MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 56 - ラマンエクスプレス② ライトフード / 少数民族を訪ね歩いた日々(2023年6月18日/5日め)

(2023/09/09 21:00記)

2023年6月18日 車内のテーブルに用意されていた、飲み物と軽食です。


6月18日(日)


私たちが乗った「ラマン エクスプレス」は、
SE19号という列車の一部です。
この列車は、ハノイを19時50分に出発し、
翌日の12時12分にダナンに到着するという、
寝台列車です。


車内に貼ってあった時刻表です。これによると、ハノイ駅から南へ向かって出発する列車は一日7本。そのうち、サイゴン(ホーチミン)まで行くのは4本だけです。ハノイからサイゴンまでは30時間。ロマンありすぎです。^^

私たちが乗ったSE19号は、ハノイ発ダナン行き。海岸沿いに南北に延びるベトナムの、北部から中部までを縦断する列車、ということになります。

ただし私たちは、ダナンまで行かず、ひとつ手前のフエで下車する予定です。

さて、列車も無事に出発したので、晩ごはんにします。テーブルの上にあった飲み物と軽食をチェックしてみました。ラックに入っているのは、缶コーラと水のボトルです。

そして、おしぼりとハス茶、コーヒー、ワッフル。これはひとり分の写真です。紙コップも付いていて、お湯は、給湯スポットに取りに行くシステムです。

さらに、ランチボックスのようなものがふたつ。これを楽しみにしていました。^^

でもよく見ると、「朝食」と書いてあります。え?朝食?😮

箱の中にあったのは、マンゴーケーキ、バナナ、乳飲料でした。たしかに朝食ですね…。


これだけですか…。😮
晩ごはんがない…。
てっきり、
サンドイッチとかが入ってるのかと
思ったのですが…。😅


だったらバウチャーには、
Light food でなくて、
Breakfast と書いてほしかったなあ…。


幸いこの日は、私も夫も、
遅めのランチを大量に食べていたので、
あまりお腹がすいていませんでした。
なので、日本から持って来たお菓子を
夕食がわりに少しだけ食べて、
さっさと寝ることにしました。😄


洗面所です。昔は、外国の列車に乗ると、トイレや洗面所が汚かった印象があるのですが、最近はずいぶんきれいになりましたね。^^ …ていうか、ここは外国人向けの高級車両なので、かなりりっぱにしてあるのかもしれません。

キャビン横の通路を、時々、売店のワゴンが通りました。同室だったアメリカ人のカップルは、ワゴンのお菓子を買いこんでいました。フロリダから来たそうですが、カップラーメンを持参していて、晩ごはんがわりにふたりでラーメンをすすっていたのが、笑えました。中国人みたい。😄


この旅が始まってから、
ずうっとごちそうばかり。
それもたくさん食べているので、
たまにはこういう日もないと、
太る一方です。😅
だから、夕食抜きでもまあいいや、
って感じでした。


寝台車で眠りながら旅をするのって、
なんか楽しいなあ…。😄
と思いながら、ベッドで毛布をかぶったら、
そのまますんなりと眠ってしまいました。


こうして、旅の5日めが終わりました。


ハノイから北部サパへ向かう夜行列車、VICTORIA EXPRESS に乗ったときの日記はこちらです。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 125 - ヴィクトリア・エクスプレスでサパへ(2019年10月18日/48日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


(つづく)


(おまけのお話)


ハノイからダナンまでの地図を見ていたら、
つい、その北部に目が行きました。
ベトナム、中国、タイ、ラオス、ビルマ…
の国境が交錯する山岳地帯です。
この、ベトナム北部から始まる山岳地帯には、
たくさんの少数民族が暮らしています。


中国・シーサンパンナ(西双版納)、
タイ・メイホンソン、
ラオス・ルアンパバーン、
ベトナム・ラオカイ。
このエリアでは、深い山々の中に、時折、
桃源郷のような世界を垣間見ることができます。


MIYOは、少数民族フェチの夫のせいで、全部の国を訪れるはめになりました。😂

もとはと言えば、1987年1月に、中国・シーサンパンナに行ったのが始まりでした。(1987年1月3日)
以前の日記にも、少し書きました。
コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 31 - 前橋へ / 忘れじの西双版納(2023年1月18日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

このタイ族の村を訪れたとき、眼前に連なる山々を見ながら、夫が、「あの山の向こうに行ってみたい。」と言い出しました。


「あの山の向こう」はタイですから、
勝手に国境を越えることはできません。🤣
でも、このときの旅行が、その後の、
私たちの旅行を方向づけたように思います。


1989年7月、「あの山の向こう」のベトナムへ。この頃のベトナムでは、外国人の国内移動が制限されていました。それにもめげず、ハノイから車を飛ばして行った、少数民族の村。(1989年7月28日)

で、1990年4月。「あの山の向こう」のタイ・メイホンソンへ。アカ族やリス族の村を訪ねました。当時は訪れる人も少なく、観光ルートも整備されていなくて、私たちは、ゾウの背中やトラックの荷台に乗って山越えをしました。(1990年4月30日)

このときに、首長族の村にも行きました。現在は、村ごとバンコクに引っ越してしまったケースもあるようです。(1990年5月4日)

ここまで来ると、もう夫は歯止めがきかず、1991年9月は「あの山の向こう」のラオス・ルアンパバーンです。ここでも、国境近くの村をウロウロ。(1991年9月3日)

番外編は、ちょっと場所が違いますが、1991年12月のネパール。(1991年12月23日)

やはり番外編で、1993年5月の中米・パナマ。サンブラス諸島にある、クナ族の村を訪ねました。鮮やかな色合いのモラという衣装を着ていることで知られている人々です。


クナ族が住む島まで、
モーターボートで行ったのですが、
そのボートに亀裂があったようです(笑)。
海の真ん中で、水がどんどん入ってきて
沈みそうになりました。
同乗していたアメリカの男性数人が
必死で水をかき出して、
どうにか島まで到着したのが、
いちばんの思い出。🤣🤣


このとき、MIYO33歳、多動夫35歳。
当時夫は、勤務先から派遣されて、
メキシコに留学していました。
MIYOは営業の仕事が楽しくて、
仕事を辞める気がなく、帯同を拒否。
夫はひとりでメキシコに行ったので、
1年間別居してました。
でも、GWと年末には2週間の休みをとって、
メキシコに遊びに行きましたけどね。^^
そのときに、グアテマラとかパナマにも
行ったのですが、どこへ行こうと、
夫はやっぱり、少数民族フェチでした。😂


これ以外にも、MIYO家では、たくさんの村々を訪ねています。4年前のベトナムでも、夫の強い希望で、ベトナム北部・ラオカイに行きました。写真は、モン族の女性たち。
このときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 142 - いざ、サンデーマーケットへ。(2019年10月20日/50日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


こんなことばっかりやってきたので、
MIYO家では、やたらにアルバムが多いです。
でも、フエルアルバムは重いので、
最近は、本棚から取り出すのがおっくうで、
ほとんど見ることもありません。
その本棚、先日気がついたのですが、
アルバムの重みで、底が抜けていました。汗


元気なうちに、写真を全部データ化しなくちゃ、
と痛感し、この1、2年で、
少しずつ進めているところです。
データ化しておけば、このあとの人生で、
入院しても、老人ホームに入っても、
そして離婚しても、笑
どこであろうが簡単に持ち運べて、
好きなときに写真が見れますからね。😅

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