MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 32 - 旭川「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん③(2023年5月18日/9日め)

2023年5月13日 夕張市石炭博物館で。入り口に、「圧倒的な廃墟感に負けず、ドンドン進もう!」と書いてありました。夕張のみなさんもがんばっておられます。(北海道夕張市)


5月18日(日)- 9日め


1933年(昭和8年)に建設された旭川の豪邸、
「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)
に来ています。
次はお料理をご紹介します。


箸には、活きがよさそうな鯛の印が押してありました。木製の箸置きは、特注品なのだそうです。


お昼のコース「お昼御膳」は3種類。
(税込みで、梅3960円、竹6930円、松8800円)
どれにしようかと迷いましたが、
とりあえず中間をとって、
「竹(6930円)」を予約してありました。
「松」と「竹」は、毎日5食限定だそうです。
(コースでなく、単品での注文も可能です。)


先付けの、「料理長おすすめの一品」。自家製の汲み豆腐でした。

本日のお重(松花堂)です。
左上:お刺し身(松葉がれい、おひょう、中トロ)
左下:自家製鴨のロースト
右上:小松菜のお浸しと筍、白胡麻くず豆腐、パプリカの酢漬け、白身魚の南蛮漬け、海老の旨煮、京豆腐、さつまいものレモン煮
右下:天ぷら盛り合わせ

中に納められている器も、ひとつひとつに魅かれます。写真を撮ろうとして弁当箱から取り出したら、ヒビや欠けのある器もありました。岡田邸でかつて使われていたものを、大切に使用されているのではないかな、と思いました。

ごはんとお吸い物です。

茶碗蒸しには…、

イクラがのっていました。

おそばは、もりまたはかけを選べます。

幌加内産のそば粉を使用しているそうです。幌加内といえば、Mさんご一家が住む朱鞠内のあるところです。「Mさんが作ったソバだったりして。」と、アホなことを話す私たち。😄

最後は蕎麦湯で。蕎麦ちょこと湯飲みも撮りました。^^ お茶は、京都・一保堂(いっぽうどう)のほうじ茶です。

デザートは水ようかん。おかみの手作りだそうです。

どれを食べてもおいしい。充実のお昼ごはんでした。^^

通常ならば見学するだけであろう場所で、お食事ができてしまうという、すばらしい体験でした。


お会計は、全部で13860円(税込)。
私たちにとっては、
ちょっとがんばった価格でしたが、
美しく再生された重要文化財で、
ゆっくりといただけるお食事は、
まさにプライスレス。😄


ここで、「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)の歴史を、
もう少し書いておきたいと思います。


【「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)】
1933年(昭和8年)に、「北の誉酒造」創設者・岡田重次郎の自宅として建てられました。和の要素を取り入れた洋館造りで、正面玄関にあるステンドグラス、西日を美しく見せる銅の入った硝子、クリスタルのシャンデリア、大陸的な高い天井、遊び心のある欄窓、30畳の和室とアーチ型の居間、美しい漆喰の壁などを擁しています。庭は、紅葉期にはさらに美しい外観を呈します。完成までに2年を要し、「見積もりのない建て方」とまで言われるほど、贅を尽くした豪邸でした。別名「紅葉館」と呼ばれ、落葉樹を巧みに活かした日本庭園は、庭師の丹念な手入れにより、今もなお美しさを保ちつづけています。
明治大正昭和と、北海道・旭川に貢献した岡田家の邸宅は、いつしか、旭川の人々にとって、旭川が誇る文化であり、心のよりどころとなったのかもしれません。ところが、2003年(平成15年)、岡田邸は、京都在住の資産家に売却されます。家屋は取り壊しが危ぶまれていたのですが、「このままでは旭川の歴史的建造物が失われてしまう…。」と危機感を募らせた有志が手弁当で集まりました。
その後の「旧岡田邸」の歴史には、胸をうつものがありました。
 2003年(平成15年)京都在住の資産家が取得。
 2009年(平成21年)旧岡田邸200年プロジェクトチームが発足。

 (会議、建物調査、市民セミナー、お掃除会などを実施)
 2010年(平成22年)一般財団法人「旧岡田邸200年財団」を設立。

 (会議、お掃除会、内覧会などを多数実施)
 2011年(平成23年)多くの人々の支援を受けて、財団が岡田邸を買い取る。
          「おかだ紅雪庭」として再生し、現在に至る。


以上、簡単に書きましたが、
募金を募り、これだけの邸宅を買い取り、
内部をリフォームしたうえで、
蕎麦料亭をオープンさせるというのは、
並大抵のことではなかったと思います。


有志の手弁当で、それだけの資金を集め、
わずか数年で、再生までやってのけた…。
旭川の人たち、すごい。


「おかだ紅雪庭」のように、
建物を実際に使いながら保存することを、
「動態保存」というそうです。


博物館としてただ見てもらうのが、静態保存
それに対して、施設を使用し、
ありのままを間近で見てもらい、
体験を楽しんでもらいながら、
文化財を保存していくというのが、動態保存
その根底にある考え方は、
同じ旭川市にある旭山動物園の手法と、
同じものなのだそうです。


そういえば、現存する日本最古の車両工場である、「旧国鉄旭川車両センター第二木機職場及び木機乾燥場」も、旭川市は、市民活動交流センターとして活用しながら、保存しています。旭川の人々にとって、「動態保存」の手法は、とても自然な考え方なのかもしれません。


2011年5月。財団が買い取った頃の旧岡田邸です。(画像をお借りしました)

現在の「おかだ紅雪庭」。前を通りがかった人は、誰もが美しい景観を楽しめるようにと、もとあった塀を取り払っています。リフォーム後の外観に、財団の人々の心意気がうかがえます。

別名「紅葉館」。秋には、見事な紅葉を見せてくれるそうです。

これは2011年の写真です。寄付を募って買い取ったあと、リフォームが始まりました。写真は、アーチ型の居間での作業風景です。(画像をお借りしました)

かつての応接室には…、

カウンター式のテーブルが置かれました。

ちなみに、夜の会席で、12000円または16000円のコースを予約すると、2階の特別室で食事ができるのだそうです。すばらしい組み子障子です。「おかだ紅雪庭」には、まだまだ、見学できていない部分があります。😅


旭川の人々の底力。
本当にすごいと思います。


以前、私は、ベトナム・フエの王宮で、
荒れ果てた肇廟や太廟のことを書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 80 - 王宮㉑ 肇廟、太廟、門樓、そして午門へ(2023年6月19日/6日め)


このときのブログで、
「文化財というものは、
 『必ず残さなければ』という強い意思
 相当の費用をかける覚悟がないと、
 守り続けることはできないのだと、
 痛感しました。」
と書いています。


でも、旭川の人々は、手弁当で集まり、
それをやってのけたわけです。
現在の旧岡田邸は、築90年ですが、
「200歳になった旧岡田邸に、
 素敵な旭川を見てもらいたい。」
という気持ちから、法人名を、
「旧岡田邸200年財団」としたそうです。


旧岡田邸を保全し続けていくための募金は、
現在も行われています。
財団の活動は、100年後を見据えながら、
これからもずっと続けられるのだと思います。


財団のサイトにある、
「旧岡田邸を再生し活用することは、
 『歴史的建造物』を保存することではなく、
 『旭川の文化』を創造することに他なりません。」
ということばには、ただただ、頭が下がりました。


郷土を愛し、いつまでも誇れる街にしたい。
そう強く願うことが、結局は、
文化財を保護することにつながったのでしょう。


こんな方法もあるのだということを、
「おかだ紅雪庭」が、そして旭川の人々が、
教えてくれたように思います。


お食事をいただき、代金を支払うことは、
微力ではあっても、
「おかだ紅雪庭」を保存する一助になります。
なので、行ってよかったな、と思っています。


日本中で、文化財の存続が危ぶまれています。
私たちにできる、せめてものこと。
それは、その存在を知ること。
そして、ほんの少しでも、関心を持つこと。
できれば、入場料を支払って、
実際に見学してみること。


多くの人が訪れるようになれば、
いずれはそのことが、
その文化財の保護につながっていくのだと思うし、
そう願ってやみません。


(おわり)

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