MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 18 - ドラッグストア、ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院、そしてスラマニ寺院①へ(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 スラマニ寺院で。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


たいへん申し上げにくいのですが、
時間を少しさかのぼることになりました。😅


これまでに、
 オールドパガンを出て、
 漆器屋さんに行き、
 イラワジ川の舟で日没を見た…
までを書いてきたのですが。
アルバムをもういちど見直したところ、
漆器屋さんを出てから、
再びオールドパガンに戻っていたことが
判明しました。😮


このブログに掲載している画像データは、
ほとんどが、当時のネガフィルムから
作製したものです。


ヤフオクで、
「ネガフィルムを画像データにします。」
というのを見つけ、落札。
ネガを大量に郵送して、作業していただきました。
もう数年前のことです。
1本あたり、400円くらいだったか?と思います。


今回、ブログを書くにあたっては、
その時に作製していただいた、
画像データを利用しています。
が、昨日になって、写真36枚分のデータがない、
ということが判明。
夫が、ネガを1本、紛失していたようです…。😔


それに気づいたのは、
昨日の日記を掲載する直前でした。
もはや書き直す時間はなかったので、
昨日のブログはお休みしようか、
と思ったのですが、
「まあ、あとからいくらでも修正はできるし。」
と思い直し、とりあえず掲載しました。


そんなわけで、わかりにくくてスミマセンが、
本日の日記では、
漆器屋さんに行ったあとにさかのぼって、
再び、お話を続けさせていただきます。😅


ここから約40枚の写真は、
ネガフィルムからではなく、
アルバムの古い写真を自宅のスキャナーで
画像データにしたものです。
なので、色合いが少し暗いものもあります。


モンモンさんの馬車に乗って、再び出発、しようとしたのですが…、

牛車が通りがかり、牛を引いていた方とおしゃべり。

「ビルマについて書いた本を見せて。」と言われて、説明しているところです。

このときに撮った写真。モンモンさんといっしょに。

次に行ったのは、ツーリストオフィスでした。パガンでは、旅行者をほとんど見かけませんでしたが、それでも一応、こんな立派なオフィスがありました。


夫はここで、
パガン発のバスの行き先と時間を調べました。
なにしろ、日本ではほとんど、
情報が入手できない頃のことです。
ビルマ国内の交通事情も確実とは言えず、
「次に、何時に何に乗って、どこへ行くのか。
 (そもそも、そこへ行けるのか?笑)」
というのは、
「現地に着いてから調べてみないとわからない。」
という、冗談みたいな旅でした。


そんなふうにして、
ラングーンから夜行列車でマンダレーに行き、
マンダレーから夜行バスでパガンに行き…、
と、その場その場をつなぎながら、
旅を続けていました。


パガンでは2泊できたので、
少しのんびりできましたが、
翌日から、また激動の旅が始まりそうです。😂


さて。
ツーリストオフィスでは、ついでに、
ドラッグストアの場所を
教えてもらったのですが…。


それが、このお店でした。自宅兼店舗という感じでしょうか。道路に面した部分に商品を並べて売っていました。


カウンターでは、お肉を売っているし。
棚の中を拡大すると、味の素とか、
食品も見えるし。
天井からぶらさがってるのは、
宝くじかな…。😄


でもここは、ドラッグストアなんです。
オフィスで聞いていたので、
まちがいありません。(きっぱり)


…というか、
「お薬も売ってるよろず屋さん」
というべきかもしれませんが。笑


ここでMIYOが買いたかったものは、
サニタリー用品でした。
「どんなのが出てくるんだろ?
 そもそも、モノのないビルマに、
 そんなものはあるのか?」
…と、興味津々でお店の女性に尋ねてみると、
すぐに奥から出してくれました。


壮絶ナ*キ*でした。


綿をアノ形にして、全体をガーゼでくるんで、
そのガーゼの端を、糸で縫ってありました。
以上。


このときに買ったものは、日本に持ち帰り、
ビルマの貴重な思い出として、
20年くらい保管していました。
自宅に遊びに来た人が「見たい」と言うと、
女性限定でお見せしたこともありました。(アホ)


夫の情報収集とMIYOの買物が終わったので、
再び、オールドパガンに戻ります。


遠くに、パゴダが見えてきました。あれは…、

昨日訪れた、ティーローミィンロー寺院です。

ティーローミィンロー寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 13 - マニシトゥ・マーケットとティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 14 - ティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)

次は、パガンで最高の高さを誇る、タビニュ寺院が見えてきました。昨日、最後に訪れた寺院です。

タビニュ寺院の横を素通りして、馬車はどんどん進んでいきました。

タビニュ寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 12 - タビニュ寺院とゴドーパリィン寺院。そしてチリピサヤホテルへ。(1987年5月4日/4日め)

両側に、次々とパゴダが現れます。もはや、いちいち名前とかを調べきれない状態です。笑

大きなみっつのパゴダが並んでいて…、

さらにもうひとつ、パゴダを通り過ぎると、別の寺院が見えてきました。

未完成のままで残されてしまった、ダマヤンジー寺院です。

ダマヤンジー寺院は、前日、シュエサンドー・パゴダの上からも見えました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)

当時、夫が買った絵葉書です。この頃は、門のまわりは草だらけで、正面玄関の下の方は、土で埋もれています。「未完成の寺院」として放置されていて、あまり整備されていなかったようです。

現在のダマヤンジー寺院。(画像をお借りしました)


37年で、居並ぶ尖塔部分の先端が、

少しずつ減っているように見えます。

が、全体的に美しく整備され、

泥や草がなくなっています。


ダマヤンジー寺院には入ることがなく、

今回も通り過ぎるだけで、

馬車はどんどん遠ざかっていきました。


さて。新たな寺院が見えてきました。

到着。スラマニ寺院です。王朝の繁栄期に建立された、優美な寺院です。


スラマニ寺院(Sulamani Temple)は、

バガン遺跡の中でも、多くの人々が訪れる、

魅力的な寺院のひとつです。

その名前は、

「最高の宝石」もしくは「小さなルビー」

を意味しているそうです。


次回は、スラマニ寺院の中を歩きます。


いまここ。😄 ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院と通り過ぎながら、スラマニ寺院に到着しました。


(つづく)

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