MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 24 - ながぬま温泉で朝ごはん / 夕張鹿鳴館①(2023年5月13日/4日め)

2023年5月12日 銀鱗荘で。レストランで食事した人は、ホテル内の露天風呂を利用できます(ひとり400円)。夫はランチの後に行ってきましたが、小樽の海が一望できる、すばらしい温泉だったそうです。(北海道小樽市)


5月13日(日)- 4日め


4日めの朝になりました。
札幌のホテル代が高すぎて、
宿泊を断念し、「長沼町」という、
思ってもみないところへ
行くことになりました。


夫はいつものように、朝6時に起きて温泉へ。ほかに誰もいなくて、貸切状態。^^

「温泉保養施設」というだけあって、日帰りで来た人たちがくつろげる、広いスペースもありました。

5月の北海道は、サクラもスミレも咲き誇っていて…、

公園内は花でいっぱいでした。

チカパシは、いったいどこまで散歩したんでしょうね…。🙄

朝ごはんは、施設内にあるレストラン「はまなす」でいただきました。

豚バラと大根の煮物、ホタテ風フライ、ウィンナー、スクランブルエッグ、9種のサラダ、生卵、納豆、海苔、パン各種、グラノーラ、フルーツカクテル、フルーチェ、お茶漬け用白だしとお茶漬けの具(6種)など。人気の「源泉豆腐」は、だし醤油でいただきます。

夫の朝ごはん。ビュッフェのほかに、右側のおかずセットがデフォルトでついています。

MIYOの朝ごはんです。白飯ではなく、白だしのお茶漬けに具をたっぷり載せていただきました。^^

一泊実質4900円で、充実の朝ごはんがいただけました。^^

食後のコーヒーは、カルディーのものでした。


朝ごはんをしっかりといただいて、
今日も出発です。
この日の目的地は、夕張市石炭博物館
(のはずでした)。


…ということで、車を走らせていたのですが、その途中、山の中でこんなのを見つけてしまいました。


「夕張鹿鳴館…?
 えっ ここなの?😮」
もう、びっくりしました。


【夕張鹿鳴館】
夕張市にある歴史的建造物です。1913年(大正2年)に、旧北海道炭礦汽船の迎賓館「鹿ノ谷倶楽部」として建設されました。外観は和風で、洋間もある和洋折衷の建物です。北海道炭礦汽船の迎賓施設として使用され、会社幹部の会合、政財界人や取引先などの接待のほか、天皇・皇族の宿泊施設にも供されました。

室内装飾の美術・工芸や立派な庭園を持つ豪華な作りが特徴で、炭鉱全盛期の栄華を偲ばせるものとなっています。そのため、近代和風建築としての高い価値を持つと、専門家から評価され、2011年(平成23年)には国の登録有形文化財に登録されました。また、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として北海道遺産に選定され、「夕張炭田関連遺産」として近代化産業遺産にも認定されています。


在りし日の夕張鹿鳴館。入場券の写真として使われました。夕張市が管理し、1994年から一般公開が始まります。当時の入場料は200円。

公開されていた頃のパンフレットです。


このあたりに夕張鹿鳴館があることは
知っていましたが、
行くつもりはありませんでした。


2006年(平成18年)に、夕張市が財政破綻し、
鹿鳴館を管理していた、
市の第3セクター「石炭の歴史村観光」も、
自己破産します。
その後、夕張鹿鳴館の所有権は転々とし、
流転の運命をたどりました。


重要文化財の所有者がどんどん変わる…。
どこかで聞いた話だと思いませんか?


そう。
小樽の和光荘です。


あまりにも豪華な施設であるため、
莫大な維持費がかかります。
それゆえに所有しきれず、転売してしまう。
自治体がしっかりと
管理運営すればいいのですが、
なにしろ、夕張市は財政破綻しています。
どうにもならなかったのだと思います。


2016年以降、夕張鹿鳴館の公開は
中止されました。
そして2017年。
夕張鹿鳴館を最後に購入したのは、
元大という、中国系の企業でした。
正確には、元大リアルエステート傘下の、
「元大夕張鹿鳴館」という会社です。


その後、夕張鹿鳴館は、
営業されることもなく、
もちろん公開されることもなく、
個人的に立ち寄った人たちの記録を見ると、
「廃墟となっている」とのことでした。


国の登録有形文化財が、「廃墟」ですよ…。


廃墟であるとわかっているものを、
わざわざ見に行く気持ちはなかったので、
今回の旅でも、
ここに寄るつもりはありませんでした。
ところが。


夕張鹿鳴館の駐車場の前を、通ってしまったのです…。


「どうしよう。目の前だよ。
 ここ、夕張鹿鳴館だよ。


すこし迷ったのですが、
夫と相談した結果、とりあえず、
車を降りて歩いてみることに…。


一応、道路があり、その道路は山の中へと続いています。さらに近づいてみました。

ここがかつて、夕張鹿鳴館の門だったのでしょうか。


車両止めのためのコーンはあるのですが、
左側の部分は開いており、
徒歩であれば入れるようになっていました。


ここから先がどうなっているのか、
まったく見当がつきませんが、
お天気もいいし、日差しも暖かいので、
お散歩気分で少し歩いてみようか、
ということになりました。


夕張鹿鳴館の庭で。桜が満開でした。


(つづく)

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