MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 3 - 秋田藩増毛元陣屋跡③ / 唐箕でつながる旅(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/29 18:00記)

2022年6月19日 総合交流促進施設「元陣屋」で。これを見て、旧花田家番屋の存在を初めて知りました。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


秋田藩増毛元陣屋跡に来ています。
ニシン漁に関わる歴史的建造物を訪ねたくて
増毛までやってきたというのに、
「元陣屋」資料館でひっかかってしまい、
なかなか先に進めません。😅


でも、資料館の2階にあがってみると、
ニシン漁に関わる展示がたくさんありました。


もっこです。浜に船が入ると、このもっこにニシンを満載して、背負って運びました。かなり重かったそうですが、背負ったのは、主として女性でした。

海で漁をするのは男の仕事。そして浜でニシンを運ぶのは女の仕事でした。


もっこは実際に使用されていたもので、
側面には、年代や名前が、
「昭和十年」「今井」などと
書かれてありました。


船頭や漁師たちの人員名簿や漁具です。このタモで、獲れたニシンをすくったんですね。^^

ニシン漁網と「桐あぱ」という取り付け具。

ガラスの浮き玉です。

竿秤(さおばかり)です。MIYOが小さいころには、八百屋や魚屋で普通に使われていました。(いつの話だ?笑)

今でいう「ステンシル」の型が残っていました。ステンシルとは、文字や絵柄をくり抜いた型を置き、その上からペイントして転写する技法のことを言います。「胴にしん」「白子」などと書いてあるので、各々を入れる木箱に、この型を使って名前を記し、分類していたようです。


MIYOの実家では、製麺業を営んでいたので、
小さいころ、自宅兼工場には、
木製のセイロが大量に積み上げてありました。
その中に生麺を並べて、自転車の後ろに積み、
若い衆が飲食店に配達した時代です。(古い。笑)
そのセイロの側面に、社名を刷り込んでいたのですが、
それもやはり、この型を使っていました。
だから家には、こんな型が普通にありました。
なつかしい。(いつの話だ?笑)


かつてのニシン漁の写真がありました。拡大してご覧ください。こういうのを見ると、人びとの熱気が伝わってくる気がして、もうわくわくします。笑

ニシン漁の船。

そして、そのニシンを本州へと運び、莫大な富を築いた弁財船(北前船)。

幻の番屋と言われる、松江番屋。昭和初期に解体されたニシン番屋です。松江家番屋は、明治31年に着工され、建設費は3万円(当時)でした。敷地全体が6000坪、居住空間すべてを合わせると、建坪が300坪もあったとされている、大規模な番屋でした。しかし、ニシン漁のかげりをみせる昭和15年に解体されました。

北海道留萌高等学校の生徒たちが復元した、松江番屋のジオラマ。かなり細かく作りこんでありました。

明治10年に描かれた、天塩国増毛郡の図。


そしてここで、
気になるものを見てしまったのです。


旧花田家番屋の模型です。「小平町・重要文化財」とあります。現在も残っているようです。


み「花田家番屋って、知ってた?」
夫「知らない。初めて聞いた。」


夫の頭の中は「増毛町」だけで、
「とにかく増毛町に行きたい。」
とばかり言っていて、
それでここまで来てしまいました。


でも、小平(おびら)町というところに、
どうやらすごい番屋があるらしいのです。
北海道最北の番屋で、そして最大の規模。
国の重要文化財にも指定されていると…。
そんなことも知らないで、
ここまで来てしまった私たち。
いや~、ぬかりました。😅


ネットで調べてみると、
場所は増毛町のさらに北、留萌です。
でも、がんばれば、
行けるかもしれない…?


「行こうよ。
 せっかくここまで来てるんだから。
 留萌にも行こうよ。
 この、花田家番屋に行ってみたい。


とMIYOが言いだし、急遽予定を変更。
この日は一日かけて、
増毛町をのんびりと歩くつもりだったのに、
「増毛+留萌」めぐりをすることに…。


でも、増毛だけでも、
観光スポットがたくさんあるんです。
それに加えて、
留萌にまで行く時間があるのか…。
ちょっと心配ですが、夫が、
「ん。たぶんなんとかなると思う。」
と言うので、なんとかします。🤣🤣


そうと決まれば、ぐずぐずしていられません。
「元陣屋」資料館を出て、
増毛町観光を開始するべく、
歩き始めました。
そう。
急遽、留萌にまで行こうというのに、
まだ、増毛町のどこにも行ってないんですよ。笑


こうしてまたも、
怒涛の駆け足旅行が始まりました。😂😂


(つづく)


(おまけのお話)


「元陣屋」資料館2階には、このほかにも、
たくさんの民具や農具が展示されていました。
その中のいくつかをご紹介しておきます。


左から、薪ストーブ、湯沸かし器、練炭火鉢、調理用ストーブです。みっつめの練炭火鉢。子どもの頃、ほとんど同じのが、私の実家にもありました。母が毎日、この中に練炭を入れていました。なつかしい。(いつの話だ?笑)

馬かんじき(大正時代)。お馬さんもかんじきを着けました。

ここは農具のコーナーです。

唐箕(とうみ)。箕の機能を機械化した農具です。前部にあるハンドルを手で回すことによって、内部の煽(あおり)板を回し、籾とごみとを選別しました。


今月(2022年7月)旅行した新潟では、
この機械が資料館などに展示されているのを、
一度ならず何度も見ました。
さすが、こめどころの新潟です。^^


旅の二日めに訪れた、「三国街道 塩沢宿 牧之通り」。江戸と越後を結ぶ三国街道沿いの宿場町として栄えたところです。「コシヒカリ生誕の地」でもあるそうで、通りの奥まったところには、お米の体験施設「お米の楽校」がありました。中には、お米の資料館やレストランがあります。(2022年7月23日・新潟県南魚沼市)

これこれ。入口を入るとすぐに置いてある、唐箕。上の写真と同じものです。いや~、北海道の増毛と新潟の南魚沼がこんなふうにつながっちゃうなんて、なんか楽しいです。^^

ここのレストランでいただいた、魚沼コシヒカリ白ごはん膳(1450円)。八海山サーモン雪譜みそ漬け焼きは、上品な味で美味。けんちん汁は、いろんな具がどっさり入っていました。卵はもちろん地卵。地元とっとこ村新鮮地鶏卵で、コクがあります。伝統魚沼野菜で作ったかぐら南蛮味噌と自家製無添加の漬物もはなまるでした。


お米は、各農家さんのを日替わりで。
この日のお米は、
南魚沼 塩沢産コシヒカリの光寿米
でした。
ごはんはおかわり自由。


これがですね…。
もう、おいしくて、おいしくて、
このまま東京に帰ってもいいくらい、
おいしかったんです。笑



お米も魚もお酒もおいしい新潟。
ああ、また行きたい。😍😍😍
…って、これは北海道の日記なんですけど。
(スミマセン)

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