MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 21 - 積善館③ 本館・歴史資料館①(2023年1月17日/2日め)

2023年1月17日 積善館・本館の歴史資料館で。かつての調度品や設えが、そのままに保存されています。(群馬県吾妻郡中之条町)


群馬県の日記がまだ終わっていないというのに、
次の旅に出てしまいました。😅
なかなか、すべての旅行を書き残すことができません。
でもがんばって、なんとか群馬日記を完結したいと思います。


1月17日(火)


積善館にチェックインし、
とりあえずお部屋に入りました。


…が、多動夫がそこで
じっとしているわけはありません。


「オレ、ちょっとあちこち見てくるから。」


そう言われると、私も、
ついいっしょに行ってしまうんですよ…。😅
せっかくの高級旅館なので、
ゆっくりしたい気持ちなのですが、
300年以上の歴史を誇る温泉宿の内部を、
あちこち見るのもおもしろそうです。^^


ということで、部屋に荷物を置いただけで、
荷ほどきもせず、探索を開始しました。


前回ご説明したように、積善館には、
佳松亭、山荘、本館と、3つの建物が並び、
通路でつながっています。


左から、本館、山荘、佳松亭です。山の斜面にあり、左に行くほど、低いところに建っています。建物は、右に行くほど新しくなり、そして料金が高くなります。😅

館内の通路は入り組んでいて、
フロントから居室に移動しただけで、
すでにわけがわからなくなりました。
まるで迷路のようです。
うっかり歩き回って、
部屋に戻ってこられるのか。
自信はありませんが、
まあ、なんとかなるでしょう。笑


私たちの部屋があるのは山荘ですが、
やはり本館を見てみたいものです。
とりあえず部屋を出て、
本館に向かって歩き始めました。


【積善館・本館】
1691年(元禄4年)に建てられました。現存する、日本最古の木造湯宿建築と伝えられています。歴史的価値の高い本館は、国の重要文化財指定だけでなく、群馬県の重要文化財にも指定されており、昔ながらの湯宿建築の雰囲気をいまもなお色濃く残す希少な建物です。まさに、元禄時代へと遡る、現代の湯治場と言えます。


本館に移動するためには、エレベーターに乗り、その後、こんなところを通らねばなりません。😅 


これは、「浪漫のトンネル」といいます。
このトンネル、なんと、
山をくりぬいて造られたそうです。
洞窟のようなトンネル内は、
ひんやりとした空気で満ちていました。
地下水も漏れ出ているようで、
エレベーターの出入り口付近は濡れています。


このトンネルが、「千と千尋の神隠し」に出てくるトンネルの発想につながったと言われています。


宮崎駿氏は、この映画の製作前に、
積善館を訪れているそうなので、
信憑性があります。^^


宮崎氏は、2021年3月にも宿泊されたようで、本館に色紙が飾ってありました。

浪漫のトンネルを抜けて本館に到着。なるほど、壁も廊下も時代がかっています。


本館のコンセプトは、
「昔ながらの湯治スタイルを楽しむ」
ことだそうです。
客室内にはバス・トイレがなく、
共同での利用になります。
積善館の3棟の中でも、
「湯治宿」という位置づけの場所です。


通路の中ほどにある階段を降りてみました。梁の隙間から見えているのは、1階の「昼食処 積善や」。15時までの営業が終わり、片づけをしているところのようです。

階段を降りて、1階にきました。ここが、本館の玄関になります。

真ん中に見えているのは、「電話室」のドアです。そして右奥には「番頭部屋」があります。

電話室の中です。

その電話室の右側には、かつてのフロントにあたる「番頭部屋」が。当時のままの設えを残していました。

実はこの番頭部屋、現在も、本館のフロントとして使用されています。(この写真は夜間の不在時間に撮ったので、中にスタッフの方がいません。)


番頭部屋の壁にかけてある時計は、
やっぱり、「セイコー」でした。笑


番頭部屋の前にあった、明治44年の宿泊料。特等室の場合、一泊3円で、昼食代は1円でした。最後に、「外国人は一泊5円」と付記してあるのがナゾです。笑


さて、この「番頭部屋」のさらに隣りには、
「元禄の間」があります。
ここは、開湯320年以上になる、
「四万温泉 積善館」の歴史を今に伝える、
歴史資料館になっています。


「元禄の間」です。右奥に暖簾が写っていますが、ここは「元禄の湯」という、日帰り温泉になっています。

格子戸を開けて中に入ったところです。障子の桟にも、歴史を感じます。

ひとつめの部屋からまっすぐ進むと、「中の間」に入ります。

中の間の奥に、まだ部屋が見えます。

いちばん奥にある、「上段の間」です。

付書院の組子障子が美しいですね。^^

ここは、身分の高い人が宿泊するための部屋だったので、他の部屋よりも床が高くなっています。(画像をお借りしました)

わざわざ床を高くするとか、いったいどんな人が泊まったのかと思ったら…、

こんな人でした。笑 ひとりだけ、イスに座って撮るんですね。😅 「昭和22年8月2日御成り」だそうです。


この部屋には、
代官などの武士層も宿泊したそうです。
そのため、万が一の時に刀を使えるように、
天井が高くなっており、
梁には槍が置けるようにしてありました。


歴史資料館のお話は、次回に続きます。


(つづく)

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