MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 29 - 旧海軍司令部壕⑤(司令官室、暗号室、医療室、発電室)(2022年9月2日/8日め)

2022年9月2日 旧海軍司令部壕・作戦室で。(沖縄県豊見城市)


9月2日(金)


地底に広がる、
旧海軍司令部壕を歩いています。
それまでの細い通路から、
少し広い坑道にでました。


坑道の右側です。

そして左側。本当に長いです。

そして目の前にあるのは、司令官室。

この出入り口(ひとつめ)には柵があり、中に入ることができません。柵ごしに、木製の椅子が見えます。

この写真は、順路のずっと後で撮った、反対側の出入口(ふたつめ)です。こちらからの方が、室内がよく見えました。

司令官室です。写真の左奥に、柵のある出入り口(ひとつめ)が見えます。この部屋は、大田実少将他、幕僚6名が最期を遂げた当時のままにしてあるそうです。奥の壁には、大田少将の辞世の句が書かれています。

辞世の句
大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり

(画像をお借りしました)

県民の将来を憂えた大田司令官は、この部屋で「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文を書き、その後自決しました。


胸がつまる思いです。
が、けして、
戦争の美談にしてはいけないと思います。
最後に死ぬことしか選べない、
戦争の狂気。
再びそんな世の中にしてはならないと、
強く思います。


以前、「会津が教えてくれたこと」で考えたことを、思い出しました。あのときも、今も、私の思いは変わりません。(2021年4月10日)


「みっともない人生であろうと、
 自分はここで死にたくない。」
と考える自由は、
誰にでもあるのだと思います。
その自由を、私たちはこれからも、
守り続けなければならないと思います。


続いて、幕僚室の左隣りにある、暗号室に行きました。

暗号室です。作戦室や司令官室は壁面をコンクリートで固められていましたが、この部屋は土が剥き出しになっています。ほんとうに手作りの壕であったことを実感できます。

暗号室からさらに歩くと、医療室があります。

医療室です。この部屋がはじめから医療室であったかどうかは不明です。が、生存者の話で、ここを中心にたくさんの負傷兵がいたということから、医療室だと推定されています。

さほど広くないスペースですが、こんなふうに、負傷兵がぎっしりと横たわっていたそうです。

坑道をさらに奥へと進んだところに、発電室があります。床には、当時の発電機台が今も残っています。

ふたつめの発電室。

全部で3つの発電室が並んでいます。

ここで、坑道はV字形に折れています。右側が発電室のある坑道です。そして、左側の坑道を進むと、下士官兵が過ごしたエリアになります。

ここまで、こんなふうに歩いてきました。


次回は、下士官兵員室に行きます。


(つづく)

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