MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 96 - ミンマン帝陵⑥ 明楼、牌坊、新月池と聡明正直橋(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 ミンマン帝陵・明楼で。


6月20日(月)


ミンマン帝陵に来ています。


崇恩殿の次にある大きなスポットが、明楼です。


【明楼】
崇恩殿の背後にある澄明湖を越えた先にある、楼閣です。中には、皇帝が生前使用した寝台が置かれています。


中道橋を渡って石段を上がると、明楼に到着です。

中に入ります。

ミンマン帝が、生前使用した寝台が置かれています。

ここで、元来た道を振り返ると、橋のあたりをうろついていた多動夫が、ようやく上がってくるのが見えました。笑

そして明楼の反対側を見ると、どうやらまだまだ先に続いているようです。いったいどこまで歩くのでしょう…。😅

これは明楼の裏側です。ここから先を見ると…、

こんな風に下って行った先に、新たに別の橋が架かっていました。

まだ明楼の上にいる夫に「この先になにがあるの?」と大声で訊くと、「おはか~」という、つまらない答えが返ってきました。今いる、この場所全部がお墓なのではないかと思うのですが。🤣

とにかくすごい日差しです。

とりあえず、牌坊の写真を撮りながら、夫が来るのを待ちました。

この時に撮った写真です。この門を牌坊(はいぼう)と言います。王宮でも、午門の前の中道橋に牌坊がありました。


【牌坊】
中国の伝統的建築様式の門の一つです。牌楼または略して坊と呼ばれることもあります。海外では、中華文化のシンボルの一つとされています。世界各地の中華街には、牌坊が道しるべとして建てられています。

その起源は石器時代で、部落の出入り口にあった建築物(門の役割)でした。が、時代と共に変化し、宋代になると、出入り口としての意味はなさなくなり、単に飾りとしての建築物に変わっていきました。しかしその形は次第に複雑に優美になっていき、現在の牌坊になりました。
牌坊は中国の様式ですが、中国から多大な影響を受けたベトナムでは、王宮や帝陵での装飾物として欠かせないものになっていたようです。


新月池に架かる、聡明正直橋です。その前後に、牌坊が設けられています。

聡明正直橋を渡ります。新月池は三日月型で造られています。これは、三日月が皇帝の崩御を表すことに由来しています。(新月池が三日月型であることは、最下部の地図でご確認ください。)

ふたつめの牌坊です。

この牌坊の先に、陵墓があります。夫が「おはか~」と言ったのは、「陵墓」のことだったんですね。🤣

いまここ。😄


(つづく)

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