MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 95 - ミンマン帝陵⑤ 崇恩殿、ホアン・チャク・モン、中道橋から明楼へ。(2023年6月20日/7日め)

(2023/11/07 19:30記)

2023年6月20日 ミンマン帝陵・ホアン・チャク・モンで。


6月20日(月)


ミンマン帝陵で、ここまでに、
 大紅門
 碑亭
 顕徳門
 崇恩殿
…と歩いてきました。


崇恩殿です。表側には美しい拝殿がありますが…、

その裏側はこうなっています。ここはおそらく、従者たちが控える場だったのでしょう。

裏側から見た崇恩殿。瓦の色からして、表側とは違いますね。^^

崇恩殿を出て、さらに先へと歩きました。

前方に門が現れました。

ホアン・チャク・モン(Hoằng Trạch Môn)です。

門の先にあるのが、明楼です。

門をくぐると、目の前に別世界が広がっていました。橋を渡った先に、明楼があります。


手前にあるのは、池のように見えますが、
これは澄明湖です。
ここには3本の橋がかかっており、
その真ん中の橋を
中道橋(Cầu Trung Đạo)
と言います。


【中道橋(Cầu Trung Đạo)】
ベトナム語のチュンダオとは、文字通り、「中道」を意味します。王宮内でも、午門のすぐ先に「中道橋」があるのですが、この橋に「中道橋」と名づけたのは、初代皇帝であるザーロン帝でした。
「中道」と言う言葉には、「国の統治は、極端な圧政や不当な抑圧政策ではなく、儒教の精神に基づいて行われなければならない。」ことを、皇帝に思い出させる意味が込められています。


王宮の中にある中道橋です。午門のすぐそばに造られた池(太掖池)にかけられています。この橋はかつて、グエン朝の皇帝や中国の官僚たちが太和殿に入るために毎日通った道でした。(画像をお借りしました)

王宮・中道橋の日記はこちらです。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 63 - 王宮④ 太掖池、中道橋、太和殿、そして右廡・左廡(2023年6月19日/6日め)


初代ザーロン帝への敬意をこめて、
この、王宮の中にある中道橋を、
2代ミンマン帝陵でも、
再現したものと思われます。


それでは、中道橋を渡って、明楼に行ってみます。

一日でいちばん暑い時間でしたが、MIYO、懸命に歩いてます。笑

橋の上から撮った明楼。

そして両側には、他の2本の橋があります。これは左側の橋です。

多動夫、すなおに中道橋を渡らず、左側の橋のその先まで行って、この写真を撮ったようです。😄

おまけに、カモくんたちまで撮ってました。🤣


多動夫の姿が見えなくなったので、
(↑よくあることです。)
MIYOはひとりで、
さっさと橋を渡ってしまったのですが、
そうですか。
橋の向こう側まで歩いていましたか。
どうりで、いくら待っても来なかったはずです。
やはり、多動ですね…。🤣🤣


さて、明楼に到着です。


待ちきれないMIYOは、先に明楼に入ります。😄


いまここ。😄


(つづく)

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