回想します。
(こんな説明がわかるのも、グーグル先生のおかげです。)

なるほど。…と思いながら、脱穀機や石臼を見ていたら、そのグエン・ワン・ティ・ハウ夫人が目の前に現れたので、驚きました。🤣

現在、グエンさんは、この博物館のスタッフをされているようです。手動の脱穀機を、「ぜひ体験してみて。」と勧めてくださいました。

ハンドルを操って、脱穀機をぐるんぐるんと回します。グエンさんに教わりながら…、

「できたよ~。」とうれしそうな多動夫。😄

「こっちのもやってみて。」とグエンさん。

脱穀に使っていた石臼です。

次は、ごろごろごろ~と、石臼で粉挽き体験。

ふたりともいい笑顔です。

「これは漁に使っていた魚籠。持ってみてね。」 グエンさんに言われるままに、次々と体験。笑

…ということで、次は漁業用具の展示コーナーへ。

この小さな船は、竹を編んで作ってあります。

すごくしっかりしたつくりです。

いろんな形の魚籠がありました。


次回は、村での生活についての
展示コーナーに行きます。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 84 - トゥイタイン村① 烈士廟とタイントアン橋(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 タイントアン橋で。


6月20日(月)


充実の朝ごはんを終えて、
今日のアクティビティを開始します。
朝8時に、ホテルまで迎えの車が
来てくれることになっていました。


この日は、一日かけて、
 トゥドゥック帝廟
 カイディン帝廟
 ミンマン帝廟
に行くつもりでした。


どれも有名な観光スポットですが、
まあ…。
グエン朝皇帝のお墓めぐりですね。🤣


日帰りの団体ツアーなら
いくらでもあるのですが、
ふたり分で、20000円くらいになります。
簡単に周れるような距離ではないので、
それはそれで仕方ありません。


「いろんなサイトを調べて、
 いちばんお安いところに申し込もう」
と考えていたところ、
アゴダでこんなのを見つけてしまいました。


「フエの必見スポット7か所を、英語を話すドライバーが案内します。」というアクティビティ。なんと、8115円です。

ふたり分で16230円。
どこよりも安いわ~。
…と思って申し込んだら、
なんと、ふたり分で8115円でした。
激安です。🤣


これはつまり、タクシーを一台、
貸し切りにするようなイメージですね。
専用車で、7か所を8時間かけて周る、
…というプランです。


「朝8時にホテルに迎えに行きます。」
というメッセージを、前日にもらったので、
8時少し前にホテルのロビーで待っていたら、
時間どおりに、
ドライバーさんが来てくれました。


こんな車です。車体には、「輸送協同組合」というマークがあります。組合が運営するツアー会社なのか、ドライバーさんが組合から車をレンタルしているのか、よくわかりませんが、きれいな車でした。^^

この日一日お世話になった、ドライバーのチャンさん(Trần Anさん)。この写真はツアーの最後に撮ったものです。


「チャンさん、誰かに似ている…。」
と、ずっと気になっていたのですが、
ほどなく思い出しました。


韓国のイケメン俳優、チョン・ウソンに、目が似てました。(ファンに殺されそうだな。)

韓国のチョンさんならぬベトナムのチャンさんの運転で、朝8時にホテルを出発。


まずはチャンさんに、
「7か所の予定でしたが、
 王宮には昨日行ってしまったので、
 省いてください。
 合計6か所でお願いします。」
と話しました。


代わりにどこかを追加してもらう、
ということも考えたのですが、
やめておきました。
結果的には、
6か所に減らしておいて正解でした。
だってこのツアー、
すごくたくさんのスポットを含んでいて、
超過密スケジュールだったのです。🤣
(我が家にはぴったりのオトクツアー。笑)


ここからは、チャンさんの運転におまかせして、私たちは車に乗っているだけ。ラクチンです。^^

15分くらいで、ひとつめのスポットである、トゥイタイン(Thuy Thanh)村に到着しました。


【トゥイタイン村(Thuy Thanh)
フエ市中心部から西​​に約8kmのところにあり、「伝統的な暮らしを守る村」として知られている村です。人口は約8000人。村の8割が農地で、米の単一栽培を行っています。年間米収量は60〜80トン/ヘクタール/年に達しており、一人当たりの平均収入は 年間 5000万から 5200万ドン(約26万円)です。小さな村ですが、人々の生活は安定しており、フエ郊外の穏やかな農村の風景を見ることができます。



「ここから先は車で入れないので、
 ふたりで歩いて
 博物館と橋を見て来てね。^^」
とチャンさんに言われ、車を降りました。
このツアーには、
ガイドが含まれていないので、
各スポットに着いたら、
あとは自分たちだけで歩きます。


川沿いの道を歩いていると、とても立派な建物がありました。

フエ王宮で見た、壊れかけた太廟よりも立派な気がします。😅

"Đền thờ liệt sỹ"と書いてあるのを翻訳してみたら、「戦争で亡くなった兵士たちのための烈士廟」とありました。なるほど、立派な建物なのもうなずけます。こんな静かな村ですが、ベトナム戦争の激戦地だったようです。

廟の中に入ると、祭壇には、ホーおじさんの写真が掲げられていました。両側の碑には、戦死された方々の名前が刻まれています。すごい数でした。

さて、タイントアン橋が見えてきました。「日本橋」と言えばホイアンが有名ですが、こちらは「フエの日本橋」として有名なスポットです。


【タイントアン橋(Cầu ngói Thanh Toàn)
トゥイタイン村の中にある、瓦屋根の木製アーチ橋です。ベトナムの古橋の中で最も芸術的価値が高いものとされており、1990年、文化省によって国家文化財に認められました。ホイアンにある「日本橋」に形が似ているため、「フエの日本橋」とも言われています。長さは約19メートル 、幅約6メートル。橋には屋根があり、ガラスタイルで装飾されています。
最初の橋は、1776年に、中国系のチャン ティ ダオ夫人によって建設されたと記録されています。彼女には子どもがいなかったため、異国で死んでも自分の墓を守ってくれる人がいない。」と悩みました。そして、自分の死後、村人が自分のことを覚えていてくれることを願い、資産を投じて橋をかけたのだそうです。橋はその後、嵐、洪水、戦争によって何度も破壊されました。しかしそのたびに、村の人々が協力し、修復、装飾、保存を行ってきました。現在、村では毎年フエ祭りが行われており、チャン・ティ・ダオ夫人の霊を祀る行列ができるそうです。


タイントアン橋は、二つの川の合流地点にかかっています。

まずは右側から。

そして左側。

中に入ってみます。

美しい木造の橋。両側に台と手すりが設置されていて、腰かけて、休憩することができるようになっています。

こんなふうに。^^

川につながれた小舟には、花が飾られていました。この舟に乗って、川を遊覧することもできるようです。


(つづく)