MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 87 - カイディン帝陵① 龍の階段とバロック様式の門(2023年6月20日/7日め)

(2023/10/21 19:35記)

2023年6月20日 カイディン帝陵で。バロック様式で造られた、三関の坊門(牌坊)の向こうにあるのは、さらにバロック様式。😄


【お知らせ】
10月22日より、ブログをお休みいたします。
ANAのマイル半額キャンペーンを利用して、インドに行ってきます。
マイル利用で、MIYO家の航空券はいつも無料なのですが、
そのマイルが通常の半額になるというお得なキャンペーンに、つい乗ってしまいました。😅
夫がはりきってあれこれ企画しているので、またまた難行苦行の旅になる予定です。😂


6月20日(月)


フエの東にあるトゥイタイン村では、
農村の風景を楽しみました。



そして車は、次の訪問地である、
カイディン帝陵に向かって走ります。


カイディン帝陵は、フエの南にあります。

午前9時。丘の上に建つ、カイディン帝陵に到着しました。


ここで車を降りました。
チャンさんはそのまま、車内で待機。
廟の中には、私たちだけで行きます。


【カイディン帝陵】
世界遺産に指定されたフエの建造物群は15ありますが、中でも重要なスポットと言われているのが、カイディン帝廟です。グエン朝12代皇帝である、カイディン帝(在位1916年〜1925年)の廟、つまり墓所です。
先帝である11代ズイタン帝は、フランス植民地政府に対して蜂起を試みたとして逮捕され、父のタインタイ帝とともに、インド洋レユニオン島に流刑されました。ズイタン帝の代わりに、フランスによって擁立されたのがカイディン帝で、彼は親フランス的でした。政治には興味はなく、もっぱら賭博や化粧、女装に興味があったそうです。12人もの妃を娶りながらも子どもがいなかったので、「不能者」ではないかとの説もありました。が、宮中の女性に手をつけて、グエン朝最後の王である13代バオダイ帝をもうけています。

8歳で即位した11代ズイタン帝とその父・10代タインタイ帝のお話は、こちらです。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 78 - 王宮⑲ 幾暇園、ズイタン帝とタインタイ帝、そして閲是堂へ / グーグル翻訳に助けられて、アラビア風鶏の唐揚げ(2023年6月19日/6日め)


12代カイディン帝です。私も、なんとなく女性的な雰囲気があるなあ…と、思っていたのですが、そうですか。化粧や女装が好きだったのですね…。😅


カイディン帝は、自らの廟を建築するにあたって、フランス・バロック様式を取り入れるようにと命じました。建設は1920年に始まりましたが、1925年に、カイディン亭は結核で崩御します。が、その後も建築は続けられ、11年の歳月をかけて、1931年に完成しました。建設材料である鉄鋼やセメント、スレートはフランスから、装飾に用いる陶器やガラス器は中国や日本から取り寄せたそうです。廟としては小さいながらも、豪華絢爛で、東洋と西洋を折衷させた、いかにもベトナムらしい廟となりました。
カイディン帝廟は、小高い丘の上に建っています。まずは階段を登ると、官僚やウマ、ゾウをかたどった石像に迎えられます。廟の外観は、バロック様式の西洋風の建物ですが、細かい装飾には龍などがあしらわれ、東洋的な趣きを醸し出しています。内部の建物の壁には陶器やガラス器が嵌め込まれ、モザイク画が描かれています。壁の一つには四季を著した装飾がありますが、装飾の一部に日本のビール瓶のかけらが用いられており、NIPPONの文字が読めます。
この廟を作るために、カイディン帝は、国民に重税を課したと言われています。王宮内での建中樓、太平樓、顕仁門の建設にも、莫大な費用を費やしており、派手好きで浪費家だったようですが、少なくともフランスにとっては、最も好都合な皇帝だったのでしょう。

建中樓、太平樓、顕仁門について書いた日記はこちらです。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 81 - 王宮㉒ 午門、ナム・ザオ・ダン、そして顕仁門へ。(2023年6月19日/6日め)


まずは階段を上がります。豪壮なアプローチです。階段は三つに分かれていて、全部で4つの龍が走っています。

ハノイで見た、タンロン王城遺跡の「龍の階段」を思い出しました。中央の階段は皇帝専用、両側の階段は王室専用でした。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 49 - タンロン王城遺跡④ 敬天殿の龍の階段とドラゴンハウス(2023年6月18日/5日め)

こうして横に立つと、龍の大きさがわかりますね。^^

龍の後ろに見えるのは、バロック様式の門柱。不思議な取り合わせです。

門柱です。間近で見ると、すごい迫力。


【バロック様式】
16〜18世紀初頭にかけてヨーロッパ各国に広まった、建築・美術・文化の様式概念です。その語源は、過剰な装飾を比喩したポルトガル語の“barroco(バロッコ:ゆがんだ真珠)”だと言われています。建築分野における「バロック様式」とは、豪華な装飾や曲線・楕円などのデザインを多く用いた、動的で華麗な装飾性が特徴です。特に室内では、彫刻や絵画を含めた様々な装飾によって空間が構成されており、他の建築様式とは異なっています。

「バロック様式」の代表的な建築物としては、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂、イギリスのセント・ポール大聖堂、フランスのベルサイユ宮殿、ドイツのツヴィンガー宮殿などが挙げられます。


ようやく階段を上がりきりました。これは門の内側です。

中央の階段から続く門は皇帝専用のため、閉じられています。(王宮の午門でも、中央の門は通ることができませんでした。)両側の門は、それぞれ、入場・出場専用です。

左側の入場専用門から入り、前日に王宮で購入したセット券を提示しました。

これで入場したと思いきや、ここからさらに次の階段が…。

そして、石で造られた三関の坊門(牌坊)をくぐります。


階段ばっかし。😂
いつも思います。
「遺跡めぐりは、体力勝負」って。
階段、嫌いなんですけどね…。


とりあえず、
「今日の私は明日の私より若い。」
と自分に言い聞かせながら、
がんばってます。😅


「あともう少しだよ!^^」


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する