埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 33 - 聖三位一体大聖堂、パダウン族とスーレーパゴダ(1987年5月8日/8日め)
1987年5月8日 ボウタタウン・パゴダで、フォーさんと。(ビルマ・ラングーン)
1987年5月8日(火)- 8日め
ここまで、
ラングーン駅
シュエダゴン・パゴダ
ボウタタウン・パゴダ
スリ カリ アマン ヒンドゥー寺院
チャウタッジーパゴダ
ボージョーアウンサンマーケット
…と歩いてきました。
そろそろ約束の時間が近づいてきたので、
ここで市内観光を終え、
ストランドホテル
に向かうことにしました。
ボージョーアウンサンマーケットからストランドホテルまで、約30分の道のりを歩きました。地図を見ると、マーケットはラングーン駅のすぐ前にあり、次の目的地であるストランドホテルは、さきほど訪れたボウタタウン・パゴダの少し手前、ヤンゴン川のほとりにありました。
マーケットからストランドホテルまで、
何通りもの行き方がある、と
Google Mapは提案しているのですが、
フォーさんが選んだのは、
いちばん右側のルート。
当時私たちは、
「ストランドホテルに行きたいです。」
と言い、
ただフォーさんについて歩いただけで、
市内の地理はよくわかっていませんでした。
けれどフォーさんは、ダウンタウンの中でも、
「イギリス植民地時代に建てられた
建築物が多く残る通り」
をわざと通ってくれていたことに、
37年もたって、今さら気がつきました。😓
(遅すぎるにもほどがある…。)
ボージョー・アウンサン・マーケットを出ると、聖三位一体大聖堂が見えました。
現在の、聖三位一体大聖堂。まるで別人のように美しくなりました。(画像をお借りしました)
【聖三位一体大聖堂(Holy Trinity Cathedral)】
ボージョーアウンサンマーケットのすぐ西隣りにある、イギリス国教会の大聖堂です。ラングーンでは、大多数が仏教徒の国ですが、少数民族を中心にキリスト教徒も多く、2大宗派として主にカトリックとイギリス国教会が信仰されています。
聖三位一体大聖堂は、高くそびえるタワーが特徴的で、すぐ隣りにあるショッピングモール(ジャンクションシティ)の一風堂(ミャンマー1号店)やロッテリアのテラス席から見ることができます。
*ジャンクションシティ(Junction City)は、2017年3月にオープンしたショッピングモールで、ボージョーアウンサンマーケットの真向かいにあります。
途中で画廊に入ったのは、店内にビルマの絵がたくさんあったから。MIYOの後ろにある絵は、シュエダゴンパゴダ。そしてそのとなりの絵は、首長族(パダウン族)。
この絵に描かれていた首長族の村をほんとうに訪ねたのは、それから3年後のことでした。タイ・メイホーンソンからトラックの荷台に乗って、山岳地帯を入りました。このときの写真は、1991年の年賀状になりました。(1990年5月4日 タイ・フアイスアタオ村)
【首長族(パダウン族/Padawn)】
村落内の選ばれた女性の首に、金色の真鍮リングを纏わせる民族のことです。男性は着用しません。自称する民族名称はカヤン。
首長族と呼ばれるものの、正確には、首が伸びているのではありません。幼少時から徐々に真鍮コイルを増やしていく過程で、「コイルの上圧が下顎を平板化させ、下圧が鎖骨を沈下させている」のです。肩の位置が下がることによって、極端な撫で肩となります。この状態で真鍮リングを纏うと、首部が際立って見えることから、首長族と呼ばれるようになりました。つまり、「首は伸びていない」のです。
カヤン族への誤解のひとつに、「首輪を外すと頭部の重みに耐えられなくなり、首が折れて死んでしまう」という風説があります。これも、1979年、医学的に否定されました。なぜなら、身体には(首輪の装着によって)新しい筋肉が形成されているからです。
【カヤン族を利用した、タイの観光産業】
民族の起源はチベットと言われ、その後に中国雲南地域を経て現在のミャンマーに移住したと推測されていますが、文字を持たない文化であったため、確証を得る証拠は残っていません。ミャンマー連邦内では、カヤー州(旧カレンニー州)とシャン州に暮らし、ミャンマーからタイに移住した人々は、タイのメイホーンソン、チェンマイとチェンライの観光化された民族村に暮らしています。
タイのカヤン族は、もともとは、1980年代にミャンマー東部の内戦から逃れてきた少数民族でした。しかしタイ政府当局者らは、これをビジネスのチャンスだと考えました。彼らを、難民キャンプではなく、観光目的に新設された村に定住させたのです。村に連れて来られたカヤン族の女性たちには、ツアー会社から月200ドル相当の給料が支払われました。その一方、タイ人は、船の運行会社から土産品製造会社まで、観光産業で利益を得ました。このようにして、カヤン族は、人寄せとして長年利用されてきましたが、コロナ禍を経た現在は、観光客の減少とともに伝統存続の危機に瀕しています。
2008年1月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、タイの首長族観光が「人間動物園である」と批判しました。それに対してタイ政府は、「彼らは難民ではなく、正規の労働者である」と主張し、カヤン族が第三国へ出国するのを認めませんでした。人道主義を謳うUNHCRやNGOと観光産業を重視するタイ当局の間には、「カヤン族が難民か移住労働者か」という確執があることは確かです。しかし、いかなる結論になろうと、難民条約に加盟していないタイへの強制力はありません。
日本の識者の間でも、「難民を用いた非人道的な観光開発である」という批判的な意見が出ています。現在、争議の解決に向けてアメリカが乗り出しており、カヤンの一部には、「難民キャンプで仮滞在すること」を条件に、第三国での定住が認められつつあります。
いやはや…。
ブログを書きながら、ふと調べてみたら、
たいへんなことを知ってしまいました。😓
私たちは、当時、
「一日かけて、山岳少数民族の村を訪ねて歩く」
というトラックに申し込んだのです。
当時このエリアに、
個人で行くことはできなかったからです。
あの頃、この山岳地帯は
ゴールデントライアングルと呼ばれていました。
麻薬の原料となる、
ケシの花が栽培されているエリアだったので、
案内人なしに歩いていると、
「ケシ泥棒」とまちがわれ、
射殺される恐れがありました。
申し込んだトラックの乗客は、
私たちふたりとイギリス人男性の3人だけで、
一日かけて、いくつもの民族の村に
連れて行ってくれました。
とても楽しかったのですが、
最後に寄ったのが首長族の村で、
「ビルマの少数民族がなぜここにいるのか。」
ととても驚いた記憶があります。
が…。
こういう事情だったのですね。
まさか、観光用に造られた村だったとは、
想像もしていませんでした。
私たち、たいへんな村に行ってしまいました。
行ってよかったのか。
行くべきではなかったのか…。😔
ちなみに、コロナ禍で観光客が減少したせいか、
この「首長族の村」は、
現在、バンコクにも進出しています。
2023年11月、バンコクに9日間滞在しました。
このときの日記です。
MIYO'S WEBSITE - 4年ぶりのタイ。バンコクを歩き続けた9日間
上記の日記には書いていませんが、
ある日、バンコク市内を歩いているときに、
「首長族の村」の大きなパネルを見つけて、
ふたりしてとても驚きました。
コロナ禍で観光客が減少したため、
どうやら、タイ北部の観光村をたたみ、
カヤンの人々を連れてバンコクまで稼ぎに来た、
ということのようです。
彼ら(←だれ?)の経済に翻弄され、
流浪の民となりつつある、カヤン族の人々。
彼らが本当に望む生き方はなんなのか。
どうすれば、人として普通に生きていけるのか。
そんなことを、考えてこんでしまいました。
ちなみに。
首長族(Long-neck People)という呼称は
民族名ではなく、観光誘致において、
便宜上使用されている名称です。
イギリスに亡命したカヤン族の男性は、
自らの部族が「Long-neck People」ではなく
「Brass Coilling Tribe(真鍮巻部族)」と
呼ばれるべきであると主張しているそうです。
お話は、ラングーンに戻ります。
画廊で絵を見たあとは、手作りのカゴ屋さんへ。ひとつひとつが、どれもとてもかわいらしい。^^
お供え物を売るお店で。
映画館の前で。あっちこっちで引っかかりながら歩くのは、夫の得意技。🤣
おや、前方にパゴダが見えます。あれはもしかして…。
スーレーパゴダです!
【スーレーパゴダ】
ダウンタウンの中心部に位置し、街のランドマークとして親しまれている、黄金のパゴダです。2600年以上前の仏陀の時代に、シュエダゴンパゴダよりも先に建立されたと伝えられています。高さ約46mのこのパゴダを起点として、東西南北に大通りが延びているため、町歩きの目印になります。「スーレー」は聖髪を意味しており、内部にはブッダの聖髪が収められていると伝えられています。(ヤンゴン市歴史文化遺産)
「パゴダはもういいよね。」
…なんて、横着なことを言っていましたが、
ストランドホテルまで歩く途中にあり、^^
フォーさん、ちゃんと連れてきてくれました。
パゴダづくしだったビルマで、
最後に訪れたパゴダ。
それが、スーレーパゴダでした。
街の中心にあったんですね…。
現在の同じ場所。(画像をお借りしました)
青空に輝いていた、シカラ。
現在のシカラ。(画像をお借りしました)
入口を入ったところです。
どうやら後ろの像のマネをしているらしいのですが、ボケちゃったのでわかりません。🤣
1890年代のスーレーパゴダ。(画像をお借りしました)
現在のスーレーパゴダ。100年前も現在も、パゴダはいつでも街の中心でした。(画像をお借りしました)
ストランドホテルまで、あともう少しです。
いまここ。😄
(つづく)