MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 98 - 旧余市福原漁場⑩ 便所、物置、そしてトロッコへ(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 旧余市福原漁場で。トロッコを前に立ちつくしました。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


旧余市福原漁場に来ています。
主屋の見学を終えて、
正面玄関の反対側にある裏口から、外に出ました。


主屋・裏側の全景です。出口を境にして、左側が親方と家族の居住部分で、右側が漁夫溜まりです。

主屋の左側には、先ほど見学した文書庫(3階建ての蔵)が見えます。ふたつ並ぶといい雰囲気を醸し出していて、しばし、ここから動けませんでした。

主屋の裏側で少し佇んだあと、再び、次のスポットへと歩きだしました。

次は、主屋のすぐ隣りにある、便所です。

小さな小屋のようなものがふたつ並んでいますが、便所は左側で、右にあるのは物置です。

便所です。出入り口は左側と右側の2か所にありました。内部は、左側が漁夫用で、右側は親方家族用でした。

平面積は6坪。地下には、建坪と同じ6坪の大きな便槽があります。台所や風呂場の捨水も便槽に流し入れて、肥やしとして畑に使用しました。

夫が引き戸を触ってみると、開きました。中を見ることができるんですね。^^

右側は、親方家族用のエリアでした。右端の引き戸を開けると、いきなり、便器が目に入りました。

お食事中の方、すみません。でも、この時代の便器って、ひとつひとつが違っていて、私たちは、見るのが大好きなんです。笑

手前の便器のような柄は、初めて見ました。

ハマナスの花のようです。そして鳥はノビタキでしょうか。北海道らしい図柄です。^^

ハマナスの花です。(画像をお借りしました)

昨年訪れた、北海道・積丹半島で。神威岬では、ハマナスの花が咲き乱れていました。(2022年6月24日 北海道積丹郡積丹町)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 62 - ウポポイ⑨(チキサニ広場とイカラウシ工房)/ 積丹半島のバフンウニ丼 / コンビニで5%オフになるカード3(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


もうすぐ、積丹半島で、
ハマナスが咲き乱れる季節がやってきます。
ウニ漁があるのは、6月から8月までの、
わずかな期間です。
また、あのウニ丼が食べたくなりました。^^


また脱線しましたが😅、話を戻して、
次は左側の漁夫用エリアを見てみます。


漁夫用に設けられた便所です。左端に小便器、そしてその隣りに大便器がありますが、陶製ではなく、木製でした。こんなところにも、明確な身分の差がありました。


初めて、明治・大正時代の便器を見て、
その美しさに驚いたのは、2年前。
長野県・田中本家博物館でのことでした。


田中本家博物館に展示されていた便器です。有田焼で、大輪の牡丹をあしらった絵柄など、旧花田家番屋のものととてもよく似ています。(2021年3月21日 長野県須坂市)
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 20 - 田中本家博物館 水車土蔵(2021年3月27日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

そしてこちらは、旧花田家番屋で見た便器です。こちらも有田焼の便器で、絵柄は白地に藍色の花模様です。(2022年6月19日 北海道留萌郡小平町)
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 20 - 旧花田家番屋⑤(はなれと便所)(2022年6月19日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

これは男性用です。ふたつの便器は同じようなテイストの絵柄で作られています。お揃いだったんですね。^^


この当時、お金持ちの家では、
便器を有田焼で作るのが、
ステイタスシンボルだったのでしょうか。
この頃の家屋を訪ねると、
美しい便器が置いてあることは、
そう珍しいことではありません。


にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)のトイレです。ほおずきの絵柄です。青山別邸は、ニシン漁で財を成した青山家の別荘でした。(2021年6月28日 北海道小樽市)
コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 41 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)③/テレカ寄付のお礼とお願い(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

中心に樹が描かれる構図は、旧余市福原漁場や旧花田家番屋の便器と同じです。

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 41 - にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)③/テレカ寄付のお礼とお願い(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


便器も100年たつと、美術工芸品ですね。^^
はじめの頃は、凝った絵柄に驚きましたが、
最近は、古い家屋を訪ねたときに、
便器を見るのが楽しみになっています。😄


最後のスポットは、便所の隣りにある、物置です。

物置です。薪小屋として使われていました。その奥では、足場が組まれていて工事をしていました。なにか、新しい物が復元されるのかもしれません。

再び、主屋の表側に来ました。道路に面して、主屋と文書庫が並ぶこの場所には、もうひとつの見どころがあります。

文書庫と石倉の前に伸びる黒い線がわかりますでしょうか…。

トロッコです。

現在は埋め立てられていますが、かつてここは、海岸沿いにありました。

ニシンを満載した船から、モッコ背負いによって陸揚げされたニシンは、このトロッコで漁場の奥へと運ばれました。

トロッコと線路の一部が、今も残されています。その線路は、文書庫、石倉の裏側を通ったところで終わっていますが、かつてはさらに奥へと続いていたはずです。


ニシンを運んだトロッコが今も残る漁場。
それは、私が旧余市福原漁場に魅かれた、
いちばんの理由でした。
そのトロッコを見たい、と思っただけで、
ワクワクしました。


このトロッコのまわりには、
今はなにもありません。
けれど、かつてここでは、
多くの人が忙しく立ち働き、
活気にあふれていたことでしょう。


当時の人々の熱気を思いながら、
トロッコのそばで、立ちつくしました。
100年以上もたって、今、
この漁場を訪れることができる幸運を思いました。


「とうとうここまで来られたんだな…。」


目の前には、100年前に栄えていた漁場の、
そのままの風景が広がっていました。
胸が震えました。



旧余市福原漁場の旅日記は、これで終わります。
最後にもう一度、福原漁場の歴史を。


【旧余市福原漁場】
1884年(明治17年)ごろに、初代福原才七が土地等の購入を実施し、事業の拡大を図ったのが、本漁場の始まりとなりました。1887年頃には、文書庫・米味噌蔵・石蔵・雑倉が建設され、主屋は1921年ごろに建設されたと言われています。その後、不漁により、1903年(明治36年)、漁場の所有権は大村由太郎、小黒浜蔵に移り、1912年(大正元年)には、ニシン漁家を営む川内家に売却されました。その後、1947年(昭和22年)の漁業撤退までの間、漁場として活用され続けました。
川内家は、1985年(昭和60年)まで、70年以上にわってこの主屋に住み、漁業と農業を営みました。主屋、文書庫、米・味噌倉、網倉に展示されているものには、川内家から寄贈された品が多数含まれています。
旧余市福原漁場の見所は、「ニシン漁に関する一連の施設が完全に残されていること」に尽きます。建物の再現・保存を行っている番屋は他にもありますが、一連の施設をまとめて保存し続けている漁場は、ここしかありません。ここまで完全な姿で保存してくださっている余市の人々の尽力に、頭が下がりました。


(つづく)

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