MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

全盲難聴・のんたんの夏休み⑧ ボランティアさんとウクレレ教室へ(6日め)

キドノさんと、手をつないで歩きます。(全盲難聴・のんたん 22歳)



8月11日
夏休みの6日めです。
ようやく、私の仕事も夏休みにはいりました。
「父と息子の夏休み」は終了です。


今日は、ウクレレ教室の日です。
いつもなら、長男が生活しているS園まで、
ボランティアさんが迎えに来てくださいます。
でも、この日は夏休みで、長男は家にいるので、
ボランティアのキドノさんが、我が家まで、迎えに来てくださいました。


「帰宅中で、家族といっしょにいるんだから、親が連れて行けばいいのに」
というお考えの方も、いらっしゃるかと思います。
もちろん、いらしてくださる方がどうしても見つからない場合には、
私たちが連れて行きます。


けれど、もしも、もしも、
「のんたんといっしょに行きますよ。」
と言ってくださる方が、ひとりでもいらっしゃるのなら、
そのご好意にあまえたい、というのが、私たちの考えです。


「なんでも、親がすればいい」という考えが、
障害児を育てる両親を、社会から孤立させ、追い詰めていくのではないでしょうか。


長男が小さい頃から、長男を迎えに、
ボランティアさんが我が家までいらしてくださるたびに、私はいつも、
「ひとりで子育てしているわけではないんだ。」
という気持ちになることができました。
そういう思いを積み重ねていくと、だんだん、
長男の障害が、それほどたいしたことではないように思えてきます。


私が、思いつめることもなく、いつも楽しく子育てができたのは、
私たち一家を助けてくださった、
のべ何千人ものボランティアさんのおかげだったと思います。


そんなにたくさんのボランティアさんを、どうやってみつけたの? 
と思われる方は、こちらをご覧ください。
長男が小学校入学にあたり、送り迎えのボランティアさんを探した顛末は、
こちらです。

2001年1月。長男が6歳の頃のお話です。


(キドノさんからいただいたメールです。)
本日は、比較的おとなしい様子でした。

行きはICレコーダーに自分の声を吹き込み、それを聞く、ということを繰り返していました。ヘッドホンも使わず、直接レコーダーを耳にあて。聞いていました。
私が道に慣れていなかったせいか、ウクレレ教室へは少し遅刻してしま いました。すみません。
教室に着くとすぐに、補聴器の電池を換え始め、レッスンの始まりはさらに遅くなってしまいました。
肩慣らしに、今までやった曲を3曲ほど弾いてから新しい曲に入りました。

時間が押して、最後の方は駆け足状態でしたが、それでも一通り頭に入れたようです。
帰りはレッスンの録音をずっと聞いていました。


補聴器の電池を交換している時の写真添付します。
古い電池は、先生が処分してくれました。


以上、本日の報告です。


キドノさんが撮ってくださった写真です。補聴器の電池を、一生懸命、交換しています。


午後3時。
長男は、キドノさんといっしょに、元気に帰ってきました。
今日も介助をありがとうございました。


毎日、毎日、たくさんの方々への感謝を積み重ねて、
長男は22歳になりました。

(つづく)


長男が6歳の頃のお話「のんたん日記3」を、
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan03/nontan0300.html
でご紹介しています。
もう16年も前のことになりました。


MIYO'S WEBSITE(全盲難聴の、のんたんの育児記録)
http://limings.sweet.coocan.jp/
も、少しずつ更新しています。

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