MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 43 - ラーメン道場「雪あかり」で晩ごはん(2021年6月28日/4日め)

2021年6月27日 屈斜路湖です。(北海道川上郡弟子屈町)


ようやく最終話です。
3泊4日で、43回も書いてしまって、スミマセン。
長い連載におつきあいくださり、ありがとうございました。
皆様に読んでいただいたおかげで、書き続けることができました。
このあと、少しお休みをいただきます。


6月28日


新千歳空港に着きました。


まずは、ANA FESTAでお買い物です。

長女の好きなロイズのチョコレートを買いました。^^


ANA FESTA では、
ANAカードを提示すると、
5%引きになります。
その支払いを、ANAペイで決済すると、
ANAマイルがもらえます。


この頃は、ANAペイのキャンペーン中で、
マイルが通常よりも余計にもらえたので、
ANAペイをできるだけ
使うようにしていました。


こうしてちまちまと貯め続けたマイルが、
40万マイル。
いろんなサイトのポイントが、
しめて40万ポイント。
マリオットホテルのポイントは、
100万ポイントを越えました。
お金はないけど、ポイントはある、
MIYO家です。爆


今は、マイルやポイントを使って、
日本全国にタダで旅行できます。笑
夫は、以前は、
「くだらない。
 1円2円のポイントで、
 みみっちいこと言うな。」
などと、偉そうに言っていましたが、
今では、なにも言えなくなりました。爆
最後は、地道にポイントを貯め続けた、
妻の勝利でした。🤣🤣


4年くらい前に書いた、「5年間で80万円分のポイントを稼いだ話」はこちらです。


お買い物の次は、晩ごはんです。北海道ラーメン道場に行きました。

北海道の有名なラーメン店が、こんなにたくさん出店しています。すごい~。^^

一幻、あじさい、開高、らーまん 空(そら)。

札幌飛燕、梅光軒、弟子屈、けやき。

雪あかりと、長女がひとりで食べに行った、白樺山荘です。


全部で10軒。
ラーメン屋さんがこんなに並んでると、
見ているだけで楽しいです。^^


迷ったあげく、「雪あかり」に入りました。

どんなのが出てくるか、楽しみ~。笑

長女とMIYOは、一番人気のバターコーンラーメン。おいしそ~。^^

多動夫は、何を思ったか、麦味噌ラーメン。笑

晩ごはんのあとは、スーパーラウンジで過ごしました。ラウンジに置いてあった牛乳がおいしくて、さすが北海道でした。^^(この写真は、女満別に行ったときのものです。)

搭乗時間です。

夕焼けに見送られて、帰ります。


3泊4日のはずなのに、
内容充実(充実すぎ)の旅になりました。
思いがけず、
女満別まで行ってしまったり、
本当に、なにが起こるかわからない、笑
最高に楽しい旅でした。


ありがとう、北海道。


【今回訪ねたところ】
札幌市
 市内散策(北海道大学など)
夕食:「蝦夷海」の海鮮丼
空知郡中富良野町
 ファーム富田
 とみたメロンハウス
昼食:カフェルネ(ファーム富田)
北海道上川郡美瑛町
 白金青い池
北海道空知郡中富良野町
 十勝岳展望台
北海道上川郡美瑛町
 展望花畑・四季彩の丘
夕食:旭川イオンモール(お弁当)
朝食:北の弁当工房 かな(お弁当)
女満別空港から網走へ
網走郡大空町
 博物館網走監獄
網走市
 北海道立北方民族博物館
昼食:ヴィクトリアステーション
網走郡美幌町
 阿寒摩周国立公園・美幌峠
 屈斜路湖
旭川市(長女)
 旭山動物園
小樽市
 旧小樽倉庫
 小樽運河クルーズ
 小樽運河散策路
 出抜小路
 寿司屋通り
昼食:おたる すし田
 堺町通り
 色内大通り
 小樽市総合博物館運河館
 小樽市総合博物館本館
 にしん御殿 小樽貴賓館

 (旧青山別邸)
夕食:北海道ラーメン道場・雪あかり
 
今回の旅での移動経路です。
下の地図は、夫に作ってもらいました。



この4か月後に、
再び北海道に来ることになるとは、
このときはまだ、
想像もしていませんでした。笑


(おわり)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 42 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)④(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 何を食べてもおいしかった北海道でした。「展望花畑・四季彩の丘」で食べた、揚げアスパラ。「あれはおいしかったねえ」と、今も家族の語り草。笑(北海道上川郡美瑛町)


6月28日


小樽・旧青山別邸に来ています。
離れの見学を終えて、母屋に戻りました。


これまで見学してきたところです。


次は、母屋に戻ります。
この別邸に来てすぐに見たのは、
中村不折の間でした。
母屋ですから、
離れの数倍はありそうなくらい、
広いのですが、
残念ながら、コロナ禍で、
大部分は閉鎖されていました。


母屋で、私たちが入ることができたのは、
洋間だけでした。
それ以外の部屋は、廊下から柵ごしに、
覗き見るようにして見学しました。
それも、大部分は、部屋自体が閉ざされていて、
覗き見ることすらできません。


まあ、しかたないですね。^^
コロナ禍で、このような状況でも、
オープンしてくださっているだけでも、
ありがたいと思います。
「感染対策しながら、
 制限付きではあっても、
 できるだけのことをして、
 みなさんに見学していただきたい。」
という、職員の方々の思いは、
十分に伝わりました。
邸内に入ることができただけでも、
感謝です。^^


母屋は、廊下(ピンクの部分)から柵ごしに、邸内をのぞくようにして見学しました。


百畳敷の大広間や吹き抜けの天井などは
部屋に入ることができず、
残念でしたが、母屋の中で、
かろうじて見ることができた部分を
ご紹介します。


春慶塗(しゅんけいぬり)の廊下です。床や柱はすべて、木目の美しさを出す漆塗りの一つ「飛騨春慶塗」になっています。廊下のつきあたりに見えているのが、洋間です。


【春慶塗(しゅんけいぬり)の廊下】
天然の木目を生かした、漆塗り(春慶塗)の廊下です。建築以来、一度も塗り直されていないのですが、90年の時を経た今でも、きれいな光沢を見せています。日が当たる部分は少し色あせているのですが、それでも、味わい深い輝きです。


この美しい廊下を、
歩くことができたというだけで、
よしとしましょう…。^^


木枠にぴったりと嵌め込んだ一枚硝子は、現代の技術では復元不可能なのだそうです。

春慶塗の廊下の右手、一枚ガラスの向こう側には、坪庭が広がっています。前回ご紹介した「池泉庭」で、家族だけが見るために造られました。この同じ廊下に立って、かつては青山家の人々が眺めた庭です。

廊下の左手にある、12.5畳の部屋です。柵越しに見える部屋には、炉がきってありました。屏風は、城北偉史の書です。

写真を撮りそこなったのですが、この部屋には、山岡鉄舟の書があります。(画像をお借りしました)


【山岡鉄舟】
幕末の幕臣、剣術家、明治期の官僚、政治家、そして、剣・禅・書の達人でした。江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談では、これに先立ち、徳川慶喜の使者として、山岡鉄舟が西郷と面会して談判しました。このとき西郷は、鉄舟の赤誠に触れて心を動かされ、その主張をもっともだとして認め、将軍慶喜の身の安全を保証しました。これによって、江戸無血開城への道が開かれることとなりました。つまり、江戸無血開城の中身は、鉄舟と西郷の交渉でほとんど決まっていたのです。維新後、勝海舟が新政府に提出した勲功録には、「全て自分ががやった」ように書いてありました。それを読んだ鉄舟は、嘘だと思いながらも、勝の面子を潰すので、何も言わなかったそうです。(←言えばよかったのに。😟) その後、三条実美や岩倉具視の尽力により、事実が明らかになりました。
1888年、胃がんにより絶命しました(享年53歳)。葬儀の際、明治天皇は、高殿から目送し、全生庵での会葬者は5千人に上りました。


イケメンですね。笑 彼の死後、門人や使用人が何人も殉死しています。未遂で警察に保護された人々もいるそうです。「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない。」と人に思わせるような、魅力のある人だったようです。^^


話がそれて、スミマセン。笑
さて、旧青山別邸の、最後の部屋です。


洋間です。「家の中に1間だけ洋間を作る」と言うのが、当時の風流でした。モダンで上品な造りは洗練されており、当時では画期的なものでした。そのこだわりは、窓の桟やガラスなど、細部に見られます。

そして、元の場所に戻りました。旧青山別邸の見学は、ここから始まりました。


いったいどこから入ったのか?
と思われるかもしれません。
それがですね。
実を言うと、私たちにも、
よくわかりませんでした。笑
帰宅後、地図を見ながら、
よく考えてみたところ、
「春慶塗の廊下」の左端に、
小さな玄関があるので、
どうやら、ここから入ったようです。
「ようです」というのは、
なんだかよくわからない、
特別な入り方をしたからです。笑


左が小樽貴賓館で、右が旧青山別邸です。ふたつの建物がつながっているのがわかります。(画像をお借りしました)


つまり…。
旧青山別邸に入るためには、
まず、小樽貴賓館に
行かなければならないのです。
ここで入場券を買うと、
その奥の通路にはいることができ、
その通路を歩いていくと、
いつのまにか、旧青山別邸の中にいる、
というわけです。
(わかりにくいですね。笑)


小樽貴賓館には、
レストランと売店があります。
四季折々の庭園を眺めながら、
小樽・祝津ならではのお食事を
いただくことができるスポットです。


にしんお重(1870円)とにしんそば(1100円)。やっぱり、にしんのメニューなんですね!^^(画像をお借りしました)

小樽貴賓館の中に入ると、いきなり、こんな光景に出会います。

ホールの大天井には、北海道ゆかりの日本画家による138枚の花の絵がはめ込まれており、華やかで、それでいて品のある空間を作り上げています。

たくさんありすぎて、とうてい、一枚におさまりません…。^^

狩野派 進藤尚郁の「四季花鳥図」です。江戸中期の画家で、木挽町狩野家二代常信の門人でした。主に、洛中洛外図の名勝図巻を画いています。


美しい、小樽貴賓館。
小樽の人々の、
旧青山別邸に対する誇りと熱意が、
胸に響いてくるようでした…。


これで、小樽観光が終わりました。
長い長い、一日でした。笑
そして、「わずか」3泊4日の北海道旅行は、
ようやく終わりに近づいていました。


夜7時20分のフライトで、
東京に戻る予定です。
もう、5時を過ぎています。
急がなくては。
旧青山別邸に別れを告げ、
小樽から新千歳空港へ、
夫の運転で、一気に走りました。^^


次回は最終話です。


(つづく)


(おまけ)
旧青山別邸の花たちです。

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 41 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)③/テレカ寄付のお礼とお願い(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 「ファーム富田」・ドライフラワーの舎で。(北海道空知郡中富良野町)


昨年11月22日のブログで、テレフォンカードの寄付のお願いを書かせていただきました。
https://limings.muragon.com/entry/1545.html
昨日、長男が生活しているS園の園長先生からご連絡をいただき、
テレフォンカード7枚を送ってくださった方がいらっしゃるそうです。
「お名前がわからないのですが、北海道から送られたようです。」
とのことで、S園でもとても感謝しておられました。
私からも、心から、お礼申し上げます。
お名前がわからないので、ブログで書かせていただく失礼をお許しください。
本当に、本当に、ありがとうございました。
ブログを書いていてよかったなあ、と、とても幸せな気持ちになった一日でした。

改めまして、お願いを掲載させていただきます。
なにかの折りに、思い出していただけたらうれしいです。^^


【お願い】
使わないテレフォンカードをお持ちではありませんか?
今では使うことがほとんどありませんが、
長男が生活する施設では、園生にとって、テレカは必需品です。
園内の公衆電話から電話をかけるときに、使用するからです。
園では、寄付していただいたテレカを、園生に割引価格で販売しています。
そしてその売り上げは、園の運営費に充てられます。
みなさまのご家庭で、もしも不要なテレカがありましたら、
園に寄付していただけませんでしょうか。

送り先:〒191-0065
     東京都日野市旭が丘1-17-17 

     社会福祉法人 東京光の家新生園
     「テレカ寄付(MIYOのブログより)」 宛て

すみませんが、送料はご負担ください。
テレカは、新品でも使いかけでもかまいません。
どうぞよろしくお願いいたします。



6月28日


シャクヤクの花が咲き誇る、
にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)
に来ています。


まずは、
入り口からいちばん遠い、
離れに行きました。
そしれ、たも材の階段を上がって、
二階に行き、
 比田井天来の間
 扇の間
を見学しました。


写真中央は、正面玄関の塀越しに垣間見える、離れの二階部分です。ここから、日本海が見渡せます。


次は、離れの一階部分に降りてみます。
残念ながら、ここは撮影禁止で、
写真が撮れませんでした。
なので、
 黒木欽堂の間
 牡丹の間

については、すべて、画像をお借りしています。


黒木欽堂の間です。黒木欽堂の力強い筆の走りと、欄間の紫檀の彫刻が見事に調和した、落ち着きのある日本間です。(画像をお借りしました)

上の写真の右奥に少しだけ見えている、「紫檀の欄間」です。(画像をお借りしました)

牡丹の間です。「人の一生をあでやかな牡丹の花で表現した」と作者の渡風が語ったように、つぼみから散るまでを、4枚のふすま絵に華麗に描いています。 牡丹は、青山家2代目政吉の娘である政恵が、特に好んだ花でした。正面のふすま絵は、右から、「つぼみ→七分咲き→満開→散る」を描いています。散る時の絵にはつぼみが描かれており、子孫繁栄の願いが込められています。(画像をお借りしました)


さて。
豪華絢爛な写真のあとで、
このようなお写真を掲載するのは
恐縮なのですが、
この離れの「もうひとつの見どころ」
となっているので、ご容赦ください。
それは、「トイレ」です。😅


まず、二階のトイレです。当時、二階にもトイレを設けたのは、相当の財力があるお屋敷に限られていました。


【離れ二階のトイレ】
床の足置きにご注目ください。普通の足置きは、便器の方に向いています。ところが、この足置きは、「使用者が便器に背を向けて立つ」ように、置いてあります。つまり、女性が使えるようになっているのです。
このトイレのすぐ隣りに、6畳の和室があります。そこは、青山家3代目の政恵(2代目政吉の娘)が、晩年好んで愛用した部屋でした。つまり、「政恵のためのトイレ」だったのかもしれません。
当時は、ほとんどの人が、着物を着ていました。女性がこの足置きに立つと、着物の下を端折って、用を足すことができる、…ということだったようです。


トイレと、政恵が愛用した部屋の写真です。邸内には、このように、職員が手作りした案内パネルがいくつも置かれています。その内容もおもしろく、見逃せません。^^


ところで、このトイレ。
見覚えがあります。


田中本家の水車土蔵に展示されていた、あの便器です。(2021年3月27日 長野県須坂市)

コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 20 - 田中本家博物館 水車土蔵(2021年3月27日/2日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


展示されていた、便器の数々です。

レース飾りが付いた、おしゃれな便器です。^^(田中本家博物館)


そして…。
ご覧ください。


左が旧青山別邸で、右が田中本家博物館にあったものです。笑っちゃうくらい、似ていますよね。これが、この当時のスタンダードだったのでしょうか。笑


次に、旧青山別邸・離れ一階のトイレです。


美しい、有田焼の便器でした。ほおずき模様のようです。(旧青山別邸・画像をお借りしました)

(旧青山別邸・画像をお借りしました)

田中本家も、負けていません。こちらも有田焼です。明治時代、田中本家の迎賓館として建てられた客殿「清琴閣」にあったものです。

左が旧青山別邸で、右が田中本家博物館にあったものです。便器も100年たつと、美術工芸品ですね。^^


便器の話ばかり、長々とスミマセン。😅😅


庭のシャクヤクの花で、気分を変えていただいて…。😄

旧青山別邸では、建物の三方に庭があります。これは池泉庭で、家族だけが見るために造りました。この庭は、家の中からでないと、眺めることができません。


旧青山別邸の日記は、
あともう少し続きます。


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 40 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)②(2021年6月28日/4日め)

2021年6月27日 新千歳空港で。プロペラ機(ボンバルディアQ400)に乗って、女満別に行きました。(北海道千歳市)


6月28日


「にしん御殿 小樽貴賓館
 (旧青山別邸)」

に来ています。


旧青山別邸は、コロナ禍で、
長く閉館していたのですが、
私たちが訪れた時は、
ちょうど、その一週間前に、
再開したばかりでした。
ラッキーでした。^^


「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」の全景です。右が旧青山別邸で、左が貴賓館です。(画像をお借りしました)

正面玄関を入ってすぐ左手に、当時のにしん漁の栄華を偲んだ昭和の名曲「石狩挽歌」ゆかりの地である記念碑と、作詩家なかにし礼氏の直筆の歌碑があります。(作詩家・なかにし礼、作曲家・浜圭介氏、歌・北原ミレイ)

そして、シャクナゲの庭、枯山水を通り、客用大玄関へ。積雪の多い北海道では珍しい、瓦葺の重ね屋根になっています。ここは立ち入り禁止になっていて、見学者は、さらに奥にある、別の出入り口を使います。

なにしろ、こんなに広いのです。すごいです。笑

わかりますでしょうか。鬼瓦は、北前船ですよ。^^

風を帆に受けた北前船が、にしん御殿を守っているかのようでした。

旧青山別邸の創建時に葺かれていた鬼瓦です。海の波が描かれた鬼瓦を、初めて見ました。中には、「水」という文字が入った瓦もあり、火災防止の祈願を込めていたのではないかと言われています。

使用されている梁の見本です。旧青山別邸では、樹齢250年以上の北海道産エゾマツを使用した梁(長さ8.1m、厚さ24cm、幅55cm)を建物の随所に用いています。これにより、居間を広くとるとともに、屋根の重みをしっかりと支えることができるのだそうです。

そして、ニシンを加工するために使われた、大きな鉄鍋(鰊釜)。当時、鋳造の盛んだった富山県高岡市で作られたもので、その材料は山陰地方から運ばれていました。

*鰊釜について書いた日記はこちらです。
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 36 - 小樽市総合博物館運河館(ニシンが経済を回した)(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


旧青山別邸の前には、
展示しているものがたくさんあり、
多動夫が、
あちこちでひっかかってしまうので、
なかなか中に入れません。🤣🤣
待っていられないので、
長女とふたりで、先に入ります。


見学者用の入り口から入ると、
まず目に入るのが、
中村不折の間です。


中村不折の間。旧青山別邸が美術豪邸とも呼ばれる所以は、絵師たちが競って描いたというふすま絵や、一流の書家たちによる数々の書があるからです。そのひとつが、この中村不折の間です。中国の詩聖、杜甫作の「飲中八仙歌」が、中村不折による力強い筆致で書かれています。


【中村不折】
明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家です。太平洋美術学校校長で、夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られています。また、新宿「中村屋」の看板を書いたことでも有名です。

中国の書の収集家としても知られています。唐代の書家である顔真卿の、現存する唯一の真蹟といわれる「顔真卿自書建中告身帖」などを収集し、1936年に、台東区根岸の旧宅跡に書道博物館(現:台東区立書道博物館)を開館しました。


(画像をお借りしました)


ここから、通路を通って、
離れに行きました。
受付で、係員の方に勧められたので、
まずは離れの二階にあがってみます。


たも材の階段です。孔雀や蝶が羽を広げた模様を木目で表現したという、棟梁斉藤子之助苦心の作です。1段作成するのに、1週間という長い工程を要し、また、上に行くほど段差が少ないという繊細な造りになっています。たも材の木目を使って仕上げたこれほど見事な作品は、現在では他に類を見ず、にしん御殿(旧青山別邸)にあってその美しさを象徴する作品のひとつとなっています。


…の、はずですが。
階段はカバーで保護されていて、
木目模様で表現した孔雀や蝶は、
よくわかりませんでした。😅


でも、親柱をよく見ると、たしかに、木目模様がきれいに配置されているのがわかります。

離れ二階にある、扇の間です。狩野派の流れを汲、日本画の松本楓湖、今中素友、長野草風、野沢蓼州、渡風などの絵師たちが、その腕前を競って扇絵を描き上げました。

扇絵です。(画像をお借りしました)

その隣りにある、比田井天来の間です。ふすまにあるのは、帝院会員でもあった書の大家・比田井天来の力強い書です。青山家の三代目・青山民治が、青山別邸の完成に感激して詠んだ漢詩を、比田井天来が青山家に逗留して書き、素晴らしいふすまになりました。 4枚のふすまの書が、窓の外の日本海に向かって語りかけているような設えです。

比田井天来の書です。(画像をお借りしました)

この、比田井天来の間の隣りにある廊下(鴬張りの廊下ですが、残念ながら、カバーで覆われています。)に立って、外を眺めました。木と木の間に白樺の皮を入れて作成した窓からは、すぐ下に、さきほどの枯山水庭園が見えます。

そして、遠くの方に目をやると、海が見えました。日本海に面した、祝津の海です。


旧青山別邸から見えた、日本海。
それはかつて、
ニシン漁で一時代を作ったという、
あの、祝津の海でした。


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 39 - 小樽市総合博物館本館から「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)①」へ(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 白金青い池で。(北海道上川郡美瑛町)


6月28日


小樽市総合博物館本館のつづきです。
前回の日記で掲載しきれなかった写真を、
一気に載せておきます。


第1号除雪車。この車両は、当時の図面や写真などから復元(原寸複製)したものです。ボディが木造です。すごいですね。^^


【第1号除雪車】
幌内鉄道の最大の悩みは積雪で、今と違って当時は機械力もなく、除雪には大変苦労しました。そこで、貨車の台車を利用して、1881年(明治14年)に、雪払車を造りました。現在のラッセル車と違い、前後の部分が上下し、積雪状況に対応できるようになっていました。この後、本格的なラッセル車が日本に登場するのは1910年(明治43年)で、アメリカから輸入したものでした。これ以後、ラッセル車は国産化され、全国に普及していきました。


それぞれの列車は、このレールで、博物館まで引き込まれてきました。長く延びた線路の先に北海道の大地と開拓時代から続く歴史があるのだと思うと、なにかジンときました。

あまり写真を撮っていないのですが、博物館の建物の中にも、たくさんの展示があります。

1910年(明治43年)に造られた、汽車汽船旅行双六です。


ここまで書き終えて、ほっとしています。笑
正直言いますと、なにしろ、
自動車ですら、
「色」しかわからない、MIYOです。😅
ショッピングモールの駐車場で、
我が家の車を見つけることができません。
白い車が2台並んでいると、
どちらがうちの車なのかわかりません。笑


「色盲」という言葉がありますが、
私の場合は、「自動車盲」ですかね…。
それくらいに機械オンチなのに、
「にわか鉄子」になってしまって、
鉄道について記事を書くというのは、
かなりキンチョウしました~。😂😂
(ちなみに、屋外の鉄道車両の写真は、
 すべて、多動夫が撮ったものです。
 そうとううれしかったみたいで、
 撮りまくっていますね。笑)


ああ、終わってよかった…。🤣🤣
そして、この項については、
いくつものコメントをいただきました。
こんな「にわか鉄子」の日記でも、
楽しんで見ていただけたことが、
とてもうれしかったです。
ありがとうございました。^^


さて。
小樽市総合博物館本館を後にして、
いよいよ、この旅最後の場所に向かいます。
(やっとかい。
 …って、あきれられてますよね。笑)


実は、この最後の場所こそが、
小樽でMIYOが
いちばん行きたかった場所なのです。
それは、祝津というところにある、
「にしん御殿 小樽貴賓館」
別名、旧青山別邸
大正時代に青山家が建てた、
豪華絢爛な別荘で、現在は、
国の登録有形文化財となっています。


すみません。
またまた、ニシンのお話です。笑


小樽駅から祝津までは、車で10分くらいです。めざす「にしん御殿 小樽貴賓館」に到着しました。


【にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)】
昭和の初期まで、小樽はニシン漁で栄えていました。このニシン漁に由来する歴史的建造物が、小樽市内にはたくさん残されています。中でも、この「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」は別格で、人気漫画「ゴールデンカムイ」にも登場します。北の美術豪邸とも言われており、総工費は、現在の価格に換算すると約30億円と言われています。(国の登録有形文化財)
建築したのは、小樽市祝津の青山家。ニシン漁の網元で、明治から大正にかけて、青山留吉・政吉の親子2代で巨万の富を築き、「ニシン大尽」と呼ばれていました。青山家は、小樽から留萌にかけて、漁場約15箇所、漁船約130隻、使用人約300人を有しており、1914年(大正3年)頃には、年間で1万石(7,500t/現在の価値で約25億円)以上ものニシンを水揚げしていたと言われています。

その青山家の2代目政吉が、娘・政恵と共に6年半の歳月をかけて建てた別荘が、「旧青山別邸」です。棟梁がこだわりぬいて集めたヒノキ、けやき、紫檀、黒檀、神代杉、屋久杉などの建築材、春慶塗の廊下や柱、たも材の階段など、生活空間の随所に贅が尽くされています。
隣接の「小樽 貴賓館」にある、138枚の花の大天井画も必見です。


駐車場に車を停めて、黒塀の続く道を歩きます。塀の内側に見えているのが、「にしん御殿」です。

角を曲がって、さらに直進します。

奥にあるのが、旧青山別邸の入口のようです。

ようやく到着。^^

「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」です。

ここから中に入ります。

門を入ると、目の前には、シャクナゲの庭が広がっていました。

その隣りは、枯山水の庭園です。ここはパワースポットになっているそうです。左手の赤松に、龍が舞い降りてきたように見える部分があるのですが、おわかりでしょうか。これは「降り龍」と言って、天から舞い降りた地上の守り神であるとされています。

「龍の部分はココですよ」という案内パネルがありました。

拡大してみますね。この部分です。そして、もう一度、2枚上の写真で、龍を探してみてください。笑


枯山水を通り過ぎたら、
次はいよいよ、
旧青山別邸に入ります。


(つづく)