MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 74 - 王宮⑮ 日成樓のニャーニャックと回廊(2023年6月19日/6日め)

2023年6月19日 フエ王宮・日成樓(ニャットタンラウ)で、ニャーニャックを演奏する皆さんと。


6月19日(月)


美しく再建された、
日成樓(ニャットタンラウ)
の前に立ちつくし、
しばらくの間、眺め続けました。


日成樓(ニャットタンラウ)です。

この、手前に延びている階段の方から、音楽が聞こえてきます。

なんだろう、と思って近づくと、なんと、こんなことになっていました。

こ、こんなところで演奏してる…。😮 ニャーニャックです。


【ニャーニャック(Nhã nhạc cung đình Huế)
ベトナムの雅楽です。15世紀に中国の明から伝わった音楽を基礎として、胡朝時代(1400年-1414年)に誕生し、黎朝時代(1428年-1788年)、阮朝時代(1802年-1945年)に宮廷儀式として確立されました。主にフエの宮廷で演奏されてきましたが、1945年に阮朝が滅亡したことで奏者が離散し、その後のベトナム戦争によって関連事物も破壊され、消滅の危機に瀕しました。

一時は、「忘れ去られた音楽」と呼ばれていましたが、聖徳大学の徳丸吉彦教授をはじめとした人々の尽力で復活しました。また、徳丸氏の提言で、1996年、フエ大学に宮廷音楽コースが設置され、2000年以降、卒業生を輩出しています。2006年には、フエ遺跡保存センター宮廷音楽合奏団が来日し、コンサートを行っています。
2009年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。


このときの動画です。

ベトナム・フエ王宮の日成樓で、ニャーニャックを演奏する人々。
こちらでも、ニャーニャックを聞くことができます。

ベトナム古都フエの雅楽(ニャーニャック)


しばらく演奏を聴いていたら、はぐれたままになっていた多動夫もやってきました。😄

そのまま、夫といっしょに、演奏を聴き続けました。


観客は、ほかに誰もいません。
私たちふたりだけのために、
楽団の皆さんが、
何曲も演奏を続けてくださいました。


暑い中、歩き続けて疲れていたけれど、
そんなの全部忘れて、
ニャーニャックに聴き入りました。


曲が終わるたびに、精一杯の拍手。
ふたりだけですが。😄
皆さんも、笑顔を見せてくれました。


ああ、いい時間だなあ…。


最後に、夫が撮ってくれた写真。みなさんも笑顔を見せてくれているのがうれしいですね。^^

楽団のみなさんとお別れして、ここからは再び、夫といっしょに歩きました。

紫禁城内に巡らされた回廊。朱塗りに金の装飾がとても美しいのですが、この回廊を歩くときは、もうひとつのお楽しみがあります。

回廊の壁や床を利用して、当時の古い写真や皇帝のプロフィールなどが飾ってあるのです。

たとえばこんな風に…。
左:12代カイディン帝(啓定帝)
右:13代バオダイ帝(保大帝)

カイディン帝と、中国からやってきた4人の高官。1920年頃のようです。

太和殿の前で、皇帝に跪く官吏たち。後ろには、三関の坊門、午門、そしてフラッグタワー(の国旗)が写っています。

日成樓(ニャットタンラウ)からさらに北へ。建中樓の方向に向かって歩き続けました。

ほどなく、次のスポットに到着。

美しく整えられた庭園の先にあるのは、太平樓の門です。


次回は、太平樓を歩きます。


いまここ。😄


(つづく)

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