MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 23 - 運河通り、旧手宮線跡地、銀鱗荘、そしてながぬま温泉へ(2023年5月12日/3日め)

2023年5月12日 銀鱗荘で。(北海道小樽市)


2023年12月13日(水)記
2023年5月の旅日記は、連載18回で中断したままになっています。😅
その後、6月のベトナム旅日記も11月のタイ旅日記も、途中までしか書けていません。
2泊3日ですぐに書き終わると思っていた札幌旅日記ですら、すでに11回も連載しているテイタラクですが、前日、和光荘の日記を書いていて、ずっと心に残っていたことを、ここでやはり併せて書いておきたいと思うようになりました。
なので、2023年5月の旅の続きに戻りますが、その一部だけを、書こうと思います。
連載は18回(2023年5月11日/2日め)で中断しておりましたが、その途中のことはとりあえず保留として番号を飛ばし、今回は、23話から(2023年5月12日/3日め)のことを書きます。

連載18話の日記はこちらで、このあとにベトナムに行ったため、保留になっていました。
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 18 - 「鰊御殿とまり」で撮影会(2023年5月11日/2日め)


5月12日(土)- 3日め


小樽の星野リゾートに2泊したあと、
ほんとうは、札幌に泊まる予定でした。
ところが、行楽シーズンであるうえ、
週末にかかったせいか、
札幌市内のホテルがばか高いのです。


なので、週末はどこかほかの場所で過ごし、
価格がもっと安くなってから、
札幌に戻ることにしました。😄


じゃあ、どこだったら安く泊まれるのだろう。
…と、ネットを検索して見つけたのが、
「環境庁指定 国民保養温泉 ながぬま温泉」
でした。😄


「札幌から車で1時間くらい。
 あなたの好きな温泉があるし、
 ジンギスカンで有名なところみたいだし、
 夕張とかが近いみたいよ。どう?」
と訊くと、夫も、
「夕張だったら、オレ、
 行きたいところがあるんだよ。
 夕張市石炭博物館っていうの。」


あはは。ほんと、博物館が好きだよねえ…。
それはともかく、夫の賛同を得たので、
旅の3日めは、北海道夕張郡長沼町
行くことになりました。


この日は、朝、ホテルをチェックアウトしたあと、
午前中は小樽市内(運河通り)を散歩しました。
通りには、古い倉庫が、今も多数残っています。


1906年(明治39年)に建てられた、旧日本郵船㈱小樽支店残荷倉庫。(小樽市指定歴史建造物)

小樽市に今も残る、旧茨木倉庫です。札幌軟石を使っています。1898年(明治31年)年に、茨木与八郎によって建てられました。彼は、ニシン漁で財を成したあとも、堅実な経営で事業を拡張。札幌や比布などに土地を購入して農業も営み、二代目与八郎のころには、造船業や倉庫業にも進出しました。
旧茨木家中出張番屋を訪れたときの日記はこちらです。
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 12 - 一年前ですが、旧茨木家中出張番屋②(2022年6月18日/2日め)
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 11 - 一年前ですが、旧茨木家中出張番屋①(2022年6月18日/2日め)

1920年(大正9年)に建てられた、旧日本石油㈱倉庫(小樽市指定歴史建造物)


小樽の倉庫街については、
2回連載できそうなほど、
たくさんの写真を撮っているのですが、
今回はダイジェストということで割愛します。


そして小樽市総合博物館や旧手宮線跡地を歩きました。(日記を書いていてようやく気がつきましたが、旧手宮線跡地には、2022年10月、2023年5月、同11月と、3回も来ていました。😅)

ランチは、あこがれのお店「銀鱗荘」で。


【銀鱗荘(旧猪俣邸)】
ニシン漁で財を成した猪俣安之丞の邸宅として、1900年(明治33年)、余市町に建てられました。その後、1938年(昭和13年)に、現在地(小樽市)に移築されました。この母屋は、猪俣家専用の住宅であり、他の多くの大規模ニシン漁家が親方用住居と漁夫の寝床を合わせていた番屋とは一線を画しています。また、ニシン漁親方の住居として、これほど大きなものは、道内には例を見ません。母屋の中央には望楼があり、そこから沖合の漁を観察していたと思われます。また、玄関の右手には6室の座敷が並び、大きな神棚や床の間を備えています。(小樽市指定歴史的建造物)


お屋敷の前に庭があり、そこから小樽の海が一望できます。

現在の銀鱗荘は、旅館として営業しており、いつか泊まってみたいところです。

今回は、銀鱗荘内にあるレストランを予約してありました。

最高に美味しいランチでした。


いただいたのは、
全7品(5500円)のランチコース。
ふたりで11000円でしたが、
ホットペッパーから予約し、
dポイントを利用できたので、
無料になりました。🎉🎉🎉


銀鱗荘の内部やお料理の写真も、
3回連載できそうなくらいあり、
書きたいのですが、😅
ここはダイジェストなので、ぐっと我慢。😄


そして小樽・銀鱗荘から車を走らせ、一路、夕張郡を目指します。

銀鱗荘からながぬま温泉までは、約1時間半。

長沼町に到着したら、風景が変わっていました。

さすが北海道。まっすぐな道が続いています。^^

広大な、ながぬまコミュニティ公園に到着。園内に、蒸気機関車49694くんが展示されていました。

喜び勇んでかけよるチカパシ、いえ、多動夫。😄

公園で、気がすむまで、チカパシを遊ばせてから…、

ようやく、この日のお宿、「ながぬま温泉」へ。同じ、ながぬまコミュニティ公園の中にあります。

宿泊施設はこんな感じです。(これは翌朝撮った写真です。)

主に、地域の方々の日帰り温泉施設とか保養所として利用されているようです。

ということで、チェックイン。予約していたのは、朝食ビュッフェ付でひとり6400円の和室です。

このホテルに決めたいちばんの理由は、旅行支援の対象になっていたことです。ひとり一泊につき、1500円が補助されます。つまり、朝食付きでひとり一泊4900円になります。😄 ホテル代が異常に高くなっていた札幌に比べると、破格の安さでした。


このときにいただいた、
総額6000円もの地域クーポンは、
その後、旭川スイートロードの北菓楼で、
おいしいランチとお菓子セットになりました。
ありがとうございました。(→北海道)


お部屋に置いてあったおやつは瓦せんべい。長沼町の畑から生まれた大豆を練り込んであるそうです。

お部屋は普通の旅館タイプで、お布団も敷いてありました。広さは6畳で、サンルームと冷蔵庫・トイレ・洗面所がついています。

夕暮れ時の公園。空がオレンジに染まっていました。公園の中にあるホテル。なかなかいいです。^^

晩ごはんは、セイコーマートで買った「かつ丼」と「濃厚ソースデミかつ丼」を、お部屋でいただきました。施設内に電子レンジはなかったのですが、フロントの方が、職員用のレンジで温めてくださいました。^^


私たちは、セイコーマートが大好き。^^
北海道に来ると、なるべく、
セイコーマートを利用するようにしています。
やはり、北海道ならではのお店ですから。^^
最近は、三井住友NLカードのタッチ決済で、
5%引きになるのも、うれしいところです。


チカパシは、大好きな温泉に入れてご満悦。


…と、ここまでが、5月12日のできごとでした。
10日間もの旅行なので、
ポイント、補助金、クレカ割引などを駆使し、
「できるだけお金を使わない旅行」になるよう、
工夫を続けています。


「で、これのどこが和光荘と関係があるの?」
と思われることでしょう。
そうですよね…。
(話がなかなか進まなくてスミマセン。😅
 これでも、かなり端折って書いてるのですが…。)


私が書きたかったできごとは、
この少し後に起こります。


(つづく)

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