MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 30 - 朱鞠内から旭川へ /「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん①(2023年5月18日/9日め)

2023年5月18日 旧国鉄旭川車両センター第二木機職場及び木機乾燥場で。左手が第二木機職場、右手が木機乾燥場です。建築されたのは、1899年(明治32年)。現存する、日本最古の車両工場です(国の登録有形文化財)。2棟の建造物は、行政によって改修され、2010年(平成22年)より、旭川市の市民活動交流センターとして活用されています。間近で見ると、写真よりもずっと美しい建物なのですが、今現在も市民に利用されている、現役の建物であるということが、さらにすばらしい。^^(北海道旭川市)


5月18日(日)- 9日め


歴史的建造物はどう保存されるべきなのか、
を自問しながら、
 小樽和光荘
 夕張鹿鳴館

…と書いてきました。


ここまでお話すると、さらにもう一件だけ、
書いておきたい日記がでてきました。
(本来の連載旅日記からは脱線しまくってますが、
 もう破れかぶれ。😂)


2023年5月の旅では、このあと私たちは、
夫が行きたがっていた、
夕張市石炭博物館を訪れ、
夕食は宿泊施設で、「羊の里長沼町」自慢の、
ジンギスカン食べ放題も堪能しました。😄


そして札幌で2泊したあと、北海道最寒の地と言われる朱鞠内へ。

夫の大学時代の同級生Mさんご一家が、ここでジャガイモやソバを作っておられます。お目にかかるのは約20年ぶり。耕作面積は現在40ha。このご自宅も、Mさんが自分で作っちゃったそうです。「大草原の小さな家」みたいですね。😮(2023年5月17日)
約30年前、北海道に移住し、以来農業を続けておられるMさんご一家のサイトはこちらです。
Mt.ピッシリ森の国


このときのことも、
もっと詳しく書きたいのですが、
ダイジェストなので割愛します。😅
そして朱鞠内から旭川スイートロードを歩き、
スイーツを食べまくったあと、
旅の舞台は旭川市へと移ります。


旭川では、星野リゾートに3泊したのですが、
同じ星野リゾートでも、宿泊料金は
小樽よりもずっとお安くなっていました。


当時は、旅行支援の対象になっていたので、
9000円もの地域クーポンもいただけて、
実質、ひとり一泊5990円に。
(豪華な朝食ビュッフェ付き)
あの星野リゾートが、
信じられない安さでした。😂


その旭川でとても楽しみにしていたのが、「おかだ紅雪庭」でした。


【おかだ紅雪庭(旧岡田邸)】
1933年(昭和8年)に、「北の誉酒造」オーナー・岡田氏の自宅として建てられました。完成までに2年を要した豪邸で、国の登録有形文化財となっています。2012年(平成24年)に、旭川市きっての高級蕎麦処「おかだ紅雪庭」として生まれ変わり、現在は、邸内
で食事することができます。外観は洋風ですが、玄関ホールや応接室以外は数寄屋風の座敷になっており、玄関のステンドグラス、西側階段室の縦長窓と階段などに、アールデコ風の意匠を凝らしてあります
建設当時、旭川には、旧陸軍第七師団の師団本部が置かれており、軍都としてにぎわっていました。その頃の岡田邸には、皇族が宿泊することもあったそうです(昭和9年と13年)。そんな時代の雰囲気を今も残す貴重な建物が、旧岡田邸です。
「おかだ紅雪庭」として再生されたあとの初代料理長は、ザ・ウィンザーホテル洞爺の高級蕎麦店「達磨」店主だった、齋藤弘文氏でした。その後、京都の旅館美山荘で副料理長だった、塩見直大氏が就任しました。登録有形文化財としてだけでなく、錚々たる料理人が供する食事をいただける蕎麦処として、旭川では知られた存在です。
ちなみに、かつて小樽市にあった、北の誉酒造(1890年/明治23年創業)には、「北の誉ご三家(野口家、岡田家、西尾家)」というものがあったそうで、野口家のお邸として建設されたのが、小樽和光荘(1922年/大正11年)です。そして岡田家のお邸が、この「おかだ紅雪庭(
1933年/昭和8年)西尾家は、セイコーマートを創立(1971年)しており、まさに華麗なる一族です。^^
北の誉ご三家については、こちらでも書きました。
無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 8 - 「おたる政寿司」でお昼ごはん② / 和光荘①(2023年11月30日/3日め)


さて、その「おかだ紅雪庭」です。落ち着いた雰囲気の門がまえです。

門をくぐって少し歩いたところに、玄関があります。

門の前にあった立札です。「本日は満席」だそうです。東京を出発する前に予約しておいてよかった。^^

お店の駐車場に車を置いて、戻ってきた夫といっしょに、暖簾をくぐりました。

門の奥にある、玄関。外観は洋風の造りです。

早く邸内に入りたいのですが、多動夫は庭をウロウロ。写真を撮りまくっていて、なかなか入ることができません。😅

「も~、早く入ろうよ~。」と夫を急き立てて、玄関ホールへ。笑 たしかに、こうして見ると、本当に美しいですね。

ようやく、玄関ホールへ。

登録有形文化財のプレートがありました。

玄関ホールに足を踏み入れると、上部にステンドグラスの入った玄関が見えました。

このステンドグラス、内側から見るとこうなります。美しいですね。^^

天井の門灯もすてきです。

玄関で靴を脱いであがり、お邸の内部から見た玄関です。ここから見えるステンドグラスも麗しい。^^

玄関ホールのシャンデリアは、創建当時から取り付けられているものだそうです。きれいに手入れされていて、90年前のものとは思えないような、美しい輝きを放っていました。

階段の手すりにも、凝った細工が入っています。そして、左手の壁一面にかけられたプレートをご覧ください。この旧岡田邸を再生させるために、寄付をした人々や企業の名が書かれています。多くの人々の支援によって、「おかだ紅雪庭」が生まれたのだということを、ここに来て初めて知りました。

階段の踊り場にある縦長窓と階段の手すりなどには、アールデコ風の意匠を凝らしてあります。

その階段の隣りにある、会計カウンター。手前に置いてあるソファは、岡田邸のころ、応接室に置いてあったもので、布を張り替えて再生したそうです。

階段手すりの側面に施された、美しい細工もお見逃しなく。^^


ここまで、「おかだ紅雪庭」の、
外観と玄関部分を見てきました。
次回は、玄関ホールの奥に続く、
数寄屋風の座敷をご紹介します。


(つづく)

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