MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 12 - 一年前ですが、旧茨木家中出張番屋②(2022年6月18日/2日め)

2022年6月18日 旧茨木家中出張番屋で。(北海道小樽市)


6月18日(月)


旧茨木家中出張番屋のつづきです。


住民と行政が協力して、美しく蘇った、旧茨木家中出張番屋です。

ここまでは、玄関を入って左側の、漁夫だまりを見てきました。

次は、右側のエリアに行ってみます。

こちらには、畳が敷かれています。

玄関から入ってすぐの部屋は板の間で、囲炉裏が切ってあります。

鴨居に設けられた神棚。

このエリアでは、囲炉裏の部屋を囲むように、さらに5つの部屋が並んでいました。

3つの板の間と3つの和室が並んで作られています。

隣りの部屋(板の間)に設けられた囲炉裏です。

3つ並んだ和室です。座敷部分には棹縁(さおぶち)天井を張り、鴨居を設けています。この左側に、板の間が3つ並んでいます。


本来は、この右側部分が、
親方一家の居住エリアになるのですが、
この番屋では、なにか雰囲気が違います。


簡素な和室が3つ並んでいるだけで、
いかにも親方が住んでいたらしい部分が
見当たりません。
囲炉裏がふたつもあるうえ、
玄関を入ってすぐのところに
台所が設えてあるのも、奇異な感じです。
(通常の番屋では、台所は、
 漁夫だまりのさらに奥にあります。)


これが、この旧茨木家中出張番屋が、
他の番屋と基本的に違う点なのです。


中出張番屋の「中出張」という呼称は、
他の番屋にはありません。
「中」は、番屋の番号のようなものです。
そして「出張」は、
支店とか出張所のような意味があります。


多くの番屋では、内部を右と左に分け、
親方(網元)が漁夫たちと
同じ屋根の下で住み分けています。
が、茨木家の親方は、ここに住みませんでした。
この近くに本邸を構え、
家族と一緒にそちらに住んだのだそうです。


そのため、このエリアは、
親方の居住エリアとして使われず、
他の漁場の支配人などが出張して来るときに、
使用する場所となっていました。


板の間と和室がペアになったものが
3セットあり、
3人の出張者が同時に使い分けていた、
と考えれば、わかりやすいですね。^^


【茨木與八郎】
1841年(天保12年)、現在の山形県遊佐町で生まれました。1860年(万延元年)から、祝津の鱈釣や石狩川の鮭漁の漁夫となり、やがて独立しました。1877年(明治10年)には、ニシン漁場を入手して建網漁を始めます。その後も堅実な経営で事業を拡張。札幌や比布などに土地を購入して農業も営み、二代目与八郎のころには、造船業や倉庫業にも進出しました。
現在も、旧日本郵船小樽支店の前には、かつての茨木家の倉庫があります。また、札幌と定山渓を結んだ定山渓鉄道には、「北茨木駅」がありました(昭和8年から昭和32年)。これは、茨木家の農地の一部を寄付したことによるものでした。


小樽市に今も残る、旧茨木倉庫です。札幌軟石を使っています。1898年(明治31年)年に、茨木与八郎によって建てられました。(画像をお借りしました)

これは反対側から見たところです。2023年5月の旅で撮りました。(2023年5月12日)

こちらは、旧茨木家中出張番屋の天井部分にめぐらされた、太い梁です。板の間部分には天井を張らず、小屋組がそのまま見えます。

上棟の記録が、今も残されていました。明治43年6月5日とあります。

これは網倉の屋根瓦でした。祝津御三家と言われた青山家、白鳥家、茨木家のひとり、青山留吉が所有していた網倉の屋根に使用されていたものです。「明治21年大比田浦(現在の福井県敦賀市)」と刻印されており、北前船で運ばれてきたものと思われます。

旧茨木家中出張番屋にかけられていた、船絵馬です。北前船が描かれています。


【船絵馬】
船の安全を祈願して、船主や船頭は、自分の船を描いた船絵馬を神社などに奉納しました。ここに展示してある船絵馬は、かつて恵美須神社に奉納されたもので、日本遺産「北前船」の構成文化財となっています。


そしてこの出張者用エリアにも、Iさん心づくしの資料が置かれていました。これは、この番屋が登場する、「ゴールデンカムイ」の第5巻と第6巻です。わざわざ、付箋をつけてあります。^^

第5巻で登場した「小樽市鰊御殿」から数十キロ離れた別の番屋、という設定ですが、実はすぐ近くです。笑 外観はどう見ても旧茨木家中出張番屋。囲炉裏のある板の間と和室が描かれています。

Iさんから、ひとつひとつの資料について、丁寧に説明していただきました。話は尽きません。^^


北前船が大好きなIさん。
この番屋によせる思いに、頭が下がりました。


(つづく)

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