埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 32 - チャウタッジーパゴダとボージョーアウンサンマーケット(1987年5月8日/8日め)
1987年5月8日 チャウタッジーパゴダで、フォーさんと。(ビルマ・ラングーン)
1987年5月8日(火)- 8日め
早朝、ラングーン駅に到着したあと、
フォーさんといっしょに、
シュエダゴン・パゴダ
ボウタタウン・パゴダ
スリ カリ アマン ヒンドゥー寺院
…と歩きました。
こんなふうに歩いたようです。この地図を見ていて、右上にショッピングモールがあることに気がつきました。あの、モノがなにもなかったラングーンに、今やショッピングモール。すげー。😮
③ボウタタウン・パゴダから
④スリ カリ アマン ヒンドゥー寺院まで、
今まで来た道を逆戻りしながら歩いています。
これは、ヒンドゥー寺院が目的地だったから、
ではなくて、このあたりに、
ピックアップトラックの乗り場があったからです。
ピックアップトラックには、
タウンジーやパガンなどの地方都市で
さんざん乗ってきたので、
再びこれに乗るのはうれしかったです。^^
(当時の)大都会だったラングーンでも、
人々の移動手段はやはり、
ピックアップトラックでした。
ところが。
これがまた、なかなか来ないのです。
ラングーンを観光できるのはこの日だけです。
ビルマ最後の日に、トラックを待って、
時間をムダにしたくなかったので、
タクシーに乗ることにしました。^^
夫がタクシーの中から撮った、ラングーン市内の写真。
「こんなヘンな写真、なぜ撮った?🙄」
と、ずっと思ってきました。
でもこの写真があったおかげで、
タクシーに乗ったことを思い出したので、
まあ、役にはたったのかな。🤣
タクシーは、ゆるゆるとした上り坂を走って行きました。このカーブをぐるりと回った丘の上に、めざすパゴダがあります。
同じ道路から見た、現在のラングーン市内です。高層ビルが、いくつも建設中。(画像をお借りしました)
そして、目的地である、
チャウタッジーパゴダに到着しました。
現在のチャウタッジーパゴダ入口です。(画像をお借りしました)
夫はなぜ、パゴダの外観を撮り忘れたか…。
それは、ここでいちばん重要で、見るべきものは、
パゴダではなく…、
この中にあるからなのです。これは現在の写真。当時はもっと素朴で、観光バスなんてもちろん停まっていませんでした。(画像をお借りしました)
【チャウタッジーパゴダ/Chauk Htat Gyi Pagoda】
1899年にポー・ター卿の庇護の下に建設されました。現在は、チャウタッジーの仏殿として知られています。見どころは、ヤンゴンで最大と言われる、巨大な涅槃仏です。全長約70m、高さ約17mで、優雅なほほ笑みを浮かべながら、肘枕で横たわっています。特徴は目で、その大きさは1.77m×0.58mもあります。どの角度から見ても優美な表情をしている、印象的な像です。
もうひとつの見どころは足です。ひときわ巨大な足の裏には、仏教の宇宙観を表す細かいレリーフが、黄金で精巧に描かれています。描かれているのは、108個の仏教宇宙観図絵で、仏門、宇宙、自然、動物などを見ることができます。
これがその、涅槃仏です。建物はなく、屋根だけがついている状態。まるで屋外ステージのようでした。
現在の涅槃仏です。37年前の方が、微笑みが柔らかい気がします。(画像をお借りしました)
こんなふうに全身を撮るのは、かなり難しかっただろうな、と…。(画像をお借りしました)
そして、お待たせしました。こちらが有名な、「足の裏」です。
現在の「足の裏」です。37年前の素朴なレリーフは、すべて、金で塗りまくられました。(画像をお借りしました)
ところで。
涅槃仏とはなんなのでしょう。🙄
調べてみました。
【涅槃仏(ねはんぶつ)】
釈迦が入滅する(亡くなる)様子を、仏像として表したものです。寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれ、主にタイの仏教寺院などで見ることができます。足の裏には、宇宙観を示す文様などが描かれています。
ほとんどの像容は、右手を枕とするか、もしくは頭を支える姿です。基本的には、頭は北向き、顔は西向きとされます。これが後に、一般の俗人が亡くなった時に「北枕」とされる由縁となりました。
なるほど…。
さんざん、あちこちの国で見て来たのに、
知りませんでした…。😓
再びタクシーに乗り、ダウンタウンに戻りました。このころは高い建物がないので、シュエダゴン・パゴダは、市内中心部ならどこにいても必ず見えました。^^
ビルマ観光と言えばパゴダ観光。
滞在中、寺院とパゴダばかり見てきたので、
正直言って、
「お寺はもうこれくらいでいいかな。」
と言う気持ちが、私にも夫にもありました。
残り時間が少なくなってきたので、
スーレーパゴダはパス。😅
「次はマーケットを見たいです。」
と、フォーさんにお願いしました。
Gougle Mapもロクな地図もなかった時代。
目的地までは、
現地の人に尋ねまくって歩いていたので、
移動には、手間も時間もかかりました。
けれどラングーンでは、
「**に行きたい。」
と言うだけで、
フォーさんが連れて行ってくれたので、
ほんとうに助かりました。
さて。ボージョーアウンサン市場です。これは現在の写真です。(画像をお借りしました)
建設後間もない頃と思われる、同じマーケットです。イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築で、正面中央にドームがあります。(画像をお借りしました)
【ボージョーアウンサンマーケット/Bogyoke Aung San Market】
イギリス植民地時代の1926年に建てられました。当時の名前は、スコットマーケット(Scott Market)でした。1940年代になり、イギリスからの独立の機運が高まり、「ビルマの公的機関はビルマの名であるべき」という主張の元、ミンガラーマーケット(Mingala Market)と名前を変えることが提案されました。ミンガラ-とは、「縁起が良い」と言う意味です。が、この提案は否決されました。
1948年、ビルマが独立を果たし、マーケットの名前は「ボージョーアウンサンマーケット」と変更されます。この後、建物はさらに増築されました。
この建物は、現在、「ヤンゴン保存遺産」に登録されています。
市場の名前ひとつにも、
ビルマの人々がくぐってきた、
様々な歴史がしのばれます。
マーケットの中です。これはロンジーの生地屋さん。値段を見ると、ひとつ30チャットくらいですね。マンダレー行きの夜行列車で買ったお弁当がひとつ8チャットだったので、だいたい、駅弁4個分ということでしょうか。日本の物価で言えば、4000円くらいにあたるかな?
海外では、現地の価格を見る時、
両替のレートはひとまず別にして、
「庶民の定食の何回分だろう?」
と考えて、
日本の価値に換算することが多いです。
夫からは、
「なんでも食べ物だな。あはは。」
と笑われますが、
案外、実態をついていることが多いんです。😄
「これは、現地の人々にとって、
どれくらいの負担感になるのだろう。」
というのは、両替レートからは見えてきません。
ポイントは、
「この品物の値段で、地元の人々は、
何回、ごはんが食べられるか。」
です。
MIYOは、いつも、そんなふうにして、
現地の価格を見ています。
(勝手な計算ですけどね。😅)
食べ物屋さんエリアに来ました。
男の子が給仕をしていました。ビルマは社会主義国なのに、当時は、たくさんの子どもが働いていました。
ジュースはガラス瓶で。冷蔵庫もありません。自家製の、わけのわからない飲み物も、けっこうありました。ものがほとんどなかったビルマ。これが、ラングーン最大の市場の、普通の風景でした。
そして、現在のボージョーアウンサンマーケット。
37年が過ぎたというのは、
こういうことなのだと、
そんな思いが、胸に沁みました。
いまここ。😄
(つづく)