MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 99 - 「たけや」のお昼ごはんと、旧下ヨイチ運上家①(土間、下台所、上台所)/ 槫板葺石置屋根(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 旧下ヨイチ運上家で。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


旧余市福原漁場を出発したときは、
お昼近くになっていました。



さて、お昼ごはんです。
食事できるところを探して、夫の運転で、
福原漁場のあたりをウロウロしたのですが、
コロナ禍で、ほとんどのお店が閉まっていました。


街の中心に近いところまで行って、ようやく見つけたお店、「たけや」です。

多動夫は、「早く食って次の場所に行こう。」と言って、さっさとランチ寿司(税込1320円)に決定。いつもはメニューがなかなか決められない人なんですが、このときは、余市観光で頭がいっぱいだったようです。笑

MIYOは、余市産の平目を使用した「ひらめフライ定食」に心魅かれて、すごーく迷いましたが…、

結局は、上生ちらしに決定(税込2420円)。

どーーーん。おいしかったです!!😂


食後は少しゆっくりしたかったけれど、
「時間がなくなるよ。早く早く。」
と言う夫にせかされて、お店を出ました。
次に向かったのは、
旧下ヨイチ運上家(きゅうしもよいちうんじょうや)
です。
旧福原漁場からは、
歩いて15分ほどのところにあります。


旧下ヨイチ運上家です。まずは屋根をご覧ください。槫板葺石置屋根(くれいたぶきいしおきやね)です。


【旧下ヨイチ運上家】
江戸時代に造られた施設です。当時松前藩は、幕府からアイヌ民族との交易を許されていましたが、その交易を請け負った商人が経営の拠点とした建物を、運上家といいました。かつては蝦夷地の各地にありましたが、現在も残っているのは旧下ヨイチ運上家のみです。
旧下ヨイチ運上家は、1853年(嘉永6年)に、ヨイチ場所の請負商人である、竹屋林長左衛門によって建てられました。切妻造平入の長大な槫板葺石置屋根、格子窓、紙障子戸は北陸の漁家建築と同じ系統のデザインです。内部の空間は広く、板の間から見上げた柱や梁は太く、その多くの部材に、当時のものをそのまま使用しています。封建体制の身分制度を反映し、床の間付きの上座敷や勤番侍の座敷、入り口近くには使用人用の板張りの部屋、上・下台所があります。廊下の両側に配置される座敷では、場所請負人によって派遣された支配人や松前藩士等の風俗人形が展示されています。
明治以後、多くの運上家は、番屋や倉庫に転用されました。そしてニシン漁が不振になると、番屋の機能をも失い、朽ちるに任せるような状態でした。下ヨイチ運上家も同じような経路をたどっており、一時は借家として、数家族が生活していました。が、昭和40年頃、林家から余市町に寄付されたことにより、1979年(昭和54年)に、竹屋林長左衛門が1853年に改築した折の図面にしたがって、今の姿に復元されました。
建物は、松前藩の蝦夷地支配の遺構として、1971年(昭和46年)、重要文化財に指定されました。また、一帯の敷地が、1973年(昭和48年)、「生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」であるとして、国の史跡に指定されました。
*運上家を「ニシンゴテン」として紹介している場合がありますが、運上家は実用第一で建設された施設でした。いわゆる、「親方が贅を尽くした鰊御殿」とは異なるものです。


左側から見た、旧下ヨイチ運上家です。大きな建物です。間口40メートル、奥行16メートル、建築面積534平方メートル、使用した木材量は213立方メートルにおよびます。

そしてこれは右側から見た運上家。夫、うれしくって、建物の周囲をウロウロしながら、写真を撮りまくっています。🤣🤣

そう言うMIYOも、やっぱり写真撮ってます。笑

もうね、そのまま中に入るのがもったいないくらい、雰囲気ありすぎなんですよ…。^^

あまりにも長い間、建物の前にいたものだから、とうとう中から職員の方が出てこられました。「どうぞ、中にお入りください。」と…。🤣🤣

ということで、ようやく中に入ります。^^

運上家の間取図です。建物は2階建てです。

入口を入ると、まずは広い土間があります。

写真の右奥は台所なので、たくさんの台所用品が並んでいます。

旅人は、ここで草鞋を脱ぎました。

私たちも靴を脱ぎ、板の間に上がりました。

広い板の間です。ここは、「下台所」で、出稼ぎの漁師たちが過ごす場所でした。ここの左側と奥の窓際は台所になっていて、番屋でよく見かける「漁夫溜まり」に似ています。

囲炉裏の上部にある火棚には、草鞋や干し魚が吊るされています。

さらに上を見ると、ロフトがあります。物置になっていますが、真ん中に見えているのは、ニシンを運んだ「もっこ」ですね。^^

「下台所」の右側に、もうひとつの囲炉裏があります。ここは「上台所」と呼ばれました。「上台所」の囲炉裏には、大船頭が座っていました。

大船頭が座る「上台所」は、出稼ぎの漁師が過ごす「下台所」に比べて、床が少し高めになっています。運上家では、それぞれの床に段差が設けられていて、身分の高さに合わせて、各人のいる場所が決まっていました。


「身分によって床の高さが変えられていた」
というと、
いかにも江戸時代らしい気がします。
でも、明治以降も、
このような考えは続いていたようです。


群馬県・積善館の歴史資料館に今も残されている「上段の間」。身分の高い人が宿泊するための部屋だったので、他の部屋よりも床が高くなっています。(画像をお借りしました)

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 21 - 積善館③ 本館・歴史資料館①(2023年1月17日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


いちいち床の高さを変えたりしたら、
その分、手間もお金をかかるだろうに。
床の高さが同じだと、眠れないのか?
と突っ込みたくなるのですが、
床の高さだけの問題ではなく、昔はこうして、
身分に応じてなにかと差をつけないと、
気がすまなかったみたいですね…。


少なくとも、
「身分に応じて、
 家の中に段差をつけるのがあたりまえ」
という考えを、
誰もが当然のことと思っていたわけで、
それが封建社会ということだったのでしょう。


身分制度はともかくとして、
今はバリアフリーということで、
建物の中に、とにかく段差のないことが
推奨されるようになりました。
ありがたいことです。^^
こんな世の中になるとは、
当時の人々には想像もつかなかったでしょうが。


手前から、土間、下台所、上台所、その奥に続く座敷を見通した写真です。奥に行くほど、床がせり上がっているのがわかります。

ここまで、土間、下台所、上台所を見てきました。


スミマセン…。
また、長い連載になりそうです。😅


(つづく)


(おまけのお話)


旧下ヨイチ運上家の槫板葺石置屋根
以前にもどこかで見たと思い、
過去のブログを調べてみたら、ありました。
北海道開拓の村の、旧岩間家農家住宅です。


屋根を葺いている柾(まさ)をおさえるために、屋根の上にたくさんの石が置いてありました。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 29 - 北海道開拓の村②(旧岩間家農家住宅、旧河西家米倉、旧山田家養蚕板倉、旧樋口家農家住宅)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


【旧岩間家農家住宅】
岩間家は畑作農家でした。宮城県の士族移民団の一員として、1871年(明治4年)に入植しました。この家屋は、1886年(明治15年)に、同郷である宮城県の大工によって建てられたもので、仙台地方の建築様式を多くとりいれています。
屋根の上にはたくさんの石がのっていますが、それは、屋根を葺いている柾(まさ)をおさえるためでした。台所は、太い梁を何重にも組んで、釘を使わないで作り上げています。


旧下ヨイチ運上家の槫板葺石置屋根とは、
屋根を薄い板で葺いてあるため、
その板が風で飛ばないようにと、
重石を置いてある屋根のことです。
これは北陸の建築様式とありましたが、
かつては宮城県でも、
屋根に重石が見られたようです。
その後、防火対策として、板葺きではなく、
瓦葺き屋根が推奨されるようになります。
瓦葺きの屋根には重石を置く必要がないため、
石置屋根は、しだいに見られなくなっていきました。

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