4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 66 - 王宮⑦ 世廟、更衣殿、崇成門、篤祐門(2023年6月19日/6日め)
(2023/09/30 19:10記)
2023年6月19日 フエの王宮・九鼎といっしょに。
6月19日(月)
前日の日記の最後に、
上層に鼓楼がある、崇功門
上層に鐘楼がある、峻烈門
の写真を掲載しました。
崇功門を見た後、反対側の峻烈門へと、
一目散に走っていった多動夫…。
なんなんだ、この人は。
とそのときは思ったのですが、
MIYOのブログを読んだあと、
夫がこう言いました。
「崇功門の鼓楼を見たときにね。
これはきっと、鐘楼が対になってるはず、
って思ったんだよ。
で、反対側に行ってみたら、
やっぱり鐘楼があった。😄」
はい? 鼓楼と鐘楼が対になってる?
「だって、埼玉の聖天宮でも、
そうだったでしょ。」
そんなの、全然覚えていません。😅
五千頭の龍が泳ぐ、聖天宮。素晴らしい寺院でした。^^
コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 1 - 五千頭の龍が昇る寺院、聖天宮へ。(2021年3月19日)
聖天宮に行ったのは、2年半前のことです。
それほど前のことでもないのに、
鐘楼、鼓楼があったっけ?
と思うくらい、記憶があやふやです。
で、当時のブログを調べてみると、
たしかにありました😅
聖天宮の鐘楼です。鐘があったら、撞かないではいられない多動夫。(2021年3月19日 埼玉県坂戸市)
このときの日記です。
コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 3 - 五千頭の龍が昇る寺院、聖天宮(前殿から鐘楼へ)(2021年3月19日)
コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 4 - 五千頭の龍が昇る寺院、聖天宮(鐘楼から本殿へ)(2021年3月19日)
ベトナムの王宮を見て、
2年半前の聖天宮を思い出すとは、
一体どんな頭をしているのか、
と、正直、あきれます。😅
家の中では、
「毎週土曜日はプラスチックごみの日」
という、ただそれだけのことすら、
20年間、MIYOに言われ続けても、
覚えることができない人なのですが。🤣🤣
(今朝も、ゴミ出しを忘れて、MIYOに怒られました。)
さて。
あちこちに寄り道しましたが、
それでもようやく、世廟まで来ました。
世廟は、横に細長い建物です。
【世廟(Thế Miếu)】
1821年に建てられた、グエン王朝の歴代皇帝の位牌を祀る場所です。2棟連棟形式で建てられた、13間の横に長い廟の中では、柱間に、10人の皇帝の祭壇が置かれています。皇帝は全部で13人いましたが、5代ズクドゥク帝と6代ヒエプホア帝は廃位され、13代バオダイ帝は退位してフランスに亡命したため、祭壇がありません。(流刑となっていた8代ハムギ帝、10代タインタイ帝、11代ズイタン帝の祭壇は、1958年になってから置かれたものです。)
祭壇には、それぞれの皇帝の肖像と、皇帝および皇后の位牌が祀られています。また、祭壇脇に置いてある日傘は、皇帝が外出時に使用したものと言われています。中央の祭壇が初代皇帝ザーロン帝、その左は2代ミンマン帝、右は3代ティエウチー帝と配され、左右にその後の皇帝が連なる並びになっています。
世廟の中央部です。が、ここから入ることはできません。
きっちりと並んだ瓦も、壁面の漆色にマッチして、美しいですね。
世廟の右側(東側)です。漆と金箔で彩られています。
世廟の左側(西側)です。
建物全体が、壮大な仏壇のようです。
中を見学するときは、世廟の西側にまわり、ここで靴を脱がなければなりません
世廟の中です。
中央の祭壇には、初代皇帝ザーロン帝を祀ってあります。
さらに、そのほかの皇帝のための祭壇が続きます。祭壇脇に置いてある日傘は、その皇帝が外出時に使用したものと言われています。
世廟の内側から見た、顕臨閣と九鼎です。
三階層の顕臨閣。優雅な輪郭に、心魅かれます。
ここで世廟の見学を終わり、
次のスポットである興廟に
進みたいところなのですが。
多動夫、それではすまないんですよね…。
世廟の周囲には、いくつもの建物や門があり、
もちろん、ガイドブックなどには
ほとんど登場しないのですが、夫はそれを、
全部見ないと気がすまない…。😂😂
暑いんですよ…。
早く次のスポットに行きたいんですよ…。
でも、しょうがないから、つきあいます。
こうして、
普通は見ないような細かいところまで、
じっくりと見て歩くのも、
「王宮に来たらやってみたいこと」
のひとつだったはずだし。
王宮が広すぎて、想像していたよりも
難行苦行になってきましたが、
これはこれでおもしろい、
と思う自分もいました。^^
世廟の東側にある、更衣殿です。屋根の飾りがかわいらしいですね。
内部です。めぐらされた梁の美しいこと。
周囲には門がいくつもあり、そのひとつひとつに名前があります。これは、塀の西側にある、崇成門です。
そして、世廟の後方の塀の西側にある、篤祐門。
篤祐門の反対側です。
このあたりにはたくさんの門があり、
夫は夢中で写真を撮りまくっておりました。
夫はただ撮るだけで、撮りっぱなしです。
(↑撮れば気がすむ人。)
でもMIYOは、
「撮ったからには、それぞれの門の、
名前や位置を調べたい。」
と、つい思ってしまうのです。
帰国したあとになって、写真を見ながら、
「この門の名前はなにか。」
「地図上のどこにあったのか。」
そんなことまで調べないと、
気がすまないんですよね…。
(↑困った性格。)
写真を撮ったときに、
きちんとメモしておけばよかったのですが、
当時はもう、
歩き回るだけでせいいっぱいでした。😅
ということで、ブログに書くにあたって、
今さらですが、それぞれの門の写真を、
ネット上の文献と照らし合わせながら、
名前と位置を調べています。
門の外観まで紹介している文献は
とても少ないうえ、
夫が撮った門の写真は無数にあり、
もはや、どれがどれだかわかりません。
門の細かな装飾や描かれた絵を頼りに、
文献上で写真を探し、照合しているのですが、
もう、正直、なにがなんだか。😵
泣けてきそうなほど、苦労しています。
ブログでは、小さな建物や門の名前を、
さりげなく掲載していますが、
実は、それらを調べるのに、
何時間も費やしたりしています。(アホ)
いまここ。😄
(つづく)