MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 35 - 色内大通りから旧小樽倉庫(北前船の世界)へ(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 「展望花畑・四季彩の丘」で。(北海道上川郡美瑛町)


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
旅日記を、今年も気長に書き続けて行きたいと思います。
おつきあいただき、楽しく読んでいただけましたらうれしいです。
新しい年が、皆様にとって幸多いものになりますように。


6月28日


堺町通りを見学したあとは、再び、
色内大通り(いろないおおどおり)
を経由して、小樽運河に戻りました。


【色内大通り】
明治32年、小樽は、国際貿易港に指定されました。樺太航路、欧米への航路が開設し、
昭和初期にかけて、北海道経済の中心地として栄えます。この頃の小樽は、「北のウォール街」と呼ばれるほどの経済都市でした。最盛期には、25行もの銀行が小樽に支店を出し、北日本随一の金融都市となりました。その栄華を色濃く残すのが色内通りで、明治後期~昭和初期に建てられた古い建物が今も多く残っています。現在は、小樽市の歴史的建造物に指定されており、様々な用途に活用されています。


旧三井銀行小樽支店が見えてきました。

入り口です。

屋根の部分です。細工が細かいですね。夫が部分写真しか撮っていなかったので、全体像がわかりにくいですね。笑

これが、旧三井銀行小樽支店の全景です。細部まで美しい造りで、見入ってしまいます。(画像をお借りしました)


【旧三井銀行小樽支店】
市指定有形文化財に指定されています。1927年(昭和2年)に竣工した地下1階地上3階建ての鉄骨鉄筋の建物で、アーチ窓を連ねたルネッサンス様式で造られています。設計は、当時日本の建築界をリードしていた曾禰中條建築事務所(曾禰達蔵・中條精一郎)によるものでした。外壁には花崗岩を用いています。関東大震災直後に起工されたため、当時最先端の構造と耐震技術が用いられました。

2002年(平成14年)に銀行としての営業を終了しましたが、現在は、「小樽芸術村」の1部として公開されています。内部は、1階に吹き抜けの広い客溜や営業カウンター、金庫室、2階には回廊が巡らされ、会議室や応接室が配されています。細部に緻密な意匠が施されているほか、天井の石膏彫刻が秀逸です。


「旧塚本商店」と、右奥に見えているのが「小樽硝子屋本舗 和蔵」です。


【旧塚本商店】
1920年(大正9年)に建設された、呉服問屋でした。現在は、十割そばの店舗として利用されています。建物自体はコンクリートを使っていますが、和風テイストの建物です。漆喰のような黒光りする外観の色が特徴的で、建物の重みを増しています。以前からつけられていただろうと思われる看板の、「後藤商店」という金文字が、外観の黒色によって一層引き立てられています。(小樽市指定歴史的建造物 第68号)


【小樽硝子屋本舗 和蔵】
明治39年に建てられた木骨石造りの建物です。店内では、当時の面影を残す和風ガラス雑貨を販売しています。


北海道経済新聞社(旧安田銀行小樽支店)


【旧安田銀行小樽支店】
昭和5年に建造されました。その後富士銀行となり、昭和45年に、北海道新聞社の社屋となりました。二階通しの円柱の美しいフォルムが特徴です。


スリラーカラオケ 小樽店。タダのカラオケ屋さんなのですが、小樽だとこうなります。周囲の景観を壊さないように、配慮して作っているのでしょうか。笑

そして再び、小樽運河まで戻ってきました。写真は、小樽運河クルーズの前に訪れた、旧小樽倉庫です。

寄棟の瓦屋根に鯱(しゃちほこ)をのせた和洋折衷のデザインで、優雅な美しさを見せています。現在は、観光案内所でもある運河プラザと小樽市総合博物館運河館として利用されています。(小樽市指定歴史的建造物No.13)

小樽倉庫は、明治26年に設立された、北海道初の営業倉庫です。造ったのは、石川県橋立の西出孫左衛門と西谷庄八。西出孫左衛門は、江戸時代より海運業(北前船)を営む、大網元の当主です。

倉庫内にも、北前船の大きなのぼりがありました。写真は、小樽倉庫を設立した西出孫左衛門(石川県橋立出身)です。


設立者が、
石川県橋立の西出孫左衛門
と書いてあるのが気になり、
帰宅後に、
過去のブログを調べてみました。


ありました。笑


2020年7月、石川県加賀市橋立町に行ったのですが、そのときに、西出家のお屋敷跡を訪ねて、山の中を歩いていました。🤣🤣 この石垣の内側が、西出家のお屋敷があったところです。

「北前船船主 西出家屋敷跡」と書いてあります。草深い山の中に、往時のお屋敷のほんの一部が、今も残っていました。


このわずか一年後に、
西出孫左衛門が作った小樽倉庫に
来てしまったわけです。笑
なにか、
彼の足跡をたどってきたかのようで、
おもしろいです。^^


北前船の船主たちが、
こんな遠いところでまで来て、
事業を起こし、
巨万の富を築いたのだなあ…と、
感慨深いものがありました。


この小樽倉庫ですが、
現在は、内部が、
小樽市総合博物館運河館
になっています。
朝来た時には時間がなく、
中に入ることができませんでしたが、
今回は、じっくりと
博物館内を見学してみました。^^


小樽倉庫の中庭です。

この中庭を横切って反対側に行きました。この扉の向こうが博物館になっています。小樽ゆかりの歴史資料を、郷土史、船舶史、ニシン漁業史、生活史などに分けて展示しています。明治・大正期の商店も再現してあり、楽しいスポットです。

小樽市総合博物館運河館の展示です。まずは、北前船の構成自治体リスト。北前船ゆかりの町が、日本全国にこんなにあるんですね。全部行ってみたいです。笑


「全部行ってみたいね!」
と、つい言ってしまいました。
でもその後、私たちが、
ほんとうにそれをやりはじめるとは、
このときはまだ
思っていませんでした。🤣🤣


北前船(久恵丸)の模型(1/20)です。こんなちっぽけな船に、品物を山積みして荒波を越え、船主は巨万の富を築きました。一度の航海で、現在の数億円規模を稼いだと言われています。

興奮した夫、裏側にもまわって写真を撮らないと気がすまなかったようです。笑 こちらは断面になっていて、船の内部がわかるようになっていますね。

貴重品を保管するために使われた、船箪笥。船が沈没したときでも水に浮き、中に海水が入らないようにつくられていました。

荷を積んだ商店の広告。捨てられないように、暦が印刷されているものもあります。

北前船で使われた、帆縫具、船磁石、望遠鏡です。

勘定書、船鑑札、船往来手形。右側には、北前船が運んだ数々の産物のミニチュアが並んでいました。

米、味噌、醤油、白砂糖、漆器、黒糖、白玉粉、塩、素麺、茶、酒、酢、蝋、陶器、太物、畳表、竹、麻、紙、綿、縄、煙草、瓦、傘、胡麻、医薬品、磁器、炭、大豆、瓶、焼酎、硯、米糠、い草、縫い糸…。こんなにたくさん運んだのですね。^^


商いをしながら、
日本海を北上した北前船。
その航海の終点が、北海道でした。
北海道の地で、積み荷をすべて売り払い、
代わりに積み込んで帰ったものは、
なんだったのでしょうか…。


それについては、
次回にお話したいと思います。^^


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 34 - 小樽堺町通りと、すし田でお昼ごはん(2021年6月28日/4日め)

2021年6月27日 屈斜路湖で。(北海道川上郡弟子屈町)


この一年に出かけたところ:【2月】 千葉県(勝浦)、【3月】 埼玉県(聖天宮、川越)、山梨県(笛吹)、長野県(台ヶ原宿、田中本家)、岐阜県(郡上八幡、美濃)、愛知県(名古屋)、【4月】 福島県(白河、会津若松)、茨城県(ひたち公園、水戸)、栃木県(足利)、【5月】 青森県(奥入瀬渓流、十和田、黒石)、栃木県(古河)、【6月】 山梨県(甲府)、長野県(田中本家)、北海道(札幌、富良野、女満別、小樽)、【7月】 栃木県(日光)、静岡県(伊豆、修善寺、下田)、千葉県(佐倉)、石川県(能登)、【9月】 長野県(白馬)、【10月】 長野県(田中本家、小布施)、富山県(黒部)、【11月】 北海道(札幌)、【12月】 沖縄県(沖縄本島)


元気に旅が続けられたことに感謝するばかりです。
ブログには、上記の半分くらいしか書き残せておりませんが、これからも気長に書き続けて行きたいと思います。
この一年、旅日記におつきあいくださり、ありがとうございました。


6月28日


大正硝子館や浪漫館が並ぶ、
小樽堺町通りまでやってきました。


左が大正硝子館で、右が浪漫館です。この先に、まだまだ、古い建築物が続きます。


この通りには、
レトロな建物が並んでいて、
多動夫はつい我を忘れ、
(↑ってか、いつも忘れてるのですが)
私と長女を残して、通りをどんどん
歩いて行ってしまいました。
そのまま、帰ってこないんですよね…。


しびれを切らして、MIYOが電話し、
ようやく戻ってきたという、
いつものていたらく。😡😡
毎度のことながら、
「やっぱり離婚しておけばよかった」
と思う瞬間です。😅


堺町通りは、
たしかに面白そうだったのですが、
まずはお昼ごはんです。
うかうかしてると、
ランチタイムが終わって、
お店が閉まってしまいます。
ということで、
「寿司屋通り」に向かいました。


港町である小樽は、
「寿司のまち」とも言われています。
小樽近海の新鮮な魚介類が手に入るため、
お寿司がおいしいことで有名です。
特に、「寿司屋通り」には、
16店ほどの人気寿司店が
集まっているそうです。


着いてみると、
たしかにお寿司屋さんが多いのですが、
コロナのためか、
多くのお店が閉まったままでした。


たまたま開いていたお店の前で、
「どうしようか…」
と相談していたら、
中からお店の方が出てこられて…。😄


「どうぞどうぞ」と言われるままに入ってしまった、「おたる すし田」です。


有名なはずの寿司屋通りでしたが、
気の毒なくらいに人影がなく、
このお店も、
お客は私たちだけでした。


3人がそれぞれに好きなものを注文し、
シェアしていただきました。


握りセット(2700円)

握りセット(1300円)

ちらし丼(2900円)

全部並べると、こんな感じ。^^


ネタの色が、本当にきれいです。
ウニもいくらもたくさん盛られて、
同じお値段で、東京では、
こんなに豪華なのは食べられませんね…。
とってもおいしかったです。^^


お腹がいっぱいになり、
MIYOの機嫌もなおったところで、
再び、堺町通りに戻りました。笑


【小樽堺町通り】
昭和58年、堺町地区に、「北一硝子」が「北一硝子 三号館」を開店しました。既存の木骨石蔵倉庫を再利用したもので、これが、小樽観光の礎を築きました。

その後、昭和61年に、小樽運河が現在の姿に新しく生まれ変わったことを契機に、小樽観光ブームが到来しました。約900mある堺町通りには、観光関連施設や店舗が次々にオープンし、現在は、観光客で賑わう有名な観光スポットとなっています。あちこちに残る、小樽市指定の歴史的建造物の数々を訪ねて歩くだけでも、楽しいエリアです。


おたる瑠璃工房・運河店です。アクセサリーや雑貨のお店ですが、元は、「旧金子元三郎商店」でした。(小樽市指定歴史的建造物 第34号)


【旧金子元三郎商店】
1887年(明治20年)に建てられました。木骨石造2階建てで、袖壁と漆喰塗りの開き窓が特徴的な建物となっています。現在は、「おたる瑠璃工房 運河店」という、ステンドグラスや手作りアクセサリーをメインとした雑貨店となっており、中を見ることもできます。


小樽オルゴール堂 堺町店。明治29年に岩永時計店が建てたものです。木骨石造りの2階建てです。店内では、高さ2.5mのホールクロック‛コロン’(1890年代・フランス製)が、今も時を刻み続けています。(小樽市指定歴史的建造物)

利尻屋みのや 不老館。「お父さん預かります」の看板が目立つ、利尻こんぶのお店です。商品名も面白く、「7日食べたら鏡をごらん」「150年若返るふりかけ」等々、笑えます。

オルゴール専門店「オルゴール堂®海鳴楼海鳴楼」。元は、「旧第百十三国立銀行小樽支店」です。(小樽市指定歴史的建造物)


【旧第百十三国立銀行小樽支店】
第百十三国立銀行は、1878年(明治11年)に函館に設立され、翌1879年(明治12年)に開業した北海道初の地場銀行です。旧小樽支店の建物は、1895年(明治28年)に建てられました。木骨石造の平屋で、施工・設計者は不明です。隅角部には、色の異なる石が算木積み風にデザインされ、瓦ぶきの寄棟屋根には、槍のような特徴的な飾りが2本付いています。当時流行していた和洋折衷様式の建物です。あまり銀行らしさが感じられない、可愛らしい小さな建物ですが、窓にはめられた鉄格子と、軒下にある連続した分銅模様のレリーフが、銀行としての面影を残しています。
小樽支店は、業務拡大に伴って、1908年(明治41年)に移転し、その後、この建物は木材貿易商事務所や製茶会社の建物などとして利用されていました。小樽市の歴史的建造物に指定され、現在は、小樽のオルゴール専門店「オルゴール堂Ⓡ海鳴楼」の本店となっています。小樽でしか手に入らない、海鳴楼ブランドのハンドメイドオルゴールが販売されています。


次々と歴史的建造物が現れるので、大喜びの夫です。笑

とんぼ玉や吹き硝子の店「小樽硝子の灯・彩や」です。元は、旧北海雑穀株式会社でした。明治40年に建てられた趣きのある建造物です。屋根は瓦、外壁は軟石、窓に飾り鉄扉、両軸に「うだつ」を立てています。(小樽市指定歴史的建造物 第85号)


上は夫が撮った写真で、
下の写真は、MIYOが撮りました。
同じ建物でも、撮る人が変わると、
写真の雰囲気も変わってきて、
おもしろいですね。^^


両側に「うだつ」があるの、おわかりでしょうか。美濃市で見た、あの「うだつ」です。なつかしい。^^


これが「うだつ」です。「うだつ」の家が続く街、岐阜県美濃市に行ったのは、この3か月前のことでした。


「▢〇堂(カクマルドウ)小樽」は、大正時代の銀行を思わせる重厚な建物。オリジナル硝子アクセサリーや硝子雑貨のお店です。

小樽出世前広場に来ました。ここには、夢を抱き、身を立て名を上げようと、本州各地からこの地に渡って奮闘した小樽商人たちの年譜が展示されています。路地の入口にペイントされた丸でケンケンパをしながら(しなくてもいいですが)、中に入ります。

ってことで、いきなり「ケン、ケン、パ!」を始めた長女。笑


北海道の開拓時代から、
明治・大正・昭和初期にかけて、
全盛を誇った小樽。
この地で事業を起こし、
巨万の富を築いた人々によって、
金に糸目をつけず、贅を尽くした、
多くの建物が残されました。


今ではそれらが、
小樽の観光資源となり、
大切に保存され続けています。


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 33 - 小樽(出抜小路、ウォール街からレトロエリアへ)(2021年6月28日/4日め)

2021年6月28日 小樽運河・浅草橋で。(北海道小樽市)


6月28日


小樽運河のすぐそばにある、
出抜小路に来ています。


石造りの建物が並び、独特の雰囲気を醸し出しています。


【出抜小路】
小樽の屋台村で、小樽市民の憩いの場となっています。名前の由来について記されたものはありませんが、運河に面した表側から荷物を入れ、この通りを使って荷物を運び出していた(抜いていた)ことから、その名が付いたと言う説もあります。この界隈には、歴史を感じさせる石造りの建物が並び、北の商都の繁栄をつぶさに見てきた地と言えます。


たくさんの店舗が集まっている、出抜小路です。左手に見える「うだつ小僧」がかわいらしいですね。^^


【うだつ小僧】
丁稚奉公から事業を興し、腕一本で成功した小樽の先達をイメージして作られた像です。商売繁盛、立身出世をかなえるとされており、「小樽出抜小路」のシンボルとなっています。


コロナのせいでしょうか。エリア内のお店は、どれもしまったままでした。

しかたないので、写真だけ撮って、次の場所へ向かいます。


ここから街の方に向かって、
多動夫がどんどん歩き始めました。
しかたなく、私たちもいっしょに歩きます。


「おなかすいたねえ」と言いながら、旧三菱銀行小樽支店(小樽運河ターミナル)の横をとぼとぼと歩く、長女と私です。

旧三菱銀行小樽支店の正面です。


【旧三菱銀行小樽支店・小樽運河ターミナル】
1922年(大正11年)に建てられた、鉄筋コンクリート造4階建の建物です。重厚な作りが印象的な建物で、小樽市指定歴史的建造物 No.18になっています。現在は、小樽運河ターミナルとなっており、小樽をバスで観光する場合の拠点になっています。


旧北海道拓殖銀行小樽支店


【旧北海道拓殖銀行小樽支店】
昭和初期までの小樽は、北のウォール街ともいわれた場所でした。その象徴とも言われる建物が、この旧北海道拓殖銀行小樽支店です。その隆盛のシンボルといえる建物は、今でも、小樽の街で存在感を放ち続けています。
威風堂々たる外観、開放感あふれる内部は、現在でもノスタルジックな雰囲気です。さまざまな変遷を経て似鳥美術館となった現在でも、その雰囲気や味わいは廃れることはありません。横山大観や岸田劉生などの名画が展示されているということもあり、内装とあわせて楽しめるスポットになっています。


左が小樽郵便局で、右は似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)です。


【旧北海道拓殖銀行小樽支店】
かつて作家・小林多喜二が働いていたところです。銀行ホールだった2階までの吹き抜けは、6本の古典的円柱が圧巻です。4階は横山大観、川合玉堂などの日本画、3階は岸田劉生をはじめとする日本・海外の洋画、2階には高村光雲とその弟子たちの木彫などを展示しています。地下はアールヌーヴォー・アールデコ グラスギャラリーとなっています。


たくさんの銀行が立ち並ぶエリアを抜けると、いきなり、レトロな家屋が目に入りました。

旧名取高三郎商店です。隣りの、小樽運河ターミナルとのコントラストがすごいですね。^^

旧名取高三郎商店は、大正硝子館として、現在も営業しています。その奥に見えているのが、「浪漫館」です。


【旧名取高三郎商店】
1906年(明治39年)に建てらてた、木骨石造階建ての建物です。小樽市指定歴史的建造物 No.7になっており、袖壁と重厚な2階の窓を囲う扉が印象的な建物です。現在、1階は大正硝子館 本店として、2階は旧名取高三郎商店が元となったナトリ株式会社小樽支店として利用されています。


川に出ました。川の向こう側にも、古そうな建物が見えています。

「浪漫館」と書いてあります。


【浪漫館】
1908年(明治41年)に銀行として建築された建物を利用した、アクセサリーと雑貨の店です。店内にはアンティークな家具が置かれていて、レトロな雰囲気が漂い、天然石のアクセサリーや可愛らしいガラスの雑貨が所狭しと並んでいます。落ち着いた空間が魅力のカフェもあり、観光の合間の休憩にも気軽に利用できます。



多動夫は、このあとも、
先へ先へと勝手に歩いて行って、
戻ってくる気配もありません。
もう2時です。
ついに、MIYOが爆発しました。


「また今日も、お昼ごはん抜きで
 観光するつもりなの?!😠😠」


怒ったMIYOに電話で呼び戻されて、
我にかえった夫。
ここでようやくお昼ごはんです。
寿司屋通りまで行くことにしました。


ほんとにねえ…。
毎回、旅行のたびに、
同じことをくりかえしてるんですけど。


多動夫は旅行していると、
つい夢中になって、
目の前のことに没頭してしまいます。
そうなると、私たちは、
おもいっきり怒らないと、
ごはんすら食べられないんですよ。
毎回、毎回、コレです。
もう、いいかげんにしてほしいと
思います…。😔😔


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 32 - 小樽運河 散策路(2021年6月28日/4日め)

2021年6月28日 小樽運河で。(北海道小樽市)


6月28日


楽しかった、小樽運河クルーズ。


お天気も良くて、最高のクルーズになりました。

浅草橋まで行き、クルーズは終了しました。次は、運河に沿って延びている散策路を歩いてみます。

「都市景観賞」を受賞している、美しい風景。絶好の写真スポットです。ここで写真を撮ると…、

こうなります。笑

それでは、散策路を歩きます。本当は人気のスポットなのですが、コロナで人通りがほとんどありません。

小樽運河貸し切り状態です(スミマセン)。

先ほど、旧小樽倉庫で手を振ってくれた方々が見えました。^^

ほどなく、浅草橋に到着です。

浅草橋の上から夫が撮った小樽運河です。美しいですね。^^

そしてこちらは、クルーズのボートの上で、MIYOが撮った小樽運河。


いかがでしょうか。
もちろん、
どちらの小樽運河も美しいのですが。


ボートの上から撮った写真は、
(あたりまえですが、)まるで、
水面が自分に迫ってくるかのようです。
臨場感が、ちがいますよね…。^^
(自画自賛です。笑)


小樽運河を肌で感じるためには、
やはり、クルーズに参加するのが
良いようです。^^


さて。
散策路を浅草橋まで歩いたあとは、
橋をわたって、
運河の海側に行きました。


「小樽運河食堂」と書いてあります。そろそろお腹が空いてきたので、吸い寄せられるように歩いていきました。笑 たどり着いてから知ったのですが、ここは、「旧浪華倉庫」でした。


【旧浪華倉庫】
1925年(大正14年)に建てられた大型の木骨石造の建物です。小樽市指定歴史的建造物 No.77になっており、小樽運河の倉庫群を代表する建物と言えます。クイーンポストトラスと呼ばれる洋風の構造で、屋根部分には、採光用に設置された円形の小屋根があります。荷物を搬出入する開口部は、海側と運河側に配置され、はしけへ荷積みする利便さが図られていました。この建物は、小樽運河が完成して2年後に建てられています。運河の盛衰を見守り、その歴史を今に伝える倉庫建築のひとつです。


現在は、「小樽運河食堂」として、複数の飲食店が入ったグルメスポットになっています。

おいしそうですね。^^

入ってみたかったのですが、コロナで、建物全体が閉じられたままでした。出入り口も、ひっそりとしています。残念。

通りの反対側にも行ってみました。

こちらは、「函太郎 小樽店」という、回転寿司のお店でした。「営業中」と書かれています。


「どうしようか。
 ここで食べようか?」
と相談していたら、
小樽運河の向こう側に、
やぐらのようなものが見えてしまいました。
とりあえず、そこまで行ってみます。


こんなやぐらです…。ここは、出抜小路というところでした。

「出抜小路」の外観です。(画像をお借りしました)


ここに来て、多動夫のスイッチが
入ってしまったようです。
いきなり、小樽街歩きが
始まってしまいました。
お昼ごはんの場所を探していたはずなのに、
夫、どんどん歩いていきます。
またもや、「ごはん抜き」観光に
なりそうな予感。😂😂


(つづく)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 31 - 小樽運河クルーズ⑤倉庫群)(2021年6月28日/4日め)

2021年6月28日 小樽運河で。(北海道小樽市)


6月28日


北運河のつきあたりから反転し、
今度は南運河エリアを遊覧しました。
古い倉庫がいくつも並んでいるエリアです。
運河だけにかぎらず、小樽市内には、
古い倉庫がいくつもありますが、
それには理由があります。


【小樽の倉庫群】
小樽の見どころのひとつが、小樽運河の倉庫群や堺町通りに立ち並ぶ石造倉庫です。この小樽の倉庫群は、小樽の歴史そのものと言えます。
明治初期以降、北海道の近代化が急速に進むと、港町の小樽は、北海道開拓の拠点として急速に発展していきました。小樽港では、北海道の海運貿易拠点としてたくさんの物資が流通し、その物資を保管するためにたくさんの倉庫が必要でした。

大正時代には、積荷の運搬作業を効率的に行うために、「小樽運河」が造られました。そしてその運河沿いには、たくさんの「倉庫」が建てられました。
このような歴史背景のもとに、当時建てられた倉庫が、小樽には今も数多く残っているのです。
小樽の倉庫の特徴は、内側の柱や梁は木材・外側は石造りの「木骨石造」です。石造りの建物は、夏は涼しく冬は暖かい上、防火性にも優れていて、倉庫に適しています。外壁の軟石が小樽近郊で採れること、工期が短く建築費が低く抑えられることもあって、大正初期頃までは多くの石造倉庫が建てられました。けれど大正中期以降は、モルタル塗りやタイル貼り、鉄筋コンクリート造りが主流となり、石造倉庫は少しずつ姿を消していきます。
小樽に現在も残る石造倉庫の多くは、その歴史を感じる風合いそのままに、今も施設や店舗として活用されています。それは、小樽の重要な観光資源となっています。


北運河エリアの倉庫群です。いずれも、現在は倉庫として使われているものはないようですが、それぞれが趣のある外観を見せてくれています。最初の建物は、北日本倉庫港運の倉庫です。ちなみに、北日本倉庫港運は、現在も存在する株式会社だそうです。その奥の2棟は、旧篠田倉庫です。

旧篠田倉庫です(小樽市指定歴史的建造物・第63号)。2棟並んで建っていて、周りの倉庫と比べると頭ひとつ高い倉庫です。1925年(大正15年)に建築され、現在は海越という飲食店が営業しているようです。扉に「大同倉庫」と大書してありますが、大同倉庫自体は、運河よりもさらに海側に本社を構えています。

ふたつめの旧篠田倉庫です。木骨煉瓦造りの壁が特徴的で、倉庫群の代表ともいえる存在です。こちらも、「大同倉庫」と大書されています。1996年に改修されましたが、景観保全のため、あえて古い色合いにしたそうです。

そのとなりにある、旧小樽倉庫です。すごい存在感ですね。^^ この建物も、倉庫としての役割は終えています(小樽倉庫という会社は現在も存在しています)。現在は、運河から見て左半分が「小樽ビール醸造所」で、小樽ビールとドイツ料理を堪能できます。右半分は「びっくりドンキー 小樽運河店」になっています。石造りの倉庫の運河に面した部分は、「小樽ビール 小樽倉庫No.1」のオープンテラスになっています。

テラスでビールを楽しんでいた方が、私たちに手を振ってくれました。みなさん、とてもいい笑顔でした。

私たちも手を振りました。手を振る方も降られる方もハッピーになれる、楽しいクルージングでした。^^


次に小樽に来ることがあったら…。
そのときは私も、
このテラスでビールを飲み、
運河クルーズをしている方に
笑顔で手を振りたいな、
と思いました。^^


ラストの2棟は、旧澁澤倉庫です。

澁澤倉庫は、北運河エリアでも見かけました。澁澤氏は、小樽の倉庫業にもかなり投資しておられたようです。

南運河エリアの終点である、浅草橋が近づいてきました。写真は、橋を背にして臨む、小樽運河の風景です。奥に見えているのが中央橋。その向こうに、北運河エリアが続いています。

旧澁澤倉庫のふたつめが見えてきました。

ふたつめの旧澁澤倉庫の隣りに見える建物は、「北海あぶりやき運河倉庫」のようです。このすぐ右側に、浅草橋があります。

運河の反対側は散策路になっています。こちら側にも、古そうな建築物が見えます。

南運河の最終地点、浅草橋まで来ました。この浅草橋を背にして見る小樽運河の姿に見とれました。ゆったり湾曲した小樽運河と、100年以上前に建てられた倉庫群の眺めは圧巻です。浅草橋の上からの眺めもいいですが、水面近くからの眺めはさらに見ごたえがあります。^^ 

ボートはここでUターンし、スタート地点まで戻ります。写真は、倉庫群と反対側にある、散策路です。

船着場に到着です。40分の、大変充実したクルーズでした。^^

クルーズのあとで、キャプテンに写真を撮っていただきました。「どこを背景に撮りましょうか?」「えっと、どこでもいいです。どこを撮ってもきれいだから。」なんて会話を交わしながら。笑

つい今しがた見て来た、南運河の倉庫群です。左手に写っているのが、私たちが乗っていたボートです。右側には散策路が延びています。

運河クルーズがあまりに楽しかったので、このまま立ち去るのがもったいないような気持ちでした。そこで次は、運河沿いの散策路を歩いてみることにしました。


(つづく)