MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 35 - 色内大通りから旧小樽倉庫(北前船の世界)へ(2021年6月28日/4日め)

2021年6月26日 「展望花畑・四季彩の丘」で。(北海道上川郡美瑛町)


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
旅日記を、今年も気長に書き続けて行きたいと思います。
おつきあいただき、楽しく読んでいただけましたらうれしいです。
新しい年が、皆様にとって幸多いものになりますように。


6月28日


堺町通りを見学したあとは、再び、
色内大通り(いろないおおどおり)
を経由して、小樽運河に戻りました。


【色内大通り】
明治32年、小樽は、国際貿易港に指定されました。樺太航路、欧米への航路が開設し、
昭和初期にかけて、北海道経済の中心地として栄えます。この頃の小樽は、「北のウォール街」と呼ばれるほどの経済都市でした。最盛期には、25行もの銀行が小樽に支店を出し、北日本随一の金融都市となりました。その栄華を色濃く残すのが色内通りで、明治後期~昭和初期に建てられた古い建物が今も多く残っています。現在は、小樽市の歴史的建造物に指定されており、様々な用途に活用されています。


旧三井銀行小樽支店が見えてきました。

入り口です。

屋根の部分です。細工が細かいですね。夫が部分写真しか撮っていなかったので、全体像がわかりにくいですね。笑

これが、旧三井銀行小樽支店の全景です。細部まで美しい造りで、見入ってしまいます。(画像をお借りしました)


【旧三井銀行小樽支店】
市指定有形文化財に指定されています。1927年(昭和2年)に竣工した地下1階地上3階建ての鉄骨鉄筋の建物で、アーチ窓を連ねたルネッサンス様式で造られています。設計は、当時日本の建築界をリードしていた曾禰中條建築事務所(曾禰達蔵・中條精一郎)によるものでした。外壁には花崗岩を用いています。関東大震災直後に起工されたため、当時最先端の構造と耐震技術が用いられました。

2002年(平成14年)に銀行としての営業を終了しましたが、現在は、「小樽芸術村」の1部として公開されています。内部は、1階に吹き抜けの広い客溜や営業カウンター、金庫室、2階には回廊が巡らされ、会議室や応接室が配されています。細部に緻密な意匠が施されているほか、天井の石膏彫刻が秀逸です。


「旧塚本商店」と、右奥に見えているのが「小樽硝子屋本舗 和蔵」です。


【旧塚本商店】
1920年(大正9年)に建設された、呉服問屋でした。現在は、十割そばの店舗として利用されています。建物自体はコンクリートを使っていますが、和風テイストの建物です。漆喰のような黒光りする外観の色が特徴的で、建物の重みを増しています。以前からつけられていただろうと思われる看板の、「後藤商店」という金文字が、外観の黒色によって一層引き立てられています。(小樽市指定歴史的建造物 第68号)


【小樽硝子屋本舗 和蔵】
明治39年に建てられた木骨石造りの建物です。店内では、当時の面影を残す和風ガラス雑貨を販売しています。


北海道経済新聞社(旧安田銀行小樽支店)


【旧安田銀行小樽支店】
昭和5年に建造されました。その後富士銀行となり、昭和45年に、北海道新聞社の社屋となりました。二階通しの円柱の美しいフォルムが特徴です。


スリラーカラオケ 小樽店。タダのカラオケ屋さんなのですが、小樽だとこうなります。周囲の景観を壊さないように、配慮して作っているのでしょうか。笑

そして再び、小樽運河まで戻ってきました。写真は、小樽運河クルーズの前に訪れた、旧小樽倉庫です。

寄棟の瓦屋根に鯱(しゃちほこ)をのせた和洋折衷のデザインで、優雅な美しさを見せています。現在は、観光案内所でもある運河プラザと小樽市総合博物館運河館として利用されています。(小樽市指定歴史的建造物No.13)

小樽倉庫は、明治26年に設立された、北海道初の営業倉庫です。造ったのは、石川県橋立の西出孫左衛門と西谷庄八。西出孫左衛門は、江戸時代より海運業(北前船)を営む、大網元の当主です。

倉庫内にも、北前船の大きなのぼりがありました。写真は、小樽倉庫を設立した西出孫左衛門(石川県橋立出身)です。


設立者が、
石川県橋立の西出孫左衛門
と書いてあるのが気になり、
帰宅後に、
過去のブログを調べてみました。


ありました。笑


2020年7月、石川県加賀市橋立町に行ったのですが、そのときに、西出家のお屋敷跡を訪ねて、山の中を歩いていました。🤣🤣 この石垣の内側が、西出家のお屋敷があったところです。

「北前船船主 西出家屋敷跡」と書いてあります。草深い山の中に、往時のお屋敷のほんの一部が、今も残っていました。


このわずか一年後に、
西出孫左衛門が作った小樽倉庫に
来てしまったわけです。笑
なにか、
彼の足跡をたどってきたかのようで、
おもしろいです。^^


北前船の船主たちが、
こんな遠いところでまで来て、
事業を起こし、
巨万の富を築いたのだなあ…と、
感慨深いものがありました。


この小樽倉庫ですが、
現在は、内部が、
小樽市総合博物館運河館
になっています。
朝来た時には時間がなく、
中に入ることができませんでしたが、
今回は、じっくりと
博物館内を見学してみました。^^


小樽倉庫の中庭です。

この中庭を横切って反対側に行きました。この扉の向こうが博物館になっています。小樽ゆかりの歴史資料を、郷土史、船舶史、ニシン漁業史、生活史などに分けて展示しています。明治・大正期の商店も再現してあり、楽しいスポットです。

小樽市総合博物館運河館の展示です。まずは、北前船の構成自治体リスト。北前船ゆかりの町が、日本全国にこんなにあるんですね。全部行ってみたいです。笑


「全部行ってみたいね!」
と、つい言ってしまいました。
でもその後、私たちが、
ほんとうにそれをやりはじめるとは、
このときはまだ
思っていませんでした。🤣🤣


北前船(久恵丸)の模型(1/20)です。こんなちっぽけな船に、品物を山積みして荒波を越え、船主は巨万の富を築きました。一度の航海で、現在の数億円規模を稼いだと言われています。

興奮した夫、裏側にもまわって写真を撮らないと気がすまなかったようです。笑 こちらは断面になっていて、船の内部がわかるようになっていますね。

貴重品を保管するために使われた、船箪笥。船が沈没したときでも水に浮き、中に海水が入らないようにつくられていました。

荷を積んだ商店の広告。捨てられないように、暦が印刷されているものもあります。

北前船で使われた、帆縫具、船磁石、望遠鏡です。

勘定書、船鑑札、船往来手形。右側には、北前船が運んだ数々の産物のミニチュアが並んでいました。

米、味噌、醤油、白砂糖、漆器、黒糖、白玉粉、塩、素麺、茶、酒、酢、蝋、陶器、太物、畳表、竹、麻、紙、綿、縄、煙草、瓦、傘、胡麻、医薬品、磁器、炭、大豆、瓶、焼酎、硯、米糠、い草、縫い糸…。こんなにたくさん運んだのですね。^^


商いをしながら、
日本海を北上した北前船。
その航海の終点が、北海道でした。
北海道の地で、積み荷をすべて売り払い、
代わりに積み込んで帰ったものは、
なんだったのでしょうか…。


それについては、
次回にお話したいと思います。^^


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する