MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

のんたんの冬休み-101 元旦も、ボランティアさんとおでかけ(2018年1月1日/10日め)

2018年1月1日 自宅前で。ヨリさんといっしょにおでかけです。(全盲難聴・のんたん 22歳)



1月1日


大晦日にベトナムから帰ってきた、のんたん一家。
お正月の朝は、ふるさと納税でゲットしたおせち料理で迎えました。^^



そして、少し早めのお昼ご飯を終えた12時。
約束の時間ぴったりに、ボランティアのヨリさんが、
迎えに来てくれました。


小学一年生の時から、
ボランティアさんのお世話になっている我が家ですが、
なんと今年は、元旦早々からおいでいただくことになってしまいました。


毎年恒例になっている、お正月の、「カラオケお楽しみ会」。
今年は、お友達のマサミちゃん・カナコちゃんの予定に合わせて、
1月1日に開催することに決まっていました。


その介助をしていただくために、ボランティアのヨリさんが、
元旦早々から、出動してくださいました。
本当に、ありがとうございました。


というわけで、12時に、長男は、
ヨリさんといっしょに、はりきって自宅を出発しました。^^
高田馬場で、マサミちゃん・カナコちゃん、
そして、もうひとりのボランティアのヤグチさんと合流し、
みんなで、1時から3時までの2時間、カラオケを楽しみました。


年に3回、お正月、5月の連休、そして夏休みに開催している、
この、「カラオケお楽しみ会」。
長男は、マサミちゃん・カナコちゃんと会えるのを、
いつも楽しみにしています。


【ヨリさんからいただいたメールです】
元旦🎍からお天気も良く、幸先がいいですね。
御自宅まで、案内していただいた通りに、すんなり到着しました。


のんたんが、楽しみにしていた、マサミちゃんとカナコちゃんとの恒例カラオケお楽しみ会。
マサミちゃん→カナコちゃん→のんたんの順番で、休みなく好きな曲を歌い続けました。



マサミちゃんとのんたんは、タンバリンも絶好調!!!
のんたんの好きな曲のチャンピオン~学園天国など、9曲マスター!


ノリノリの、マサミちゃんとカナコちゃん。


ヤグチさんといっしょに。


あっという間に2時間が過ぎ、「今日は、これでおしまいです」と言うと、スッキリ終わる事が出来ました。
マイクもタンバリンも自分でしっかり片付けて、トイレも済まし、高田馬場駅までみんなで行きました。
改札前まで見送って頂き、帰路に着きました。
マサミちゃんもカナコちゃんも、ずっとニコニコ。笑顔(^o^)vのかわいらしいお友だちでした。


本日は、毎年寝正月の習慣化から脱皮させて頂き、ありがとうございましたm(__)m
元旦は、どこも混んでいるという思いが払拭されました。
電車は、空いてるし、いつもより人も少なくて…移動が楽チンでした。
昨日ベトナムから帰国との事、お疲れ様でしたm(__)m
ゆっくり休んでくださいませ。

ではまた、4日に伺います。



前日にベトナムから帰ってきたというのに、
長男は疲れも見せず、今日も一日、エンジョイし、
ゴキゲンで帰って来ました。
おかげで私たちは、自宅でゆっくりと休むことができ(笑)、
たいへんたいへん助かりました。


ヨリさん、ヤグチさん、どうもありがとうございました。


(つづく)

のんたんの冬休み 100 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 - おつかれさまでした。(2017年12月31日/8日め)

2017年12月31日 おつかれさまでした。^^(全盲難聴・のんたん 22歳)


はじめに…。
らにオンマさん、ごめんなさい!^^
「連載100回になることを、ひそかに期待しています。」
と、ずいぶん前にコメントをいただき、
「いや~、いくらなんでも、100回までは行かないと思います。^^」
なんて、無責任に言ってしまいましたが…。


100回に、なってしまいました。(汗)
すみません…。
ここまで続くとは、私も思いませんでした~(爆)
そして、「ベトナム日記」。
この、第100回で、ようやく連載を終わります。



深夜便で迎えた朝


深夜便の機内はがらがらだったので、
ひとりで3席を占領。
ベッド代わりにして、横になることができました。
おかげで、家族全員、ぐっすりと眠ることができました。


機内食が運ばれてくる音で目が覚めたのは、日本時間の朝5時過ぎ。
そう。朝ごはんです。^^


機内食は、「現地時間に合わせて」提供されます。
ベトナムを深夜に離陸した機内では、
機内食がでてくることもなく、すぐに照明が暗くなりました。
つまり、「お休みモード」になったわけです。


そして、日本が近くなると、「日本時間の朝」に合わせて、
朝食が提供されました。


洋食メニューは、オムレツのセットでした。


和食メニューです。ごはんと煮物のセットで、なますもありました。


朝食をしっかりいただいて、コーヒーを飲んでくつろいでいるうちに、
機体の高度がゆっくりと下がってきました。


朝8時。成田空港に、到着です。^^


空港近くの駐車場に預けてあったマイカーに乗り、
帰路につきました。
でも、向かったのは、自宅ではなく、
ショッピングセンター「アリオ亀有」です。^^


なんたって、この日は大晦日。
まっすぐ家に帰っても、なにもないので、
帰宅途中に、イトーヨーカドーで、
年越し蕎麦だの、おもちだの、と、
お正月に向けての買い物をすませました。


どっさりと買い物し、レジで支払いをすませたら、
もう、お昼前になっていました。
そこで、フードコートでお昼ごはんをすませて帰ることにしました。


ピザだの、ラーメンだの、思い思いに注文し、
みんなでわけわけしながら食べるのが、我が家のスタイル。
長男の好きなステーキも注文したのですが、
できあがるのを待っている間に、長男は寝てしまいました。^^



ステーキがじゅうじゅう音をたてているのに、
長男、起きません。^^


さすがに、疲れちゃったね・・・。おつかれさま・・・。
長い長い、8日間でした。
1月に始めた連載が、100回も続いて、
最終回の今日は、4月です。(苦笑)


ハノイ、ハロン湾、チャンアン、ホアルー、フエ、ホイアン、ミーソン、ダナン・・・。
そして、ホーチミン・・・。
ほんとうに、あちこち引きずり回したけれど、
いつも楽しくつきあってくれた、長男と長女に、感謝です。


そして、連載にずっとおつきあいくださったみなさま、
ありがとうございました。
「続きが楽しみです。」とコメントをいただくことが、
なによりのはげみでした。^^
みなさまに読んでいただいたおかげで、
最後まで書き終えることができました。


「ベトナム日記」は、これで終了しますが、
「のんたんの冬休み日記」は、まだまだ続きます。
これからも、よろしくおつきあいください。


「ベトナム日記」で掲載した写真は、
全部で1000枚をはるかに越えましたが、
最後の写真は、やっぱり、コレですね。^^


写真に添えて、「良いお年をお迎えください。」…と言いたいところでしたが、もう4月です。笑


ありがとうございました。


(ベトナム日記・おわり)

のんたんの冬休み 99 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 - 深夜便で帰るよ^^(2017年12月30日/7日め)

2017年12月27日 フエのホテルで朝ごはん。子どもたちがいっぱい食べてくれることが、幸せ。^^
(全盲難聴・のんたん 22歳)



私たちの乗った飛行機が、ホーチミンを飛び立ったのは、
日付も変わった、12月31日の深夜でした。



通常、旅行の最終日と言うと、
空港への移動だけでその日が終わったりします。
まあ、夕方ごろのフライトであれば、
半日くらいは観光できるかもしれません。


ところが、深夜12時を過ぎるようなフライトになると、
ここまでのブログでご覧のように、
ほとんど丸一日を、観光に費やすことができるのです。


12月30日の一日だけで、私たちがどれだけの観光をこなしたことか。(苦笑)
 戦争博物館(長女+私)
 スーパーでお買い物
 ダムセン公園(長男+夫)
 バイクタクシー
 「寿司世界」でランチ
 サイゴンセンターを散歩
 AO SHOW 観劇
 Cafe RUNAMでベトナムコーヒー


はい・・・。
今日も一日、がんばりました(爆)。


さて、こんな時間(0時20分)に出発するということは、
機内食はありません、ってことになります。


機内食というのは、乗れば必ず出る物ではなく、
「現地時間に合わせて」出されることになっています。


35年以上前の話になりますが、(古い!)
当時、ヨーロッパに安く行こうとすると、
「南回り便」というフライトを利用することになりました。
これは、東京を発ったあと、ヨーロッパに着くまで、
アジアの各地を、点々と止まりながら移動していくというものでした。


東京をお昼前に出発すると、
東京時間に合わせて、すぐに機内食(昼食)がでます。
その後、時差の関係で、飛行機は飛んでも飛んでも、
次に到着した場所の時間は、いつもお昼ごろ。
したがって、飛行機がどこかに着陸しては離陸するたびに、
「現地時間に合わせて」昼食が出てくるという、
冗談みたいなことになりました。
「もう食べられないよ~」
なんて言いながら、食べてましたけどね。^^


ところが、悲劇は帰国便で起こりました。
あるとき、行きのフライトと逆のことが起こったのです。
つまり、フランクフルトを出発して、東京へと飛んだのですが、
どこに着陸しても、現地時間が、時分時からずれてしまいました。
なので、いつまでたっても、食事が出てこない…(爆笑)。


そのうち、夜中になって、眠い。
眠いけど、お腹が空いて寝られない。(笑)
インドも過ぎて、だんだん日本が近づいてきて、
ようやく食事が出たのですが、
今度は、眠くて食べられない。(爆笑)


今は昔の、貧乏旅行の思い出です。
そんなことを経験しているので、
飛行機に乗るときには、機内食が何時頃に食べられそうであるかを、
事前にチェックするようになりました。


というわけで、このときのフライトも、夜中に出発するわけですから、
機内食は出ない、ということになります。
そこで、搭乗前に、家族4人でお弁当をいただきました。


昼間、スーパーで買っておいたお弁当(ベトナム料理)と、
サイゴンセンターのぼてぢゅうで買ってきたたこ焼き(笑)。


空港のイスに、家族4人が並んで座って、もぐもぐ…。
ヘンな家族です。^^


深夜便だったせいか、機内はがらがらでした。
3人分の席を独り占めして、横になって寝ている長女。(笑)


どこでもすぐに寝られる、長男。


(つづく)

のんたんの冬休み 98 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 - さようなら、サイゴン(2017年12月30日/7日め)

2017年12月26日 古都ホアルー。東門の前で。(のんたんとあみちゃん 22歳)



カフェ RUNAMでおいしいベトナムコーヒーをいただいてから、
ホテルに戻りました。


夜9時に、RIVERSIDE HOTELのロビーで、
現地ガイドさんと待ち合わせることになっていました。


ホーチミンに来たときは、必ず利用している、RIVERSIDE HOTEL。
次に来るときも、泊まるのは、きっとこのホテル。(笑)


ロビーで待っていると、時間ぴったりに、
現地ガイドのハンさんがやってきました。
大型バスに乗って、空港に向かいます。



私たちを乗せたバスが、
空港に向かって、ゆっくりと走り始めました。


ついさっき、AO SHOWを観た、サイゴン・オペラハウス。


サイゴンの街のいたる所に置かれていた、巨大な蓮の電飾。これを見るのも、最後です。


このカフェの前を、家族4人で何度も通りました。


No.83でご紹介した、「焼きたてメロンパンアイス」の店。緑色の看板と日本の国旗が見えます。^^


通りは、今日も、バイクだらけ。^^


長い長い、ベトナムの旅・7日めが、ようやく終わりました。
飛行機は、日付が変わって12月31日の、0時20分に出発する予定です。
そう、大晦日です。


(つづく)

ビルマの竪琴を、あなたと。~高田馬場 「ミンガラバー」で、ビルマ料理~(2018年4月15日)

1987年5月3日 ビルマ・マンダレーで。通りがかったお寺で、地元のみなさんの踊りの輪に入れてもらいました。そのあとで、みんなで撮った一枚です。MIYO(中央の黄色いシャツ)は、ビルマの化粧「タナッカー」をやってもらって、白い顔。^^


私たちが訪問した、1987年当時のビルマは、鎖国状態。
お寺以外にはなんにもないような国でしたが、
人々は、素朴で、素朴で、そして、おおらかでした。
今でも、「天国にいちばん近い国」だったな、と、
なつかしく思い出します。


通りがかったお寺で、地元のみなさんの踊りの輪に入れてもらい、みんなで盆踊り。
翌年の年賀状になりました。(笑)


そのときに知り合った、あるビルマ人の青年の紹介で、
ビルマ人留学生のチーレイさんと、日本で会うことになりました。
1988年のことだったと思います。


来日して間もないチーレイさんと、銀座で待ち合わせたのですが、
そのときに彼は、「目印に」ということで、
大きな竪琴を抱えてやってきました。
そう。「ビルマの竪琴」です。^^


その後、折に触れて、彼と会うようになりました。
それから30年になります。


彼は、新聞配達をしながら、大学を卒業し、
同じ大学に留学していた、中国人のリンさんと結婚しました。
その後ふたりは、思いがけず、アメリカへ移住することになります。
アメリカのグリーンカードが、抽選で当たったからです。


移住先のアメリカで苦労しただろうことは、想像に難くありません。
けれど、ふたりはがんばりました。
二人の子どもを育て、家を買い、懸命に働きました。
ビルマと中国から、それぞれ、自分の両親も呼び寄せました。


今では、子ども達も大学を卒業し、社会人です。
テキサスで、ご夫婦それぞれに店を持ち、仕事も順調。
それぞれのご両親も、お元気です。^^


アメリカに移住してからも、何年かに一回、ふたりは日本にやってきます。
そして、そのたびに、私たち夫婦に声をかけてくれます。


私たちよりも少し年下ですが、
チーレイさん夫妻の生き方からは、
会うたびに、教えられることがあります。
私たち夫婦の、たいせつな、たいせつな、友達です。


私たちを思い出し、
日本で過ごす貴重な時間を、
私たちと過ごしたいと思ってくれることを、
いつも感謝しています。


4月15日。
数年ぶりに来日したチーレイさんから、お誘いをいただき、
高田馬場のビルマ料理店「ミンガラバー」に行きました。
いつもは、二組の夫婦4人だけで会うのですが、
この日は、日本に住む、10人以上のビルマ人が集まっていました。


ビルマ料理店「ミンガラバー」


30年近く前から、日本で、ビルマの民主化を訴え、戦ってきた方々です。
それぞれに、日本人と結婚し、仕事をし、地に足のついた生活を送っています。
子供さんたちも、みんな、成人・独立してしまいました。
けれど、今も、日本国籍をとることなく、
ビルマが民主化される日を待っているのだそうです。
「民主化運動をやったことが原因で、
 当時のビルマ政府にパスポートを没収されたので、
 なかなか、自分の国に帰れません。」
とおっしゃっていました。


2010年、ビルマは、軍事主導の政権となり、
国名を「ミャンマー連邦共和国」と改めました。
けれど、ミャンマーは、
以前から国内に存在している少数民族の存在を、今も認めていません。
ビルマの民主化運動は、まだまだ、終わってはいないのです。
だから私は、今でも、この国のことを、「ビルマ」と呼んでいます。


この日集まったのは、かつて、日本で声をあげた、
「ビルマ民主化運動」の闘士たちでした。
彼らは今も、あきらめていません。
民主化したビルマに、いつか帰れることを、
日本国籍を取得することなく、今も待ち続けているそうです。


次々と出していただいたビルマ料理を楽しみながら、
楽しい一夜を過ごしました。
自分の国の民主化を願い、今もあきらめることなく、
戦い続けている人々がいることを、忘れないでいたいと思います。


チーレイさんと。

ビルマ料理の数々。味付けは、すべて、ビルマ風でした。

お茶の葉と野菜の炒め物

野菜とビーフンの炒め物

ピーナツと野菜の炒め物

ビーフカレーとチャーハン

汁ビーフン

ナマズの唐揚げ