MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 65 - 王宮⑥ 顕臨閣、九鼎、崇功門、峻烈門(2023年6月19日/6日め)

2023年6月19日 フエの王宮・顕臨閣で。


6月19日(月)


顕臨閣に来ています。


これは、顕臨閣の表側です。

そしてこちらは裏側。この裏側から外に出ると、目の前に鼎が並んでいました。

こんな感じですね。きっちりと並ぶ鼎は全部で9つあるので、九鼎と呼ばれています。


【九鼎】
鼎とは、三本足で立つ青銅製の釜のような金属祭器のことで、九鼎は古代中国において天子(=王権)の象徴とされているものでした。グエン王朝では1835年から1837年にかけて、ミンマン帝によって九鼎が鋳造されました。その目的は、鼎によって、王朝の正当性と強さを象徴するためでした。鼎1つの重さは約2.5t。高さ約1.5mで、口径約1.4mもあります。各鼎には高・仁・章・英・毅・純・宣・裕・玄の字が刻まれ、またそれらの全体には、フォーン川(香河)や御屏山などの景勝をはじめ、虎や象などの動植物、天体などの様々なモチーフが施されています。


顕臨閣の中にも、ひとつひとつの鼎の文字と絵について説明したパネルが置かれていました。

それぞれの鼎には、異なる文字と絵が描かれています。

顕臨閣を背にして、中心にある鼎の手前に立つと、世廟はすぐ目の前です。

左側に並ぶ、4つの鼎。

そして右側に並ぶ、4つの鼎。

全部並ぶと、こうなります。😄

それぞれの鼎に描かれている絵も見るのも楽しくて、ひとつひとつの鼎をゆっくりと眺めて歩きました。

鼎、実はこんなに大きいのです。😄

このくそ暑いなか、じっくりと鼎に見入っている物好きは、私たちだけ。🤣

ほとんどの方々は、こんなふうに、ガイドさんに先導されて、どんどん先に進んでいってしまいます。この一団も、鼎をじっくりと見ることもなく、通り過ぎていかれました。せっかくここまで来たのに、ああ、もったいない…。😅

まあ、目の前にこんなりっぱな世廟があるのですから、どうしてもそちらに目が行ってしまいます。


MIYOも、世廟に向かって歩き始めたのですが。
「いや、待って。
 あっちにまだなんかある。」

と、多動夫。
「え、まだここにいるの?
 暑いし、早く世廟に入ろうよ。」
と思ったのですが、
しかたないので夫についていきました。
すると…。


顕臨閣の左側(西側)に、美しい門がありました。上層に鼓楼がある、崇功門です。

そこで終わることなく、さらに、顕臨閣の右側に向かって走る、多動夫…。😂

顕臨閣の右側(東側)には、もうひとつの美しい門がありました。上層に鐘楼がある、峻烈門です。

崇功門も峻烈門も、ガイドブックにはほとんど載っていないのに、勝手にこういうものを見つけてしまう、多動夫。ふだんはアホじゃないかと思うことが多いのですが、こういうことに関しては、なぜか才能があるんですよね…。😔


顕臨閣の周囲を走りまわって、
崇功門峻烈門の写真を撮りまくる夫。
MIYOは、もう暑すぎて頭が働かず、
ただぼうぜんと、
そんな夫を見ておりました…。🤣


いまここ。😄


次回は、ようやく世廟の中に入ります。



(つづく)

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