4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 68 - 王宮⑨ 奉先殿、延寿宮、塀風門(ヒンプン)(2023年6月19日/6日め)
(2023/10/02 16:50記)
2023年6月19日 フエの王宮・延寿宮で。
6月19日(月)
彰徳門を通り過ぎて、
王宮の西端に延びる道を、
塀に沿って歩きました。
この道が、王宮の西端です。レンガを敷きつめた道が、南北方向にまっすぐ伸びています。
途中で、塀の上(西台)に上がる石段を見つけました。高いところにはもれなく登ってしまう、多動夫。はりきって行ってきました。笑 これが、塀の上から撮った景色です。ここには、兵の詰め所がありました。竹を模した瓦を置いた手すりの左側が王宮で、右側には濠があり、その先にはフエ市内が広がっています。
王宮の際(きわ)にある塀ですから、
その先には、単に、
お濠があっただけでした。😂
夫は、
「たいしたものはなかった。😔」
と言って、すぐに降りてきました。🤣
さらに歩くと、広い野原に出ました。地図によると、奉先殿の跡のようです。
【奉先殿】
阮(グエン)朝の皇后を祀る廟所でした。戦火により消失し、現在は基礎のみが残っています。
1930年ごろの奉先殿です。
さらに直進し、4番通りまで来たところで右に曲がりました。
古い門の先には、さらに長い塀が続きます。ほんとに、誰も歩いてないなあ…。笑
到着しました。
延寿宮の正門、寿址門です。三関式の立派な門です。
門をくぐって反対側に出ると…、
そこは延寿宮の前庭です。目の前に立ちはだかるのは、横に長い障壁(塀風門)。
【延寿宮(Cung Diên Thọ)】
1804年に、グエン朝初代皇帝であるザーロン帝(嘉隆帝)が母親のために建てた住居です。以後、皇太后(皇帝の母親)の住居として使われました。皇太后のための用地とあって、門は女性を連想させるような色合いになっています。門をくぐると、障壁(塀風門)をはさんで前庭があり、前庭の後方に延寿宮があります。延寿宮の内部には、当時の豪華な椅子・テーブルなどの調度品が置かれており、皇帝一族の華やかな生活様式を現在に伝えています。前庭の西側には、フランス風の二階建建造物である静明楼があり、東側には左恭が置かれています。静明楼は、ドンカイン帝皇后の医院として、1932年に建造されました。皇后の健康を気遣って、湿気の多いヴェトナムの伝統建築ではなく、風通しがよいフランス・コロニアル建築様式で建てられました。
「障壁(塀風門)」の後ろに、延寿宮があります。この障壁、沖縄の伝統家屋にある、「中垣(ヒンプン)」にそっくりです。
琉球の伝統的家屋に見られる、ヒンプン。写真奥にある住居では、塀の入口部分を入るとすぐに、横に長いヒンプンが横たわっています。そのため、外から家の内部を見通すことができません。
【中垣(ヒンプン)】
沖縄の伝統的家屋には、家の正面に目かくしの塀があり、これを「ヒンプン」といいます。「ヒンプン」は、表から建物の内部が直接見えないように造られたもので、外から魔が入ってくるのを防ぐというマジナイ的な意味をもち、屋敷の内と外の仕切りの役目も果たします。中国では塀風門というものがあり、「ヒンプン」はその形式を沖縄化したものといわれています。
沖縄の伝統的家屋について書いた日記はこちらです。
台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 13 - 台風なら博物館⑥ 沖縄県立博物館 常設展示室(沖縄の家屋、魔除け、高倉、ヒンプン、湧田古窯跡1号窯)(2022年8月31日/6日め)
ヒンプン…、もとい、「障壁(塀風門)」をよけて、向こう側に向かいます。
見れば見るほど、ヒンプンそっくり。笑
厚さはこれくらい。やはり、中国からの流れをくんだものかもしれません。
ヒンプンと、その向こうに見える門です。
ヒンプンの周りを半周して、反対側から見たところです。
ヒンプンの向こう側にある、延寿宮です。
初代皇帝であるザーロン帝が、おかあさんのために建てた住まい。すごいですねぇ…。笑
初代皇帝であるザーロン帝は、
父親の霊を祀るために興廟を造り、
母親の住まいとして、
延寿宮を建てたわけです。
当時のザーロン帝が、
絶大な権力を誇っていたことが、
これだけでもうかがえます。
延寿宮の内部です。
住まいというより、殿閣という感じ。
テーブルも椅子も凝った装飾が施されています。
ちょっとした舞踏会ができそうな広さです。笑
豪華すぎて疲れた(笑)ので、売店でちょっと休憩。🤣
いまここ。😄
次回は、静明楼を歩きます。
(つづく)