埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 18 - ドラッグストア、ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院、そしてスラマニ寺院①へ(1987年5月5日/5日め)
1987年5月5日 スラマニ寺院で。(ビルマ・パガン)
1987年5月5日(月)- 5日め
たいへん申し上げにくいのですが、
時間を少しさかのぼることになりました。😅
これまでに、
オールドパガンを出て、
漆器屋さんに行き、
イラワジ川の舟で日没を見た…
までを書いてきたのですが。
アルバムをもういちど見直したところ、
漆器屋さんを出てから、
再びオールドパガンに戻っていたことが
判明しました。😮
このブログに掲載している画像データは、
ほとんどが、当時のネガフィルムから
作製したものです。
ヤフオクで、
「ネガフィルムを画像データにします。」
というのを見つけ、落札。
ネガを大量に郵送して、作業していただきました。
もう数年前のことです。
1本あたり、400円くらいだったか?と思います。
今回、ブログを書くにあたっては、
その時に作製していただいた、
画像データを利用しています。
が、昨日になって、写真36枚分のデータがない、
ということが判明。
夫が、ネガを1本、紛失していたようです…。😔
それに気づいたのは、
昨日の日記を掲載する直前でした。
もはや書き直す時間はなかったので、
昨日のブログはお休みしようか、
と思ったのですが、
「まあ、あとからいくらでも修正はできるし。」
と思い直し、とりあえず掲載しました。
そんなわけで、わかりにくくてスミマセンが、
本日の日記では、
漆器屋さんに行ったあとにさかのぼって、
再び、お話を続けさせていただきます。😅
ここから約40枚の写真は、
ネガフィルムからではなく、
アルバムの古い写真を自宅のスキャナーで
画像データにしたものです。
なので、色合いが少し暗いものもあります。
モンモンさんの馬車に乗って、再び出発、しようとしたのですが…、
牛車が通りがかり、牛を引いていた方とおしゃべり。
「ビルマについて書いた本を見せて。」と言われて、説明しているところです。
このときに撮った写真。モンモンさんといっしょに。
次に行ったのは、ツーリストオフィスでした。パガンでは、旅行者をほとんど見かけませんでしたが、それでも一応、こんな立派なオフィスがありました。
夫はここで、
パガン発のバスの行き先と時間を調べました。
なにしろ、日本ではほとんど、
情報が入手できない頃のことです。
ビルマ国内の交通事情も確実とは言えず、
「次に、何時に何に乗って、どこへ行くのか。
(そもそも、そこへ行けるのか?笑)」
というのは、
「現地に着いてから調べてみないとわからない。」
という、冗談みたいな旅でした。
そんなふうにして、
ラングーンから夜行列車でマンダレーに行き、
マンダレーから夜行バスでパガンに行き…、
と、その場その場をつなぎながら、
旅を続けていました。
パガンでは2泊できたので、
少しのんびりできましたが、
翌日から、また激動の旅が始まりそうです。😂
さて。
ツーリストオフィスでは、ついでに、
ドラッグストアの場所を
教えてもらったのですが…。
それが、このお店でした。自宅兼店舗という感じでしょうか。道路に面した部分に商品を並べて売っていました。
カウンターでは、お肉を売っているし。
棚の中を拡大すると、味の素とか、
食品も見えるし。
天井からぶらさがってるのは、
宝くじかな…。😄
でもここは、ドラッグストアなんです。
オフィスで聞いていたので、
まちがいありません。(きっぱり)
…というか、
「お薬も売ってるよろず屋さん」
というべきかもしれませんが。笑
ここでMIYOが買いたかったものは、
サニタリー用品でした。
「どんなのが出てくるんだろ?
そもそも、モノのないビルマに、
そんなものはあるのか?」
…と、興味津々でお店の女性に尋ねてみると、
すぐに奥から出してくれました。
壮絶ナ*キ*でした。
綿をアノ形にして、全体をガーゼでくるんで、
そのガーゼの端を、糸で縫ってありました。
以上。
このときに買ったものは、日本に持ち帰り、
ビルマの貴重な思い出として、
20年くらい保管していました。
自宅に遊びに来た人が「見たい」と言うと、
女性限定でお見せしたこともありました。(アホ)
夫の情報収集とMIYOの買物が終わったので、
再び、オールドパガンに戻ります。
遠くに、パゴダが見えてきました。あれは…、
昨日訪れた、ティーローミィンロー寺院です。
ティーローミィンロー寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 13 - マニシトゥ・マーケットとティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 14 - ティーローミィンロー寺院(1987年5月5日/5日め)
次は、パガンで最高の高さを誇る、タビニュ寺院が見えてきました。昨日、最後に訪れた寺院です。
タビニュ寺院の横を素通りして、馬車はどんどん進んでいきました。
タビニュ寺院を訪れたときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 12 - タビニュ寺院とゴドーパリィン寺院。そしてチリピサヤホテルへ。(1987年5月4日/4日め)
両側に、次々とパゴダが現れます。もはや、いちいち名前とかを調べきれない状態です。笑
大きなみっつのパゴダが並んでいて…、
さらにもうひとつ、パゴダを通り過ぎると、別の寺院が見えてきました。
未完成のままで残されてしまった、ダマヤンジー寺院です。
ダマヤンジー寺院は、前日、シュエサンドー・パゴダの上からも見えました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)
当時、夫が買った絵葉書です。この頃は、門のまわりは草だらけで、正面玄関の下の方は、土で埋もれています。「未完成の寺院」として放置されていて、あまり整備されていなかったようです。
現在のダマヤンジー寺院。(画像をお借りしました)
37年で、居並ぶ尖塔部分の先端が、
少しずつ減っているように見えます。
が、全体的に美しく整備され、
泥や草がなくなっています。
ダマヤンジー寺院には入ることがなく、
今回も通り過ぎるだけで、
馬車はどんどん遠ざかっていきました。
さて。新たな寺院が見えてきました。
到着。スラマニ寺院です。王朝の繁栄期に建立された、優美な寺院です。
スラマニ寺院(Sulamani Temple)は、
バガン遺跡の中でも、多くの人々が訪れる、
魅力的な寺院のひとつです。
その名前は、
「最高の宝石」もしくは「小さなルビー」
を意味しているそうです。
次回は、スラマニ寺院の中を歩きます。
いまここ。😄 ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院と通り過ぎながら、スラマニ寺院に到着しました。
(つづく)